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マイスイート・ハニーデビル  作者: 植原翠/新刊・招き猫⑤巻
Ep.8・マイスイート・ハニーデビル
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ハッピーなら生きるしかなくね?

 錆び付いた階段を上り、見慣れた扉の前に立つ。ノブを引くと、いつもの口癖が零れる。


「ただいま」


「おっかえりー」


 返事はすぐ隣、一緒に帰ってきた少女の口から。


「ゆっぴも今帰ってきたんだから、『おかえり』は変じゃない?」


「分っかるー、ウケるよね」


 苦笑する私を笑って受け流し、ゆっぴは早速、細い手指を洗った。


「んじゃ、作るよー」


 タイムリミットまであと一時間を切った頃。私とゆっぴは、自宅アパートに戻ってきた。窓の壊れたリビングに夕日が差し込み、やけに涼しい隙間風が吹き込んでくる。窓の外で洗濯物が揺れている。私とゆっぴは、一緒にキッチンに立っていた。


 自宅の最寄駅からさらにスーパーへ寄り道して、ひき肉と玉ねぎとチーズを買った。現在ゆっぴは、目に涙を溜めながら玉ねぎを刻んでいる。


「ぎー! 沁みる! もう、魔法でバチバチッとやればこういうのも短縮できるのに」


「あはは、ごめんて」


 その隣で私は、付け合わせの粉吹き芋を作っていた。ゆっぴが涙目で呻く。


「みことっち、二個目の望みこれで良かったの? 『一緒に料理を作りたい』なんて」


「うん。『ゆっぴの手料理をもう一度食べたい』と迷ったんだけど、作ってもらうばっかりより、私も隣にいたかったから」


 魂を売る代わりに叶えてもらえる、三つの望み。そのうちのふたつめを、私はこの短いひとときに捧げた。

 魔法で料理を作ってもらえるのも、それはそれは時短で素晴らしかったけれど、最後くらいはこうしてふたりで作ってみたかった。


 ゆっぴがぐすっと喉を鳴らし、濡れた目を擦る。


「最悪。メイク崩れる」


「泣いちゃった」


「玉ねぎが沁みてるだけだし……」


 ゆっぴの手元から聞こえてくる、まな板と包丁の音が心地よい。コチ、コチ、と、壁掛け時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。この等間隔のリズムが心地よくて、体の力が抜けていく。


 私が付け合わせを作る間に、ゆっぴはハンバーグのタネを捏ねて小判型にし、フライパンで焼きはじめた。

 ソースも手作りすると意気込んでいた彼女は、目を離した隙にメインディッシュのハンバーグをまたもや焦がす。ギャーッと叫ぶ彼女を見て、私は笑った。


「またダークネスになった!」


「チーズで隠せばおいしそうに見えるからセーフ! さあもうすぐできるよ。みことっち、テーブルにお皿並べておいて」


「はーい」


 私はいまだ笑いを引きずりつつ、指示どおりに食器の準備をはじめた。リビングのテーブルに皿を置く。背中には、ハンバーグを焼くゆっぴの鼻歌が届いてくる。

 こんな時間が永遠に続けばいいのに。三つ目の望みは、それを頼んでみようか。ああ、でも三つ叶ったら死ぬのか。


 ふいに、カララと、ベランダのガラス戸が開く音がした。


「うーっす、テメーら。ぼちぼちタイムリミットだぞ」


 入ってきたのは、あの気だるげな少年の声だ。顔をあげると、初夏の夕日の眩しい光の中に佇む、死神大先生の小柄な影が見えた。


「なにしてんのかと思ったら仲良く料理か。悠長なこったな」


 ゆっぴはというと、キッチンでハンバーグソース作りに夢中のようで、死神の来訪に気づいていない。私は食器を並べながら、死神に返事をした。


「望みを言わなければ、魂、取られないので。気持ちに決心がつくまでは、ゆっぴと楽しく過ごしたいんです」


「テメーは余裕ぶっこいてるし、アホ悪魔は狩る気ねーのかっつーくらいぼさっとしてるし。テメーら世の中ナメてんのか」


 死神はそのまま窓辺に胡座をかいて座った。


「テメーよ、本気の本気でなんも気づいてねーのか。そんだけ油断できるってことは、本当は分かってんじゃねーの?」


 彼は逆光を背負い、艶のある髪をきらきらさせている。私は彼の問いかけの意味を考えてみたが、考えてもなにを問われたのか分からなかった。


「なにが?」


「マジで分かってねーならテメーは単なるアホか」


 この死神は、なんとも悪態が多い。頭上に疑問符を浮かべている私に、彼は呆れ顔で切り出した。


「頭」


 短く言ったあと、自身の後ろ頭を指さす。死神の目は私を見つめて離さない。


「ベランダから落ちたとき、頭打ったろ。後頭部、おもっきし」


「ああ、うん。あれは痛かった……」


 そういえば今朝、洗濯物を干していたとき、ゆっぴに引っ張られてベランダから落ちたのだった。車止めに頭を打ち付けて散々だった。死神が投げやりな声色で続ける。


「落ちた高さ的には死なない程度だったかもしんねーけど、頭を打ってる。これ所謂『打ちどころが悪い』ってやつ。これで生きてるとか、ただの人間だったら有り得ない。それは分かるか?」


 私を見下ろす学ランの少年は、深い闇色の瞳を細めた。


「普通なら頭蓋骨かち割れる」


「そう、ですね」


「つまりだ」


 コチ。時計の秒針が小さな一歩を刻む。

 同時に、部屋の扉がバンッと大きく開いた。


「みことっちー! できたよ、チーズハンバーグ!」


「科内深琴。テメーは人間じゃない。ゾンビだ」


 ふたりの声が、きれいに重なった。さらにいえば時計の長針が真上を向いた、コチ、の音までもが同時だった。

 それから数秒の沈黙。コチ、コチ、と止まないのは、時計の音だけ。


 黒焦げのハンバーグから発される香ばしい匂い、蒸し暑い部屋の温度、湿度。冷ややかな目で私の反応を見ている死神、扉の前には、ハンバーグの皿を持ったまま固まるゆっぴ。


「……え?」


 沈黙を破ったのは、私の声だった。


「待って、なにを言ってるの? ゾンビ? 私が?」


 意味が分からなくて、問い詰める言葉だけが無限に出てくる。


「そんなわけない。私は人間です。人間と人間の間に生まれて人間の中で育ってきた、れっきとした人間……」


「だから、アホだっつってんだ。自分がとっくに死んでることにも気づかねー、ゾンビになってるのにも気づかねー」


 死神は大仰なため息をついた。


「三歳の頃の交通事故は覚えてっか?」


「それは、覚えてる」


 保育園からの帰り道、信号無視の車に突っ込まれた、あの事故だ。

 死神は眉間に皺を刻んで、まばたきをした。


「自覚がねーみたいだから教えてやる。テメーはたしかに人間として生まれたが、三歳の時点で死んだ。そっから今までずっとゾンビだ」


「なにそれ!? 違うよ、私はあの事故で死なずに、運良く無事で……!」


「テメーが勝手にそう思ってるだけ。死んでる。あの世タイムラインでもはっきりそう書かれてる」


 信じられない。信じられないけれど、どこか膝を打っている自分もいる。電車に轢かれても、毒を飲まされても、高いところから落ちても、なんともない。考えてみたら、それは真人間には有り得ないことで。

 思い返しては変に納得する私を見つめ、死神は続けた。


「テメーは死なないんじゃなくて、とっくに死んでるんだよ。すでに死んでるから、これ以上なにやっても死なないだけ」


 気だるげに、それでいてはっきりと告げられる。


「正確には、肉体だけは何度も繰り返し死んでるけど精神が残ってる限り、再生も繰り返してる。だからテメーが死ぬ度にいちいちタイムラインが荒れる。うぜーから無視してっけど」


 ゆっぴはまだ、呆然と佇んでいた。私は彼女を一瞥し、また死神に視線を戻す。


「そんなことって……」


 突然告げられても、簡単には信じられない。でも、今までの経験が妙な説得力を持たせて私を納得させにかかる。


 小春を初めて見たゆっぴは、彼女がハルピュイアであると見抜けなかった。人外同士でも判別がつかないということだ。

 紅里くんは、吸血鬼でありながらあまり不自由なさそうに人間社会に順応している。多少は吸血鬼らしいところもあるが、個性の範囲として受け入れられている。

 そういえばマンドラゴラの茉莉花さんは、わりと最近まで自分がマンドラゴラであると知らなかったと言っていた。


 つまり私がゾンビだったとしても、誰も気づかない、人間社会に溶け込める、自覚もない……ということも、ありうるというわけだ。


 死神が気だるそうに私を睨む。


「死の気配に敏感な死神の俺が言ってんだ、いい加減認めろ」


 彼の性格を鑑みると、こんな嘘をつくようなタイプでもない。多分、私は本当にゾンビなのだ。

 と、そこで、立ち尽くしていたゆっぴに突然スイッチが入った。


「てことはてことは! みことっちは精神的に死んでない限り、この先なにがあってもずーっと死なないってこと!?」


 先程までの静寂が嘘のようだ。ハンバーグをテーブルに叩きつける勢いで置いて、死神の肩に掴みかかる。ゆっぴは壊れた目覚まし時計のごとく、ワーッと喚き出した。


「やっば! 最強じゃね!?」


「うっせーな、耳キーンてなるから少し黙れ」


 捲し立てるゆっぴを呆れ目で睨み、死神はしらけた声で言った。


「人間じゃねーことに誰からも気づかれない、人間と変わらずに生活に馴染んでる、自分自身でも自覚がない、そういうのは往々としてよくいるもんだが、全部の合わせ技の奴ってのは結構珍しい。流石に演技なのか、だとしたらなぜそんなことしてんのか。だから興味があった」


 今朝の彼の発言を思い出す。


『まあそうだな、テメーは他人に興味を持たれるような“人間”じゃあねーな』


 言葉の綾だ。たしかに、人間ではない。彼が私とゆっぴに十二時間くれたのは、私というイレギュラー興味を持ったから。ゾンビが悪魔に魂を狙われたらどうなるか、試してみたかったから。


「まだ全然実感ないけど、腹落ちすることばかりだ。そっか、私、ゾンビなんだ……」


 変に納得して呆然とする私の横では、逆に全く納得できていないゆっぴがギャーギャー騒いでいる。


「そうならそうって、なんで先に教えてくれないのー!? あたし、みことっちが寿命以上に生きてると思って、だから魂奪って強制終了させようとしてたのに!」


「知らんわ。テメーらが勝手に、ゾンビであると気づかずに数ヶ月を浪費したアホ悪魔と、自分がゾンビであることに気づかないアホゾンビだっただけだろ」


「だとしても、今朝の時点で気づいてたなら言ってよ! 死神大先生はあたしが頑張ってるの見て嘲笑ってたんだー。 酷くね!?」


「そうだよ、くだらねーことに無駄な努力をして、そしてその目的すら忘れるアホを嘲笑ってなにが悪い。アホはそのアホさで他人に迷惑かけてんだから、せめてエンタメとして消費させろや」


「包み隠しすらしない!」


 ゆっぴの甲高い声と妙に落ち着いた死神の声が交互に飛び交う。私はふたりの姿をぼうっと眺めて、呟いた。


「ゾンビか……それじゃ私は、この先ずっとなにがあっても死なないんだ。もしかして、老衰すらしないの?」


 そう思うと、逆に怖い。終わりがない人生なんて、想像できない。すると死神は、こちらに目線だけ寄越してきた。


「いや、そうでもない。ゾンビでも肉体が腐りきって死ぬ例はある」


「そうなの?」


「ゾンビの体が何度でも再生するのは、精神、即ち魂によるものだ。魂が疲弊すれば肉体の調子が悪くなるし、それが重なれば朽ちていく。あとは分かるな」


 突き放すように言う彼に、私は数秒沈黙した。たしかに私は、働けば疲れるしお腹もすく。三歳で死んだといっても年齢に応じて大人になっている。

 そこまで考えて、私はぽつっと呟いた。


「つまり、魂が失われれば体も死ぬ?」


 そこまで考えたとき、ハッとした。

 ゆっぴがこの家に初めて訪れた、あの日。仕事で疲れて生きがいを見いだせず、なにもかもを放棄しようとしていた、あの夜。

 心が死んでいた私は、もしかしたらあの日、本格的に死ぬところだったのかもしれない。

 それを助けてくれたのは、他でもない。私はちらりと、テーブルの上の焦げたハンバーグに視線を置いた。

 腐りきった心を癒して、楽にしてくれて、私に「その先」を見せてくれた、彼女の存在。


 そうだ、私はとっくに実感していた。

 彼女が来てから豊かになった毎日。ありふれた日々に戻ってきた笑顔。悪魔なのに憎めないあの子の存在が、たしかにそこにあった。


「……っち、みことっち、みことっちー! 聞いてる?」


 顔の前で手をひらひらされて、我に返った。うるさいくらいの元気な声が、私を呼びかける。


「みことっち、魂が死んだら肉体も死ぬんだって! つまりみことっちが死ぬには、悪魔のあたしに魂を売るしかないんだよ」


「やだよ! まだ生きたいから」


 明るく元気に酷い提案をされて、あまりの率直さに思わず噴き出す。


「そう思わせてくれたのはゆっぴでしょ。ゆっぴがいる日々がすごく楽しいから、この世界にまだいたいから、だから私は生きていたい」


 悪魔に取り憑かれた結果こんなに気持ちになるなんて、聞いたことがない。


「三歳の時点で死ぬはずだったのは分かってる。ボーナスタイムが長いのも分かってる。でも、もう少しだけ、このままでもいい?」


 悪魔の方も驚いたのだろう。ゆっぴは赤い目を大きく見開いて、私を見つめていた。


「そんな、悪魔に生かされてるとか意味分からんし……」


 彼女は少し戸惑いがちに目を伏せて、それからぱっと笑った。


「でもそれ、めちゃハッピーじゃんね。ハッピーなら生きるしかなくね?」


 イカれたワーカホリック三年目。

 私を甘やかす悪魔が、私の魂を奪いに来た。

 そして悪魔はあまりに無慈悲に、無邪気に、私に生きる理由を押し付けた。

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