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マイスイート・ハニーデビル  作者: 植原翠/新刊・招き猫⑤巻
Ep.1・アイアム・ワーカホリック
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チーズハンバーグは愛の味

「……ん?」


 スナック菓子の匂いが充満するワンルームに、見知らぬギャルがいる。


 伸ばした金髪はゆるく巻かれて、毛先に向かってフラミンゴ色に染まっていた。その髪を高く結い上げて、ぱっちりした目は睫毛の先まで抜かりなくメイクが施されている。どこのものだか分からないが学生らしき制服の膝丈十センチくらいのミニスカートからは、きゅっと引き締まった脚が投げ出されていた。

 ギャルだ。さっき夢に出てきたような。まさに、私の趣味のド真ん中の。


 談笑するテレビの雛壇芸人。エアコンで調整された快適な室温。目の前にギャル。思わず、持っていた鞄をその場に垂直に落とした。


 そんな私の反応は対して気にもとめず、ギャルはマイペースに言った。


「科内深琴ちゃん、みことっちだよね」


 しかもよく見たら、いや、よく見なくても、ワイシャツを貫通して背中から真っ黒な翼が伸びている。


 ギャルはスナック菓子を口に運びつつ首を傾げる。


「なんで立ちっぱなの、みことっち。座んなよ」


 いや、その前に君は誰だ。

 私の名前、及び個人情報をご存知のようだが、私の方は彼女の顔に見覚えがない。私は部屋の扉に手を添えた姿勢で、目を擦った。


 なんで私の部屋に、コスプレ女がいる?

 しかも、理想の直球ド真ん中の、明るくて派手な金髪ギャル。


 目を擦ってもギャルは消えなかった。幻覚かと思ったのに、消えていない。


「だ……誰?」


「あたし? あっ、そっか! みことっちからすれば『初めまして』か」


 ギャルは大きな目をぱちくりさせて、思い出したように手を叩いた。


「あたし、悪魔!」


「……あく、ま?」


「そう。悪魔でーす」


 彼女はピースサインを目元に置いて、長い爪の人差し指で、自分のほっぺたをぷすりと刺した。


「世界一キュートでスイートなデビル、にのまえ夕匕ゆうひ! 『ゆっぴ』って呼んでね!」


 対する私の方は、またもや絶句である。なにを言っているのか、この娘は。

 ふいに、短いスカートの裾からぴょんと飛び出す尻尾が見えた。にゅっと細長くて、先端にスペードみたいな棘がついた、ありがちな尻尾である。翼だけでなく尻尾まで。かわいい……じゃなくて、なんだこれは。

 彼女は黒い翼をぱたぱたさせた。


「えっ、なんでびっくりしてるの。みことっち、もしかして悪魔知らない? 悪魔っていうのはね、なんかこういうあたしみたいな、まあめっちゃ漠然としてるんだけど悪いやつのことでー」


「いや、悪魔は知ってる。ていうか本当に漠然としてるな」


 黒い翼といい鋭い牙といい尻尾といい、悪魔のコスプレというわけか。生憎私は、宗教的なことにはあまり興味がない。だから悪魔とか言われても信じるつもりなど毛頭ないのだが……。


 そんなのどうでもいいくらい、めちゃくちゃかわいい。


 猫顔の金髪ギャルというだけでも極みなのに、さらに小悪魔コスプレだなんて、どれだけ私のツボを刺激するつもりなのか。 

 しばらく唖然としていた私だったが、この辺りでようやく頭が働いてきた。


 そうか! 私はどうやら、帰ってきて即行寝落ちしたようだ。そして電車の中で見た夢の続きにアクセスした。

 あの理想の彼女に、また会えたのだ。


「そっかー! 私、夢見るの上手いな。奇跡的に同じ夢を見れたんだから楽しまないと」


「ん? うん! よく分からんけど、楽しむのは大事!」


 ギャル、ゆっぴの方も乗り気だ。私は彼女の隣に腰を降ろした。


「夢だもんね、なら起きる前にやることやらなきゃ」


 家に帰ってきたまでの記憶は確かにあるから、確実に帰ってきてはいる。家で寝ているのなら、電車の中とは違ってアナウンスに邪魔されずじっくり眠れる。今度こそ、この夢を楽しめる。


 目の前のゆっぴの髪を撫で、頬に触れた、そのとき。リップで潤む彼女の唇が割れ、口の中の鋭い牙がちらりと顔を出した。


「ねえ、みことっち。してほしいこと、教えて」


 ああ、これは。


「してほしいこと、したいこと、一個ずつ確認してこ。全部、あたしが叶えてあげる」


 電車で見た夢と同じ台詞だ。

 してほしいこと、したいこと……この美少女を前にしたら、たくさんありすぎてきりがない。

 私は自身の荒れた唇を開いて、閉じた。一個ずつ挙げていくにしても、どれから言えばいいのか。


「みことっち、これは『契り』だよ」


 鼻にかかった甘い声が、私の鼓膜を震わせ、脳を溶かす。


「悪魔との契約。あたしがみことっちの望みを叶えてあげるの」


 契り? 悪魔との契約……?

 よく分からないが、この状況が悪魔的なのは間違いない。


 彼女の頬に触れたままで固まっていると、ぐう、と私のお腹が鳴った。私はびくっとしてゆっぴから手を離す。


「今!? ご、ごめん。実は仕事しててここのところしっかりごはん食べてなくて。今日のお昼も、休憩取れなくて……!」


 折角の夢だというのに、こんなところは現実的だ。目を白黒させる私に、ゆっぴが問いかける。


「お腹すいた? なに食べたい?」


「君の手料理」


 すかさず答えると、ゆっぴは虚空を見上げて唸った。


「なるほどー。じゃ、『一個目』はそれね。『あたしの手料理を食べたい』」


 ゆっぴはすっと人差し指を立て、その指をテーブルに向かって振り下ろした。

 途端に、ビリビリッと火花が飛び、テーブルの上に皿が出現した。


「は!?」


 目を瞠る私の横で、テーブルにぽんぽんと料理が現れる。

 ちょっとだけ焦げくさい、小判型のハンバーグ。レタスのサラダとコーンスープ。ロールパンも現れて、最後にはマグカップに入った紅茶まで出てきた。


 呆然とする私の背中に、ゆっぴの楽しげな声が飛んでくる。


「ジャジャーン! あたしの最強得意料理の、チーズハンバーグ!」


 ハンバーグにはキノコの入ったデミグラスソースがたっぷりかけられていて、その上には蕩けたチーズ。真ん中に振りかけられたパセリの緑が華やかで、食欲を刺激する。


 無から料理が現れた。これは魔法? いや、夢だからこんな荒唐無稽なことも起こっちゃうのか。

 色々な意味でびっくりして、言おうとしたことを全部忘れた。ひとまず、頭に残っていた言おうと思っていなかったことを言っておく。


「し……幸せすぎる」


「あは、そんなにー?」


 ゆっぴは笑っているが、笑い事ではない。こんなにタイプの子と一緒に暮らして、手料理まで作ってくれるだなんて、夢にしたって都合が良すぎる。


「これ、作ったの? 魔法みたいに出てきたけど」


「んー、まあ作ったっちゃ作った。普通の料理の手順とは違うけど、悪魔はこうやって料理するから」


 テレビがわいわいと賑やかに楽しげな話題を流している。ゆっぴの瞳にその画面が反射していた。彼女な広げたままのスナック菓子をひょいと手に取り、口に放り込んだ。


「冷めちゃう前に食べろし!」


「は、はあ。いただきます」


 なんて甘えた夢だろう。とはいえどうせ夢だ。私は促されるまま箸を取り、ハンバーグをひと口大に切った。湯気の漂うそれを、そっと口の中に転がす。

 瞬間、涙が出そうになった。ほかほかに温かくて、肉がぎっしりしていて、ちょっと固い。ソースは味が濃すぎるけれど、チーズが蕩けあうとそれなりに中和する。


 なんというか、作った本人は得意げなわりに、リアクションに困るくらい平凡な出来栄えだ。でも、それ以上のものが胸の奥に染み込んでくる。


「おいしい……」


 無意識的に感想がまろびでる。決して、上等な味ということはない。むしろちょっと料理としては下手なくらいだ。でも、今まで食べたどんなものよりおいしく感じる。夢のはずなのに、しっかり味がした。

 ゆっぴは満足げに笑った。


「やっぱハンバーグって、ちょっとしたご馳走だかんね」


 笑うと、長くて分厚い睫毛がよりふさふさして見える。


「スープもね、体温まるよ。好きな具を好きなだけ入れられるし。あとねー、パンはエネルギーに変わるの早いから、アガんないときにちょうどいいらしいよ」


「うん」


 ここのところ、まともな食事を摂っていなかった。温かい料理がこんなにおいしいと、改めて気付かされた気がする。なんだかたまらなくなり、私はまたひと口またひと口と料理を口に運んだ。

 ちぎって盛り付けただけの野菜のサラダも、粉がダマになっているスープも、体に染み渡ってくる。

 横では派手な顔をしたギャルがスナックを食べている。


「連勤お疲れ様」


「……うん」


「でもねみことっち、忘れちゃだめだよ。お仕事は所詮お仕事。自分を磨くための手段でしかないよ。やりたいことを仕事にして人生かける人もいるっちゃいるけど、みことっちの場合は違うっしょ?」


 パリ、と、彼女の尖った牙がスナックを砕く。


「自分の体以上に大事な仕事なんてないよ。もっと自分をかわいがらないと、お仕事してる意味なくなっちゃうよ」


「でも、そんな余裕ないからなあ」


 ハンバーグを箸でひと口大に削る。肉の境目から、チーズがとろりと皿に広がった。


「定時に上がれる日なんてない。有給消化して休日出勤は当たり前。自分を大事にする余裕なんてないよ」


「はあ!? なにそれ、定時は上がる時間だし、休みの日は休む日だよ!?」


 ゆっぴがいきなり大きな声を出した。彼女の背中で、翼がぴんと開く。力を込めると広がるらしい。尻尾も真っ直ぐに張り詰めている。


「想像以上にやばい会社だね。あたし、みことっちのこと観察してたけどずっと見てたわけじゃないってか、ぶっちゃけたまに様子見てたくらいだから、いつも働いてんなーくらいにしか思ってなかったけど。ブラック企業のそういうの、都市伝説じゃなかったんか」


「おかしいのは分かってるけど、同僚も皆、頑張ってる。私だけさっさと帰ったり堂々休んだりできないよ。上司から睨まれちゃうしさ」


「意味分かんない! その上司バカじゃないの? 自分のこと偉いとでも思ってんじゃない? 所詮ただの人間だし偉くもなんともないんだから、キレててもそんなのほっといていいよ」


 私自身も心のどこかで思っていた、思っていたけれど目を逸らして迎合していた現実を、ゆっぴが私の代わりに怒ってくれている。


「みことっちは頑張りすぎ。頑張るのはいいことだけど、頑張りすぎちゃだめだよ。もっと力抜いて、楽できるところは楽していこう」


 ああ、なんて甘えた夢だろう。先程も頭に浮かんだフレーズが、また繰り返された。

 好みの女の子が手料理を作ってくれて、しかもこんなに優しくしてくれる。こんなに都合のいい夢を見てしまったら、現実に戻ったときに立ち直れなくなる。なんだか無性に胸が熱くなって、気がついたらぽろぽろと涙が零れていた。

 ゆっぴが牙を覗かせて明るく笑う。


「もう泣くなしー! ごはんしょっぱくなっちゃうよ。あ、そうだ!」


 ポンと手を叩いて、彼女は赤い目を見開いた。


「今日は高級なアイスを食べよう!」


「えっ? なんで」


「なんでって、みことっちめちゃ頑張ったから! あたしの奢り!」


 ゆっぴは一方的に決めると、びしっと人差し指を立てた。

 ああ。どうしてこんなに幸せな夢を見ているのだろう。目が覚めるのが嫌だ。このままこの夢の中にいたい。


「あの……ゆっぴ」


「ん?」


「君はどうしてそんなに私を甘やかしてくれるの?」


 純粋な疑問を零す。スナックを咥えた彼女は、しばしきょとんとしてから答えた。


「あたしが悪魔だからだよ」


「悪魔……」


 そうね。こんなに人をダメにする恋人なんて、悪魔に他ならない。黒い翼のコスプレは伊達じゃない。

 かわいいゆっぴをうっとり見つめていると、ゆっぴは眉を寄せて唸った。


「むむむ。さてはみことっち、あたしが悪魔だってこと疑ってるな。天使みたいにかわいいコスプレ女子高生だと思ってるんでしょ」


 覗き込んでくる顔が、吊り目の猫顔。あまりにもストライクで、息が止まった。ゆっぴはマイペースに続ける。


「あのね、あたしはマジのマジに悪魔だよ。証拠はこの翼とか牙なんだけど、やっぱ簡単には信じてくれないよね。まあいいや、たとえみことっちが最後まで信じなかったとしても、結果は変わらないし」


 生脚を組み直し、太腿を重ねた。


「ともかく悪魔は、願いを三つ叶える代わりに魂をいただくもの。あたしはみことっちの願いを叶えに来たの」


 私は数分前のゆっぴの言葉を振り返った。

 これは『契り』。悪魔との契約――。


「ああ、だからこのハンバーグが『一個目』なのね」


 なるほど、私は自分でも知らないうちに、ゆっぴという悪魔に魂を売りかけているらしい。しかもたった三つの願いの内ひとつを、「手料理のハンバーグ」で消費してしまったと。

 ゆっぴはあっさりと頷いた。


「そう。残りの二個はなににする?」


「はは……あと二個言ったら、魂取られちゃうじゃん」


 やっぱり、おかしな夢だ。悪魔な彼女と契約して、魂を売る代わりに望みを叶えてもらう夢、とは。

 私の願望は、おいしいごはんと睡眠と、ギャルに優しくされること。今すでに、ゆっぴに甘やかされている。変な言い回しになるが、夢のような夢だ。


「二個目かあ。じゃあ、私の恋人として、一生一緒にいてほしいかな」


 どうせ夢だと思うと大胆な発言もできてしまう。ゆっぴは目をぱちぱちさせて、首を傾げた。


「へ? なに言ってる?」


「ゆっぴ、好き」


「やば、みことっち壊れた」


 ゆっぴはけらけら笑うばかりで相手にしてくれない。でもその笑顔がかわいくて、満たされる。

 私は本気だよ。もしもこれで魂を売り捨ててしまうとしたら、君のような女の子と最期の時間を楽しみたい。それくらいの贅沢、いいじゃないか……。


 私はハンバーグの最後のひと欠片を口に入れ、飲み込む。途端にすうっと眠くなり、私はその場で意識を手放した。

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