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マイスイート・ハニーデビル  作者: 植原翠/新刊・招き猫⑤巻
Ep.3・ディア・マイフレンド
9/36

蘇る青春時代

 私が轢死しかけた日の翌日。


「ううう……やっぱり私なんか、三歳の時点で死んでおくべきだった」


 残業二時間の果てにアパートへ帰ってきた私は、膝を抱えてべそをかいていた。

 夕飯の支度をする元気はなく、私は立ち上がれずにいた。涙が出そうで出ない。悲しいというより腹立たしい、腹立たしいというより悔しい、虚しい。

 丸くなった私の背中に、チクリとなにかが当たった。

 顔を上げると、いつの間にかゆっぴが立っていて、尻尾の先で私をつついていた。


「おっかえりー、なんか凹んでるじゃん? どした?」


「わ。いつ入ってきたの?」


「さっき!」


 またベランダから入ってきたようだ。ゆっぴが出入りに使っているとなると、壊れた鍵を直しても開けっ放しにしなくてはならない。


「昨日あんなに照れながらいなくなったくせに、意外とあっさり戻ってきたね」


「別に、びっくりしただけだし」


 ゆっぴは翼をぴくっとさせつつも、気丈な態度を見せた。


「あたしの恋愛対象は女の子じゃないから『恋人になって』は……むずいけど、みことっちがあたしのこと好きなのは勝手だかんね。むしろそういう事情なら願い事を引き出すのもラクショーだし。利用してやろうと思ったわけ。さ、あんなことやこんなこと、なんでも頼みなよ」


 純情な乙女の顔で私の告白に戸惑っていたゆっぴだったが、今はもうそれを武器にしてきている。悪魔だけに、こういうところは小悪魔系である。

 たしかに、ゆっぴにしてほしいことを思い浮かべると、残りふたつでは足りない。でも、私はそれを口にはしなかった。


「なに想像してるんだか知らないけど、心が伴わないのに形だけ恋人ごっこをするのは本意じゃないよ」


 私が言うと、ゆっぴは尻尾をぴんっと張って、目をぱちぱちさせた。


「マジ? 折角好みの女がなんでもしてくれるって言ってるのに?」


「そう簡単に魂売ってやらないわよ」


 ゆっぴは今でこそ強気な態度だけれど、本当は昨晩は悩んだのではないかと、私にだって分かる。昨日あんなに戸惑いながら飛び去っていったくらいだ。ここに戻ってくるまでの間に、私とどう接していこうか、きっとたくさん考えたはずだ。そして、開き直るスタイルに落ち着いたのだろう。


「なんでもする」と言いつつも、「恋人になる」は叶えない。ゆっぴの気持ちも伴っていなければ、恋人にはなれない、という彼女の誠実さの現れだ。

 だから「なんでもする」と言っていたとしても、これは仕事として割り切っているだけ。そんなゆっぴに自分の気持ちを押し付けたいとは思わない。


 ゆっぴはちょっとつまらなそうに唇を尖らせた。


「そんなふうに言ってられなくなるくらい誘惑してやっから。みことっち、なんかめちゃくちゃ凹んでるっぽいし? 慰めてやればイチコロっしょ」


「作戦が口から出ちゃってるよ」


「で、なんでそんなに落ち込んでるの?」


 作戦の内なのはもう分かっているが、聞かれたからには話したい。私は今日の出来事を話し始めた。


「昨日有給取ったの、部長がすごく怒ってた」


「なんだそりゃ」


 ゆっぴは呆れ顔だが、私にとっては死活問題だった。昨日の豊かな休日と引き換えに、私は今日、部長からも同僚からも、冷たい視線を浴びせられたのだ。

 まず、突然の連絡で当日欠席したこと。休むのならもっと早く、一ヶ月くらい前からは報告があるべきだと叱られた。おかげで昨日一日部長の機嫌が悪くなり、部署の同僚たちが八つ当たりをくらったという。それだけでも酷い罪意識に苛まれて大ダメージを受けたわけだが、さらにデスクに丸一日分の仕事が山積みに溜まっていて、おまけに休んでいる間に起きたトラブルは私のせいにされていて、その問題解決に奔走させられたのである。


「私が休まなければ、部長があんなにへそを曲げたりしなかったし、同僚がとばっちり受けることもなかった。遊んでた分、仕事は溜まって皺寄せが今日に来て、トラブルだって」


 なにも考えずに遊んでいたバチが当たったのだ。


「うう……関係者各位に大変ご迷惑をおかけしてしまった。今後このようなことがないよう充分に留意いたしますので何卒ご容赦いただきたい……」


 徐々に声が沈んでいく私とは対照的に、ゆっぴの怒声は一気に跳ね上がった。


「はあー!? マジありえんし!? なんでみことっちが謝るわけ!?」


 翼を大きくバサアッと広げ、尖った牙を剥き出しにする。


「有給使ってなにが悪い!? なににキレてんだよ部長って役職はバカでもなれるの!? てか休みの人にトラブル押し付けるとかどうなってんの!? 根底から腐ってんじゃん!」


「それは本当にそう思う……」


 強気になれない私に代わって、ゆっぴがギャンギャン吠える。私を甘やかして望みを引き出すつもりだったはずだが、どうも今のゆっぴは部長に本気で怒っているようだ。


「もー、そのブチョーって奴がいちばんヤバヤバのヤバと見た。そうだみことっち、二個目の願い、このブチョーを殺すってのはどう?」


「めちゃくちゃストレートでびっくりした。殺さないで」


 直にストレスを浴びせられている身としては、幾度となく部長の不幸を願っているが、悪魔であるゆっぴがこう言い出すとリアルな力が働きそうで怖い。ゆっぴは腕を組んで拗ねた。


「名案だと思ったんだけどなー。職場の悪を滅し、あたしはみことっちの願い事をひとつ叶えて、みことっちは死に近づく。Win-Winだよ」


「私は死に近づきたくはないんだよ」


 私はしばらく膝小僧に額を乗せて沈んでいたが、やがてゆっくりと立ち上がった。


「凹んでても仕方ないか。明日から挽回する。とりあえず、今はごはんを食べよう」


 罵詈雑言はともかく、権利云々についてはゆっぴの言うとおりだ。つい仕事人間の本能で謝り倒してしまったが、私は有給を取っただけで、悪いことはしていない。


「おっ、今日ごはんなに?」


 ゆっぴの声がすっと落ち着く。私はキッチンに立ち、冷蔵庫を開けた。そしてびっくりする。なんと、なにも入っていない。


「うわ。無駄遣いはできないから自炊するつもりが……」


 働き詰めで買い物も行けてなかったから、なにもない。今からコンビニにでも行こうかと思った矢先、ゆっぴがふふんと笑った。


「仕方ないなー。あたしが作ってあげる」


 ゆっぴは例の魔法らしき力で、テーブルに火花を弾けさせた。そこにぽこぽことオムライスが出現する。形が崩れているし焦げてもいるが、オムライスなのは分かる。

 わっと感嘆する私の横で、ゆっぴがにんまりと口角を上げる。


「みことっち、あたしのこと好きだもんね。嬉しいでしょ」


「き、昨日まで照れてたくせに……!」


 しかしゆっぴの料理は嬉しい。上手ではないところもかわいくて、余計に心を鷲掴みにされる。ずるい奴だ。

 ゆっぴがハッと目を見開いた。


「あっ! みことっちに『手料理作って』って頼まれる前に作っちゃった。これじゃ願い事を叶えたカウントにはならない!」


 言われてみれば、ゆっぴは私が願うより先に自主的に望みを叶えてくれた。この場合は「契り」に適用されないらしい。ゆっぴがアホで命拾いした。


「やっちゃったあ。まあ仕方ない。のんびりじっくり別の望みを引き出そう」


「頼み事しないように気をつけよ。ひとまずオムライス、ありがたくいただきます」


 焦げ気味のオムライスの前に座り、手を合わせる。至福のひと口目をスプーンに掬ったそのとき、鞄の中からスマホが振動する音が聞こえてきた。

 私はスプーンを止めて、眉を顰めた。あの長さは多分電話だ。


「もしかして会社から? なにか不備があったかな……」


「ブチョーか!? よし、あたしが出る」


 なぜか勇んで応答しようとするゆっぴを慌てて抑えて、私は彼女より先にスマホを取った。そして画面に出ていた着信の文字と、そこに並んだ名前を見て、ぱっと目を見開く。すぐさま耳に電話を当てて、彼女の名前を呼んだ。


「小春!」


「やっほー、 久しぶりだね、深琴」


 電話の相手――鷲下小春は、数年前から変わらない、明るい声で私を呼んだ。

 ゆっぴが怪訝な顔で私の横に座っている。スマホに顔を近づけて、洩れ出す相手の声に耳を傾けていた。


「急に電話してびっくりさせた? 何年ぶりかな」


「上京してから一度も会ってないから、高校卒業以来じゃない?」


「えー、そんなになる? でもそうだわ、深琴、卒業と同時に地元出ちゃうんだもん。私はあんたがひとりで大丈夫か、もう心配で心配で」


 わざとっぽく声を裏返す彼女に、私はあははっと吹き出した。


「もう、私ももう子供じゃないんだよ! ちゃんとひとり暮らしできてるから、ご安心を」


 小春は高校時代の同級生で、同じ部活の仲間だった。世話焼きでしっかり者な彼女は、私にとっていちばんの友人であり、頼れる姉のような存在でもあった。

 そんな小春からと久々の連絡だ。嬉しくないはずがない。


「でもどうしたの、急に。なにかあった?」


「私、今ライターの仕事しててね。近々そっちに取材に行くんだ。ついでに深琴に会えないかなあと。どうかな?」


 その誘いに、私は一層心が踊った。


「会いたい! 絶対会いたい!」


「よっしゃ。深琴、休みはいつ?」


「えーっとね、日曜定休。だから日曜なら比較的早く仕事切り上げられるよ」


「ん? 定休、なんだよね?」


「うん。定休日だと、残業しなくていいし運が良ければ早上がりできることもあるんだ」


「なに言ってるのか分かんなくて心配になってきたな。これはますます会いに行かなくては」


 小春の声色が真剣になっていく。


「それじゃ、急で申し訳ないけど今週の日曜日でもOK?」


「いいよ。小春の方は、用事は?」


「それは大丈夫! いくらでも都合つけられるから、心配ないよ」


 軽やかなやりとりは、十年近くご無沙汰とは思えないくらい、当時と変わらない。私と小春は待ち合わせ場所と時間を取り決め、細かい打ち合わせはチャットで続きをすることにし、一旦電話を切った。

 久しぶりに小春の声を聞いた。懐かしい友達が会いに来てくれる。聞きたいことが山ほどあるし、話したいこともたくさんある。今からわくわくして、顔が締まらない。

 終話を大人しく待っていたゆっぴが、首を傾げた。


「ねえ、今の人、みことっちの友達?」


「高校の頃のね。三年間ずっとクラスが同じで、部活も一緒だった親友だよ」


「その人が会いに来るの? ブチアガるじゃん!」


 ゆっぴが翼をぱたぱたさせる。私も浮き立っていて、上機嫌でゆっぴの真似をした。


「そうなの、ブチアガるの! というわけだから、少なくとも日曜日までは私、死ねない」


 小春は、心配性で面倒見のいい女の子だった。同級生はもちろん、先輩や先生たちからも一目置かれていて、頼まれ事や相談をしょっちゅう受けていた。それでいて型に嵌った性格ではなく、言いたいことははっきりと言う。芯がしっかりしていて、裏表がない。故に、信頼されるのだ。

 一方私は部活で倒れたり、キャンプで遭難したり、それに限らず日頃からなにかとそそっかしいところがあった。そんな私を放っておけない小春は、傍で寄り添っていてくれる存在だった。

 私は改めて、スプーンを手に取った。


「いただきます。にしても、小春が来てくれるんだ。ふふ、嬉しいな」


 スプーンに乗った玉子とケチャップライスを、口へと運ぶ。玉子は塩辛いのに、ケチャップライスは味が薄い。


「高校に入学して、同じ中学から来た人がいなくて不安だった私に、話しかけてくれたのが小春だったんだ」


「ほお」


 ゆっぴも同じくオムライスを頬張る。私は懐かしい日々を振り返っていた。


「小春が先生になにかと頼み事されてたから、私もよく手伝ってたんだ。階段から落ちたりとか野球部の球が飛んできたりとかで、私がすぐ危険な目に遭うから、今思うと足引っ張ってただけかもしれないけど」


「不運絶好調じゃん、ウケるんだけど」


 皆から頼られる人気者の小春が、私を選んで隣にいてくれる。それがすごく誇らしかった。

 ゆっぴが赤い瞳で私を見つめている。


「みことっちの友達の話、めちゃ興味ある。タイムラインに流れてくるのは、みことっちが生きてるか死んでるか程度だけだかんね。過去にどんなくだりがあったのかは、みことっちから聞かないとなんも知らんし」


 小春を思い出してみると、改めて、高校のクラスにいたギャルの集団を連想する。当時はゆっぴみたいな子とはあまり交わらなかった。ただ「かわいいなあ」と、遠くから憧れの眼差しを送っていた。

 小春の方は、騒がしいギャルたちと馬が合わなかったようだ。校則を破ったり提出物を忘れたりする彼女たちとよく揉めており、「深琴はあんなのと関わっちゃだめ」と度々口にしていた。


 私はギャルに心を惹かれていたが、小春はギャルが嫌いだった。私はギャルが好きでも自分とは住む世界が違うと分かっていたし、小春と友達である手前、ギャルとつるむことはなかった。

 だが文字どおり住む世界が違うゆっぴが、今こうしてものすごく近い距離にいるのだから数奇な運命である。


 ゆっぴが尻尾をふよふよ振っている。


「小春ちゃんね、ハルルって呼んじゃお。会えるの楽しみだな」


「えっ?」


 私は思わず、口の前でスプーンを止めた。


「ゆっぴも来るつもりなの?」


「うん。だってあたしもハルルに会ってみたいし」


 なんとゆっぴは、いつの間にやら自分も小春に会う気でいた。私はスプーンを半端な位置で止めて、ぶんぶん首を振った。


「やめて、ややこしくなる! ゆっぴの存在をなんて説明したらいいの!?」


 ある日突然部屋に押しかけてきたギャル悪魔、など、まず理解されない。私だって流されているだけで、理解はできていないのに。面倒くさい説明をして小春を困らせるくらいなら、ゆっぴのことは一切隠し通したい。

 それになにより、小春はギャルが嫌いだ。


 自分がカウントされていないことに気づいたゆっぴは、みるみる不機嫌な顔になっていった。


「なんでー! ハブとか酷いんだけど!」


「ごめんね。でも小春がびっくりしちゃうから、今回はゆっぴは出てこないで。分かった?」


 説得するも、ゆっぴはふくれっ面を崩さない。


「分かんない。あたしもハルルと会いたい。ふたりでおいしいもの食べたりかわいいカフェ行ったりカラオケしたりするんでしょ? あたしも仲間に入れて! 人数は多い方が楽しいよ!」


「あのねえ、ゆっぴ。パリピギャルがいればそれはそれは盛り上がるとは思うんだけどね。でも小春が混乱しちゃうから……」


 私は苦笑しつつ、駄々っ子になってしまったゆっぴをなんとか宥めた。


「小春は大事な友達なの。変なことでギクシャクしたくないの、もうすぐ死ぬなら尚更」


 ゆっぴは肩を強ばらせた。まだ不服そうではあるが、むすっとしたまま頷く。


「分かったよ。その代わり、埋め合わせにあたしとも遊んでね? またパフェ食べに行こ」


「パフェくらいならいくらでも付き合う」


 なんとかゆっぴを説き伏せた。私はほっと胸を撫で下ろし、壁のカレンダーを見上げた。日曜日まで、あと三日。迂闊に死なずに当日を迎えなくては。

 そういえば、「小春に会いに来ないで」は二個目の願い事にカウントされないのだろうか。と思ったが、どうやらゆっぴはカウントするのを忘れているみたいで、これが二個目だとは言ってこなかった。本当に、この子がアホで命拾いした。

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