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マイスイート・ハニーデビル  作者: 植原翠/新刊・招き猫⑤巻
Ep.8・マイスイート・ハニーデビル
33/36

最期まで、君を

 死神はベランダの柵を飛び越えて、どこかへ消えた。

 ゆっぴはしばし静かに窓の向こうを見ていたが、やがてこちらに向き直った。


「みことっち、なんかあたしに頼み事してよ。どんなちっちゃいことでもいいからさ。逆に大胆な野望でもいいから」


「ゆっぴは悪魔だもんね。そうしてほしいよね、そのために来たんだもんね」


 私が言うと、ゆっぴは少しだけ躊躇してから、ゆっくり一歩を踏み出した。私に擦り寄って、めいっぱい甘えてくる。


「どうする、みことっち。あたしに望み、言ってみる?」


 腕に胸を押し付け、私の脚をゆっぴの脚で挟み、動きを封じつつ誘惑してくる。

 ほんのり漂う甘い香りと私を見つめる赤い瞳に、脳が溶けたみたいにくらくらする。


「でも、ここでなにかふたつ頼んだら私、魂とられるんでしょ」


 今から十二時間、ゆっぴから逃げ切れば、私の勝ち。ゆっぴになにも頼まなければいい。楽勝だ。

 楽勝、なのだけれど。


 ゆっぴがぐぐっと顔を近づけてくる。


「ねえ、みことっち」


 吐息が耳を擽る。ゆっぴの体重が、私を床に押し倒した。


「してほしいこと、言って」


 黒い翼がふわりと、私とゆっぴを包む。抜けた羽根が一枚、私の頬の横に落ちた。


 私がゆっぴになにも言わなければ、私の勝ち。魂はとられず、取り憑いていた悪魔は立ち去る。

 ゆっぴがいなくなってくれれば、ごく普通の生活に戻れる。今はもう仕事に殺されそうもないし、隣の部屋には友人がいる。晴れて、平穏なひとり暮らしを取り戻せるのだ。


 でも、それでいいのかと、心のうちの自分が問いかけてくる。


 ゆっぴがいなくなった日常を、幸せだとは思えなかった。そんな毎日なんて、生きていてなにが楽しいのか。


 勝とうと負けようと、いずれにせよ、ゆっぴとのお別れが近い。

 死ぬか死なないかの次元の問題だし、どちらにしろお別れなんだから、死なない結論を選ぶまでのはずだ。生きてさえいれば、また会えるかもしれない。

 でも。


「ゆっぴ。私が望みを言わなかったら、ゆっぴは私以外の誰かのところへ行くんだよね」


 私はゆっぴの頬に手を伸ばした。


「私以外の人にも、こうやって迫るんだよね」


 白い肌に私の指が触れる。柔らかい頬に、ふにっと、指先が吸いついた。

 ゆっぴはただ無言で、真っ赤な眼差しで私を見つめている。


 ゆっぴを出し抜いて生き長らえたところで、幸せに暮らせるとは思えない。いっそのことここで欲望を口にしてしまった方が楽になれる気がする。そうしてゆっぴを、形だけでも、私のものにしてしまいたい。


 だめだ。このままではまともな判断は下せない。私はゆっぴの両肩を捕まえた。


「と、とりあえず!」


 起き上がりついでに、彼女をぐいっと押しのける。


「ゆっぴ、パフェ食べない?」


「ふぇ?」


 目鼻の先のゆっぴの顔が、きょとんとまばたきした。


「パフェ……」


「そう。蜂蜜チョコパフェ食べたお店、もう一回行きたいな、なんて……」


 私はあは、と力なく笑った。


「泣いても笑ってもあと一日ならさ。思い出作ろうよ。今もいっぱい思い出あるけど、もっと」


 ゆっぴはぽかんとしてしばし固まり、やがてぱあっと目を輝かせた。


「行くー!」


 数秒前までの色気はどこへやら、ゆっぴは無邪気な子供のようにはしゃぎだす。


「そうだった、あのお店今、期間限定で蜂蜜いちごパフェやってるの! みことっち誘おうと思ってたんだったー!」


「へえ、おいしそうだね」


「ダイエットとか忘れて、パフェ行こうパフェー!」


 ゆっぴは翼をわさわささせて、ベランダから飛んでいく。私は鞄を持って、玄関から追いかけた。

 ゆっぴはバサバサと飛び上がり、駅の方へと羽ばたいていく。地上を走る私は、みるみる小さくなるゆっぴの影を必死についていった。

 駅までの近道の公園に差しかかると、すぐ正面にすとんと、黒ずくめの少年が下り立ってきた。


「うわあっ」


 飛び退く私の前に現れたのは、死神である。


「テメーらどこへ行く? この期に及んでまだ遊び呆ける気か?」


 かわいい顔で凄む彼に阻まれ、私は動けなくなった。

 死神……名前のとおり、死の神。なかなか死なない私でも、流石に死神に鎌を振られたら一瞬で死ぬのではないか。

 びくびくしながら死神に目をやると、彼は冷めた目で私を睨んだ。


「なにびびってんだよ。俺は別に、テメーを殺そうとはしてねーよ。守りもしねーけどな」


「そうなんですか? でも私、本当なら三歳で死んでたらしくて、無駄に長生きしてるから早く死んだ方がいいって……それでゆっぴが来たんですけど」


 ちょっと意外だった。死神というからには、私の死を望んでいるかと思ったのだが。死神は呆れ顔で言う。


「悪魔は悪魔の仕事を勝手にやってるだけで、俺には関係ねー。あいつらの責任でやらせる。俺に報告してくんのは、獲物の魂とってきたあとだ。ザコ悪魔共がなに狙ってんのかとか、どーでもいいからな。殺したっつー報告以外、要らねーんだよ」


 死神はゆっぴと同じ魔界から来たのに、ゆっぴの味方というわけではないらしい。かといって私を助けてくれるわけでもないようだから、中立なだけだ。

 死神は腕を組み、私を見上げる。


「まあ、テメーには多少興味がある」


 どういう意味だろう。こうまでなかなか死なない人間は珍しいから……だろうか。


「興味を持ってくれても面白くないと思いますよ。私は変に運が良いだけの普通の人間なので」


「そうだな、テメーは他人に興味を持たれるような人間じゃあねーな」


「ついさっき『興味がある』って言ったばかりのくせに……」


 彼の話し方は、マイペースすぎてついていけない。死神は奔放に話を切り替えた。


「テメーの自己評価なんかどーでもいい。それよかテメー、テメー自身を『死なない』っつったな」


「あ、はい。電車に轢かれても数日飲まず食わずでも、なぜか全然死なないです」


 思えば、大変な目に遭いまくっている。ゆっぴがいなかったら、心が折れていたかもしれない。

 ゆっぴがいてくれたから、親友の小春とより絆を深めるきっかけができたし、会社は少しずつクリーンになっていった。美容に気を使って、自分を大事にできるようにもなった。

 ゆっぴには魂を狙われていたはずなのに、私の生活は豊かになった。


 それだけではない。お揃いのシュシュ、コンビニのデザート、一緒に過ごすのんびりした時間……。

 欲しいのに手に入れられなかったもの、足りていないと気づいてすらいなかったものを、ゆっぴはたくさん、私にくれた。


「ゆっぴと出会う前は生きてる実感がなかったんです」


 自然と、声が震えた。


「ただあくせく働いてるだけで、毎日がつまらなかった。もしもタイムラインに載ったように死んじゃったとしても、未練もなにもなかったかもしれない」


 訥々と話す私を、死神は黙って見つめている。私はさわさわ唸る木々に耳を澄ませ、ゆっくりとまばたきをした。


「でも、今は生きたい」


 情けないくらいか細い声が出た。これでも、想いは本気だ。


「あの頃と今は違う。ゆっぴと出会っていろんなものを取り戻して、今の生活がすごく好きで……ゆっぴと一緒に、生きたいの」


 やっぱり、まだ死ぬわけにはいかない。生きてゆっぴとお別れする。生きたいと思わせてくれたことを、ちゃんとお礼を言いたい。そのためにも、簡単には魂は売れない。

 と、そこまで言ったときだ。死神がふわあと、欠伸をした。


「んな事情聞いてねーよ。いつまで喋る気だ?」


 びっくりするほど容赦ない。私は大人しく口を結んだ。死神が頭を掻く。


「ま、でも知りたいことは分かった。テメーがすっげー鈍感だってこともな」


「鈍感? 私が?」


「じゃーな。俺はバカンス中だから、仕事は一旦忘れる。せいぜい頑張れよ」


 口の悪い死神はこちらに一瞥もくれず、すたすたと去ってしまった。

 呆然としていると、ゆっぴが旋回して戻ってきた。


「みことっち、パフェはー? 早く早く!」


 日差しに煌めく蜂蜜色の髪、周辺に散る黒い羽根。赤い瞳。私は頷いて、ゆっぴの元へと駆け出した。

 タイムリミットまで、あと十一時間。



 パフェの前に、駅構内のショッピングモールを見て歩いた。

 デビルズメイスの夏の新作が出ており、試着室でゆっぴに着てもらってそのかわいさを夢中で称えた。ついでに、以前私がスカートを買った店も見て、夏らしいブラウスを買った。

 コスメも見た。雑貨も見た。初めてのデートと同じ建物の中を、あのときとは違う距離で一緒に歩んでいく。


「そうだゆっぴ、前にシュシュ買ったお店も行こうよ。夏物のアクセサリー買おう」


「いいじゃん!」


 お揃いのシュシュの店に出向いて、お揃いのブレスレットを買う。示し合わせたわけでもないのに、私たちはお互い、自分のものより先にお互いに似合う色を探していた。

 ゆっぴが私に、黄色とオレンジのブレスレットを翳す。


「ほら似合うー! みことっちってなんか地味な色選びがちだけど、実はこういうの似合う!」


「そうかな、派手すぎない?」


「似合うったら似合う。みことっちを誰より知ってるあたしが言うんだから間違いない。決まり、これ買お」


 思えば、この子はいつもそうだった。私をよく見ているし、考えてくれるけれど、私の意見はあんまり聞かない。でも、結果としてそれは私に必要なものだったりして。


 カフェでランチをして、街中を宛もなく一緒に歩き、おやつ時になったら目的のパフェを食べ。

 甘い甘い蜂蜜といちごのパフェは、ゆっぴによく似合う。彼女が目を輝かせてパフェに夢中になる頃には、私もゆっぴも、明日でお別れなんてすっかり忘れていた。


 思う存分遊んでいると、時間の感覚がなくなる。気がついたら日が傾いていて、五時の鐘が鳴った。


「帰ろうか」


「うん」


 そう話してからもまだ名残惜しくて、私はわざと駅まで遠回りをし。ゆっぴも、用もないのに無理やり用事を作って、駅のモールで寄り道をする。私たちは時間を忘れたふりをして、時間を潰した。


 帰りの電車でゆっぴは私の肩に凭れて眠ってしまった。

 肩に垂れてくる髪がきれいで目が奪われる。車窓から差し込む夕日色に照らされて、眩しく輝いている。

 ゆっぴは今日もかわいい。キラキラのアイシャドウも、ばっちりキメたアイラインも、絶妙な長さのスカート丈も。彼女が彼女らしくあるための、気高さを感じる。


 そうだ、だから私はこういう子が好きなのだ。自分に自信があって、ギャルに誇りを持っている。強くてかっこよくてかわいい、そんなゆっぴが、大好きなのだ。


 ブレスレットを嵌めたゆっぴの右手が、同じブレスレットを通した私の左手に重なった。ゆっぴが私の手を握ると、長い爪が肌に刺さる。痛いのに、この痛みが心地よい。


 そしてふと、現実に帰る。

 ゆっぴは、今日の夜にはもういないのだ。


 私は手持ち無沙汰な右手で、ゆっぴの頬を撫でた。ぐっすり眠る彼女の髪に、唇を当ててみる。甘い香りが脳を溶かす。


「……好き」


 声を出さずに、吐息だけで呟いた。

 望みがあとふたつ、叶うなら。命を捨てたって構わない。


「んうぇ……やば、寝てた」


 ゆっぴが急に目を覚ました。私はゆっぴから唇を離そうとして、結局やめた。彼女の香りに包まれたまま、ゆっぴの耳元で囁く。


「ゆっぴ。ふたつめ望み、聞いてくれる?」


 ゆっぴはちらりと、上目遣いで私を見た。


「逆に、いいの?」


「どうせ死ぬなら、わがままになりたい」


「言うようになったねえ、みことっち。最初の頃は『わがままになれ』って言ってもずーっとなにかに遠慮してたのに」


 ゆっぴは眠たそうに身みじぎし、私に体重を預けている。


「いーよ、聞いたげる。なあに?」


「あのね……」


 タイムリミットまで残り一時間。私とゆっぴは、不思議なくらい落ち着いていた。

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