ダークネスモーニング
お風呂から上がると、室内になにやら焦げた匂いが漂っていた。
「あーあ、まあいっかこれで。食べられなくはないっしょ」
聞こえてくるゆっぴの呟きもなかなかに不穏だ。見ると、テーブルに真っ黒焦げの料理が並んでいる。
「みことっちお帰り。朝ごはんできたよ」
ゆっぴが指し示す皿には、黒いそぼろ状のなにかと、黒い四角いなにかが載っていた。困惑する私に、ゆっぴがしたり顔をする。
「これ、なにか分かる? 悪魔の得意料理、ダークネススクランブルエッグと、ダークネストーストだよ!」
「ダークネスて」
「うんうん、言いたいことは分かる。そのとおり、ぶっちゃけ単に焦がしちゃっただけ!」
ゆっぴは豪快に開き直り、皿をテーブルに置いた。
「スクランブルエッグに至っては、目玉焼き作ろうとして失敗して、慌ててフライパンから剥がそうとしたらこんなんなっちゃった。ウケる。黒すぎて却って映えるわ」
「ゆっぴの料理って、あの、指でぽんっと作る魔法でしょ? 魔法なのに失敗するの?」
思い通りにできそうなのに、なぜこうなってしまうのか。ゆっぴははにかみ笑いで言った。
「術で時間と手順を省略してるだけだから、料理人でもないかぎり上手には作れないよ。てかイメージどおりに出す方がムズいし」
「そういうものなんだ……」
でも、一生懸命作ろうとしてくれたのは分かる。彼女は私を死なせたいはずなのに、なぜかこうして甘く接してくる。
自覚があるが、私はどうも流されやすい性分である。異常な事態だと頭では分かっているのに、ゆっぴのペースに呑まれて抗えない。
彼女に促されるまま、私はテーブルに移動した。まっ黒焦げの玉子とトーストはダークネスの名に恥じない黒さだが、ゆっぴも言うとおり、食べられないことはないだろう。
「色んな意味ですごい。焦げてはいるけど、朝から作ってくれたのは嬉しいよ」
「まあね。みことっちが寝ちゃってから一旦魔界に帰ったんだけど、食材あんまりなくてさ。結局みことっちの冷蔵庫の中のもの使っちゃった」
さらっと「魔界」などと妙な単語を挟んでくる。
向かいに座ったゆっぴの前にも、同じく炭のように焦げている料理が並んでいる。
ゆっぴは焦げた玉子をスプーンで解して、トーストに載せた。
「食べよ。そうそう、あたしは悪魔だから、人間と違って栄養摂るために食べてるんじゃなくて、楽しむためだけに食事をしてるんだけどさ……うえっ、苦い」
自分で食べておいて、翼をびくっと広げて舌を出している。これだけ焦げていれば苦くて当然だろう。彼女は翼を細くいからせて、むうと唸った。
「やっぱりもっと鍛錬が必要だなー。あたしチーズハンバーグだけは上手いんだけど、他のお料理は全体的に下手くそなんだよねえ」
並んだ朝食に手を合わせる。スプーンを手に取り、ゆっぴと同じようにトーストに載せる。顔に近づけてみたが、焦げた玉子の匂いがするだけで、薬品のような匂いはしない。恐る恐る口に放り込むと、焼きたての熱が舌の上でじわっと広がった。焦げているせいで苦味があるし固いしぱさぱさしている。でもほんのり甘みがあって、どこか懐かしい味がした。
「意外と食べられる」
「でしょ。まだ練習中で上手く焼けなかったけど、それは伸び代だから」
彼女は悪魔であり、しかも私を殺しに来た……というくせに、こうやって健気に尽くしてくれるから調子が狂う。
「殺しに来たくせに、毒を入れたりはしないんだね」
ちょっと冗談ぽく言うと、ゆっぴは大きな目をぱちぱちさせた。
「殺しに来たんじゃなくて、死ぬのを見届けに来たんだよ。悪魔の仕事は、人の心を惑わして望みを三つ引き出し、叶えて、代償として魂を奪うこと。それ以外の方法で人の命を奪うのは、標的から『あの人を殺して』と望まれたときだけだよ」
焦げたトーストから、サクサクと小気味のいい音がする。
「だからわざわざ殺したりはしない。そういうの、魔界からも怒られるし」
「魔界……ねえ」
流されやすくて受け入れが早い私といえど、ちょこちょこ出てくるこの単語に引っかかる。こういう非現実的な点にはどうしても気になってしまう。だが真っ向から否定しても無駄であるのも、すでに分かっている。
「魔界っていうのは、悪魔が住んでる世界なの?」
「んー、まあいちばんたくさんいる本拠地ではあるかな。けど悪魔は地上にも天空にも普通に暮らしてるし、魔界だけが悪魔の世界ってわけではないよ」
「ちょっと待って、地上にも? ゆっぴ意外にもこういう自称悪魔……じゃなくて、悪魔がいるってこと?」
「いるよー。結構多いよ、人間たちに馴染んでるからバレてないだけで。悪魔に限らず、ゾンビとか吸血鬼とか、そういうのもいっぱいいるよ」
ゆっぴは焦げた玉子をぱくりと口に含む。
「隠してるわけでもないんだけど、人間はみんな、常識に囚われてるから気づきもしないんだよね」
頭が痛くなってきた。いろいろと信じられない話が続いて、寝起きの脳がパニック状態だ。
「それらは一体、なんのために地上に……?」
聞くと、ゆっぴはトーストの角を唇に添えて言った。
「いろいろだよ。単に遊びに来てるだけのもいるし、あたしみたいに仕事で来てるのもいるし。怪異ごとに仕事は違うから、あたしもよく知らなーい」
焦げたパンの耳をパキッと齧り、ゆっぴはそうだ、と話題を変えた。
「みことっち、今日なにして過ごす?」
そういえば、今日は休みなのだった。ゆっぴによって強制的に有給を消化してしまったのだった。だが本来は仕事に行く予定だったから、予定はガラ空きである。
「なにしよう。なにも考えてないよ。一日じゅう寝てようかな」
正直、休日は体力の回復に費やしてしまって丸一日寝潰してしまう。そしてだいたい、夜に悔やむ。ゆっぴが焦げたトーストを齧る。
「後悔のないようにね。今日が命日になるかもしれないんだから」
「やめてよ……まあでも否定できないか」
別に死にたくはないが、事実として受け止めるしかない。ゆっぴはもぐもぐと咀嚼して、改めて問うてきた。
「ここに悪魔がいるんだよー? どんな願いでも叶うの。さあ、残り二個の願いをあたしに教えてよ」
「それ、答えたら死ぬんでしょ?」
「そうだけど。じゃあ、死ぬまでにやりたいこと、ないの?」
問われて、私は虚空を見上げた。強いて言えば、かわいいギャルとデートしたい。いや、これは口に出したらゆっぴでも引くか。他にもいろいろ思いついたが、どれも気持ち悪がられそうで言えなかった。
「いや……未成年相手に私はなにを……」
項垂れる私に、ゆっぴが笑顔で首を傾げる。
「ん? あたし未成年じゃないよ」
「でも学生の制服みたいの着てる」
「制服風コーデ、魔界で流行ってるんだよ。てか悪魔に年齢の概念ないし」
年齢の概念がないというのは謎めいているが、未成年ではないというなら多少罪悪感が軽減される。とはいえ、欲望をそのまま口にすればたとえ悪魔でもドン引き不可避だろう。
「特にないかな」
答えられなくてぼかしてしまうと、ゆっぴは前のめりになった。
「趣味は? 行きたい場所とか、食べたいものは?」
「特にないかな」
「え。なんで生きてんの?」
「……死んでないから?」
言われてみれば、私は女の子が好きである以外に趣味はない。なにか目標があったわけでもなく、ただ仕事を与えられ、こなしていただけだ。
これに気付かされると、ますます私という人間は三歳で死ぬのが正解で、現在が無駄な延長である気がしてくる。
ゆっぴも同じように思ったらしく、哀れみの眼差しで私を見ていた。
「マジでつまんな。じゃあさ、あたしのお出かけに付き合ってくんない?」
「……えっ!?」
つまりそれは、口に出せなかった願望……デートではないか。