8歳
「こんなところにいましたか」
ミスティアが感傷に浸っていると、背後からヒュドラが歩いてきた。彼女は両手でたたまれた毛布を抱えていて、言葉とは反してミスティアの居る場所を知っていたようだ。
「ミスティア、そんな薄い服一枚だと風邪ひきますよ。夜は冷えるんですから」
ヒュドラはそう言いながら毛布を広げ、ミスティアの体にかけてあげる。
「ありがと」
ヒュドラは腰に差した刀を横に置き、そのままミスティアの隣に座る。
「ミスティアがここにいるということは、何か考えていたんですか?」
ミスティアは何か深く考えるときは夜星を眺める癖がある。そのため夜はこうして星を眺めることが多いのだ。
「まあね。……ちょっと小さい頃のことを思い出してて」
「小さい頃……もうそんな経つんですね」
ヒュドラは遠くを見つめる。ヒュドラにとって昨日まで赤ん坊だったミスティアが、こうして立派に成長していることがうれしくてたまらない。
ただそこまでの道のりは決して平坦ではなかった。生まれつき足腰が悪いことも然り、そして操術の覚醒したあとも――。
ミスティアの暴走から数日後、検査によって正式に操術があることが判明した。その上で歴代最高の素質を持つと口々に言われ、そのことは領内のみならず世界中に広まった。
その日を境に他貴族からのウラヌス家の評価はガラリと変わった。
貴族らしからぬ行動へのバッシングばかりだったのが一瞬にして称賛の雨だ。
中でも「そんな出来損ないはさっさと他の貴族に流しちゃえば?」ととんでもない物言いをしていたとある貴族がそのニュースを聞いた途端「娘にそのような素質があることを知っていたから今まで大切になされていたのですね!その聡明な性格に私、感服いたしました!」なんて抜かしていたのはさすがのヒュドラも呆れすぎて額に手を当てて沈黙してしまっていた。
ただ印象が良くなるのは必ずしも良い傾向に傾くとは限らない。ミスティアに対する縁談が持ちかけられることが増えたのだ。
以前も立場が弱くなってしまったウラヌス家に対して付け込むような話はあったのだが、それ以降縁談は10倍以上に膨れ上がった。
強い操術師の子が強い操術師になるという根拠は一切ない。しかし身内に強い操術師がいるのは大きなアドバンテージになるため、何としてでも手中に収めたい貴族や富豪が乗り込んでくることもしばしばあった。
しかしそんな不届き者はハウンドウルフに怖気づいて逃げ出すため成功した例は極々僅か。仮に乗り込みに成功してもヒュドラがお引き取り願うためミスティアにたどり着くことはない。
そんな日々が始まってから2年。ミスティアは当時8歳の時だ。
2年にも及ぶ操術の訓練の末、ミスティアの操術は他の操術師のものと比べ一線を画すものになっていた。
指を動かせばその方向にベクトルを変換することができ、対象に向けて開いた手を握ればその対象を自壊させ圧縮する。自力では動けないという弱点はあるものの、それを差し引いても協力無比であることは変わらない。
そんなミスティアの操術の指導は様々な人が行っているが、時間があるときはウラヌス当主自らが指南することがある。彼自身も操術師であり、その実力は国内で屈指と名高い。
ウラヌス当主はサラサラした黒い長髪を後ろで束ねた長身の男だ。既に三十路を超える年齢でありながら顔立ちは若々しく、見た目だけで言えば20代前半といったところ。
車椅子に乗ったミスティアを連れ、当主は宮殿の裏庭にある訓練場に来ていた。地面は白い砂で覆われ、宮殿側から見て正面に的、左側に小屋が建っている。
訓練場の中心に二人は移動し、そこで操術の訓練を行う。訓練場の外周には若いハウンドウルフが数体、寝転がりながら様子をうかがっていた。
「何度も言ってると思うけど、操術の肝はイメージだ」
そう言ってウラヌス当主はミスティアに言いながらクナイを手首のスナップだけで投げる。投げられたクナイは常識では考えられない速度で、爆音を轟かせながら飛翔し的の中心に刺さった。
ミスティアは感嘆の声を出しながら拍手する。
当主の操術は【加速】。中でも自らが動かした物体の加速度を弄るというものだ。
「私は今、クナイを銃弾のイメージで投げた。操術というのはイメージの力。今何をしたいのか、それを強くイメージするんだよ」
「はーい」
ミスティアは人差し指をおもむろに前に出し、ゆっくり上にあげた。
すると彼女の背後で、一体のハウンドウルフが異変を感じたのか即座に立ち上がり、キョロキョロと周囲を警戒する。
ミスティアはある程度指を上げたところで一気に腕を真上に持ち上げる。すると異変を感じていたハウンドウルフが上空に打ち上げられるように落ちていった。
当主は後ろを振り向いて空を見上げる。打ち上げられたハウンドウルフはバタバタと暴れながらギャンギャン鳴き喚いている。
「これくらいでいいかな」
ミスティアはゆっくり腕を下におろす。すると上昇し続けていたハウンドウルフはそれに対応してゆっくりと地面に向かって落下する。
「……ほう」
当主は思わず関心の声を漏らす。ハウンドウルフの落下速度は徐々に落ちていき、着地にはほとんど衝撃がなかった。
浮かされたとは別のハウンドウルフたちが飛ばされたハウンドウルフを煽るように周囲を回る。初めはガクガク震えていたが、その行動が鬱陶しくなったのだろう、飛ばされた個体は威嚇して回るやつらを追いかけ始めた。
「上に飛ばすときは磁石の反発、下ろすときは鳥の着地をイメージしてやってみたけど、どう?」
「うん、いい感じ。もしイメージが難しい時は、技に名前を付けてその時に技名を言うのも効果的だよ。中には詠唱する人もいるけど、詠唱は時間がかかるのがネックかな」
当主はミスティアの成長に喜びつつも、まだまだ伸びしろがありそうな様子に一層の期待をかける。
操術の訓練は主に二つ。一つは精神力を鍛えるメンタルトレーニング、もう一つは操術の精度を上げるイメージトレーニングだ。
現在ミスティアはそのうちのイメージトレーニングを行っている。ミスティアの操術は非常に自由度が高いため、自由な想像力が不可欠だ。これを怠ると思うように操術を扱えないばかりか、操術の暴走を引き起こしてしまいかねない。
「今日は一日中ミスティアとつきっきりで訓練をさせてやれる。だから気合を入れて頑張れ!」
「うん!」
ミスティアは、今度は目の前に置かれたクナイを浮かせ様々な方向に飛ばす。果ては丸に星型、ハウンドウルフのシルエットをクナイの軌道で描き出した。
当主は腕を組みながらその様子を微笑ましそうに眺める。一見適当に遊んでいるように見えるが、イメージトレーニングはこうして積極的に操術を使って遊ぶことで成り立つ面が大きい。子供は遊んで学ぶというが、それは操術も同じだ。
その時一体のハウンドウルフが宮殿から走ってやってきた。口で黒い受話器のようなものを咥えていて、そこからしきりにベルの音が鳴り響いている。
「通信か?貸してくれ」
当主はハウンドウルフから受話器を受け取り耳にあてる。
「ウラヌス領領主――」
『領主様!休暇中失礼だと思いますが、至急シャリオン北西門前にお越しください!』
当主の声を遮り、慌てた様子で通信先の男は言う。本来は不敬だと罰するべき案件だが、当主はそんな男を落ち着くようなだめつつ理由を尋ねる。
『エグザイルが現れました!』
エグザイル。リヴァティンの森での縄張り争いに負け、森の外を徘徊する魔物の総称だ。
「エグザイル?そういう個体は通常のものより弱いから軍内部だけで対処できるよう鍛えろと命令していなかったかい?」
『も、申し訳ありません。ですが今回現れたのはニーズヘッグです!』
「ニーズヘッグ!?なぜそんな魔物がエグザイルなんだ!」
当主は大量の冷や汗を流し、受話器を握る手が震える。
(ニーズヘッグは一夜で街を灰燼に変える魔物だぞ!いくら通常より弱いと言っても、現在のシャリオンの軍備では勝ち目がない!)
この一瞬で圧し掛かる多大なストレス。唐突に襲い掛かる滅亡の危機に当主は発狂しそうだ。
「他貴族への援軍要請は頼めるのか?」
『もう既に。着くのは数日かかりそうです。ですが……』
沈黙が走る。これ以上は聞きたくない、そんな子供のような感情が彼の頭の中をグルグルと駆け巡る。
『ですが、ニーズヘッグの進行方向には当主夫人がいらっしゃいます。援軍待ちでは……到底間に合いません……』
相手の声が酷く震えている。こんな事実は彼も伝えたくなかっただろう。だがそれは紛れもない事実。伝えなければ何も始まらない。
当主は下唇を噛む。後ろで心配そうに見ているミスティアに弱いところなど見せられないからだ。
「今からそちらに向かう。それまでに機甲部隊と操術師部隊を用意をしといてもらいたい」
『り、了解しました、サー!』
いそいそと通信が切られる。当主は受話器を隣でお座りして待っていたハウンドウルフに渡すと、後ろを振り返り彼を見つめるミスティアの前でしゃがむ。
「ごめんミスティア、お父さんは今から大事な仕事が入ってしまったんだ。今日の夜までには戻るから、操術の訓練の続きをしてて。付き添いにヒュドラをつけるから」
感情を極力殺して当主は言うが、言葉に優しさに対して声色は暗い。それをミスティアに見通されてしまったようで、今にも引き留める言葉を発しそうになるのを無理やり抑えているようだった。
「うん。……戻ってきてね」
そうして絞り出した言葉は余りにも弱々しい。
当主はおもむろにミスティアの頭を撫で、静かに首肯する。
そして当主は立ち上がり、宮殿へと歩く。
「ヒュドラ」
「——ここに」
当主の呼びかけに呼応してヒュドラがどこからか現れる。ヒュドラは当主の見せる悲壮な表情にある程度を理解したのか多くは聞こうとしない。
「魔物の討伐に出る。——ミスティアを頼んだ」
「わかりました」
ヒュドラは当主とは反対方向に歩く。当主の声にならない叫びを、聴覚の鋭いヒュドラは聞き逃すことができなかった。