贅肉エマージェンシー
「みことっち、マージで死なないねー」
ある日の夜。家に帰ってきたら、ゆっぴが床に突っ伏していた。翼をでろんと広げて、尻尾もくたくたに投げ出されている。
「もう一ヶ月見てるけど、すぐ死にそうになるのに死ななすぎ。なんでなにが起こっても死なないの?」
ゆっぴが現れて、あっという間に約一ヶ月。彼女が自宅に侵入しているのはもう慣れた。私は荷物を床に下ろし、夕飯の支度に入った。といっても、コンビニで買ったお弁当を温めるだけだが。
「なんで、か。私も知らないけど、運がいいんじゃない?」
「でも電車に轢かれても死ななかったし。運だけとは思えないんだよなあ。ひょっとして、死なない人間もいるんかな?」
「そんなのいるわけないじゃない。轢かれたけど死ななかったんじゃなくて、運良く電車を避けたんだと思うよ」
「だよねえ。でも一応、無敵の人間はいるのか、死神大先生に確認してみる」
ゆっぴが眉間に皺を作る。電子レンジがピーピーと鳴り出す。私は中から、ほかほかに温まったフライ弁当を取り出した。
死神大先生。前にも、その名前を聞いた。
「死神大先生って、なんなの?」
「名前のとおり死神だよ。現世の人の寿命とか、死因とか、そういうのを管理してる。寿命オーバーのみことっちを放置してるくらいには杜撰な管理だけんね」
ゆっぴのだらけた声を聞きつつ、フライ弁当とお茶を持って、テーブルに着く。弁当の蓋を開け、割り箸を割ると、ゆっぴがもっそり立ち上がった。腕と翼両方で大きく伸びをして、私の横を通り、壁際の戸棚を開ける。中から大袋のチョコレートが出てきた。
「じゃーん! これ買っちゃった! みことっちもごはんのあとで一緒に食べよ!」
「おお、いいね。おいしそう」
個包装された複数種類のチョコレート菓子が、一挙にミックスされている。選ぶ楽しみを味わうもよし、一度に全種類食べるもよし。
今まではお菓子なんて、なかなか買わなかった。でもゆっぴが現れるようになって「自分へのご褒美」としてのアイス、大きなパフェなど、共に楽しんできた。今回も、ファミリーサイズの大袋菓子が、私の心を誘惑する。
ゆっぴは私の向かいに座り直し、チョコレートの袋を開けた。中からいちごチョコを取り出し、口に放り込む。幸せそうに噛み締める顔がかわいくて、私は食事をする手を止めて見とれてしまう。
私の視線に気づいて、ゆっぴは組んだ腕をテーブルに乗せた。
「まーた見てっし。あたしのこと好きすぎじゃん」
「そうだって何度も言ってるでしょ」
そう言って私は視線を外し、白身魚のフライをひと口頬張った。ゆっぴはしばし私を見つめ、やがて下を向いた。
「本当に本当に本当なんだね」
「困る? 怖いなら逃げなよ」
「怖くないしギャルなめんなし。あたしはみことっちの望みを三つ叶えるって決めたから」
吸血鬼の紅里くんの一件で、ゆっぴは私の気持ちが本物であると改めて認識したらしい。戸惑っているくせに律儀に私の元へ来るあたり、いじらしくてやっぱりかわいい。
「小春も紅里くんも、見た目が真人間だよね。ゆっぴは翼とかあるから目を引くけど、あのふたりは人間社会に紛れてても全然気づかないよ」
私が言うと、もじもじしていたゆっぴはパッと切り替えた。
「それな! ハルルも言ってたとおり、変なもの扱いされて騒がれるのがめんどいんでしょうね」
ハルピュイアの小春は当たり前のように学校生活に馴染んでいたし、紅里くんも普通に会社員として生活している。小春は翼があるが普段は引っ込めており、紅里くんは本人曰く、肉や魚などで鉄分を多めに摂る程度で一般的な人間と変わらない生活ができるのだという。
彼らはこの事実を隠しているというよりは、単に「言ってないだけ」らしい。どうやら世の中には、人外たちがこうして自然に溶け込んでいるようだ。
会社に紅里くんが来て、色んな意味で社内が変わってきている。パワハラ部長が見せしめのように左遷されてハラスメントが撲滅されただけでなく、別方向にも謎の効果が生まれはじめていた。
「営業二課の山川さんが、紅里くんとお近づきになりたくてダイエットを始めたって言ってた。他にも美容を気にかける人が増えて、なんか会社全体がキラキラしはじめてるよ」
紅里くんのイケメンムーブは誰に対しても他意なく発動するものらしく、彼は既婚未婚も男女も関係なく、屋上に訪れた鳩すらお姫様扱いする。それが彼の通常運転なのだ。おかげで紅里くんリアコ勢が各地で出現し、お互いを出し抜こうと自分磨きが流行り出したのだ。
「すごいよね。私は美容とか、あんまり詳しくないから、会話についていけなくなりそう」
苦笑する私の正面で、ゆっぴが二個目のチョコレートを開ける。
「あかりんはモテモテですなあ。でも、若手もおじちゃんも皆かわいくなるのは良いことだね。オシャレってさ、自分と他人を比べるためのものでも、他人に強制されるものでもなくって、自分に自信を持てるように、なりたい自分になるために自ら進んで極めるものじゃんな」
ゆっぴの唇に、チョコレートが消える。
「つまり自分磨きは、自分を大切にしてあげるってこと。それが流行るのはサイコーだよね」
ゆっぴのなにげないひと言に、私はハッとさせられた。自分に自信を持てるように、なりたい自分になるために頑張るもの。自分を大切にしてあげること……そうだ、好きな人に振り向いてもらいたくて、魅力的になりたくて、頑張るのだ。
目の前には、栄養バランスの悪そうな出来合いのお弁当。散らばるチョコレート。頬に触れれば疲弊した弾力のない肌の感触。ハッとして、お腹にも手を当てた。ぷにっとした感触に、焦りが湧く。いつからこんなに肉がついたのだろう。
小春の言葉が脳裏を過ぎる。
『あの悪魔に憑かれたら、深琴は自分でなにもしないぐうたらダメ人間にされる』
『本当の脅威は“甘え”なのよ!』
彼女の注意喚起が、今まさに実感を持って私を焦らせる。
私は思わず正面のゆっぴを見た。彼女は今日も抜かりなくかわいい。だというのに、私ときたら。
こんなんじゃ、かわいいゆっぴの隣に立つのが恥ずかしい。好きでいるのすら烏滸がましい。
「ゆっぴ。やっぱり私、チョコやめとく」
「えっ、なんで!?」
ゆっぴが目を剥く。私はお弁当の白米を箸で集めて、口に放り込んだ。
「ダイエット始めます。そんで肌の調子も整えて、きれいになりたい」
このままではいけない。ゆっぴの甘やかしの毒牙は、着実に私を蝕んでいるのだ。自らを厳しく律していかないと、どんどん崩れてしまう。
ゆっぴはしばらく不思議そうに私を見て、やがてぽんと手を叩いた。
「OK! それが二個目の願いね。今すぐ叶えてあげよう」
「違う違う! 自分の力で痩せる! 今のはダイエット宣言であって、ゆっぴに頼んだわけじゃないよ」
悪魔の力で一瞬で美ボディを手に入れられたらそれはそれは楽だろうが、ここで二個目の願いを使うわけにはいかない。
しかし閃いてしまったゆっぴは止まらない。
「いいじゃないの、甘いもの食べてだらだら過ごしても常にお気に入りのボディをキープできる便利な魔法をかけてあげるよ」
「やめて、悪魔の囁きやめて」
「どっちにしろさ、チョコひとつくらいじゃ変わらないって」
ゆっぴが私の手の横にチョコレートを置く。ゆっぴがおいしそうに食べていた、いちごチョコだ。
「あ、おいしそう。まあ一個くらいなら……」
ぐらりと揺らぐ私の前に、ゆっぴはさらに三種類のチョコレートを詰んだ。
「どうせ一個食べるなら全種類食べないとね。これがバナナチョコ、こっちがミルク、これがホワイト」
目の前の誘惑に勝てない。ダイエットは明日からだ。




