親愛なる友人
静かな修羅場の中に、店員の軽やかな声が届く。
「お待たせしました、たっぷり蜂蜜ミルクティーです。こちらミルクレープと、いちごプリンケーキ、チョコタルトでーす」
「はいはーい! 全部ここ置いて」
ゆっぴが晴れやかに応答し、彼女が頼んだメニューがずらりとテーブルに並んだ。全てゆっぴの前に置かれ、テーブルが一気に華やかになる。
「やばー、めっちゃおいしそうなんだけど! ねえみことっち、ハルル、シェアしよ! その前に撮るよー!」
ゆっぴがスマホをインカメラモードに切り替えて、自撮りの準備をする。一旦画面を高く掲げてから、こちらを振り返って大きな手振りで合図してきた。
「みことっちとハルルも、もっと寄って! 画角に入んない!」
「さっきから思ってたんだけど、あんた空気読めなすぎじゃない!?」
ついに小春が突っ込んだ。同時に、ゆっぴのスマホカメラのシャッター音「ヘル」が鳴った。ゆっぴはにこにこと嬉しそうにスマホを弄る。
「うぇーい。加工おけー。これモンスタグラムにアップしていい?」
「ちょっと、聞いてんの?」
小春が尖った声を出すも、ゆっぴはミルクレープにフォークを差し込み、大きな欠片をわくわく顔で口に入れた。
「おいしいー! 最高なんだけどー!」
そしてもうひと口分削り取り、それを勢いよく小春の口に突っ込んだ。
「どう? このミルクレープ!」
突然生クリームとクレープ生地の塊が口に飛び込んできた小春は、しばらく呆然と固まっていた。ゆっぴがまたミルクレープを掬い、今度は私の方へフォークを向けてくる。
「はい、みことっち!」
「あ、ありがとう」
とりあえず、貰っておいた。口の中に入ったミルクレープは、きめ細かい生クリームが舌の上で溶けて、折り重なる生地が柔らかくしっとりしていた。
「わ、おいしい」
「ねー! いちごプリンケーキも食べる?」
ゆっぴはミルクレープを食べ終わらないうちに、隣にあったピンク色のケーキにもフォークを入れた。いちごプリンのケーキは、スポンジケーキの上にいちごプリンがムースみたいに載っているケーキだったのだが、これもまたぷるぷるしていてミルク感が強めでおいしい。
「ハルルも食べて食べて。チョコタルトも、ほらほら」
ゆっぴがチョコタルトを皿ごと小春に勧めている。小春は困惑気味に受け取り、皿に添えてあったフォークを手に取ると、ひと口大に削った。それを自分の口には運ばず、ゆっぴに持っていく。
「あんたが注文したんだから、私が先に食べるのはしのびない。はい、先にひと口」
「やったあー! ハルルからのあーん!」
ゆっぴはテーブルに身を乗り出して、小春のフォークからタルトにぱくついた。なんだか、動物の餌やりの光景を彷彿させる。もぐもぐするゆっぴが目を輝かせ、口を片手で押さえて私に目配せしてくる。チョコタルトを指さして、なにか訴えている。多分、「すごくおいしかったから食べてみて」と勧めているのだ。
彼女のジェスチャーを受け、小春がもうひと口分のチョコタルトを掬い、フォークを私に突き出した。
「はい」
「うん、いただきます……あ、おいしい」
外側は少しビターなチョコレートクリームでコーティングされている。だがそれだけでなく、内側にこってりした甘さのガナッシュが包まれていて、口の中でとろけ合う。
小春も同じケーキを口に運んで、んん、と感嘆を洩らした。
「これ、いちばん好きかも」
「あたしミルクレープかなー」
ゆっぴが引き続きミルクレープを食べ進める。いつの間にやら、私と小春はすっかりゆっぴのペースに呑まれていた。
ゆっぴが大きめのミルクレープの欠片を、口に放り込む。頬袋いっぱいのハムスターみたいな顔で咀嚼して、飲み込んで、彼女はまた口を開いた。
「みことっちってえ、ハルルは親友って言ってたじゃん? んでさ、ハルルはみことっちを観察対象としか思ってなかったわけだけど」
いきなり、話題が戻ってきた。私と小春の視線がゆっぴに集中する。ゆっぴは腕を伸ばして、いちごプリンケーキにフォークを入れた。
「でも、観察対象だったのは単なるきっかけであって、そっから親友になることだってあんじゃね?」
ゆっぴがぱくりと、ケーキを口に収める。小春はフォークを皿に置き、真顔になった。
「そうなの。たしかに私は、最初は深琴が死なない理由が気になって面白半分に観察してただけだった。深琴自身には無関心で無感情だった。でも深琴を知っていくうちに、心からあんたと友達でいるようになったの」
改めて見ると、彼女の真剣な瞳はさながら獲物を見つめる鷲である。でも目力があるだけで、怖い目ではない。
「深琴はいつも危なっかしかった。いつしか自然にあんたを庇うようになって、途中からは意識的に……私は、いつも死にそうな深琴を守ろうと決めたんだ」
そうだ、それだって心当たりがある。先生の手伝いで荷物を運んでいたとき、階段から落ちかけても小春が手を引いてくれた。いちばんに私を隣に置いてくれ、危険が起こる前に回避してくれた。
小春は、たしかに私を守ってくれていた。それは私が誰より実感している。
「深琴が上京すると聞いたとき、守る人がいなくなったらあっという間に死ぬんじゃないかと思った。私以外に、誰かがタイムラインで深琴を知って、こんなふうに悪魔が死なせに来るかも、とも考えた」
紅茶の水面に、照明が映り込んできらきらしている。
「けど深琴って、案外私がいなくても死なないし、これまでも誰も深琴のタイムラインに気づいてなかったじゃない? 張り付いてる私の方が依存してるだけかもって思ってさ。だから私は地元に残ったの」
小春の声は、ぽつぽつと消えかけていたが、芯はしっかり通っていた。
「興味本位で近づいた私が、こんな虫のいいこと言ったって、信じてもらえないかもだけど。でも、これだけは言わせて」
彼女はひと呼吸おいて、改めて言った。
「私は、深琴に生きててほしい」
小春は私の体質に興味があっただけ。でも、心からの友人として付き合っていてくれたのも真実だ。それに、なにが明らかになっても当時私が感じていた楽しい時間は嘘にはならない。彼女が近づいてきた理由がどうであっても、小春が怪物だったとしてもだ。
「小春は私が死なないように守っててくれたんだね。小春が人間じゃなかったくらいじゃ、感謝の気持ちは壊れないよ」
「そうそう。ハルル、みことっちが許すって言ってんだから良いんだよ」
なぜかゆっぴが乗ってくると、小春がじろっとゆっぴに視線を向けた。
「あんた、さっき私が深琴を騙したみたいに言ってたじゃん」
「それが悪いとは言ってないもんね。知られたくないこととか、知られない方が楽なことはあって当然じゃね? なんでもひけらかせばいいってもんじゃない」
ゆっぴはにんまり笑うと、小春の手前にあったチョコタルトにフォークを入れた。
「親友でも、相手の気持ちなんでも分かるわけじゃないじゃんな。知らないことがあったっていいんだよ」
チョコタルトの欠片が、ゆっぴの口に消える。小春は数秒、無言になった。おいしそうに食べるゆっぴを眺め、それから私に向き直る。
「あのさ、深琴。ごめん」
「もういいって……」
「じゃなくて。なんか私、あんたの面倒見てる気になって、支配的になってた。あんたはあんたで、ひとりでも大丈夫なのに。そう分かってたから、上京するって聞いてもしつこくしないで送り出したのに……そのときの気持ち、忘れてた」
小春はひとつ、まばたきをした。
「仕事、辞めなよなんて口出ししちゃった。なにかと心配だけど、でも、あんたはあんたで頑張ってるんだよね。傍目に見たら今すぐそんな会社辞めてほしいけど、それは深琴が決めることで、私が命令するものじゃない。深琴が決めた深琴の生き方を、応援するよ」
「はは……そんな大層なものじゃない、けど」
そうか。小春も自分で気づいていたのか。
私が決めたといっても、流れに乗って就職しただけでなにかがしたい意思はなかった。でも、なんとなく辞めたくないというのは、一応私の意思である。
小春は冷めた紅茶をひと口啜り、キッと目を上げた。
「でもでも! あんたの会社変だからね。体壊したら元も子もないんだから、 辞める気になったらちゃんと辞めなさいよ。自由とは同時に自己責任なんだから」
「分かってる分かってる。ありがとう」
やはり小春は、面倒見のいい姉のような人だ。このお節介なくらいの世話焼きが、ちょっと鬱陶しくて、でもそれだけ想ってくれているのが伝わってくるからほっとするのだ。
*
それから一週間後。
早めに仕事を上がれた日、アパートの隣の部屋に、引越し業者が入っているのを見かけた。隣が空き家だったことすら知らなかったが、どうやら近いうちに誰かが引っ越してくるらしい。
廊下を歩いていると、開けっ放しの扉から業者と隣人らしき人のやりとりが洩れてきた。
「鷲下さーん、こちらの棚はこちらに置きますよ」
「はーい。お願いします」
その声に、あれ、と立ち止まる。すると、扉の向こうから凛とした横顔が覗いた。艶のある栗色のボブカットに、すらりとした指先。向こうも、こちらに気づいた。
「あっ、深琴」
「小春!?」
仰天する私に、小春はへらりとした笑顔で手を振ってきた。
「今日からお隣さんだよー。よろしくね」
「引っ越してきたの?」
「だって心配なんだもん。挨拶に行こうと思ってはいたんだけど、あんたずっと留守でさ。仕事がんばりすぎじゃない?」
「心配って……私の生活は私の責任に任せるみたいなこと言ってたのに?」
こんなの聞いていない。小春はジト目になって声を低くする。
「仕事のことはね。でも、大事な親友がバカそうな悪魔に取り憑かれてて、放っておける奴いる?」
ゆっぴか。私は呆然と立ち尽くし、数秒口をあんぐりさせていた。小春は拳を腰に当て、前屈みになった。
「誤解しないでね、深琴に張り付くつもりはない。私が監視するのは、あの悪魔の方。あんなの私が追い払ってやるわ」
なんとまあ、心強いやらお節介やら。急すぎるやら。と、目をぱちくりさせる私の両肩に、ぽんと軽い衝撃があった。
「へえー、宣戦布告とはいい度胸だね」
振り向くと、顔のすぐ横にゆっぴの横顔があった。私の肩に両手を乗せて、翼をぱたぱたさせている。足を浮かせて、空中でうつ伏せになっている。いつから後ろにいたのだろう。ゆっぴは神出鬼没である。
小春の顔がきゅっと険しくなった。
「出たわねギャル悪魔。ゆっぴって言ったっけ? あんたの好きにはさせないから」
「あたしの邪魔をしようとかムリムリでワロじゃん。あたしの方が最強だし」
「あーもう、そのスカスカな挑発、腹立つ!」
子供みたいな喧嘩をするふたりに挟まれて、私は間抜け面で固まっていた。




