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マイスイート・ハニーデビル  作者: 植原翠/新刊・招き猫⑤巻
Ep.2・イッツ・マイフェイバリットシンクス
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私のお気に入り

 ゆっぴが駅へと向かっていく。私は頷いて、名残惜しく一歩を踏み出した。この楽しい一日が終わってしまうのが、勿体ない気がしてしまう。

 まったりとした平日の街を抜け、駅に着き、ホームに立つ。最初は私とゆっぴしか並んでいなかったが、数分も経つと後ろに列ができていた。平日の夕暮れ前なのに、意外と混んでいる。ホームにアナウンスが響く。


「三番線、快速電車つきとじ行きが、ホームを通過します。危ないですから、黄色い線の内側へお下がりください」


 隣にいるゆっぴのポニーテールには、私とお揃いのシュシュ。今日は本当にいい日だった。少し、自分を好きになった。明日もそんなふうでいられるといいのだけれど。


 そんなことを考えていたときだった。

 とん、と、背中に衝撃が走った。


 え、と思う頃にはすでに私の体は傾いていて、浮いた足が線路へと滑り落ちていく。一瞬、時間が止まったように感じた。線路の上に、ドシャッと崩れる。なにが起きたか分からず、数秒間、座り込んでいた。人の悲鳴、電車の音が、間近に聞こえる。買ったばかりのパンプスのヒールが折れている。顔を上げると、ホームに並ぶ人々が血相を変えてこちらに身を乗り出していた。


「女性が落ちたぞ!」


「早く上がってこい!」


 そしてその人々の真ん中に、ゆっぴがいる。

 彼女は大きな目をぱちくりさせて、唖然とした顔で私を見下ろしていた。


 体が動かない。唐突すぎて、頭が働かない。こういうとき、どうするんだっけ。

 しかし私が動けなかろうと、電車には関係ない。ファンという音にびくっと振り向くと、非情にも轟音はみるみる近づいてきていた。

 足が動かない。全ての音が聞こえなくなる。やけに長い一秒の後、額の数センチ先に、車両の先端があった。


 *


 そこから先は、なぜかあまり覚えていない。

 気がついたら、私は駅のホームに引き上げられて、そこにいた人々に囲まれていた。


「無事で良かった! 奇跡的に怪我ひとつないなんて、本当に運がいい」


 人の良さそうなおじさんが私に声をかけてくる。その横には、中学生くらいの男の子ふたり組が頭を下げていた。


「ごめんなさい、俺たちがはしゃいでて、お姉さんにぶつかってしまって……」


 聞いたところによると、私はどうやら、後ろで遊んでいた中学生たちに体がぶつかり、その勢いで線路に転落したらしかった。隣にいたゆっぴは、絶句して立ち尽くしていたという。

 すぐに駅員が駆けつけてきて、座り込む私に目線を合わせてしゃがんでくれた。


「大丈夫ですか。お怪我は?」


「ない、と思います」


 不思議なくらい、どこにも痛みがない。ただ、買ったばかりの藤色のスカートと黄色いシュシュが、少し汚れてしまった。


「怪我がなくて良かったですけど、よく無事でしたね。ホームの下に逃げ込んだとか?」


 駅員が驚きを隠せず問うてくる。私ははあ、と間の抜けた返事をして首を傾げた。

 ホームの下に逃げ込んだ……その記憶がない。

 頭が割れるようなブレーキ音、金属の塊に勢いよく体を弾かれる感覚、そういったものが断片的に脳の端に残っている、気がする。電車にはねられた、その感覚がある。

 だがそうだとしたら私の体はとっくにばらばらになっている。結果的にこうして生きているのだから、やはり目撃者各位の言うとおり、運良く隙間に滑り込んで助かったのだろう。


 ゆっぴはまだ、無言だった。私が死ぬと思って驚いたのだろうか。彼女はひとつ、ゆっくりとまばたきをして、スマホの画面に目を落としていた。


 *


 数時間後。私は自宅アパートの扉を開けて、癖になったフレーズを繰り出した。


「ただいま」


 そして靴を脱ぐ前に、玄関前の床にぱたんと突っ伏す。


「はあ、疲れた」


 あの後、念の為検査をするといわれ、私は救急車で病院へと連れていかれた。ひととおり検査をされた結果、異常なし。かすり傷ひとつなかった。それからタクシーでアパートに帰してもらって、今に至る。

 自分に全く怪我がなかったのだから、ただ電車のダイヤを乱してしまった罪悪感だけが残っている。


 ゆっぴはというと、いつの間にかいなくなっていた。多分、救急車に乗り込む辺りですでにいなかった。どさくさの中で置いていってしまって、そこからコンタクトを取っていない。

 すっかり昔からの友達みたいに遊んでいたが、考えてみたらゆっぴは昨日出会ったばかりであり、私は彼女の連絡先を知らない。先にここに帰ってきているかもなんて思ったりもしたが、部屋は真っ暗で、彼女の気配はなかった。


 まあでも、当たり前である。繰り返しになるが、ゆっぴは昨日出会ったばかりの、自称悪魔の不法侵入ギャルである。冷静に考えると、むしろくっついてきている方が危険な存在だ。これで振り払えたのなら御の字である。めちゃくちゃ好みの顔だから残念ではあるが。


 床に頬をつけて、私は大きなため息をついた。放り出された髪の毛の束に、黄色いシュシュが絡んでいる。線路で汚れてしまって、茶ばんでしまった。

 それを見ていたら、対のピンクのチェックを思い浮かべてしまい、胸がぎゅうっとなった。


「ゆっぴ……」


 呟いたそのとき、部屋の奥でカラッと音がした。次の瞬間、奥のリビングの電気が点いて、目の前がぱっと明るくなる。


「あっ、みことっちー。おかえり」


 目を上げたその先には、蜂蜜色の長い髪と、突き抜ける黒い翼、くるんと伸びた尻尾があった。


「ゆっぴ?」


 またベランダから入ってきたようだ。


「ごはんいる? パフェ食べてあんまし時間空いてないけど」


 ゆっぴは私の前にしゃがむと、手に提げていたコンビニの袋を顔の上に掲げてきた。


「コンビニのパンいっぱい買ってきたの。甘い物食べたら塩気が欲しくなるじゃんな? だから焼きそばパンとか、ちっちゃいチーズのフォカッチャとか」


「ほ、欲しい」


 ゆっぴはどうもこう、絶妙に私を甘やかす。

 彼女はニッと笑うとリビングへ戻り、テーブルにパンを並べはじめた。私は疲れた体をのっそり起こし、ゆっぴの待つリビングへと足を引き摺っていく。なんだろうか、自称悪魔の不法侵入ギャルが部屋の窓から入り込んできたというのに、安心している自分がいる。

 テーブルにつくと、ゆっぴはポンと手を叩いた。


「あっ、そうそう、みことっち!」


 それまでにこにこしていたゆっぴが、急に険しい顔になる。スマホの画面を上にして、テーブルの上、私の正面に置く。私はその画面を覗き込み、目が飛び出しそうになった。


『二十六歳・四月X日四時三十二分・轢死』


「れ!?」


 変な声を出す私を前に、ゆっぴは残念そうな顔で焼きそばパンを開ける。


「そうなの。やっぱりなーって感じ。みことっち、電車にひかれて死ぬはずだったのにまた死にそびれたんだよ」


 そうだった。楽しく遊んですっかり油断していたが、ゆっぴは自称悪魔の不法侵入ギャルである上に私の死を望んでいるのだった。


「もしかして、線路に突き落としたのはゆっぴだったの……!?」


「いんや? それは普通に、後ろにいた中坊くんたちだけど」


 ゆっぴはぱくっと、大きな口で焼きそばパンにかぶりついた。


「あと少しで死ねたのにねえ。これでつまんなすぎる働き蜂人生とおさらばチャンスだったのに……」


「あの、それなんだけど……」


 私は並んだパンの中から、チーズのフォカッチャを選んだ。


「ゆっぴが思ってるほど、私の人生、つまんなくないかもしれない」


「嘘ん。平日は朝から朝まで働いてて、休日は無趣味でやりたいこともなく寝てるだけの人生なのに?」


 ゆっぴが怪訝な顔をする。私は自分の髪の結び目に、指先を重ねた。


「なんか今日、生きてるのって楽しいなと思った」


「それはあたしがいたからじゃん」


「そうなの。私、ゆっぴがいると楽しいんだよ」


「ふうん」


 ゆっぴは焼きそばパンをもぐもぐかじる。私はもう一度、改めて言った。


「ゆっぴ。私の二個目の願い、『一生一緒にいて』だよ」


「あれ? それ、眠くて変なこと言っただけだと思ってた。覚えてたんだ」


 ゆっぴは昨日の私の発言を聞き流していた。でも、私は寝ぼけたわけでも言い間違えたわけでもない。


「私はゆっぴが好きなの。惚れてるって意味で。だからこんなめちゃくちゃな状況にされても、『まあいっか』って思えるの」


 どうせ残りの人生が短いなら、最期は思いっきり楽しみたい。


「お願い。どうか私が三個目の願いを言うまで、恋人でいてください」


 告白なんて、人生で初めてだった。出会って二日の自称悪魔に、自宅でコンビニの菓子パンを摘みながら……こんなシチュエーションで。

 ゆっぴはしばし呆然としたのち、ぶわっと顔を赤らめた。


「えっ……ま、マジで言ってる? みことっちもあたしも、女の子……え、そういうこと?」


 私の半生を知るタイムラインを見ていても、私の秘密は知り得ないみたいだ。ゆっぴはギャルなのに純情な乙女の顔で戸惑って、私の目をしばらく見つめて、やがて目を逸らした。


「えっと……二個目は、ちょっと……保留で」


 そしてパンを咥えて、いそいそと立ち上がり、ベランダへと逃げ出していく。


「保留? 折角こっちから二個目の願い事言ってるのに」


「ほふぅっはら、ほふぅ」


 パンで塞がれた口で「保留ったら保留」と訴え、ゆっぴはベランダの柵を超えて飛んでいった。私は彼女の消えた夜空を、テーブルから見つめる。


「かわいすぎ」


 チーズのフォカッチャは、もっちりしていておいしかった。

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