47話目
「おやおや、本当に面白いことになっているね?」
不意に、その場に知らない声が響いた。
床が光を発し、そこに影が浮かび上がる。そして見覚えのある人物がいることに気づいたフェルディナンドは叫んだ。
「ジュリアス!」
そこには療養中といっていた息子が護衛の男と見知らぬ男と共にいた。それと同時に、女たちの姿も目に入る。その瞳を見て、フェルディナンドは歓喜に濡れそうになる声を押さえるのに必死になった。
「おお! ジュリアス、戻ったのか! それに…虹の魔女!? なんと…なるほどなるほど…療養というのは建前か、国の為に虹の魔女を探しに行っておったのだな!」
何故ジュリアスが失敗してから姿を消したのかと考えていたが、なるほどよくわかった。国の結界の為に新たな魔女を探しに行っていたのか。そうならそうと言ってくれればよいものを、とフェルディナンドは思った。しかし、喜色を見せるフェルディナンドとは一転、ジュリアスは覚めた瞳をしていた。
「―――これは、どういうことですか?」
そう言われ、フェルディナンドは周りの状況を確認した。
「……にじの、ひとみ…!」
腹に短剣を生やし、床に崩れ落ちているイシュエルは憎悪の表情。そしてその横に立ち尽くす彼女の付き人と側近。
「誰か! 誰か! 人殺しよ! 誰かぁああ!」
腕にかすり傷を作り喚く側妃に、手に小さな剣を持ったアデルハイド、そしてその隣に立つアルセイン。正妃は顔色を真っ青にしながらも気丈にその場に留まり続けている。
それらを確認したジュリアスは、なんとなく状況を掴んだ。
「そういうことですか、陛下」
「わ、私は知らん!」
ジュリアスの硬い声に、フェルディナンドは首を横に振りながら自分は何もしていないと主張する。
そんなとき、一言も言葉を発していなかった魔女の一人が楽しそうに話し出した。
「へぇ…随分と面白い…! そうは思わないか、セレーネ」
「そうねぇ、ちょっとだけ予想外だったのもあるけれど、予定調和、っていうやつねぇ?」
「イルミ、セレーネ。今がどういう状況か理解してのことですか?」
「まぁ、ある程度は」
ため息をつくジュリアスに、フェルディナンドはどういうことだ、説明せよと叫んだ。しかしジュリアスはフェルディナンドの言葉を無視してイシュエル達の元へと向かう。
「…ペトラ殿、どうして」
「……もう、こうするしかないのです」
「私たちのことを待ってくれていれば」
「いいえ、いいえ、それでは遅すぎるのです」
「遅すぎる?」
一体何のことを話しているのだろうか。自分に理解できない会話を聞いて、フェルディナンドは苛立ちを隠せなかった。
「ジュリアス! 説明せよと言っておるのだ!」
そんなフェルディナンドに、ジュリアスは一度だけちらりと見るがまた付き人に向き直る。
「遅すぎるというのは?」
「ジュリアス!」
「……私の、憎悪が、消えてしまいます」
付き人は苦しそうに胸元を押さえながら涙を零し始めた。
「ころしたいほどに、憎くございました…なのに、名を呼ばれ、私を、認識され……私は、わたしは…!」
「そうか」
ジュリアスが足元を見れば、そこにはひゅーひゅーと微かな呼吸をしているイシュエルがペトラを睨みつけている。
「お、まぇええええ…恩を仇で返して……! マルシアンヌ、はやく、治癒を……!」
「…」
「マルシ、アンヌぅうう!」
マルシアンヌはまるで虫でも見るような目でイシュエルを見下ろしている。魔女協会の中で何かあったのだろう。その所為で、イシュエルが死にかけていることだけがフェルディナンドには理解できた。
泣き崩れる付き人を座らせたジュリアスは、今度はこちらの方にやってくる。ようやく説明する気になったのかと見ていると。
「アデルハイド、アルセイン」
「―――兄様?」
茫然としている双子に声をかけた。
「ジュリアス! 私は説明せよと何度も言っているのだぞ!?」
「少し、静かにしてください陛下」
そうしてジュリアスは笑みを浮かべて成り行きを見ている魔女に視線をやると、おっとりとした見た目の方が小さく歌を歌った。そして次の瞬間。
「っ! …!? ……!!」
「すこぅしだけ、お静かにお願いしますわぁ?」
声が出なくなり、フェルディナンドは混乱する。黙ったフェルディナンドを見たジュリアスは、今度こそ双子に傍に立った。
「兄様…?」
「あぁ、苦労をかけた」
「にい、さま…兄様!」
カラン、とアデルハイドが持っていた短剣を落とす。そしてジュリアスに抱き着いた。
「あ、あの人!! 兄様、あの人は駄目なの! いくら話をしても聞いてくれない! あの人は、国を乱すわ!」
「兄様、アデルの所為じゃないんです、僕も、もっとしっかりしていれば、こんなことには…!」
わぁわぁと泣き出す二人を抱きとめたジュリアスは、愛しそうな視線で二人を見下ろしていた。
「ジュ、ジュリアス! お前がやったのね!? わたくしを殺そうなんて…! フェルディナンド様! アデルとジュリアスを捕らえてくださいまし! このわたくしに傷を負わせたのですよ!?」
「……側妃殿、貴女は、何もわかられないのですね」
「何を小生意気な! わたくしはセンジュリア王フェルディナンド様の寵愛を受けているのよ!? それを、それを…!」
正直、あれだけ叫ぶ元気があるのであれば大した傷ではないのだろう。それに今自分は言葉を発せない。
「フェルディナンド様!」
どうして何も言わないのだと叫ぶマーガレットに、ジュリアスがため息をついた。
「…貴女は自分のことしか考えられない。貴女の所為で、この二人がどれほど辛い思いをしたのかすらも、理解しようとしない」
「何を子供が…! わたくしが何をしたというの!? わたくしは本当のことしか言っていないわ! お前なんかより、アルセインの方が王に相応しいのよ!」
「―――それほどまでに、貴女の矜持は傷つけられたのですか」
「!」
双子を抱きしめながら、ジュリアスは静かな目でマーガレットを見た。そのあまりの静けさに、マーガレットが息を呑む。
「陛下の一番になれなかった、王妃になれなかった。寵愛を受けていると自分で自分に言い聞かせて、必死に自分だけを守ろうとした。貴女の産んだ子供たちを大して愛したりもせずに、ただただ道具のように見ていた。王になる? それがどれほどのものか、貴女は何も理解していない。王は孤独だ。誰よりも、何よりも。陛下はそれに耐えきれずに貴女を欲した」
ジュリアスの声音には、怒りも憐みも何もなかった。ただ淡々と話す。その気迫に負けたのか、マーガレットはたじろぎながらジュリアスから距離をとろうと後ずさった。
「悪いとは言わない。それでも、王として何が一番なのかを陛下は間違えた。そして貴女も。…王家は、国の、民の為だけに在る。私利私欲で動いて良いものではない」
「お、前に、何がわかるというの!! わたくしは、ただフェルディナンド様を愛しただけ! それなのに、正妃にもなれない、側妃という立場というだけで、誰もがわたくしを軽んじる! わたくしが何をしたというの!?」
髪を振り乱しながら叫ぶマーガレットの姿を見て、フェルディナンドはこんなにも我慢させていたのかとようやく知る。自分も、マーガレットを愛していた。運命の人だと思った。ただ、それだけだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。そう考えて、自分がいけないのか、とフェルディナンドはようやく気付いた。
その時、ずっと黙り込んでいたオーロラがするりと椅子から立ち上がってマーガレットの正面に立った。
「……私は、ずっと貴方が羨ましかったわ」
「は?」
オーロラは、フェルディナンドですら初めて見る表情でマーガレットを見ていた。
「私は、幼いころから陛下の婚約者…そして次期王妃として教育されていたわ。陛下のことは尊敬していた。敬愛もしていた。それでも、恋愛ではなかったわ…」
「それは、貴女が公爵家の人間だからでしょう!」
「えぇ、そうね。でも、私は恋の一つも知らずにただ国の為に生きろとずっと言われていたのよ。それでも、良かったの。私の為に使われた公費や、時間が無駄にならないのであればと。それに陛下も、私に対して親愛はあっても愛情がないことくらい知っていたわ。それでも、良かったのよ。時間をかけて、家族愛を育てられれば、と。恋を知らない者同士、それでもと。……でも、陛下は貴女に出会ってしまった。―――ねぇ、その時の私の気持ちがお分かりになる?」
オーロラの美しい表情は、歪んでいた。今にも泣きそうな、苦しそうな、怒っているような。
「陛下は、私が知らない感情を知ってしまった。そして、私を置いていったの。ご自分だけが、欲しいもの全てを手に入れて。マーガレット様、貴女が私を憎んでいるのは知っているわ。でも、私も同じように貴女を憎み、羨んでいたことを知っていて…?」
「…知らない、知るわけないでしょう!」
「私の子は、王として孤独な道を行くことを知っていたわ。とても真面目な子だもの、きっと恋の一つも知らないまま生きることになるでしょうね。親子として、接してこなかった私には、何も言えないわ。でもね、母ならば…叶うならそんな人生を送って欲しくないと思うの。愛する人を見つけて、幸せになって欲しいと思うのが、母親よ。貴族としてそれが難しいことくらい知っているわ。でも、望みたかった。叶わないと知っていても。……それを考えれば、私も、貴女も、母親として駄目なのかもしれないわね」
「―――」
マーガレットはその場に崩れ落ちた。
オーロラはそれを見て、それからジュリアスを見た。
「…ジュリアス」
「なんでしょうか」
母と息子の会話とは思えないほど、固い声音。だが、それがフェルディナンドたちとジュリアスの当然だった。距離を置かれていることすらも、気付かなかった。
「酷い母で、ごめんなさい…貴方を、孤独にするとわかっても、それでも貴方以上に次期王に相応しい子はいないの」
「いいえ。私は…」
ジュリアスは何かを言おうとして、そして沈黙する。何を言おうとしたのか、フェルディナンドにはわからない。きっとオーロラにもわからないのだろう。わかるだけの時間を、共に過ごしていなかったのだと、面と向かって言われた気分だった。
「―――さて、そろそろいいかな?」




