一緒に拉致監禁
あれからどのくらい、この場所にいただろうか。体感としてはもう数日経っているくらいの時間を感じている。
けれどそれは多分、なにもなくて退屈だから長く感じているだけだろう。せいぜい数時間、空腹感がじわじわ迫ってきているから、夕飯時くらいの時間だと思う。曖昧な体内時計で雑な計算をしながら、私は青いままの空を見上げていた。ぬけぬけとした真っ青な天井は、どれだけ時間が経っても変わらない。雲すら動かない。
あのあと、宙人くんは私を置いて出かけてしまった。地球へ新たなサンプルの採取に行くのだという。どこかに出入口があるのか、私を置いて駆け出し、そのまま姿を消してしまったのである。
生憎、彼が再び地球へ発つまでに「水」の概念を伝えきれなかった。彼は多分、私に与えるべきものを持ってきてはくれない。悪意はなくとも無知は人を殺すのだ。
藁にもすがる思いで家の住所だけは伝えておいた。これで小春辺りに気づいてもらえればいいのだが。
宙人くんがいなくなったあと、私はこの広大すぎる空間を少しだけ散策した。本当に他に生き物がいないか確認するためと、出口を探そうとしたのである。
地球の環境をコピーしたというこの場所は、全くと言っていいほど、私の住む町の景色そのものだった。ただ、誰もいないだけ。たまに車が停車しているが、風景としてコピーされただけなのだろう。人は乗っていない。駅まで歩いてみると、電車はあったが、動かなければそれもオブジェにすぎない。
会社まで歩いてみたり、通勤路の店を覗いてみたり、行ったことのない場所まで歩いてみたり、ただただ散策を続ける。時々休んで、さらに進む。今はもう、全く土地勘のない三つ隣の市を歩いている。
ここは宙人くんの星の船の中とのことだったが、町はどこまでも広がって見えた。この部屋に果てはあるのだろうか。宇宙船の構造なんて、私の想像の範囲を飛び出している。
知らない場所を歩いて、迷ってもいけない。まだ引き返せるうちに、公園の方へ踵を返す。改めて、移動手段が徒歩しかないというのは、疲れるし面倒くさい。
さらに時間をかけて元の町に帰ってくる。見慣れたコンビニが見えてきた。雨の日にゆっぴとスイーツを買いに来た店だ。外観はそのままだが、扉は開かない。機能しない自動ドアの前で佇んでいると、後ろから声が聞こえた。
「いた! 深琴お姉ちゃーん」
宙人くんが戻ってきた。私を見つけて手を振ってくる。そんな彼の、背後には。
「みことっちー!」
ふわふわ揺れる金髪に、広がる黒い翼。ゆっぴがいる。
幻覚かと思った。衝撃のあまり、私は勢いよく声を上げた。
「ゆっぴ!?」
見間違いではない。こちらに駆けてくる少女はたしかに、ゆっぴだ。彼女は走りながら羽ばたき、空中から私の胸に飛び込んできた。
「ゆっぴだよー! ちょっとみことっち、宇宙旅行とかマジ誘って! ひとりで行くとかズルいんですけど」
「旅行じゃないよ!? 拉致だよ!」
「てか宇宙って意外と普通じゃね? めっちゃ見慣れた景色なんですけど。思ったよりおもんないねー。でもどっちにしろ宇宙とか行くなら誘えし?」
ゆっぴが私に抱きつきながら、くるくる表情を変える。私は目を白黒させていた。
「拉致だから誘えないよ! それよりどうしてここに……!?」
「このお姉ちゃんもね、一緒に遊んでくれるって!」
言葉がまとまらない私と余裕げににこにこしているゆっぴとの会話に、少年の甘い声が割り込んできた。ゆっぴの後ろからちょこんと、宙人くんが満面の笑みの顔を出している。
「深琴お姉ちゃんに教えてもらった住所に訪ねたら、このゆっぴお姉ちゃんがいてね!」
「そうそう、みことっちどこ行ったか知ってる? って聞いたら、この宙人くん……ヒロヒロが、宇宙に連れてったって言うから! あたしも来た!」
途中からゆっぴが説明し、私から離れた。そして宙人くんの小さな手とハイタッチする。
私は額に手を当て、大きなため息をついた。流石はゆっぴ。宙人くんが宇宙人であると知ったうえで、自らここへ攫われてきたというのだ。
「どういうことか分かってる?」
「バチボコにアゲなこと! まあ、現物の宇宙、思ったより地味だったけど」
せめて、来てくれたのが小春ならもう少し話が通じたのだが……。途方に暮れる私の頭上から、電子音が下りてくる。
「システムhakobune・テラクリエイトナンバー・エーマルマルヨンゴーヨン、探査コードネーム宇野宙人。ポイント獲得」
「よーし! またポイント入った!」
宙人くんが元気よく拳を握る。
「この調子で、テラの生き物をもっとたくさん集めるぞ! 行ってきまーす!」
「ほーい、行ってら」
駆け出していく宙人くんを、ゆっぴが手を振って見送る。ひゅっと姿を消す宙人くんに声をかける暇もなく、私はまた、開かないコンビニの前に取り残された。私はくたっと、膝から崩れ落ちた。
「ゆっぴ……私が宇宙に連れてこられてるって分かったなら、地球に戻すように交渉してほしかったよ」
「えっ、みことっち帰りたい系? 折角宇宙に来たのに?」
ゆっぴときたら、そんな論点できょとんとしている。悪魔だからなのかギャルだからなのか、ゆっぴというものは、もしかしたら宇宙人以上に話が通じないのかもしれない。
「そりゃあそうでしょ。帰りたいのに、どうやってこの異様な町から出ればいいのか分かんないんだよ。宙人くんは出入りしてるみたいだけど、いつの間にか見失っちゃうし」
船の構造も謎だし、宇宙人である宙人くんの動き方も未知である。
「だからってここで素直に一生を終えようかというのも怖い。宙人くんの星には死の概念がないみたいで、なにをしたら死ぬのか、なにを与えないと死ぬのか、あんまり分かってないみたいだった」
「やば、ハイパーウケるねー」
「ゆっぴは悪魔だから、ウケる程度で済むかもしれないけど」
項垂れる私の前に、ゆっぴの脚と、スカートの縁の黒いレースが佇んでいる。ゆっぴはふうんと鼻を鳴らした。
「でもさー、ここには今、あたしとみことっちしかいないんだよ」
そう言われ、私は顔を上げた。短いスカート越しに、ゆっぴが私を見下ろしている。
「ヒロヒロが新しい人を捕まえてくるまでは、ここはあたしとみことっち、ふたりだけの世界だよ」
「あっ……」
本当だ。言われて気づいたが、この広い世界は私とゆっぴだけのもの。法も秩序もないこの場所なら、私たちはどこまでも自由だ。
唖然とする私を、ゆっぴはニヤニヤと面白そうに見ていた。
「それにさ、みことっちが二個目の望みとして『帰りたい』って言ってくれればいつでも帰れんの。そんなにヤバみでもないよ」
「たしかに! 望みを一回使うだけなら残りひとつあるし、ここで干され死ぬよりだいぶマシだ」
私はしばらく真っ青なの空を仰ぎ、それからちらりとゆっぴに目をやった。
命を少しだけ削れば、また小春にも会社の人たちにも会えるし、ゆっぴとデートできるし、コンビニスイーツを食べる日々が帰ってくる。そのためなら悪魔に魂を売るなんて安い買い物だ。売る側なのに買い物と形容していいのか、日本語が難しいところだが。
「だいじょぶじょぶ! うちらいつでも帰れるからさ。それまで、ほら」
ゆっぴのキラキラなネイルの指が、私に向かって差し出された。
「一緒に行こ。どこまでも、あたしたちだけの世界!」
そんな悠長な状況ではないのに。
だけれど私は、彼女となら全てがなんとかなるような気がして。その手を取って、立ち上がった。
「どこ行こっか」
「まずはコンビニっしょ、目の前にあるし。ふたりならスイーツ食べ放題じゃん」
「あるけど建物のオブジェクトにすぎないの。中身はない。私の部屋も真っ白な亜空間みたいになってた」
「えー、無理なんですけど。じゃあどこ行ってもつまんないじゃん」
そう言って笑うゆっぴは、なにもなくても楽しそうだった。私も今は、案外楽しい。ひとりぼっちが長かったからか、輪をかけてゆっぴが愛おしい。
私たちは宛もなく、見慣れた知らない街を歩き出した。どこまでもなにもなく、誰もいない。ゆっぴの声がいつもより近く感じる。
無音の世界の中、私は宙人くんの言葉を思い出した。
「宙人くんは『安全』って言ってるけど、本当かどうか定かじゃない。宙人くん以外の宇宙人は、他の星の生き物をぞんざいに扱う場合もあるみたい。だから私たちが脱出しようとしてるのを、宙人くん以外の宇宙人に見つかったらどんな目に遭うか分からないよ」
「おおっ? じゃ、流石のみことっちも死ぬかもしれない?」
「とにかく、危険なのは理解してね。ゆっぴだってどうなるか分からないんだからね。相手は宇宙人だよ」
悪魔も相当厄介だったが、同じ地球の思考が通じるからまだマシだ。宇宙人は、それすら超えて行動を読めない。ゆっぴは面倒くさそうに頷いた。
「はいはーい。ま、そんなにビビらんで大丈夫っしょ」
こんなときでも、ゆっぴは楽天的だ。この緊張感のなさは恐ろしくもあるが、同時に私も脱力して、少し冷静になれる。
家から駅周辺を歩き回ってはいるが、今のところ宙人くん以外の宇宙人どころか、他の生物に遭遇していない。見慣れた景色の中、私とゆっぴだけが生きている。
もしも世界が終焉して、私と彼女ふたりだけが生き残ってしまったら、こんな感じなのだろうか。なんて、くだらないことを考える。
ふと、私は地球でのゆっぴとの会話を思い出した。
「ゆっぴ、ライブだかなんだったかで魔界に行ってたんだよね。宙人くんが私の家に行った頃にはもう帰ってきてたんだね」
自分がどれくらいの時間ここに拘束されているのか、感覚はとっくに麻痺した。でも少なくとも、ゆっぴがライブ鑑賞を終えて帰ってくるくらいの時間はここにいる。
ゆっぴは髪の毛を指先で弄びつつ、平坦な口調で言った。
「うん。ライブから帰って四日くらいかな」
「へ!?」
これには耳を疑った。
「流石にそんなに経ってないでしょ。正確な情報が欲しいんだから、冗談はやめ……」
途中まで言って、そこで止めた。私は家の近所の公園から知らない市まで、徒歩で散策していたのだ。空が動かないからどれくらい時間が経ったのか感覚がなかったが、移動距離を考えると、一日以上経っていてもあながち不自然ではない。それによく考えたら、宙人くんからここに連れてこられて目を覚ますまで、どれくらいの時間眠っていたかも定かではない。
「いや、そんなまさか……四日も水なしで暮らしてたら、こんなに歩けない」
空腹感はあるが、それも「ちょっとお腹が空いてきた」程度である。四日に渡る断食のダメージにしては弱すぎる。
混乱する私に、ゆっぴは小首を傾げて続けた。
「ふざけてないし。マジでガチだし。魔界のライブでめちゃ盛れてるチェキ撮れたからみことっちに見てほしくて、あたしずーっと待ってた」
「……そんな」
「次の日くらいにハルルが帰ってきてさ。みことっちがいないの心配して、捜索願出すとか言ってたな。んで、あたしがこっち来る前なんてみことっちの会社の人が訪ねてきたりとか。なんかいろいろヤバヤバだったー」
「会社の人! そうだよね、四日も経ってるなら二日無断欠勤してるよね、うわ……どうしよう」
一気に血の気が引いた。宇宙人に攫われたよりも二日間の無断欠勤の方が、生々しい分、現実的な不安に駆られる。ゆっぴは軽い足取りで、私の少し先を歩いていた。
「みことっちウケる! 地球の外にいても会社の心配してるとかどんだけ働くの好きなん?」
それから彼女は、くるりとこちらに顔を向けた。
「てかさ、みことっち四日もこのなんもないとこで過ごしてたんのすごくね? 飽きない?」
「なにもないから飽きたといえば飽きたけど、散策するところも調べることもたくさんあるから……」
でも、と私は頭を抱えた。
「なにも食べてないし水もない。ずっとさまよってたから、多少休憩したくらいで寝てもいない……私、なんで生きてるの……?」
流石に、異常だ。
いくらこの場所が地球の環境とそっくりだとしても、私の体までも、なにもなくても生きられるように変わったわけではないはずだ。死なないにしても、せめてもっと衰弱してないとおかしい。ゆっぴがこちらを眺めて、後ろ歩きする。
「みことっち、死にそうになるのを何度も回避してるけどさあ。流石にここまで死なないのおかしくね? 運良く死ななかったとか、そういうレベルじゃなくね?」
「私もそう思う」
「最強すぎ。マジでなんで死なないの?」
聞かれても答えられない。無言で下を向いて歩く。やがて私たちは、家の近くの公園に辿り着いた。広い場所はのびのびできるのか、ゆっぴが翼を広げて軽やかに弾んでいる。
私は彼女の後を追いつつ、周囲を見渡した。相変わらずこの場所にはなんの変化もない。風も吹かないし、なんの音もしない。
ゆっぴは半分浮いた不思議な歩き方で、緑地の方へと探索へ行く。私もついて行こうとして、ふと、地面に少し、砂のえぐれた跡を見つけた。あそこはたしか、宙人くんが絵を描いていた場所だ。
興味本位で近づいてみると、砂を擦って絵を消したような跡が残っているのに気づいた。そういえば、宙人くんは牛らしき絵を描いて私が近づく前に消してしまったのだった。
いや、宙人くんが絵を描いていたのは地球にあるオリジナルの公園の方だ。ここはコピーなのだから、同じ跡があるのはなんだか妙だ。
その擦れた砂に、なにげなく手を重ねてみる。跡をなぞるように手を動かしてみて、どきりとした。
手のひらに砂が吸い付くような、奇妙な感触がある。気持ち悪くて、咄嗟に手を引っ込めた。
直感的に思った。この跡にはなにかのヒントだ。
でもそこから先が分からなくて考えていると、ゆっぴの声が聞こえてきた。
「みことっちー! ヤバヤバ! 見てー!」
なにを遊んでいるのやら。と、顔を上げて、私はぎょっと絶句した。
緑地の方から楽しげに笑いながら走ってくるゆっぴと、その後ろにぞろぞろとついてくる、不気味な生き物たち。人っぽいものもいるし魚っぽいものもいるし、形容しがたい液状のどろどろしたものが空中を浮いてもいる。それがぱっと見えるだけで十体ほど、いや、緑地の木々の向こうからまだ湧いてくる。
「なに連れてきたの!?」
愕然とする私に対し、ゆっぴは危機感がない。
「分からん! なんか緑地歩いてたら、これがぞろぞろ出てきてあたしについてきた! マジパリピすぎるウケるんだけど」
「ウケないよ!」
結構長くこの場所を散策しているが、生物には遭遇しなかった。それなのに、こんなにたくさんの生物、一体どこに潜んでいたというのか。
でも、ゆっぴを追いかける化け物たちは、どうも意思疎通ができそうな様子はない。少なくとも地球から集められた生物ではなさそうだ。




