4話目
「今だから言いますけど、俺に一般常識がないとフェリシアは言いましたがフェリシアも大概ですよ?」
「なに!?」
「ほら、すぐに感情的になるじゃないですか。図星なんですよね」
「…、小さいころはあんなに愛い子だったのに…。怖い夢を見た時なんて一緒に寝てって言ったベリルはどこに…」
「うわああああ!」
「うるさい!」
ベリルがフェリシアの元に来て十一年。ベリルは精悍な青年へと成長していた。
かつて棒切れのようだった身体はしっかりと筋肉がつき、痛みぼさぼさだった灰色の髪は艶々と輝きを放つようになり、宝石のような赤い瞳は昔よりも少しだけ濃くなり、不思議な色気を感じさせるようになっていた。
「第一、一緒に風呂くらいいいじゃないか。ベリルは洗うのが上手なんだから」
「俺はもう十七ですよ!? フェリシアだって子供じゃないんですから、いい加減急に入ろうとするの止めてください!」
「気にしすぎだろう? それにずっとベリルを洗ってきたんだから今度は洗ってくれてもいいじゃないか」
「何言っているんですか!! 確かにフェリシアは俺が来た頃から姿形変わっていないですけど、俺は成長しているんです!! 少しは恥じらいを持ってください!」
「……まぁ、あの小汚い子リスではなくなったね」
「何年前の話をしているんですか…!」
「恥じらいだなんて…今更だろう?」
「今更ではありません…!! 本当に勘弁してください…!」
ベリルは全力で返していたせいか、肩で息をする。そんなベリルを、フェリシアは全くもう、と言わんばかりに見ていた。全てフェリシアの所為なのだが。
「そんなことより、頼まれていたものは出来た?」
「そっ…、出来ています…。念のため数の確認をお願いします…」
これ以上話を続けても意味がないことに気づいたベリルは、疲れをどっと感じながらも答えた。
「わかった。問題なければ持って行っていいからね」
「わかりました」
現在、ベリルは定期的に森の外にある村に薬草を卸に行っている。それはフェリシアもずっとしていたもので、老人ばかりの小さな村の人からは魔女殿のお弟子さん、とまで呼ばれるようになっていた。ちなみに、ベリルの生まれた村ではない。
「それにしても…フェリシアは本当に幾つなんですか?」
「前にも言ったでしょう、覚えてないと。それに女性に年を聞くのは失礼じゃないの?」
「ははっ…フェリシアが一般的な女性ではないことくらい誰にでも分かりますよね?」
「…本当、イイ性格に育ったものだ、私の弟子は」
「お褒めに預かり光栄です」
口ではこう言うものの、ベリルはフェリシアに多大なる感謝を抱いている。あの時、フェリシアが自分を見つけてくれなかったら今の自分がいないことも理解している。
小さかったベリルは、自分が何も知らないことを知った。魔法や魔女、国のことなど、何一つ知らなかった。一般常識においてはフェリシアが微妙だったのは確かだが、それ以外の知識は豊富だった。
ベリルは、魔力持ちで生まれた。そして魔力を持つ人間の色彩は、黒や茶、といったものでは生まれない。金や青などの色で生まれることが多いのだ。そしてベリルは比較的に珍しい赤で生まれた。しかしベリルのいた村では魔力もちなどほぼ生まれることはなく、誰も魔力についての知識はなかった。その為、ベリルは迫害されたのだと今ならわかる。
「…フェリシア、本当にあの部屋は掃除しなくていいんですか?」
「また言うの? あそこは大丈夫。私がちゃんと掃除している」
「…」
ベリルの言う部屋というのは、この家に来た当初から入ることを禁じられた部屋のことだった。常に鍵がかけられており、フェリシアがいつ入っているのかもベリルは知らない。そして、フェリシアは杜撰な部分がある。ベリルがある程度大きくなってからは、家の家事はベリルが行うようになるほどには。
「あそこは危険なものがたくさんあるんだよ。そのうち…教える」
そして、フェリシアはその部屋のことを話すときだけは、いつもの明るさがなりを潜める。大人びた、というのは違うのかもしれないが、いつもと違った神聖な空気を持つのだ。
「…そうですか。いずれ教えてくれるならいいんですけどね。さ、食事の用意が出来ましたよ。食べましょう」
「今日は何?」
「村で肉を少し分けてもらったので、それを煮込んだものです」
「やった!」
フェリシアは嬉しそうに席に着く。その様子を見たベリルは、仕方ないかと言わんばかりに息を吐くを料理を皿に盛りはじめた。
「…それにしても、フェリシアのその髪は邪魔じゃないんですか?」
「ん?」
フェリシアと暮らし始めて十一年。ベリルは一度としてフェリシアの瞳を見たことがない。教えてもらった通りであれば、フェリシアの瞳も自分や教えてもらった通りの色なのだろう。だが、フェリシアは頑なに髪で目元を覆っている。その所為で皿に髪が入ることなんてしょっちゅうだ。
「慣れているよ。それにこの方が安心するんだ」
「でも、何回も髪の毛一緒に食べていますよ」
「う…気にするな!」
「まぁ、フェリシアがどうしても嫌だというのであればいいですけどね」
「うんうん、もう十一年にもなるんだからいい加減諦めておくれ」
ベリルは、きっとフェリシアには目元か額に酷い怪我をしているのだろうと思っている。いくら一般常識が欠如し、人の風呂に乱入しようとしてきても、流石に気にしているのだろうと。いつか見せてくれたらいいとは思っているが、無理矢理見るほどのことでもない。それによってフェリシアが傷つくほうが問題だ。
「あぁ、そういえば今日は集会があるんだ」
「? 集会ですか?」
「そうそう。いい加減顔を出しに行かないとならなくてね」
「それは俺も行くんですか?」
「すまない、ベリルは行けないんだ。だから夜は家を空けるよ」
「わかりました」
今までフェリシアが家を空けたことは一度しかなかった。その時も集会に出かけていった。あの時のベリルはまだ小さくて、早く帰ってこないものかと思った。
「それで簡単な軽食と酒を用意しておいてくれない?」
「集会に持って行くんですか?」
「そう」
「わかりました、用意しておきます」
「本当、いい弟子を持った」
「はいはい」
そしてベリルは言われた通りに用意をし、フェリシアは日が落ちる頃に外出した。
***
「―――」
フェリシアは軽くぼんやりする頭のまま、自宅へと戻った。
―――また、大分数を減らしていた。その事実が、フェリシアの心をかき乱す。
家に入れば、ベリルは既に寝ているのだろう。灯りはほとんど落とされ、玄関のところの小さいランプだけが淡く足元を照らしていた。
ふらふらとしながらベリルには入るなと言い聞かせた扉の前へと歩く。そして魔法を解除し、するりと入り込んでまた魔法をかけ施錠する。
そこは酷く狭苦しく感じる部屋だった。入ってすぐに棚があり、そこにはたくさんの硝子瓶が整列されている。
魔法でランプをつけると、硝子瓶の中身がキラキラと光りに反射し始める。
「―――久しぶり、みんな」
―――ざわ、さわ
「あぁ、久しぶりに集会に行ったんだよ…。あぁ…また、減っていたんだ…」
―――さわ、さわ
「本当に…悲しいね…。見つけられるかなぁ…」
そこには、フェリシア以外の影はない。硝子瓶の中身が様々な色に輝く。それを見ながら、フェリシアは泣きたい気持ちになる。涙は流れないのだけれど。
「どうして、酷いことをするんだろうね」
―――さわ、ざわ、ざわ
「あぁ、いつか、みんなを紹介したいんだ…。私の可愛い弟子を」
フェリシアは酔った思考のまま目を瞑る。脳裏には灰色の髪と赤い目を持った青年が浮かび上がる。
ベリルは、自分の想像以上によく育ってくれている。文字を教えたら自発的に本を読むようになり、いつの間にか言葉遣いも変わっていた。家事も一生懸命に熟し、今では一人前と言っても問題ないくらいだ。
「でも、紹介するとなると…ね」
フェリシアは常に髪にかけている魔法を解く。右手で髪をかき上げると、久しぶりに裸眼で目の前の光景を見た。
「…そろそろ、教えてあげたほうが良いのかもしれない…あの子は、とてもいい子だから、裏切るようなことをしないと思うんだけどね…」
―――ざわ
「みんなもそう思うかい? …なら、いい加減教えてあげたほうがいいね」
フェリシアには、ベリルに教えていないことがある。
魔女について、根本的なことを。
教える分には構わない。もしこの先、ベリルがこの家から出るのであれば知っておかねばならないものだ。それを教えていないのは、ただ単にフェリシアが心のどこかで恐れているからに過ぎない。
フェリシアは棚に近寄り、硝子瓶を優しく撫でる。
「―――いつか、私も…」
硝子瓶には、二つの丸い何かが液体の中にあった。
ころころとしたそれは、不思議な色合いをしていた。
「―――絶対、見つける」
それは、人の眼球だった。
片手では足りないほどの量の眼球が、様々な色を放ちながらフェリシアを見つめている。
「…生きている方が、もっと綺麗なのにね」
フェリシアの瞳が、宝石のように輝いた。