前世の記憶覚醒後のこと
ミレーヌとしての人格と結愛としての人格が統合して行くときに心理学的にどんな問題があるのかとか、そういうことにはまったく無知ですのですみません。
翌朝わたしはあてがわれていた自分の部屋から出ると布で作った手製のマスクで口を覆った。
スージー「おや、ミレーヌ。お前はどうしたんだい?」
ミレーヌ「そ…の…喉が……」
スージー「おや、声が掠れてひどいことになってるね。良いよ良いよ、無理して喋らなくても」
と、うまい具合に下手な訛りを聞かせなくてすむことになった。
つまりしばらく声が出ない振りをすることとにしたのだ。
昨日まで訛りがひどかった私が急に標準語を話し始めたら全く怪しい人物になるからだ。
だがこういうときに限ってみんな私に話しかけようとする。
アラン「昨日から来たんだってな。薪は置いてあったのか?」
ミレーヌ「(頷き)」
アラン「そうかそうか。それにしても不思議だなぁ」
ミレーヌ「(頷き)」
エリザ「ミレーヌというのかい、お前は?」
ミレーヌ「(頷き)」
エリザ「おやどうしたい。そのマスクは?」
ミレーヌ「の……どが……ゴホン」
エリザ「声が出ないのかい。それじゃあ今のうちに言葉遣いをよく観察して、標準語を喋れるように勉強しておきなさい」
ミレーヌ「(何度も頷く)」
確かにこの手があった。声が出ない期間を標準語観察の期間として、勉強したことにするんだ。
ヤコブ「きっと、風邪でもひいたのだろう。ご主人様たちはもちろんのこと、なるべく他の使用人にも近づきすぎないようにしておくれ。移ると困るからね」
ミレーヌ「(しぶしぶ頷く)」
シェフ「仕方ないな。おい新米、この蜂蜜湯を特別に飲ませてやる。だから早く直せ」
ミレーヌ「あ…り…が」
シェフ「良い、良い、無理に喋るな」(片手で追い払う仕草)
シェフって割と良い人なのかもしれないと思った。
どこへ行っても、誰に会っても向こうから話しかけようとし、私も片言かジェスチャーでこたえようとする。
私が新人だからか? それともマスクをしているからか? マスクは現代日本式のマスクだからこの世界では珍しいかもしれない。
ハンナ「あらその口覆い何のためにしてるの?
大掃除でもするの? 」
ミナール「(首と手を横に振る)」
ハンナ「でも普通布で顔の下半分を隠して縛るけど、ふぅぅん、そうやって耳に引っ掛ける紐をつけてる訳ね。
それってあなたの田舎のやり方?」
ミレーヌ「(首を傾げて困った顔をしてみせる)」
ハンナ「違うの? じゃあ、どこでそれを……まあ、どうでも良いわね、そんなこと」
ミレーヌ「(ほっとして、肩を落とす)」
護衛一「新人の女中さん。あんたいったい何才なんだね?」
ミレーヌ「(指で十五示してから首を傾げる。いちいち数えてないし、正確な年齢は分からない)」
護衛一「顔だけ見りゃ、もっと若く見えるな。俺はサムソンって言うんだ。あんた、手が体のわりに大きいな。ちょっと見せてみな」
ミレーヌ「(両手を見せる)」
サムソン「(手を下から支えながら)うん、この手は何をした手なんだ? 剣胼胝でもないし、何か色々な武器を持って戦えそうだな」
ミレーヌ「(首を振って)はたけ……しごと」
サムソン「農作業か。なるほど、ある意味もっとも過酷な作業なんだな、こんな手になるなんて。俺は百姓を馬鹿にしてたが、考え方を改めなきゃな」
ミレーヌ「(ほっと肩をおろす)」
万事こんな感じで、以来屋敷内のコミュニケーションは短い返事と身振りですませるようにした。
そうやってひと月ほど過ごした後、ナンシーさんがとうとう我慢の限界に来た。
ナンシー「ミレーヌ、いい加減にそのヘンテコな日替わりマスクをとってまともに喋ったらどうだい。もういい加減に喉も治ったんじゃないかい?」
ミレーヌ「は……はい、すみません。喉は治りました。でもマスクをとるタイミングが掴めなくて」
するとナンシーさんは口をあんぐり開けて凍り付いた。
ナンシー「あ……あんた、どうしたのその言葉。訛りがなくなってるじゃない」
ミレーヌ「はい、このひと月よく皆さんの喋り方を研究して部屋で一人になったとき練習していたんです」
ナンシー「すごい。たったひと月で? みんなに教えなきゃ」
ミレーヌ「あっ、待って……」
それから今度は入れ替わり立ち代わりみんなが来て私の言葉を聞くのを毎日の行事にするようになった。
やがてご主人キンブル氏の耳にも私のことが伝わって呼び出されることになる。
キンブル氏は白髪で赤ら顔の好々爺といった感じの人だった。
キンブル「お前がミレーヌか。入ったときは訛りがひどかったのにエリザの助言で立ったひと月で言葉を直したとか」
ミレーヌ「あ、はい。確かに。侍女長さんからそういう助言を頂きました」
キンブル「女中頭のナンシーや他の使用人たちも、お前は気の利いた働き者だと評価している。どうだ、ひとつ提案があるのだが、店に出てみないか?」
ミレーヌ「えっ、店に? それは旦那様の商会で働くということですか?」
キンブル「まあ、そんなに緊張することはない。別に客の応対をさせるというのではなく、店の中の雑用を気を利かせてしてやってくれれば良いと思ってるのだよ」
ミレーヌ「は……はい、喜んでやらせていただきます」
とまあ、いちおうそういう返事が良いかなと思って旦那様の提案を受けることになってしまった。
キンブル商会はお屋敷から歩いて十分ほどの表通りにあった。
立派な店構えと広い店舗、そして裏手には商品保管用の倉庫がいくつも立ち並んでいる大店だ。
使用人用の勝手口から入った私は会う人会う人に頭を下げて回った。
顔と名前を憶えて貰わないと、紛れ込んだ余所者と間違われて追い出されてしまうからだ。
私が口を利けるのは小番頭が一番偉く、丁稚頭、丁稚という風に男衆がいる。
ほかに女衆では売り子主任と売り子がいて、私はその下ということになる。
役名は小間使いとか雑役ということになのだろう。
下っ端だろうがなんだろうが、獣と命をかけて戦うよりずっと安心だ。
安全に働いてお金を貰い、食べるものを食べ、温かいベッドもあるのだから幸せだ。
私は店先や店周辺の掃除に気を配ることから始めた。
店の前の道はアスファルトでもなければ石畳でもない。固く圧縮されてはいるがただの土である。
だから竹ぼうきで掃き清めておくし、店周辺で雑草が生えていれば、私の判断で抜いておく。
『ふるさとバッグ』には草削りもあるので、そういうのをこっそり出して使ってみたりする。
もちろんその出し入れは慎重の上にも慎重を期しているので、誰にも見られることはない。
そうやって少し自分の仕事に慣れた頃、今更ながら自分の今の境遇を考えた。
私は以前のミレーヌではない。働き者の私はミレーヌから受け継いだ性格だ。
そしてこういう境遇に甘んじているのもミレーヌ自身の考えだ。
だが本来の私は納得できない。
確かに可愛く生まれ変わることができたが年齢に比べて顔が幼すぎる。
それとこの世界ではどうやら童顔というのはそれほどポイントは高くないようだ。
ただ単に女として未熟という印象を持たれてしまうらしいのだ。
また確かに希望通り西洋風社会にいるが、文明が未発達すぎるだろうっ。
というか可愛く生まれれば西洋社会でなくても良かったんだけど、あのときは死ぬ間際で焦ってたからどちらか一方の願いで良かったのに両方思ってしまったんだ。
しいていえば運動神経が良くなったのは喜ぶべきか。
でも生い立ちがひどい。何が悲しくて父親が魔物なのだっ。
この世界で記憶を目覚めさせて、今まで必死に過ごして来たが、ようやく生活が落ち着いてきたところで私は自分のことを考えるようになった。
魔物との混血だから子孫を残すなというのはレナール祖母さんの考えだが、確かに隔世遺伝で私が子を産んで変なのが生まれたら申し開きできないことになると思う。
私に関して言えば、今のところ極端に童顔なところ以外は魔妖精の遺伝はみられないけれど、私の子供が安全だという保証はない。
何歳になっても幼児体形のままになるとか、切り落とした手足が動き続けるとか気味の悪いことになるかもしれない。
私自身も熊と戦って墜落した後、回復が良すぎるとは言われた。
普通十メートルの高さから落ちて枝にぶつかりながら地面に墜落すれば全身打撲だし、死ぬか一生植物人間になるかだろうと思う。
だけど後で裸になって鏡に映しても目立った傷跡は残ってないし、骨にヒビが入ったところが傷むとか言うこともない。
どっちにしろ、魔妖精のルーパーなる者がどんな特徴を他にもっているのかは全然未知の領域なのだ。
たとえば老齢になると角や鱗が生えてくるとかだったら非常にまずい。
わたしはときどき尾骶骨のあたりを触って見て尻尾が伸びて来ていないか確かめている。
肩甲骨の辺りも合わせ鏡を使って見て、羽が生えて来ないか気にしている。
だからいつも全身裸になってチェックしているのだ。
十代の少女が毎晩やることではないと思うけれど、仕方がないのだ。
こんなことも考える。
もし将来好きな男性に巡り合えたらどうするかと。
本当のことを打ち明けるかどうかとか。
いやいやいや、それはできないだろう。
私をが好きになるかどうかは別として、私のことを好きになる男はどういう人間だろうとも考える。
幼児性愛者……不意にその言葉が思い浮かぶ。
イコール犯罪者、変質者だ。
ああ、駄目だ。私が惚れるような男は私に惚れない……と思う。
そして私に惚れるような男は……変質者、犯罪者だ。
きゃぁぁぁ、どうしようっ。
お先真っ暗だぁぁぁ。
「何がお先真っ暗なの? 夜に大きな声で叫ばないで」
い……いつの間にか声に出していた。ドアの外からナンシーさんの声が聞こえる。
実は店に出ても寝泊まりするところはお屋敷で食事のたびに走って戻って来ているのです。
「なんでもありませんっ。本当にすみませんでしたっ」
「だから、そういう大きな声で言わなくても良いから」
「はい……」
「お店でも気を利かせてがんばっているみたいだね。評判は上々よ。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
こうして私は平穏な毎日を過ごしていたのだが。
お使いを頼まれ店から出てしばらく歩いてると、なにやら後をつけてくるような気配がする。
通行人もいるので、誰かは分からない。
しかもつけて来るのは複数で色々な方向から気配がして来るのだ。
そうやって尾行を避けて歩くうちに本来のコースから逸れてしまい、かえって人通りの少ない路地に来てしまった。
慌てて元の大通りに戻ろうとすると行く手に立ちふさがった者たちがいる。
体の大きさで言えば中学生くらいから小学生くらいの少年たちだが人相が悪い。
というかどいつもこいつも悪ガキの表情をしている。
昔日本にも戦後間もないころこんな子たちがいたと言うが、物騒このうえない。
「おい、お前名前なんて言うんだ?
誰の許しを貰ってこの辺を歩いている?」
一応次に続くと言う感じで今話を終わりました。最後まで読んで頂きありがとうございました。