夢じゃなかった
平日の午前十一時。晴れ渡った空に、暖かな春風。公園の桜はだいぶ散りはじめていて、花びらが風に乗って空を翔る。
柔らかな陽射しに目を細めた、そんな私の隣には。
「久々の散歩、気持ちいいっしょ!」
きらきらの金髪を靡かせて、無邪気に牙を覗かせる、自称悪魔のギャルがいる。
*
約一時間前。
ゆっぴに「魂を奪う」宣言をされて、私はしばらく布団の上で呆然としていた。なにせ悪魔を自称するギャルが家に乗り込んでいて、死なせると宣言された状況だ。しかもそのギャルが、自分の好みのド真ん中ときた。
頭が思考を放棄してしまうのも無理もないと思う。こんな妙なシチュエーションに置かれた人間は、果たして私以外に存在するのだろうか。
いろいろ訳が分からないが、物分かりのいい私は全てを受け入れることにした。
というか、もう受け入れるほかない。ゆっぴはどう見ても普通の人間の女の子ではない。二階の窓から出入りしているあたり、黒い翼は間違いなく本物なのである。私の過去の死にかけ歴を記録しているのも、冥府の使者でもなければ知りえない。
……もちろん納得はしていないが、今は一旦、受け入れる。
現実にはやはり有り得ないと思う。なんらかの目的があって、私の過去を調べ尽くしたのかもしれない。そうなってくると犯罪の匂いがするのだが、でも現状だとその証拠はなにもないのだ。
無理に追い返しても余計に怖い思いをさせられそうだし、受け入れても入れなくても、いずれにせよ対処の方法が分からない。ならば今は彼女のペースに乗せられておいて、会話を引き出して情報を集めておくのだ。なんとなくポンコツそうだし、大丈夫だろう。
はたと、ゆっぴの手の中のスマホに目がいった。画面左上、そこには小さな時計が、十時過ぎを示している。因みに、私の勤め先の始業時刻は九時である。
一旦固まって、私は自分のスマホにも目をやった。聞き逃しアラームの表示と、会社からの着信が十五件入っている。
「うわあー! 遅刻だ!」
私が絶叫するなり、スマホが会社からの着信を知らせる。ビクーッと縮こまる私を横目に、ゆっぴが勝手に応答した。
「はいはーい、みことっちのスマホでーす。今日休みまーす」
「なんでゆっぴが出て……休む!?」
耳を疑う言葉である。ゆっぴはさっさと通話を切って、頷いた。
「うん。みことっちは今日はお仕事休みまーす」
「なんでよ! 有給なんて取ったら会社に迷惑かかるよ」
私が声を荒らげるも、ゆっぴは全く動じない。
「そっちこそなんで? 有給は社員の権利だよ。迷惑とか関係なくない?」
「そうかもしれないけど、現実的には……!」
「現実的に、権利じゃん。使わないと勿体ないし。てかみことっち、昨日過労死しかけてるんだからリアルに休んだ方がいいし」
悪魔だったり死神のお使いだったりなにかと意味不明な言動ばかりするくせに、突然正論をぶつけてくる。彼女はにこっと無邪気に笑った。
「休息取るのもお仕事だよ! 休んだの怒られたら、あたしが会社に乗り込んで言い返してあげる」
正直言って、罪悪感はある。同僚や先輩は今日も仕事をしているのに、当日に急に休むと迷惑をかけてしまう気がする。しかしゆっぴがもう上司と話をつけてきまったので、今更撤回したくはない。私だって休めるなら休みたいのだ。
今は体調に問題はないが、自覚がないだけで多分体は疲れきっている。文字どおり死ぬほど働いたのだ。何日も連続で会社に泊まったのだから、今日は休んでもいいかもしれない。と、自分を納得させる。
「分かった。今日はのんびり過ごすよ」
「よし!」
ゆっぴは満足げににっこりすると、私の髪をくしゃっと撫でた。
「とりまお風呂入ってきなよ。昨日、その前に寝ちゃったでしょ」
「そうだった。あっ、歯も磨いてない」
私はゆっぴに言われるまま、朝風呂へと向かった。