通じるような、通じないような
宙人くんに連れられて、元の公園に戻る。
「落ち着いた? 深琴お姉ちゃん、どこも痛くない?」
宙人くんが優しく尋ねてくる。私は頭を抱えて蹲っていた。
「ええと、不思議なくらい体調は良いんだけど、信じられない……」
「でも僕、無理に連れてきたんじゃないよ。深琴お姉ちゃんが遊んでくれるって言ったから、褒めてくれるって言ったから……」
宙人くんに悪気がなさそうなのがまた、私を困惑させる。強く怒ったり暴れたりしづらいではないか。彼はえへ、とかわいらしく花笑みした。
「信じる信じないは自由だよ。どっちにしても状況は変わらないからね。深琴お姉ちゃんは、ここにいてくれるだけでいいんだよ!」
周辺に人はいない。人どころか、鳥も虫も、なにもいない。見慣れた景色だけれど、確実に全てが違う。どこかから人が出てくるかもしれないなんて期待もするが、その反面、「それはありえない」と分かっている自分もいる。
まるでパラレルワールドのような、そんな異様さだ。
「う、うーん……」
なんだか、初めてゆっぴが押しかけてきたときの気持ちに似ている。夢であってくれればそれに越したことはないが、目覚めない限り事態は動かない。
仮にこれが夢でなくて、宙人くんの言葉が現実だとしたら――とても信じられないが、この奇妙な世界を目の当たりにしたら、受け入れるほかない。いや、もちろん納得はしていないが。
何度も死にかけている私だが、宇宙人に連れ去られたのは初めてだ。
「どこか遠くへ行きたい、とは考えたけども……ここまで遠くなくて良かったな……」
だが下手に慌てても仕方ないというのも承知している。ゆっぴ来襲で学習した。こういうときは、冷静に情報を集めた方がいい。
「一緒に遊ぼうとは言ったけど、それは地球で遊ぶという前提であって、君のコレクションに加わったつもりはなかったよ。私、殺されるの?」
「殺す……? あっ、知ってる! 地球の生き物は条件を満たすと機能を停止する。それが『死』だよね。それは回避しないと、もう二度と再生しないんだよね? 僕、調べたから知ってる!」
死の概念すら確認事項だと思うと、やはり感覚の差が怖い。
「大丈夫、貴重なサンプルだから、ぞんざいに扱うことはない。むろん、殺したりしないよ」
宙人くんがにこにこ笑って答える。ひとまずほっとしたが、これで安心できるわけではない。
「帰れるの?」
「基本的には帰さないよ。大丈夫だよ、さっきも言ったとおり、この部屋は地球の環境と同じだから、ここにいれば死なないよ」
「さらっと酷いこと言う。帰りたいよ」
「地球の生物は回収に適応しないのかな? これは新しい発見かもしれない。とにかく安心して。死なせないから」
「死ななければいいってものじゃないんだよ。どうしたら帰してもらえる?」
会話が成立しているのに、気持ちは伝わっていない感じがする。宙人くんは難しそうに虚空を見上げた。
「回収した生物はこちらの機密に触れる可能性があるから、野放しにできないんだよ。よその星に余計な記憶を持ち帰られて、急速に発展されても困るもの」
かわいらしい声が、絶望を告げる。
「それに、深琴お姉ちゃんが帰るのは地球にとっても良くないよ。地球に存在しない菌が深琴お姉ちゃんにくっついてたとしたら、それを地球に持ち込んでしまう事態になる」
「それはそうかもしれない……」
「深琴お姉ちゃんのわがままで母星に帰れば、最悪、星が死滅する可能性すらある。深琴お姉ちゃんさえ我慢すればそれは免れる。犠牲は少ない方がいいよ」
丁寧に諭されると、変に納得してしまう。もう下手に足掻いたりせず、誰もいないこの場所で一生暮らすしかないのか。
「でも流石に、心残りはあるんだよなあ」
私は膝を抱え、突き抜けるような青空を見上げた。
科内深琴は本来、三歳で死ぬはずだったらしい。だから今生きているのすら図々しいくらいなのだ。それでも、まだ帰りたい理由がある。
小春がたまたま不在でなかったら、一緒に遊びに行きたかった。半人前の紅里くんのことが心配だし、茉莉花さんみたいにきれいになって、彼女の横で堂々と話したかった。
それになにより、ゆっぴに会いたい。
「私が死んでも、宇宙からじゃタイムラインも更新されないかもしれないな」
俯く私の顔を、宙人くんが覗き込んでくる。
「だから、死なせないって!」
「うん、死なせないようにしてくれたとしても、地球の生物はいずれは死ぬんだよ」
「そうなの!? あっ、寿命ってやつ? 老朽化で死んじゃうやつ?」
なんというか、宙人くんが悪い子だとは思わないのだが、恐ろしく会話が難しい。再び口を閉ざした私を、宙人くんは不安げに見つめた。
「どうしたの? ごめんね、僕、地球の生物の感情、あんまり分かんない……。どうしてほしい?」
「どうしてほしいかと言えば帰してほしいかな……」
「それは無理だからあ……けど、この場所の環境をもっと地球に近づけることはできるよ。地球の生物をもっとたくさん連れてきて、移住させたらいいんだよ。もともとここは擬似的に地球の景色を成してるんだから、住む人間がいれば同じになるんじゃない?」
なるほど、たしかにここはよく知っている町と同じなのだ。極端にいえば、人さえ引っ越してくれば、こちらが本物になる。
いやでも、私以外にもここに連れてこられる人がいると思うと、ぜひお願いしますとは言えない。
「そっくりならいいってわけじゃないんだよ」
私が頭を抱えると、宙人くんはしょんぼりと下を向いた。
「困ったなあ……どうしたらいいか分かんない。僕はただ、深琴お姉ちゃんにとって暮らしやすい環境を作って、なるべく長生きしてほしいだけなのに」
悪意がないのが却って質が悪い。少なくとも今のところは、宙人くんが私に危害を加える様子はないのだ。宙人くんは、難しそうに眉を寄せた。
「やっぱり、大事にしようと思うのがだめなのかな?」
「えっ?」
突然の不穏な言葉に、背筋にぞっと悪寒が走った。宙人くんは相変わらず、穏やかな目をしている。
「丁寧に扱おうとするから、難しいのかなって。他の仲間たちはもっと効率よく、意思の確認なんてしないで大量に誘拐してきてる。サンプルがたくさんあれば多少死んじゃっても問題ないから、狭い場所に詰めておけるし、手っ取り早く解剖してもいいのかも」
「待って待って、私はそれは嫌かな!」
慌てて声が裏返った。攻撃性がなくてちょっと安堵した傍からこれだ。
「やっぱりさ、今後の異星間の関係を考えても、ここで私を粗末に扱わない方がいいよ。戦争になるかもしれないよ」
「だよね。まあ、地球の軍事力がそんなに高いとは想定できないけど、まだまだ未知の星だからなあ」
彼は膝をぎゅっと抱き寄せ、小さく唸った。
「僕は、できるだけどんな星とも友達でいたいんだ。地球だって本当はもっと強引に侵略できるけど、そういうのは違うと思ってて……」
宙人くんの面持ちは、神妙だった。
「強引な侵略の方が要領がいいのは分かるし、そういうやり方してる人の方がずっとポイントを稼げるから褒められてる。でも、僕はそういうのは違うと思ってる。探査する星に適したスーツを着て、感情表現の方法をコピーし、情報思念体に送り込んだ言語を適用して意思疎通可能状態で活動する。連れ込む先の基地も、こうして元の星をコピーして同じようにする。あくまで対象の星に合わせて、地道に探査する。そうやって星を調査するべきだと思うんだ」
「あ、ええ、はい」
なにを言っているのか八割分からないが、ひとまず相槌を打つ。宙人くんは言った。
「けどそんなやり方してるから、サンプルが集まらない。この『秘密基地』はこのとおり、景色だけが整ってるだけで中身はなにもない。ただでさえ地球の生物は持ち帰りが難しくて回収に成功しにくいのに、要領の悪いやり方してるから余計に遅い。こんなんだから、僕は仲間たちからバカにされるんだ」
ぽろりと、純真な目から涙が零れ落ちた。
ふと私の脳裏に、公園で見た景色が蘇った。ひとりぼっちでしゃがむ宙人くんが、砂に絵を描いている。歪んだ円盤と、四本足の動物。あれはもしかして、船に生き物を攫う絵だったのだろうか。自分は生き物を攫うのが下手だ、だから褒めてもらえない。
あのとき彼が泣いていたのは、そういう理由だったのか。
「ごめんね。私が褒めてあげるって言ったのに、約束破っちゃったね」
咄嗟に口をついたのは、薄っぺらな謝罪だった。
私を攫うのに成功したのに、私は頭を抱えるばかりだった。いや、私からすればそれが当然の反応なのだけれど、宙人くんは褒めてほしかったはずだ。ポイントが入ったとき、一緒に喜んでほしかったはずだ。
「今さらだけど褒めさせて。私、本当に、宙人くんのことすごいと思う」
これは、彼のご機嫌を取るためでもなんでもなく、心からの言葉だった。
「みんなからバカにされても、宙人くんは宙人くんが信じる『正しさ』を曲げない。他のみんなの方が効率がいいのは分かってても、それが良くないやり方だっていう考えを貫いてる。これってすごく偉いことだよ」
少なくとも、地球人の感覚では。
宙人くんが顔を上げる。彼は泣きそうな目で私を見上げた。
「でも僕、本当はみんなみたいに、どんどん生き物を乱獲してポイント集めようかなって迷ってた。そんなに意志が強いわけじゃない」
「分かるよ。それが普通だよ」
あの絵を描いて泣いていたくらいだ。ぐらついていたのくらい分かる。
「でも、地球を想ってやめてくれた。ありがとう」
「深琴お姉ちゃん……」
宙人くんが声を震わせる。
「ありがとう。僕を褒めてくれたの、深琴お姉ちゃんが初めてだよ」
彼は地球人ではないから、私と同じような感覚を持っているとは限らない。でも今は、心を通わせられた気がした。
生まれた星が違っても、生物的にも文化的にも違っても、同じような悩みを持っているし同じような欲求を持つ。多分そうだ。少なくとも、この子に関しては。
しかしこんな感動のシーンのようなやりとりをしたところで、自分が助かるわけではない。問題はここからどうなるかだ。
「宙人くん、私たち地球の生物を殺すつもりはないんだよね?」
確認すると、宙人くんはこくんと頷いた。
「大事にする。ちゃんとお世話するからあ……」
ペットを飼いたくて親に交渉する子供みたいな言い方だ。
私はため息をつき、一旦目を伏せた。
できれば、なんとか元の星に帰りたい。たとえここが安全だったとしても、こんなところで一生を終えたくはない。それに先程の宙人くんの発言を鑑みると、彼の言う「他の仲間たち」は生き物を拉致して解剖しているらしい。つまり私も、「他の仲間たち」に見つかったら宙人くんが守り抜いてくれるとは限らない。また、彼自身も気が変わればいつでも私を殺せるわけだ。逃げられるものなら今すぐ逃げたい。
だがここから逃げ出すすべがないし、宙人くんの言うとおり私自身が地球の脅威になりかねない。なんだかもう、ただでさえ異常な状況で混乱しているのに、延々と答えの出ない問題に悩まされる。頭が痛い。
とりあえず、今は引き続き情報を集めよう。
「さっき、『基本的には帰さない』って言い方してたけど、帰った例もあるの?」
「ないことはないよ。連れてきたサンプルがたまたまその星の君主の子で、それこそ宇宙戦争が勃発しそうになった事案があって。そのときは、相手の星の軍事力が僕らの星の五千倍だったから、こっちが滅ぼされる前にサンプルを帰したんだ」
宙人くんは体育座りを崩し、ぺたんと脚を下ろした。
「私の知らない宇宙の果てでそんなことが……。その相手の星は、どうなったの? 未知の菌が持ち込まれたんじゃ?」
「持ち込まれてはいると思うけど、特に異変は起きてないみたいだよ。菌と星の環境が合わなかったんじゃないかな、菌の方が死滅したと見てるよ」
なるほど。しかしこれは相手の星が優勢だった上、持ち込まれた菌も勝手になくなった運のいいケースである。生憎私は同じようにはいかないだろう。
考え込んでいると、宙人くんが不安げに問うてきた。
「帰ろうとしてるの? 帰さないよ?」
甘いかわいい声に、ぞくっとする。まずい、逃げようとしてると思われると、強制的に動きを封じられて余計に調べづらくなる。……かもしれない。
少なくとも、飼い主といえる宙人くんの機嫌は損ねない方がいいに決まっている。ここは気長に、宙人くんとゆっくり暮らしながら、どう動くべきか模索しよう。
「ここ、居心地いいし、つらいことなにもなくて快適だよ」
「そうだよね。良かった」
宙人くんがご機嫌に微笑む。私も微笑みかけ、質問を続けた。
「宙人くんもずっとここにいてくれるの?」
「ううん。僕は地球へ探索へ行かなくちゃならないから、ずっと一緒にいられるわけじゃないよ。新しい生き物を捕まえたらここに連れてくるから、そのときまた遊ぼうね」
「それじゃ地球に行ったとき、ついでに私の家に寄り道してくれる? 水とか買ってあった食材とか、着替えとか、持ってきてくれると嬉しいんだけど」
我ながら、慌てているわりに妙に冷静である。
文字どおり物資が欲しいというのもあるが、宙人くんが私のアパートの部屋を訪れれば、ゆっぴや小春が対面するかもしれない。ふたりとも外出中というのが気がかりだが、そのうち帰ってくるはずだ。彼女らが私を捜してくれて、そこへ宙人くんが部屋にやってくるとしたら、まず私との関係性を確認する。そこで宙人くんが私を拉致したとふたりに伝われば、なにかしら交渉してくれるかもしれない。あのふたりは元より人外である。宇宙人の対応も、魔界を通じて上手いことやってくれそうな気がする。
ゆっぴや小春が私と同じようにここに連れてこられてしまったらいけないが。
宙人くんは、ぽかんと口を開けて小首を傾げた。
「ミズ? なにそれ?」
「おっ……通じなかった」
そうだった、相手は宇宙人だ。普通に会話ができるだけでも奇跡である。たまに通じない単語があってもおかしくない。充分な意思疎通のためにも、丁寧に説明していこう。
「えっ、ええと。水というのは生きてく上で絶対必要なもので、他にもなにか栄養摂らないと死んじゃうでしょ。地球だとそれが食べ物で……」
「なにか与える必要があるってこと? じゃないと死んじゃうの? 全然分かんない……地球の生物って、生きてるだけで大変だね。なんでそんなに存在に条件があるの?」
いきなりつまづいた感じがした。
気長に、宙人くんとゆっくり暮らしながら、どう動くべきか模索する……。そんな余裕はなさそうだと、急激に焦りを感じたのだった。




