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マイスイート・ハニーデビル  作者: 植原翠/新刊・招き猫⑤巻
Ep.2・イッツ・マイフェイバリットシンクス
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ハロー、新しい私

 エスカレーターで数階上り、次の店に入った。今度は先程の店とは打って変わって、わりと落ち着いた、コンサバ系の店である。


「へえ、こういう感じの服も着るんだ。これも悪魔向けなの?」


 感覚が麻痺して過去一度も言ったことがないような質問をする。ゆっぴは早口に返事をした。


「ここは違うよ。普通に人間の店! みことっちがハデハデなのはイヤって言うから、このジミジミなお店も見てあげるんでしょ」


「私? いや、私の服は選ばなくていいよ」


 私なんかどうでもいいから、ゆっぴの着せ替えを楽しみたい。

 今回入った店は、デビルズメイスなる店の服よりはだいぶ私でも違和感なく着られそうな服を並べている。だがそれでもお洒落すぎて気が引ける。だというのに、ゆっぴは遠慮がない。


「このパステルカラーのスカート、かわいい!」


 ゆっぴが手に取ったスカートを見て、私は息を呑んだ。淡いピンクやレモンイエローのふんわりした春らしい膝丈のスカートで、柔らかく広がる裾が軽やかに舞う。かわいい、と、思ってしまった。着てみたい気持ちは湧いたが、脳内にいる冷静な自分が白い目をする。そんな甘やかで愛らしい色味は、甘やかで愛らしい人にしか似合わない。


「う、うーん。かわいすぎちゃうかな……」


 たじたじになる私に、ゆっぴは勢いよく勧めてくる。


「上等じゃん。かわいいに『すぎる』はないよ。ピンクかわいいよピンク!」


 と、わちゃわちゃ揉める私たちを見かねて、店の販売員が近づいてきた。


「お客様、なにかお困りですか?」


 私はびくっと縮こまった。こういう店に限らずだが、店員に話しかけられるのは苦手である。殊に、全く分からない服のことでゆっぴにゴリ押しされている状況だ。苦手要素がさらに加わり、内心絶体絶命の気分だった。

 一方、コミュ力オバケのゆっぴは臆することなく販売員に向き合う。


「あたし絶対このスカート、みことっちに合うと思うんだけど、みことっちがビビってんの! かわいすぎて怖いんだって。ウケるよね」


「ああ、甘めのお色に抵抗があるようでしたら、ピンクよりこっちのシックなパープルの方はどうですか?」


 販売員が什器から、同じ形の色違いを取った。しっとりした藤色である。これはこれでやはりふんわりと甘い色なのだが、他の色より幾分か大人っぽく見える。

 少し心がぐらついたが、それでもまだ気恥ずかしい。


「えっと……でも、紫は着たことなくて、難しそうっていうか……」


「そんなことないですよ! 白と合わせれば間違いないですし、甘めのコーデが苦手でしたら黒やグレーなら大人っぽく纏まります」


 販売員が目をキラキラさせて、近くにあった白いトップスをスカートに重ねた。それを見た瞬間、私はつい、あっと口をついた。柔らかな藤色が、白に映えている。それは公園で見た桜の花弁のような、春らしくもしっとりとした雰囲気を纏っていた。

 私が惹き付けられたのを感じたのかどうなのか、ゆっぴが盛んに加勢した。


「そうそう! ネイビーも合うしベージュも合うよ。勇気が出てきたら思い切って黄色系と合わせてもかわいいよ! 反対色だからすっごく主張する!」


 ゆっぴの提案に、販売員のテンションがさらに上がった。


「いいですね! こちらのスカートのお色でしたら色味が落ち着いてますし、反対色と合わせても引き立て合うけど喧嘩はしない、いい色合いになるかと!」


「差し色で入れてもかわいいんじゃない!? このネックレスとか!」


 第二の店員みたいになっているゆっぴが、黄色い大ぶりのビーズのネックレスを持ってくる。パステルカラーの藤色のスカートに白いカットソー、そこへ黄色いネックレスが加わり、一層華やかになった。

 見ていた私はもう、「でも」とは言えなかった。釘付けになって、目を離せない。今目の前にあるそれが、魅力的で仕方なかった。服に興味がなくて自分がどういうコーディネートが好きかすら知らなかったけれど、そうか、私はこういうのが好きだったのか。

 固まる私に、販売員がにこりと微笑む。


「ご試着なさいますか?」


「はい……」


 考えるより先に、返事をしていた。

 試着室に入り、着替えてみて、自分で自分に驚いた。

 もしかしたら私には、ある種の変身願望があったのかもしれない。

 着たことのないような甘いスカートに、包み込むような優しい白、花を添えるネックレス。ついでに、普段なら汚れるのを気にして手を出さない、白いパンプスも合わせた。


 体じゅうに“初めて”を纏った私は、試着室の鏡を見て口の中で呟いた。「いいかも」と。


 ただ、服がかわいいだけに、荒れた肌や傷んだ髪が折角の服を台無しにしている気がする。やはり私には不相応か。だんだん冷静になってきた私は、ひとつため息をついてカーテンを開けた。正面で待っていたゆっぴが、ぱあっと顔を輝かせる。


「かわいー! 完璧! パーフェクト! あたしの目に狂いはなかった。みことっち絶対似合うと思ったよー!」


 惜しみなく褒めちぎる彼女には面食らう。販売員も大袈裟にリアクションしてくれて、私はより面映ゆい気分にさせられた。


「けど、やっぱり私には華やかすぎないかな……。身の丈に合ってない気がするよ」


 苦笑いをするも、ゆっぴは退かない。


「そう思うなら、服に似合うみことっちなっちゃえばいいんだよ。ぶっちゃけ気に入ってるんでしょ?」


「う、うん。それは、すごく」


「じゃあ買うしかないじゃんな。お姉さん、これ全部買いまーす」


 本人である私の意思を確認する前に、ゆっぴがもう決めてしまっている。ちょっと戸惑う私に、ゆっぴはニヤリと笑った。


「迷うな、大丈夫。泊まりがけの連勤を戦い抜いたみことっち自身へのご褒美だよ」


 彼女のスカートの裾から、尻尾がちらっと顔を出す。

 普段なら無難なデザインの安い服ばかり買ってしまう私には、思い切った買い物だった。でも、不思議と無駄遣いだとは思わない。ゆっぴが販売員以上に嬉しそうに飛び跳ねる。


「お姉さん、このまま着ていってもいい?」


「もちろんですよ」


「えっ、このまま!?」


 勝手に話を進められ、私はいつの間にか流された。当初着ていた服を店の袋に詰めて、買ったばかりの新しい服で、再スタートを切ったのだった。


 *


 ゆっぴに連れていかれるまま、ブランドコスメの店にやって来た。ゆっぴ自身の買い物についてきただけだったはずだが、ゆっぴは先程の店で私に服を選んだのが楽しかったらしく、ここでも私に合う化粧品をコーディネートしはじめた。


「みことっち、普段どこのなに使ってる?」


「えっと、ドラッグストアで安くなってたやつ……」


「ふうん、それ使い心地いいの? 気に入ってる?」


「気にしたことなかった」


 たじろぐ私に、ゆっぴは呆れ気味に目を細め、店内を歩いていく。


「ひとつくらいお気に入りのコスメ持っときなよー! ほら、好きなの選んで!」


「そんなんいきなり言われても。どれがいいのかさっぱりだよ」


「えー、あたしが使ってるおすすめのは……あ、あたしの煉獄の限定コスメだからここには置いてないや」


「煉獄の限定コスメ」とはなかなかエッジの効いたフレーズである。


「こういうのはね、好きなのを使うべきなんだよ。高いのを使えっていうんじゃなくてね。まず肌との相性がいいこと。次に、合わせたい服の色とのバランス、なりたい自分のしてみたいメイクに合った色、あと使いやすさ」


 言いながら、ゆっぴはリップを一本手渡してきた。


「それから、見た目のかわいさ」


 銀色のボディにピンクのラインストーンが散りばめられた、かわいいデザインだ。きらきらしているけれど派手すぎず、どこかシャープな印象すらある。それを持ったゆっぴは、いつにも増してかわいい。胸がぎゅっとなって、直視できなかった。


「うっ……かわいい」


「じゃ、これ買おっか」


 自分に言われた「かわいい」をリップの評価だと思ったらしく、ゆっぴは私にリップを押し付けてきた。私としては、自分なんかを飾るのは気が引けてしまう。


「さっき服買ったばかりなのに、これも買うのは贅沢すぎるんじゃ……」


「なに言ってんの! 服買ったばかりだからこそだよ!」


 ゆっぴの声は、いちいち大きい。


「かわいい服買ったんだから、みことっち自身も最強にかわいくならないと。自分目線で最強を選ぶんだよ!」


「じゃ、じゃあこのリップ!」


 ゆっぴから渡されたリップを握りしめると、ゆっぴは満足げに口角を吊り上げた。


「それね! 同じシリーズのファンデもパッケージかわいいんだよ。アイシャドウも新作でめっちゃかわいい色のが出てた。こっち!」


 彼女は活き活きと店内を早歩きして、私を誘う。私はまたもや流されて、コスメを一式、買い揃えてしまった。


 続いて有名なカフェチェーンへ連れ出され、春の限定ハニーミルク桜餅ココアを飲んだ。桜の香りのするココアの甘いドリンクで、トッピングのクリームには蜂蜜がたっぷりかけられている。もちもちの白玉がおいしかった。


 その足で今度はオープンしたばかりのジェラート店に向かい、途中で気になったアクセサリーショップを覗いて、ゆっぴと色違いでお揃いのシュシュを買う。


 ちょうどお腹が空いてきた頃にジェラート店に到着し、ゆっぴと一緒にいちばん大きな蜂蜜チョコパフェを頼んだ。席に運ばれてきた豪華なパフェを前に、ゆっぴが目を輝かせる。


「ひゃー! 最高! パフェは天才。最初から最後までおいしいもんね!」


 バケツかと言いたくなるような巨大サイズのパフェは、たっぷりの生クリームに蜂蜜とチョコソース、グラスの中にはクリームの絡んだクッキーやフルーツがぎっしり詰まっていて、子供が描く夢のようだった。私自身甘いものは好きだけれど、この量にはたじろいでしまう。


「これ、ものすごいカロリーなんじゃ」


「関係ない関係ない。だって絶対おいしいもん」


 向かい合うゆっぴが、謎の理論で論破する。そして派手なカバーのスマホを掲げたかと思うと、そこから「ヘル」と変な音がした。どうやらパフェの写真を撮った、シャッター音だったようである。きらきらネイルの指先が、スマホを素早く操作している。


「パフェめちゃかわいいー。あっ、すごい! モンスタグラムにアップしたらすぐいいね付いた!」


 スマホを左手に、右手でスプーンを持つと、ゆっぴはパフェという巨大な山の山頂を大きく削ぎとった。クリームの塊を口に運び、再度スマホに目をやる。


「あっ、コメント付いた。『後ろに写ってる人間おいしそう』だって。やば」


 半笑いの実況が恐ろしい。誰向けのなにに写真をアップして、なにからコメントが付いたのか、怖くて聞けなかった。

 椅子の脇には、紙袋が所狭しと積み置かれている。ゆっぴの分もだが、私の買ったものも随分ある。こんなに買い物をするつもりはなかったのだが、気づいたらこんなに満喫してしまっていた。それもこれも、ゆっぴが私を唆すからだ。

 ゆっぴがスマホをテーブルに伏せて、その左手を自身の髪に移動させた。髪の結いめに指を置き、そこを彩るシュシュに触れる。


「へへ、これ気に入ったなあ」


 彼女の嬉しそうな顔を見て、私も、肩から垂れる自分の髪に触れた。耳の下辺りに、ゆっぴと同じシュシュがある。ゆっぴのはピンクのチェック柄で、黒いリボンの飾りがあり、私のは黄色のチェック柄、リボンは白だ。それぞれをお互いに、今日買った服の色と合う色を選んだ。

 こうやってアクセサリーをお揃いで買うのも、高校時代が最後である。なんだか青春に逆戻りしたみたいで、胸が弾んだ。


 ゆっぴに倣ってスプーンを取り、パフェの側面からクリームと蜂蜜、チョコソースの溶け合う一角を掬う。口に持っていくと、とろけそうなほど甘かった。


「おいしい。すごく贅沢な気持ち」


 頬が緩む私に、ゆっぴは牙を覗かせてにんまりした。


「それくらいの贅沢がみことっちには必要だったんだよ。たくさんお仕事して頑張ったんだから、突然有給取って、好きな物買ってかわいくなって、甘いものたーっぷり食べていいんだよ!」


「そうなのかなあ」


「そうだよ! だって今日、楽しかったでしょ?」


 ゆっぴに真っ直ぐに尋ねられ、私はスプーンを咥えて数秒黙った。そうだ、今日、私は。


「楽しかった。すごく」


 買い物の楽しさ、好きなものを選ぶわくわく感、おいしいもので満たされること。ここのところ、すっかり忘れていた。


「ありがとうゆっぴ。ゆっぴのおかげで、楽しかった」


 思い出した。私はこういう幸福のために仕事をしていて、幸せになるために生きているのだ。

 ゆっぴが私を連れ出してくれて、いろんなことを教えてくれたから、この充実感を思い出せた。


「シュシュ、大事にする」


「シュシュ以外もなー」


「あはは、そうだね」


 なんて居心地がいいのだろう。いつの間にか、ゆっぴが悪魔だとかなんだとか、どうでもよくなっていた。

 巨大パフェは、ふたりでぺろりと食べきれてしまった。店を出る頃には、日が傾きはじめて空の端っこがほんのりオレンジ色になってきていた。


「そろそろ帰ろっか!」

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