小春の正体
嘘をついているとは到底思えない、真剣な瞳だった。真顔の小春が、言いづらそうに続ける。
「こんなの、話しても信じてもらえるとは思ってない。思わなかった。敢えて言うことでもないし、言ってなかった」
頭の処理が追いつかない。
「まさかこんなタイミングで暴露しちゃうとは。深琴が悪魔に憑かれてるなんて想像もしてなかったから、つい……」
小春が、人間ではなかった? 高校時代ずっと傍にいてくれた、私を見守っていてくれた親友が、人間ではない?
そんなわけがあるか。小春は私の親友で、人間だ。大体、魔界なんてそんな非現実的な話は信じない。
……と言いたいところだが。
「やば! ずっと隠してた感じ? ウケるんですけど」
私の座るソファに滑り込んでくるこのギャル……ゆっぴは、まさにその非現実的な存在である悪魔だ。小春が素っ気なく言う。
「隠してたわけじゃない、言わなかっただけ。逆に、人間だとも言ってない。嘘はひとつもついてないよ」
「えっ、なになに、ハルルって魔物? 怪物? 待って、当てる当てる! えーっとお、きれいな顔してるからサキュバス? あっでもエロくはないな。美人だけど天使系の顔つきじゃないから、鬼か妖怪か、もしくは精霊か……」
勝手にわくわく考えを巡らせているゆっぴに、小春は観念したような顔で回答した。
「ハルピュイア。コンプレックスだから、あんまり言いたくないんだけど」
「ああ、ハルピュイア! マジ!? 初めて見た。怪鳥かあ、分かんなかったわ。え、だってお茶きれいに飲んでるしー、全然ハルピュイアっぽくなーい」
ゆっぴが両手をバチンと合わせて裏返った声を上げる。私はまだ、置いていかれていた。おずおずと、小春に問いかける。
「ハルピュイアって……?」
すると小春より先に、ゆっぴが答えた。
「怪鳥! 下品で汚くて、ヤバヤバなやつ!」
「ちょっと! 何百年前のイメージよ。そうやってデリカシーのない奴らにバカにされ続けたから、今時のハルピュイアは汚名払拭のためにマナーを身につけてるの」
小春が鬱陶しげにゆっぴを睨み、またため息をついた。
「ったく、そういう先入観があるから、種族自体がコンプレックスだってのに」
「あれ、そうなん? ごっめー」
「下等な魔物なのは認めるけど、あんたたちみたいな低級悪魔も変わんないでしょ。お気楽主義のバカばっか」
「言えてるー!」
ゆっぴはけらけら笑って否定しなかった。
ふたりの会話がどんどん進み、私はより一層分からなくなってきた。まず、小春が人間ではなく、怪物だった。そこから既に呑み込めない。
とはいえ、困惑しているのは小春も同じだ。
「で、あんたはなんなのよ。悪魔なのは分かるけど、深琴をどうするつもり?」
「よくぞ聞いてくれた。あたしは悪魔として、みことっちを死なせに来たのだ! 望みを三つ叶えて、魂をいただく契りの関係だよ」
なぜかしたり顔のゆっぴを、小春は険しい顔で指さす。
「やっぱり! 深琴を獲物にしてるのね」
それからくるりと、私の方を向く。
「深琴、あんた悪魔に取り憑かれてるんだよ。こんなの近くにいるのに放っておいちゃだめでしょ」
「う、うん。だめだよなあとは、思ってた」
謎のギャルが家に侵入していた時点で、異常事態である。かわいいから許していただけで。
「でもなんか、なんやかんやでそのままにしてて……」
「それが『取り憑かれる』ということなの!」
小春は神妙な面持ちで、焦り気味の声を出す。
「普通だったら、こんなのに付きまとわれたら警察に相談するでしょ?」
「あ、たしかにそうだ」
ゆっぴの存在は、頭ではおかしいと分かってたのに、追い払いはしなかった。むしろ当たり前のように会話をし、仲良く買い物をし、一緒にごはんを食べていた。おかしいことなのに、気持ちが受け入れてしまっていたのだ。
「まあ、悪魔を警察に突き出しても絶対消えて逃げるから、深琴がぼんやりしててくれたおかげでひとつ厄介事は免れたわけだけど……」
小春が深くため息をつく。
「深琴は無意識のうちに、この悪魔に取り憑かれてたんだよ。このままじゃどんどん不幸になっていくよ」
「あー……」
私は伸びた相槌を打ちながら、周囲を見渡した。小春のこの発言は、傍から見たら怪しいカルトへの勧誘に聞こえる。
ゆっぴはテーブルに肘を乗せて、小春に前のめりになった。
「でもでもー、あたしがみことっちに憑いたのはわりと最近で、まだ作戦の途中だし。みことっちが何回も死にかけてるのとか、命を削るようなブラック企業に就職したのとかは、あたしの仕業じゃないよ」
彼女はひょいと、ポケットからスマホを取り出した。
「あの世タイムライン見てて、みことっちを知ったの。三歳で死ぬはずだったのに未だに生きてて、完全に理に反してるからさあ。終わらせてあげないとと思ってえ」
「それも深琴に話したの!? で、深琴はこいつの魂胆を知ってて放っておいてるの?」
小春が青ざめる。私は肩を竦めて苦笑いした。
「いやあ、ははは。悪魔だけど悪い子じゃないからさ」
あまりに好きなタイプだったから、とは小春には絶対に言えない。小春は大きくため息をつき、腕を組んだ。
「あんたねえ……そうやってなあなあにするから悪魔に標的にされるのよ」
「ねえねえハルル。ハルルもみことっちのタイムライン知ってた?」
ゆっぴが無邪気に訊ねる。小春は鬱陶しげに苛立った声で返した。
「当たり前でしょ。だから同じ高校に潜入したんだもん」
一瞬、聞き間違えかと思った。
「深琴を見つけたのは、あんたより私が先。私が先に、深琴をロックオンしてたんだから」
「えっ?」
今、なんて言った? と聞き返す前に、小春は突き進んでいく。
「なにがあっても全然死なない深琴を発見して、気になって近づいたの。一体何者なんだろう、って。私の場合は、あんたとは違って正体隠してたけど」
私はぽかんとした顔で置き去りにされていた。小春は人間でなくて、しかも私が何度も死にかけているのを知って、好奇心で寄ってきていた……?
信じがたい情報が一気に流れてきて、頭が処理を拒んでいる。
ゆっぴは、ふうんと鼻を鳴らした。
「てことは、ハルルはみことっちを、ずっと騙してたの?」
ゆっぴの問いかけに、小春がぴたりと静止する。ゆっぴは大きな目をぱちぱちさせ、私と小春とを交互に見比べた。
「みことっちは、ハルルのこと心の友と書いてベストフレンドだと思ってたんだよね? でもハルルは、みことっちを観察したかっただけ。みことっちはそんなことツユトモシラズ? ってやつでえ、今の今まで親友だと思ってたわけじゃんな?」
「違……」
小春の顔色が変わる。彼女は慌てて、私を振り向いた。
「違うの深琴! たしかに最初は、興味本位で近づいた。人間と友達になるつもりはなかった。でも、今は本当に友達だと思ってる」
しかし、なにを言われても私の頭には響いてこなかった。
親友だと思っていた小春の、本音を聞いてしまった。彼女は人間ですらない。いや、もはやそれは大した問題ではない。
小春は、私がなぜ死なないのか、そこに興味を持った。つまり、私の傍にいたのは、私が死ぬのを待っていたというわけか。
思えば心当たりがある。通学路で事故に遭うときも、学校の階段から落ちるときも、隣には小春がいた。小春が私を導いて、私は小春に促されるとおりにしていた。
彼女が傍にいてくれたのは、私を支えるためではない。突き飛ばすためだったのだ。
私を見守っていてくれたのだと、信じていたのに。
小春がなにか言っているが、ショックが強くて全然聞こえない。
小春自身も言っていたとおり、彼女は嘘はついていない。勝手に人間だと、見守ってくれる頼れる相手だと、親友なのだと思い込んでいた私が悪い。
泣きそうになったが、奥歯を噛んで耐えた。でも、この後どうすればいいのか分からない。
と、真横からゆっぴの声が聞こえた。
「すみませーん、注文いい? たっぷり蜂蜜ミルクティーと、あとミルクレープ。それとこのいちごプリンケーキと、チョコタルトとー」
店員を引き止めて注文している。なんてマイペースな奴だ。下を向いている私に、小春がおずおずと声をかけてくる。
「あの、深琴。ごめんね、ずっと騙してて……」
「ううん。騙してないよ、小春は言ってなかっただけ。仮に本当のことを話してくれたとしても、私、信じなかったと思うし……」
ぼんやりする頭で、私はなぜか、小春を正当化しようとした。小春は真剣な顔で首を横に振る。
「今更謝っても遅いよね。だけど私、今日、深琴に会えるの本当に楽しみだったんだよ」
私はというと、小春が慎重になればなるほど、卑屈になっていた。
「生きてて、がっかりした?」
「違う、そうじゃなくて」




