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マイスイート・ハニーデビル  作者: 植原翠/新刊・招き猫⑤巻
Ep.8・マイスイート・ハニーデビル
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猶予の十二時間

 百五十センチ程度の小柄な体に、少し汚れた学ラン。まるでその辺の中学生みたいだが、警戒心の強い獣を思わせる眼光からは、どこか大物の風格を感じさせる。

 死神大先生なるその人は、そういう少年だった。


「アホザコ悪魔。テメーここんとこなんの成果も上げてねーと思ったらこんなとこで遊んでやがったか」


 その死神が、クッションの上で胡座をかく。


「他の悪魔らの仕事ぶり見てなんとも思わねーのか? あん?」


 駐車場から引き上げて、今は私の部屋にいる。上司的な存在であろう死神を前に、ゆっぴは少し萎縮して……などおらず、相変わらずのキャピキャピした態度で足を崩して座っていた。


「いやー、やべーなとは思ってるよ。でも別になにもしてないわけじゃなくて、みことっちの望みを叶えようと、ここでこうしてかれこれ二ヶ月粘ってるんだよ」


「二ヶ月も無駄にしてんのか」


「無駄にしてるんじゃなくて、じっくり仕事してるだけだって。あたしはあたしなりに頑張ってっし」


 言い合うふたりに挟まれて、私はぽかんとしていた。


「このちっちゃい子が死神大先生……」


 呟くと、死神は鋭い眼差しでこちらを睨んだ。


「あ? なんか言ったか」


 態度は傍若無人だが、声が若くてかわいいのでちょっと気迫に欠ける。おかげで怖いというよりは、生意気なやんちゃ小僧といった印象だ。

 とはいえ怒らせると面倒くさそうなので、下手したてに接することにした。


「死神大先生って、ゆっぴがお手伝いしてる人ですよね。なんか、死ぬべきなのに死んでない人間をタイムラインで見つけて、きちんと死ぬように魂を取りにくる……みたいな」


 ゆっぴが来たばかりの頃に話していた、謎システムを思い起こす。死神はしばし無言で私を睨んでいたが、やがてため息をついた。


「アホ悪魔、対象にそこまで説明してんのかよ。せめて人間に溶け込んでバレないように殺るものだろーが」


 死神は頭を掻き、また私に目を向けた。


「テメーもテメーだ。魂狙ってる悪魔なんぞ、よく家に上げられるな。お人好しか?」


「だってかわいいんだもん……」


 それに、魂を取られそうなのはひやひやするが、ゆっぴがいると楽しいし、彼女が来る前より生きている実感がある。


「それで、死神さん。ちょっと質問なんですけど」


 私はここで、彼に来てもらった目的を思い出した。


「私この前、宇宙人に攫われて、それから地球に帰ってきたところなんです。地球に存在しない菌とかウィルスとか、そういうものを持ち込んでしまっていないか心配で。死神さんなら見抜けるってゆっぴが言ってたんで、見てほしいんです」


 ストレートに話すと、我ながらイカレているなと思う。降って湧いた死神相手に、宇宙人に攫われて、と平常なトーンで相談している自分って、なんなのだろう。

 死神はじとっと私を見て、小首を傾げた。


「知らねーけど別に大丈夫じゃねーの? なんかあったらそんときはそんとき」


「テキトーすぎん? 死神大先生なら死の気配が分かるのに、なんで真面目に見てくれないんだし」


 ゆっぴが私に代わって抗議する。死神はだるそうにため息をついた。


「ぶっちゃけどうでもいいんだよ。それより俺はアホザコギャル、テメーに物申したい」


「なに?」


 前のめりになるゆっぴに、死神は鋭い視線を刺した。


「テメー、さっさとこの化け物女から離れて別の仕事しろ」


 化け物女、との言葉が出たとき、ちらりと私を一瞥された。ゆっぴはしばらく目をぱちくりさせていたが、やがて翼をわさっと広げて叫んだ。


「は!? え、なんで?」


「なんでもなにも、こんなところで油売ってる暇あったら他んとこで人間共の魂取ってこいよ。それがテメーの役目だろ」


「いやいや、なんもしてないわけじゃないしー! あたしはこのみことっちの望みを叶えようと……!」


 ゆっぴが甲高い声で言い返すも、死神は揺るがない。


「それが無駄だっつってんだ。欲望の塊、人間共の望みを三つ叶えるだけならそんな時間かかんねーだろ。こんな奴ほっといて、もっとテンポよく魂差し出す奴に張り付けよ、バーカ」


 彼が私を指さす。

 私は言葉を呑んでしまった。


 もしかして、ゆっぴが私の元からいなくなるのか?

 そう思ったら、思考が固まってしまったのだ。無言のまま凍りつく私の横で、死神が淡々と告げる。


「俺様は優しいからお別れの挨拶は待ってやる。ほら、さっさと終わらせろ」


「今!? 今お別れなの!?」


 ゆっぴは眉を吊り上げ、翼をファサッと広げた。死神が眉を寄せる。


「当たり前だろ、無駄な時間はすでに充分過ごしたろーが」


「急すぎかよー! マジ無理ふざけんななんだけど! てかあたし遊んでたわけじゃないし。みことっちの望み、一個叶えたもん。あと二個だもん、あとちょっとだもん!」


 飛び交う口喧嘩に挟まれる私は、まだ声を出せずにいた。

 ゆっぴがいなくなる。朝、私を見送ってくれることもなくなり、帰ってきたらリビングでだらけている姿もなくなる。私の話を聞いてくれることも、わざとらしく煽ってくることもなくなる。


 口癖の「ただいま」に、返ってくる「おかえり」がなくなる。


 その現実が、なぜかすっと受け入れきれない。ゆっぴがいる生活の方がおかしいのだから、いなくなってくれればむしろ清々するはず、なのに。

 なぜだろう。胸の中に冷たい風が吹き込んだみたいな、妙な喪失感に襲われる。


 死神が淡々とゆっぴを追い詰める。

 

「あとちょっとだろうが随分向こうだろうが成果は変わらねー。結果が全てだ。くだらん御託並べてねーで、仕事しろ」


「うっ……」


 図星を突かれて怯むゆっぴに、死神は容赦なく正論の槍で連撃した。


「つーか二ヶ月かけて叶えた望み一個じゃ、やる気のなさしか伝わってこねえわ。テメー目的忘れかけてるだろ」


「意地悪ー! 言い訳くらい聞いてくれたっていいじゃんかよ!」


「んなもん聞かねーわ」


 死神はゆっぴからそっぽを向き、私を睨んだ。


「テメーもこんなんにくっ憑かれて災難だったな。引き離してやっから感謝しろよ」


「い、嫌です」


 それまで呆然としていた私だったが、これには即答した。死神が顔を顰める。


「あ? 二ヶ月前……四月から夏場の今日まで続いたアホと共同生活から、テメーを解放してやるっつってんだぞ」


「解放されたくないんです。私、わざとゆっぴを引き止めてたんです」


 いちばんの理由はひと目惚れだ。最初は夢だと思って受け入れてしまい、のちに悪魔と分かっても追い払わなかった。


「彼女と過ごした日常は、ドタバタしてました。事故に遭ったり強盗に人質にされたり、なんなら宇宙人に攫われたりもしました。死にかけるような日々だったけど、ゆっぴがいれば楽しくて……」


 死神は無表情で聞いていた。


「こうも死なないのは、もしかしたらゆっぴと生きるためなんじゃないかって思ってる。私は今、自分という人間のこの体が、大事なんです。これもゆっぴのおかげで……」


「ん?」


 死神がふいに数秒、押し黙った。ゆっぴをじっと見て、それから私を見て、ふうんと鼻を鳴らす。


「もしかしてテメー、自分で気づいてねーのか?」


「なにがですか?」


「ほーん。そうか」


 そう呟いた声は、どこか可笑しそうで、玩具を見つけた子供みたいな含みがあった。彼は目を細め、僅かに口角を吊り上げる。


「気が変わった。アホ悪魔、テメーに少しだけ猶予をやろう」


 このとき私は初めて、死神の笑顔を見た。笑顔なんてかわいい言葉は似合わない、気味の悪いニヤリ笑いだが。

 ゆっぴがきょとんとする。


「え。今すぐお別れじゃなくていいの?」


「おうよ。ただし俺は時間を無駄にしない主義なんで、延長期間は今から十二時間。今日の夕方、七時までだ。それまでにその化け物女の魂を奪えなかったら、テメー分かってんな」


 なぜ唐突に気が変わったのは分からないが、ひとまず突然のお別れは避けられた。少しほっとしていると、隣でゆっぴが両手で拳を握りしめていた。


「十二時間かあ、キビい……いや半日あればいけるな。あたしが本気出せばマジ最強だかんね」


 突然のお別れは避けたられた……のだが、私の寿命は残り一日かもしれない。

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