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マイスイート・ハニーデビル  作者: 植原翠/新刊・招き猫⑤巻
Ep.3・ディア・マイフレンド
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世話焼き、ときにお節介

 それから時は過ぎ、私は小春との約束の日を迎えた。

 休日出勤を終えて、定時の六時より一時間も早く切り上げる。前日に仕事を潰しておいたおかげで、早めに上がれたのだ。

 更衣室で着替えて、足早に会社を後にする。向かうは、小春と待ち合わせをしている駅前のカフェだ。


 ゆっぴの姿は、オムライスの日以来見ていない。実は今日迎えるまでに私は、一度車にはねられて、一度流れの速い川に落ちている。だが、こんな死にそうだったにも拘わらずゆっぴの影はなかったのである。小春と会わせてもらえなかったのを拗ねているのか、ぱったり現れなくなったのだ。

 内心とても寂しいけれど、おかげで残りふたつの望みをうっかり言ってしまう心配もなく、今日を迎えられた。


 駅前のカフェに着く。ガラス窓越しに、窓際のソファ席に座っている懐かしい横顔が見えた。栗色のボブカットに、大きめのピアス、凛とした瞳。私はより、駆け足になった。

 店の扉を開けると、彼女の方も私に気づいた。ソファから立って、こちらに手を振る。


「深琴! こっちこっち!」


 アイボリーの春らしいニット、すらりとした脚を包むスキニーのデニム。小春は、あの頃よりもさらに格好いいお姉さんになっていた。


「小春、久しぶり。元気そうで良かった」


 早足で彼女の席へと向かう。小春は手を伸ばしてきて、私の手のひらと手を合わせて指を絡めた。


「深琴も。なんか聞いた感じ仕事がハードそうで心配なんだけど、大丈夫なの?」


「生きてるからセーフ!」


 私は握手した手を上下にぶんぶん振った。再会の喜びで興奮してしまって、感情のままに手を揺すってしまう。小春はおかしそうに笑って手を握り返してくれた。


「あんた、なにかと鈍くさいんだから、ぼんやりしてる内に過労死したりしないでね?」


「あはは、まさかそんな。人はそう簡単にへ死なないよ」


 笑って誤魔化したが、ぼんやりしてる内に過労死、つい数日前にしかけている。ゆっぴのタイムラインによれば、もっと何回も死にかけている。

 私も席に座り、小春が先に頼んでいたのと同じ紅茶を注文した。小春が尋ねてくる。


「仕事、忙しそうね。どこに勤めてるんだっけ?」


「斜築商事!」


「大手じゃん」


 小春は苦笑気味に言った。


「ネットで話題のブラック企業ランキングで、『最大手ブラック』って皮肉られてたよ。大丈夫なの?」


「そうなんだ、知らなかった。でもそうだと知っても辞められないし……」


 小春の心配性は、相変わらずだ。


「小春は今、なにやってるの?」


「大学出て就職してすぐやめて、今はフリーライター。枠にとらわれるの、合わないみたいでさ」


 しっかり者で自信があり、芯がぶれない。自分の強みを理解しているから、堂々と自由に行動する。彼女らしい生き方だ、と妙に納得した。


「小春、部活の厳しい部則にも反発してたもんね」


「だっておかしいじゃん。買い食い禁止とか、バイト禁止とか。深琴は『そういうものなんだから仕方ないよ』なんて流されてたけどさ。今もだよ、なんで当たり前のように休日出勤してるのよ」


 お互い十年近く久しいので、積もる話が止まらない。仕事の話や学生の頃の思い出話をしているうちに、やがて小春を好いていた男子の話になった。


「小春、結構モテてた記憶があるんだけど、彼氏作んなかったよね」


「あの頃は部活忙しかったからなあ。それに……」


 小春は紅茶をひと口啜り、ちらりと私と目を合わせた。


「それに私は、深琴の方が大事だったんだもん」


 彼女の瞳が私を射貫く。獲物を見つけた鷲のような目付きに、どきりとした。


「深琴はどこか危なっかしくて、目を離せなかったのよ。すぐ怪我するし、よく分からん不運に見舞われるし。私が見張ってないと……って」


 小春は頼れる姉のような存在だった。しょっちゅう危険な目に遭う私を支えるように、寄り添ってくれる人だった。


 自分の恋愛対象が同性だと気づいたのは、小春がきっかけだった。傍にいてくれる小春の強さと優しさ、しなやかな身体つきに、私はドキドキさせられた。

 小春には言えなかったけれど、多分、あれが初恋だった。


「高校卒業したら、深琴は上京するって聞いてさ。正直、あんたをひとりにするのが心配で心配で、私もついて行こうかと思ったくらいなの。でも、そうやってずっと深琴に張り付いてるのも、深琴にとっては良くないから、やめた」


 少し自嘲気味に話し、小春は紅茶のカップを皿に置いた。


「そしたら案の定ブラック企業に搾取されてるし、それをあんまり実感してない。やっぱり誰かが見張ってないと、あんたは危ない。危ないっていうか、危うい」


 それから小春は、じっと私の目を見つめ、ため息をついた。


「あのさ、深琴。もうそんな会社、辞めなよ」


「え……でも」


 私はつい、肩を強ばらせた。


「辞めた方がいいかもとは思う。やっぱ、変だなとは感じてるし。でも、できる仕事が増えてきて、同僚とも上手くやれてるから……」


「それでも組織のやり方がおかしいよ。社員を使い捨て扱いして、人間と思ってない。深琴ならもっといい仕事あるよ。辞めなよ、そんな職場」


 小春はやはり、しっかりしている。自分の考えをちゃんと持っていて、自信を持って私に伝えてくれる。いつも私を見守っていてくれる小春が、私を想ってこうアドバイスしてくれている。

 でも、私は小春のこういうところが、昔から少し苦手だった。


 彼女の発言は正論なのだろうけれど、私自身が選ぶものまで小春が決めてしまっているような、そんな感覚。


 私は少し俯き、カップの中の紅茶の赤い円を見つめた。


「辞め、たら、私はどうしたら」


「他の仕事に就く。経験を買ってくれる会社を探すも良し、私みたいにフリーランスも良し。結婚するというのもありじゃない?」


 しっかり者で自信があり、芯がぶれない。自分の強みを理解しているから、堂々と自由に行動する。仮に私が仕事を辞めた場合、次にどう行動すべきかのルートを、すぐに複数挙げられる。小春自身も転職を経験し、成功した。彼女が選択した道に間違いはなかった。


「どうしたの、深琴。変えないと、変わらないよ?」


 そうだ、小春は正しいのだ。小春の言うとおりにすれば、私も間違えない。

 だというのに、踏み出せない。


「私も、変えたいとは思うんだけど」


 私は小春のように強くないから、小春のようには決断できない。


 小春は強くてかっこいい。だから彼女のことは好きだ。でも、彼女のその長所は時に息苦しさを感じさせた。

 だから正直、自分が上京し、小春が地元に残ると知ったとき、安堵した。この不格好な初恋に、もう囚われなくていいのだと。


 半端はところで言葉を止めた私を、小春は呆れた顔で、数秒見ていた。いたたまれなくなり、私は小さく頭を下げる。


「ごめん、折角助言してくれたのに」


 こんな気まずい空気にしたかったわけではない。どうしよう、と目を泳がせていると。


「みことっちー!」


 突然、元気のいい呼び声が店内に響き渡った。私と小春は、ぎょっと店の入口に顔を向ける。そこにあったのは、蜂蜜色の髪に真っ黒な翼、膝上三十センチのプリーツスカート、紛れもなくゆっぴの姿だった。


「なんで!?」


 ここのところ現れなかったから、油断していた。ゆっぴは翼をぱたぱたさせて、こちらへ駆けつけてくる。


「さっき外歩いてたら窓からみことっち見えてー、突撃しちゃえー! みたいな?」


「ゆっぴ最近来てなかったじゃん! 叱られて拗ねてるのかと思ってたよ」


「ん? 叱られた? いつ?」


 テーブルにやってきたゆっぴは、キョトン顔で首を傾げている。


「あたしは単に、魔界でライブがあったからしばらく魔界にいたってだけで……あっ、もしかしてみことっち、あたしが来ないから寂しかった系!? やばーあたしのこと好きすぎかよ」


 私に「来ないで」と言われた程度では、ゆっぴは全然堪えていなかった。今、それ以上に問題なのは。私はちらりと目線だけ動かして、向かい合うソファを確認した。

 唖然とした顔で固まる小春が、ゆっぴを見上げている。

 またゆっぴに向き直り、私は彼女の腕を掴んだ。


「どうして来ちゃったの。来ないでって言ったのに!」


 小春になんて説明したらいいのか分からないから、会わせたくなかったのに。しかしゆっぴは少しも動じない。にぱっと顔を輝かせ、小春を振り向く。


「そういえばそうだった! てことは、この人が例のハルル? どうもー! あたしゆっぴ! みことっち観察中の悪魔だよー!」


「ゆっぴ、もう黙って」


 ゆっぴが喋れば喋るほど、事態がややこしくなる。青ざめる私の横で、小春が口を開いた。


「あ、あんた……」


 震える声が、怒声に変わる。


「地上で翼を出してるなんて、なに考えてんのよ!」


 私は「ああもう誤魔化せない」と頭を抱えた。そしてあれ、と耳を疑う。もう一度、小春に顔を向けた。


「人間にはないパーツを露わにしてると、余計な騒ぎを起こして面倒なことになる! そんなの常識でしょ。誰からも教わらなかったの?」


 私はしばらく呆然としていた。小春が、なんだかズレた発言をしている。


「あんたみたいな教養の足りない低俗魔族のせいで魔界そのものの品格が問われるのよ。この低級悪魔!」


「んー、でもこの翼、あたしのチャームポイントだし。え、てかさ、てかさ」


 ゆっぴが黒い翼をふよふよする。


「ひょってしてハルルも、魔界から来た系?」


「はあ? 私は……」


 そこまで言って、小春はハッと青ざめた。店内を見回し、他の客や店員の反応を確かめる。大声に驚いた人々が、ちらちらとこちらを気にしていた。小春は肩身が狭そうに首を竦め、それから恐る恐る私の顔を見る。私は、まだ唖然としていた。


「こ、小春……?」


 聞き間違えではない、と思う。今たしかに、小春の口から彼女らしからぬ情報が飛び出した。まるでゆっぴが口にするような、非現実的な異界の常識。

 彼女は数秒沈黙し、紅茶に口をつけた。そして目を瞑り、再び開けた目で真っ直ぐ私を見つめた。


「今まで黙っててごめん。実は私、人間じゃなかったの」

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