俳優 剣菱彩 (後編)
ー喫茶探偵物語13ー
俳優 剣菱彩 (後編)
2 承
5年前。
探偵所長 人間時45歳
アヤ 15歳
タカベ 28歳
ストーカー 20歳
(時系列では2年後に入れ替わりの事故)
夕刻。
立体駐車場。
タカベマネージャーを先頭に、男性SPがアヤを伴い車へと移動中。
「ロケ前にご飯ね。何食べたい?」
「チーズバーガー、ポテト、コーラ。たまにはジャンクも良くない?テイクアウトもできるし」
「・・物凄く食べたいわね」
「決まり!」
「じゃあー
SPが前のめりにうつ伏せに倒れる。
「!」
アヤの方に振り向くと同時に後ろの男が覆いかぶさる。
背中に強烈な電撃を受け、そのままコンクリートに顔面を強打。
アヤの悲鳴。
「アヤ・・」
起き上がり、周りを見渡すがアヤの姿は消えている。
気を失ったSPを揺さぶり叫ぶ。
「起きろ!アヤが!」
SPは失神から目覚めず、かまわずアヤの姿を探す。
一台の車が下へ降りる出口へと向かうのを確認。
「あの車?いや時間的に、上からか?」
パニック状態。
「まだ近くに、どこかの車に・・」
悲鳴のような男の罵声が遠くから響く。
迷わずその方向へと急いで駆け走る。
駐車場隅。
トレンチコートを着た中年男性が若い男を壁に追い詰めている状況。
その後方にアヤの姿。
「よかった・・」
アヤの元へと駆け寄り、口に張られたガムテープを剥がす。
「あのおじさんが助けてくれた。タカっち鼻血、それと頭から血が」
「平気。あなたが無事なら問題ない」
トレンチコートの中年男性は若い男から視線を外さず、
「おねえさん。あのボディガードはダメだ。見習いにも劣る」
「・・・・・」
中年男性と男はお互いに睨み合い。
「お前か?読むに堪えん稚拙な文や脅迫状の送り主は?」
押し黙る男。
「ストーカー行為に脅迫、誘拐未遂。別嬪さんの顔に傷を付けた暴行もか」
「・・ボ、ボクは捕まえられない!・・罪状には問われない!」
「お前の理屈はどうでもいい。10年は覚悟しろ」
「・・刑務所?」
高笑い。
「精神異常者は行けないんだよ!精神鑑定を受ければ何もかも許される。戻れる。家に帰れるんだ!」
虚勢を張る男。
「帰ったらアヤはボクをムカエイレテクレル。オカエリナサイ、と言ってくれて笑顔で、マッテテ、くれるんだ」
「妄言も加減しろ。自覚した精神異常者か?望みなら精神病院に一生隔離してやる」
「・・で、できるわけないだろう!そんなの!」
「できんと思うか?オレは何でもできるぞ」
男に近づく。
「い、違法だ!」
腹を蹴ると勢いよく倒れる。
「どの口が言う?」
顔を片足で踏みにじり、
「それでも出てくるようなら抹殺してやる。方法はいくらでもある」
「そんな事許されない!法律はー
顔面を蹴り飛ばす。
「法を語るな、クズ野郎が」
泡を吹いて気絶。
中年男性は、
「暴力や口が過ぎた。すまんが今の話しはオフレコで頼む」
コクコクと頷く。
「聞いてないか?雇われた探偵だ」
「多分そうではないかと。叔父から昼に連絡を受けてましたが、いつ現れるのかと」
「依頼人や状況を見極める為、最初は周りの様子を伺う。それが仇になった。怪我をさせすまなかった」
「いえ、アヤさえ無事なら」
アヤは探偵の前へと。
「探偵さん、ありがと」
「おう」
頭、ポンポンと。
「警察に行く前にタカっちを病院に連れてってもいい?」
「ああ。その後はテイクアウトか?オレは照り焼きが好きだ」
アヤは笑いながら、
「サイドメニューも好きなの選んで。今日は私のおごりよ」
夜。
警察署前。
眠そうなアヤを父親が付き添い車へと運ぶ。アヤは目を擦りながらバイバイと手を振る。
鼻の上に絆創膏のタカベ。それに応え手を振り見送る。
車発進。
煙草に火を点け一息つく所長。
「脅迫してた男も捕まり、やっとSPからも解放できました。所長さんが見張ってなかったらと思うと・・本当に有難うございました」
「顔は?」
「精密検査なんて大げさでしたが石頭のおかげでなんとか、鼻だけちょっと痛みが」
鼻に手を当てる。
「民間のSPで今度いい所を紹介する。それと事件の報道は控えさせるよう、警察に言っておいた。幸い関わった人間もごく一部だ。マスコミは避けたいだろう」
「助かりますが、可能ですか?」
「警察には貸しがある。少しだけ返してもらった」
「感謝します」
「依頼を遂行した夜は飲みに行くんだが、よかったらどうだ?」
「・・・・・」
ジャズバー。
煙草を手に持ちスコッチを飲む所長。
「ー警察も融通が利かんからな。幼稚な脅迫状や信憑性の薄い目撃証言だけではそうは動けん。形だけの捜査をして、せいぜい見回りを強化するくらいだ」
「・・私が前に警察で証言した不審者らしき車、関係なかったですね」
「目撃した白の軽ワゴンか」
「捜査を混乱させてしまったようで。ここ最近何もかも怪しく見えてて・・」
「どんな些細な事でも事件につながる可能性がある。疑うくらいがちょうどいい。無駄だったらそれはそれで越したことはない」
「そう言ってもらえると。・・あの、隔離の事ですが」
「ああいう性癖の奴らは一生治らんからな。最大限のコネを使い処理する。これは非合法、関わっちゃいけない。あんたは何も問うても聞いてもいない。返事もするな。頷くだけでこの件は忘れてくれ」
頷く。
所長のスマホが鳴る。画面を見て、
「しまったな」
ハンズフリーにすると男の声が聞こえてくる。
<ワシだ。白い車の件だがな>
「悪い、捕まえて解決した」
<・・は?・・信じられん>
流れるジャズ音楽。
<そのジャズはワシの行きつけの・・解決の祝杯か?女も一緒か?>
「悪かった。来るか?」
<帰って寝るわ>
「本当に悪かった。この埋め合わせはする」
<捕まったのは、孝雄か?>
「孝雄?・・幸田義男だが」
<兄の孝雄の方は捕まえてないのか?>
「兄?」
「・・白い車って」
「なんてこった。おい出るぞ!」
外へ。
大通り。
「タクシーを捕まえてくれ!」
「兄弟って何だ!?」
<幸田義男の兄、孝雄だ。小さい頃両親の離婚で別々に育てられ、最近、兄が居場所特定し再会したそうだ。サツもこの情報は掴んでいない>
タクシーを捕まえ乗り込む。タカベは運転手に、
「○○方面にお願いします!」
「父親の方に連絡しろ」
「ストーカーは単独ではなく兄弟2人の犯行か?」
<調査を受けたのが今日の昼だ。まだ全貌も把握も推測の域は出ん。分かったことは弟は障害持ちで車は運転はできんこと。兄の方は偽名で白の軽ワゴンを購入している。購入した翌日に付き人が見た目撃場所での兄を街中の監視カメラで確認したところだ」
「主犯は兄の方か」
「他にもこいつは偽名をいくつか使い分けててなー」
「所長さん!警察の人が出て・・・父親が車の中で刺されて、息はないと・・」
「娘は?」
「姿はないと。連れ去られたかも・・」
「娘が連れ去られた!」
<偽名のマンションが○×だ>
運転手に、
「○×までどれくらいだ!」
「・・2、30分、近くですかね」
「警察は抑える。10分以内なら5万だ!」
タクシー急Uターン。
「要員を送ってくれ」
<近くの支店に連絡する。そこからだと10か20分かそこらか。心得てる連中だが先に到着したら突入させるか?>
「1分1秒を惜しむ、押し込め。娘第一だ」
<分かった>
「トラ挟みとハンマーも用意させろ!」
通話を切る。
「あの言葉だ。あいつは捕まって戻ってもアヤが迎え入れてくれるだの、待っててくれるだの、兄がアヤを捕らえるという事か。あれには違和感はあった・・油断した。そこまで考えが及ばなかった」
「・・・・・」
「捕まる前提、精神消失で無罪放免を読んでの計画。SPを解除したところでの犯行」
「アヤ・・・」
マンションの一室。
ソファに横たわり、手錠で拘束されているアヤ。
目覚める。
部屋の天井、壁一面にポスター、写真が目に付く。
隙間なく貼られている隠し撮りしたらしい写真を見て、
「なに、これ・・」
傍に座っている男と目が合う。
「天使が目覚めた。ここが今日から君のお城だよ、アヤ」
顔面、服に血が付いた狂気の目をした男が自分を見つめている。
両手の手錠に気付き、恐怖に怯え、
「・・誰?」
「弟は能無しのバカで計画通り捕まった。ボクは大丈夫だからね」
「・・・・・」
「どうだい?これ(部屋全体)を見ればどれだけボクがアヤの事を想っているか、感じているか、分かるだろう?」
「・・お、お父さんは?」
「アヤの事をボクに託して死んだよ。ここでの生活はもう決まっていた事なんだ」
((フラッシュ))
車の中で眠りから目覚める。
運転席の父親の胸にナイフが突き刺さっている。
「・・・・・」
父親の肩に手を差し伸べて揺さぶる。
「お父さん・・・」
助手席のドアが開く。
振り向くと見知らぬ男。
男の手には布。顔に押し当てられ意識が遠のく。
数十分前の出来事が頭の中に蘇る。
「お姫様、今日から一緒に住むんだよ。何でもしてあげるよ」
髪の毛を指に絡ませ匂いを嗅ぐ。男の手には血が付着。
「・・お父さんの、血?」
興奮する男。
「お父さん・・・死んだ?」
視界がぼやけ、男の声だけが聞こえる。
「何も心配しなくていいから」
「ウソ・・・」
父親の最後の姿が脳裏から離れない。
「お腹すいた?こうみえても料理上手なんだ」
「・・何かの間違い、夢だよこんなの・・」
「それとも着替え?服はたくさん買ってあるよ!」
絶望に打ちひしがれ 無力感に襲われる。
「私のせい?私のせい、なんだ・・・」
涙が流れる。
生前の父親とのやりとりのフラッシュバック。
「もう会えない・・・」
「そんなに泣かないで、ボクとの生活は楽しいものになるから」
「そうか!オフロだね!夜だもんね!」
手錠を外され、服に手を掛け興奮の男。
「疲れたようだから手伝ってあげるよ」
「私も・・死ねばお父さんの所に・・行けるの、かな?」
「死ななくてもいいから。一生ボクが添い遂げるから」
「死んだら、会えるんだ、お父さんに・・お母さんにも?」
親子3人の再会を想像する。
「昔のようにみんな一緒に・・。そうか、また3人で一緒に過ごせるんだ・・」
笑みがこぼれてくる。
「よしよし、じゃあー
破壊音。
慌てふためく男の声。
「だ、誰だ!ふ、ふ、、不法侵入だぞ!」
男の手が離れ、悲鳴が聞こえる。ガラスが割れる音とともに静まりかえる。
「・・なに?」
誰かが肩を揺さぶる。
「おい!」
「だれ?」
焦点が合わないアヤ。中年男性が話しかけてくる。
煙草の匂い?・・お父さん!?
「・・お父さん?・・死んだなんて嘘だったんだね」
震える声で腕に必死にしがみつき、コートのにおいを嗅ぐ。
「お父さんだ。・・お父さん、煙草やめたのやめたの?」
「お、おい・・」
「お母さんとの禁煙、破って、」
コートのポケットからジッポライターを手に掴む。
「お父さん・・・生きてた・・・」
「アヤ!」
タカベの声が聞こえ抱きしめられる。
「大丈夫?何ともない?!」
「タカっち、お父さんね、煙草吸ったの。前に話したよね。禁煙破ったらライター貰う約束って」
「・・ア、アヤ?」
「ほら、お父さんのライター。2個目よ」
震える手でライターを握りしめる。
「お父さんだ、お父さんだよ・・」
激しく肩を揺さぶられる。
「所長さん、乱暴は」
「おいアヤ!分かってるだろうが、オレは探偵のおじさんだ!」
必死に目を閉じる。現実からの逃避。
「辛いだろうが・・現実から目を反らすな」
「違う、ウソつかないで・・そんなこと言ったら、お父さん、いなくなるよ・・」
「オレを見ろ。目を閉じるな」
「・・・・・」
「アヤ!」
目を開けると探偵所長の姿。
「・・・・・・・」
「悪いがオレはお前の父さんじゃない・・」
顔を背ける。
涙が止めどもなく流れる。
「・・お父さん・・死んでない、もん」
「タカっち、お父さんだよ、ね。死んでない、よね・・」
マネージャーの悲しく自分を見つめる目。
「・・ウソ」
「アヤ・・」
「違う・・・イヤ・・・・・
叫び、取り乱し、号泣。
警察署。
椅子に放心状態のアヤ。
「オレのせいだ。気付けなかった」
「所長さんに落ち度はありません。依頼していなかったら最初の犯人さえも捕らえられてません」
「・・・・・」
「これ、ライターです」
受け取る。
「目を離さず一緒に居てやってくれ」
「はい」
「オレには何もしてやれることができない・・」
葬式。
大勢のマスコミ各社、取材陣が典礼会館周りを埋め尽くしている。
線香を上げた所長がアヤと目が合う。
数秒間見つめ、頭を下げる。
所長はタカベの元へ。
「どうだ?」
「淡々としていますが、立派に勤め上げようと精一杯頑張っています。食事も小食ながら摂ってますし、大丈夫そうです」
「・・マスコミが酷いな」
「これだけの事件ですから。それとマンション内に連れ込んだ事はシャットアウトしてくれたんですね」
「あらぬ噂が飛び交うからな」
「助かります」
「これぐらいしかできん。これからどうする?」
「この後は私の祖母の家に2人で避難の予定です」
「それがいい。何かトラブルがあったらいつでも連絡してくれ」
遺影を見つめているアヤの姿。
「・・・・・」
4日後。真夜中。
住宅街。タカベ祖母の自宅。
常夜灯の点いた薄暗い寝室。
ベットで睡眠のタカベを長い時間見つめているアヤの姿。
「タカっち・・・いえ、高部さん。今まで一緒に笑ってくれて、怒ってくれて、泣いてくれて、凄く嬉しかったよ。
この5年間、励まされたよ。
初めて出会った時、無理言ったけど、この人なら信じられると直感で思った。間違ってなかった。
仕事での現場も、お喋りも、楽しかった。マネージャーと言うより、お姉さんができたみたいで嬉しかった。大好きだよ。お父さんとお母さんの次に。
・・・私の大事な人。
私、もう、ダメらしい。気丈な振りしてたけど、限界だった。これ以上生きててもね、耐えられそうにないの。
お父さんとお母さんの所に・・行くね。・・許してくれないと思うけど。
強くなくて、弱くて、ご免なさい。本当にご免なさい・・・」
腕に手を触れ、
「さようなら」
玄関扉を開け外へ出る。
家の前に車が停車。車内に探偵所長の姿。不愛想に煙草を吸っている。
窓が開き、
「乗れ」
観念してドアを開けて助手席に乗る。
車内には煙草の煙が充満。
「煙草くさい」
「すまんな」
「ライター没収したのに」
「・・ん」
「どうして分かったの?」
「探偵だからな」
「・・そう」
長い沈黙が流れる。
ダッシュボードの煙草が目につく。
「私が小さい頃、お父さん喫煙者だった」
「ある日、灰皿の消しそこねの火で私が火傷した。お母さんは不始末だって怒って煙草を禁煙させたの。その時のライター今でも持ってる。私のお守り代わり」
握ったままの手を開き、ライターを見せつける。
「もしまたお父さんが喫煙したら、ライターは没収の決まりになってた。いつ2個目が貰えるか、いつもお母さんとからかってた。お母さんが亡くなって2人きりになったけど、よくあの時の事を言って笑いあってた」
「そんな些細な思い出話し、もう語り合うこともこともできないんだよ。絶対吸わないって笑顔で言ってくれるお父さん、もう居ないんだよ」
沈黙。
「オレに何ができる」
「別に何もしなくていい。このまま帰って」
「お前を止めたい」
「いま止めても、いつかするよ」
「じゃあお前が諦めるまで止め続けるだけだ」
「・・・・・」
「何でもする」
「じゃあ一緒に死んでよ」
「一緒にか。それはさすがにな。止めるのに自決するのは本末転倒だ」
「それじゃあ用はない」
「だったら阻止し続けるだけだ」
「追っかけ?それってストーカーみたいじゃない?」
「バカ言うな」
「こういう時はお涙頂戴的なことを言うんじゃないの?自殺なんか間違ってる。今まで支えてきたマネージャーが悲しむぞとか。死んだ両親はそんなの望んでない、悲しむだろうとか」
「それは、オレのキャラじゃないな」
「・・オレが・・父親的な存在に、なってやるとか」
「・・父親か、それはちょっと、いろいろな」
「何それ、助ける気あるの?」
「あるから何日も張ってここに居るんだろうが」
沈黙。
「なあ、どうすればいい?」
笑いがこみ上げる。
「私のお父さんになって。タカっちと結婚して、私を養女にして家族になるの。家庭を作り、いっぱい楽しいお話しをするの。いい考えかも。死ぬの考慮してもいいかも」
「・・それがお前の生きる妥協の線引きか?」
「間違ってるよね。けど偽物でも縋るものがないと壊れそう、いえ壊れる・・」
「家族にはなれんが、お前を支えることはできる」
「・・冗談だよ。お父さんがいないならもう、何の未練もないから」
沈黙。
「もうダメなのか?」
「うん」
「人間なんてそんなものか。弱いからな。気持ちはわからんでもない。だが、それでもオレはここに止めに来た」
「別に関係ないでしょう?私が死のうが生きようが」
「関係なくはない。オレはお前を知ってしまった」
「責任感じてる?依頼は遂行したけど、その過程でその娘の父親が殺害された事に」
「・・ああ、そうだ。責任を感じている」
「だったら、・・・お父さん返してよ」
「・・・・・」
「生き返らせて・・わたしの元に、戻せ・・・」
「・・・・・」
「失った者は取り戻せない。・・すまない」
「・・謝るだけならリスクなんてないからね。どんな言葉でも、どんなリターンを積まれても、もう何の意味もない。私が死ぬ事は決定事項、この意思は変わらない。絶対に」
「・・もう、何を言っても無駄か?」
「うん」
沈黙。
「じゃあ私はこれで。・・気にかけてくれてありがとう」
ノブに手を掛ける。
「リターンか。よし手を出せ」
「・・・・・」
「手」
手を出すとジッポを渡される。
「このジッポは師匠から譲り受け、20年来片時も離さないオレの心の相棒だ。お前のと同じお守り、兼火付け役だ」
「こいつと共に色々な人生を見届けてきた。救い、救われ、救えなかった者もいた。苦しい時も絶望した時も人生これを握りしめ耐え忍んできた」
「この愛用のジッポじゃなければ、オレは煙草は吸わん。それをお前に預ける」
沈黙。
「つまり禁煙する?」
「オレにしては珍しくマジなんだが」
「私にリターンは?」
「・・ないのか?」
「ないよ」
沈黙後、2人笑う。
「なにそれおかしい」
「手放すことはオレにとってはポリシーを捨て、死にも値するものなんだがな・・」
「ずいぶん軽い死ね」
「軽いか・・だがオレにとっては、・・・いや他人から見れば何の意味もなさないものか」
手に持ったジッポと父親のライターを長く見つめ、
「私に何の得もないよ・・」
「ライターひとつで・・・ライター・・・・・・」
涙ぐむ。涙が溢れ止まらない。
「軽くないよ・・20年の想いのこもったライターは、私には重いよ」
所長にジッポを差し向ける。
「それでお前を救えるなら安いもんだ」
嗚咽。
所長の腕に縋りつき大声で泣く。
しばらくして泣き止み、落ち着きを取り戻す。
「・・約束、できないよ」
「お前の苦しみを救ってやることはできないが、傍に居る事は出来る。弱ったとき、泣きたいときはオレの所に来い。いつでも支えてやる」
所長を見つめる。
「それぐらいしかできないが、受け止めてやる」
優しく頭を撫でてくれる。
ガサツで煙草臭いけど心地いい。
「・・わかった。少し、がんばってみる」
ライター2つをギュッと握る。
「いつまで持つか分からないけど、それでもいい?」
「正直な言葉だ。それでいい。限界になったら教えろ。その時はまた2人で話し合えばいい」
頷く。
煙草の箱を恨めしそうに見つめている。
涙を拭いて煙草を取る。
「没収」
「・・・・・」
煙草を1本差し出し、
「最後に1本吸う?」
「吸う」
「ほんとに禁煙できるの?」
「お前が笑顔でいる限りな」
煙草をくわえさせ、慣れない手つきで火をつける。
煙を吸い吐く。
「うまいな、おい。・・今生の1本、か」
「無理しなくてもいいのに」
2階の部屋の明かりが点灯する。
「あそこか?」
「うん」
「あんなに親身にしてくれる人いないだろう」
「うん。お姉さんみたいな存在」
「両親が亡くなる前から、もう家族みたいなもんだろう?」
「・・うん」
「悲しませるな」
「・・はい」
「アヤが20まであと何年だ?」
「・・5年」
所長は短くなった煙草を見つめて、
「そこまでいけば、もう大丈夫だろう」
「え?期限もうけるつもりなの?」
「・・・・・」
「かっこ悪くない?」
「いや、20歳になったら一緒に吸うか、的な」
「煙草嫌いだから」
「・・今のは忘れてくれ」
笑う。
「生きてて、その時になったら考えようかな?ライター返すの」
「・・・頼む」
「未練たらたらだ」
苦笑いして、うまそうに煙を吸い込む。
「20歳になったらか。・・ライター返したらその代わり何か別な物貰おうかな?」
「欲しい物があるのか?」
「今はない。その時に私が一番欲しいもの」
「いいだろう。アヤが望むものを用意しよう」
微笑む。
最後に煙を吸い込む。
「タカっち、胸大きくて別嬪さんでしょ?付き合う?」
「ガッホゴッホッ!」
むせ返る。
「まんざらでもない?」
「このバカ娘が、喉がー!」
クスクス笑う。
「貴重なラストの一服が・・」
「初対面で別嬪さんなんて言葉使うの、気があるとしか思えないけどな」
「・・・・・」
所長の携帯が鳴る。
「夜分申し訳ありません、アヤが」
「外にいる」
玄関から裸足で飛び出してくる。
車から出ると大声で、
「アヤのバカ!」
強く抱きしめられ、大声で泣かれる。
「もしあなたに何かあったら私も後を追うから!」
「タカっち・・・」
抱きしめ返し、
「ごめん・・・」
「マネージャー、ひとまず大丈夫だ。悪い事したら怒れ。普段と同じ、いつも通りでいい」
顔を上げ、所長と私を見る。
「いつも通りだ」
頭をポンと叩かれ、
「なあ」
「うん」
「今日はまあ特別だ。怒らんでもいいか?そのかわり一緒に寝てやってくれ」
それだけ言うと車に乗り込み、エンジン掛け車発進。
クラクション。
アヤはジッポを掲げ走り去る車を見えなくなるまで見送る。
喫茶店内。
コーヒーカップを手に持ち揺らすタカベ。
真剣に聞いてるチヨ。
「所長さんの説得と禁煙で自殺は阻止され、その場は落ち着きました。それからの日々は元通りとまでは行きませんでしたが、この夜の所長さんの言葉を胸に、ライターを肌身離さず、懸命に必死に生きようとアヤは努力して歩んでいきました。
精神的に肉体的にどれだけの救いだったか、所長さんには感謝しかありません」
一息つき、冷めたコーヒーを飲み干す。
「・・・・・」
アヤさん、何という人生を。華麗で華やかな勝ち組の裏側で、こんなにも悲しく悲惨な物語が・・。
タカベを見る。
マネージャーのタカベさんの心労も計り知れない。けどアヤさんへの愛情は伝わってきた。ボスへの信頼も。
それと度々思い出させてくれるけど、ボス、渋くて格好いいな。私以外にはだけど・・。
「その後は幾度も陥る父親の死と事件のフラッシュバック。度重なる過呼吸に、自傷行為、鬱による衝動的な自殺。幸い未遂で済みました。その都度、所長さんは傍に迎い入れ、落ち着くまで何日でも心のケアをしてくれました」
「所長さんの献身から1年。元気を取り戻したアヤは学校も俳優の仕事も復帰しました。内面的にまだまだ不安定でしたが、世間には微塵も感じさせず活動し笑顔を振りまいていました」
覚えてる。1年の休養から活動を再開したんだ。父親が殺害されて悲しみを克服して、この子強い子だなってテレビで観ていたよ。
「それからさらに1年。あの夜の、例の事故・・」
「・・ボスの事故ですね」
「半死の状態から手術を行い、以降は昏睡状態。当時、いえ今でもですが目覚めることはなく絶望的と言われてますね」
「アヤは昏睡状態で目覚める可能性の低い所長さんに絶望し、生きる努力も気力も全て放棄しました。食事は受けつけず、食しても嘔吐、憔悴し倒れ、ただ死を願うだけの抜け殻のような状態に」
「点滴だけで生かしてる状況に所長さんは例の姿のまま病室に現れてくれました。犬に転移して意識だけはある事、入れ替わったことを打ち明けてくれて、その後の説得でアヤは再度生きることを約束してくれました」
「回復したアヤは犬になった所長さんに最初のうちは一時も離れず固執。離れると失ってしまうんではないかと強迫観念に取り憑かれていました」
「所長さんの当時の精神面も相当だったでしょう。犬に転移した事での精神的苦痛。不安。娘との離れ離れ。アヤの存在と心、重荷と重圧だったはず。しかし見捨てることなく事故前と変わらずに、実の娘かのように優しく接してくれました」
「1か月ぐらい経ち、少しずつ元気になり固執も収まった頃、アヤの心に大きな変化が訪れました。自由に動けない所長さんの代わりに探偵助手になりたいと。その使命感に捕らわれ、それを目指しのめり込んでいきました。今の相川さんの助手のような立場にと」
「・・・・・」
「腫れもの扱いのアヤでしたが自立させる為に条件を課しました。学業の優先。探偵業に進むなら所長さんが探偵を始めた22歳からと。その言葉に、予想に反して驚くほど従順に従ってくれ、学校も俳優の仕事も専念するようになりました。例の事故から3年、多少の鬱はありましたが比較的安定した生活を送り、そして今現在に至ります」
「私としては無念ですがアヤは22歳を機に俳優業引退を決意しています。本気でここの補佐と言いますか探偵業に進もうとしています。引退は別に構わない。自身の意思だ。本音は手放したくはないんですが、アヤがやりたいと言うなら、私は力になりいくらでも応援したいと思ってます。所長さんにとっては迷惑意外何ものでもない話しですが、アヤの意思を尊重して快く容認してくれています」
「所長さんへの感情移入ですが、ストーカー事件後は父親像を求めていましたが、事故後その想いも飛び越し、今現在に至っては異性の、恋愛対象としてみなしてます。それどころか告白寸前で異種間恋愛も構わないと今日車の中で告げられました」
「そして、探偵職へ就いた相川さんへの嫉妬であのような事を。悪気はないんですが、アヤの所長さんへの想いを察すれば・・」
「・・知らなかったとはいえ、好きとか、軽率でした」
「アヤの言動は予測できません。今回の事は相川さんに非はありません。お気になさらずに」
「私が知らされていたのは剣菱彩さんとマネージャーさんが来ること。その2人はボスの正体を知っていること。浮かれず粗相がないように、と言われただけでした。過去とか関係性とか知らせてくれれば、少しは対応できたのに」
「・・はい。私も助手の事を知ったのは今朝です。正直事前に相川さんとお話ししたかったです」
「ボス、行き当たりばったりというか、説明を端折るというか、そんな性格なんですよね」
「・・何か分かります。この5年間、見てきましたがそんな感じですね」
「しかし今回の事は別です。こんな大事な事は私たちに知らせないと。アヤさんの気持ちが分かるなら、とくに」
「・・・・・」
「久しぶりに語りました。・・コーヒー美味しいです。おかわりお願いできますか?」
「はい」
準備する。
マネージャーはチラチラと事務所のドアをうかがっている。
私が知ってる剣菱彩はドラマやスクリーン上で輝く憧れの人。年齢問わず、絶大な支持を得たカリスマ的存在だ。ストーカー事件で父親を殺されて、休養後に悲しみを克服し世間に元気で応えたあの眩しい笑顔だ。
その裏側、過去には想像を絶する過酷なドラマが繰り広げられていた。自分の意思では抑えきれない衝動的な自傷、自殺未遂まで・・。
壮絶だ。アヤさんの悲しみが胸に迫る。いや、アヤさんの心情や肉親を失った傷心など、何の経験もない私には想像を馳せることもできない。
私の男に騙されて借金とか、不幸の比重など比べるのもおこがましいことだ。
「あの時くっついていればな」
「・・・・・」
「当初アヤから所長さんを猛プッシュされてた。けっこうタイプで年齢差も子連れでも問題なかったけど、当時付き合ってた彼がいてね。所長さんからのお誘いもあったのに・・。結局彼の借金癖が元で終わって、こんな私でも受け入れてくれるかな?と思っていたところで例の事故に。・・タイミング悪かったな」
「あなたも気を付けて。借金するような男はろくでもない男だから」
「・・それは身に染みています。そのろくでもない男のせいで結果ここにいますから」
「相川さんもここに助けられた口?」
「はい」
「あの時、私もここにお世話になりました」
「なんか、私と似たパターンなような・・。借金をかぶせられたとか?・・元彼を脅したりとか?」
タカベは笑い、
「今度一緒にお酒飲みに行きましょう。お互いの話しを肴に、盛り上がるとー
スピーカーから<キャンキャン>と喚くボスの鳴き声。
タカベは瞬時に事務所ドアへと向かう。
何事かと後を追う。
3 転
タカベマネージャーの後を追う。
事務所の中へと入ると、上着がはだけボスに抱きつき迫るアヤ。
それを必死に逃れようとするボス。
「・・・・・」
何?この生修羅場・・・。
「何やってるの!」
タカベはアヤを引き離し抑える。
「こうでもしないとその女にタイゾー取られる!」
「相川さんは取らないから」
「取った!タイゾーも、探偵も取った・・」
泣き叫ぶアヤに上着を羽織らせ、
「出禁をくらいたいの?」
「イヤ、会えないのはイヤ・・」
「所長さん、申し訳ありませんでした」
<クーン>
ボスもこんな地声で鳴くんだ。
キッと物凄い形相で睨まれる。
さっきのより数倍怖いんですけど。演技じゃないよね・・。
敵意むき出しの目が突き刺さる。
弁明しなくちゃ・・。
「アヤさん・・」
鋭い眼光。
「私がボスを好きというのは、尊敬するという意味。人間性なの」
犬だけど。
「恋愛感情はないし、犬は対象に入らないから」
「ウソを付いてるかもしれない!今はないかもしれないけど今後の事は分からない!」
「・・・・・」
これが属に言うメンヘラというものですか?
ボス何とかして!
助けを求め見ると、隅の方で様子を伺い警戒中。
弱っ!修羅場に弱すぎだよ!ボス!
凄んだ声が耳に響く。
「タイゾーを見るな・・」
「私、彼氏いるから」
「愛人になるつもりでしょう!」
「彼氏一筋の、ラブラブなんですけど・・」
「人の心なんか分からない。いつ手の平を返すかなんて分からない!」
「・・・・・」
もう何言っても無理なんじゃない?申し訳ないけど、私にはこの状況は手に負えない・・。
何とかしろとボスにアイコンタクトで訴える。
警戒し見ているだけのボス。
おい!!!
「お前なんか私の目の前から、喫茶店から出ていけ!」
タカベ、アヤを平手打ち。
俯き涙のアヤ。
「どれだけ恥知らずで無茶な事を強いてるか分かってるの?それが理解できないアヤじゃないでしょう!」
なんかもう私が原因みたいな、いや原因なのか・・。
「相川さんに謝りなさい」
押し黙るアヤ。
「・・いや、別に、私大丈夫ですから」
タカベはアヤの腕を掴み、
「所長さん、相川さん、ご迷惑をお掛けました。今日のところはこれで失礼いたします」
アヤはタカベを振りほどき、床に座り体を丸めこむ。
タカベは困惑する。
沈黙が流れる。
ボス、何とかしないと・・。
ボスは首をコクンと上に上げ、「お前が説得しろ」と促す。
意思表示で絶対無理と目で返す。
ここで私に振るとか?無理でしょ。
ボスは真顔で見つめながら「お前なら出来る」と頷く。
「・・・・・」
アヤは全てを拒絶して丸く座り顔を伏せている。
アヤさんの気持ちは痛いほど分かる。ボスを必死で繋ぎ止めようと不安なんだ。やり方はまあ、アレだけど・・。
拠り所を他人(私)に奪われて恐く心細いんだ。私がそれを壊した形。自分を救ってくれて、守ってくれて、傍に居てくれる人。寄り添って安心できる場所を。
安心感。私もあの時不安でボスに寄り添った。あの優しく包まれたような安心感と毛並みは忘れられない。なんだかんだ言ってもボスは優しい。タカベさんの話しには感動すらした。
今はヘタレだけど・・。
アヤさんの心を動かすことんて。私にできるなら何とかしたいけど・・。
アヤに近づき、正座して優しくゆっくりと話しかける。
「アヤさん」
「・・・・・」
「アヤさんとは比べものにならないけど、私もボスに救ってもらったんですよ。弱かった私は自暴自棄になり落ちるところまで落ちてもいい、あの時はそんな思いでした」
「絶望に打ちひしがれるなか、その時ボスはこう言ってくれました。いい女は守ってやると、いくらでも犠牲になるし、背負ってやると」
「アヤさんの苦しみを5年も受け止めてくれて背負ってくれたんでしょう?今さら5年間の絆を覆すようなボスですか?既成事実を作らないと繋ぎ止められないものなんですか?アヤさんは可愛いし、いい女だから今までボスは支えて受け止めてくれたんですよ」
「ちなみに、いい女に私は該当しなかったようです。胸がないし、好みじゃないと面接の時はっきり言われました。私も人外はお断りですが。仮に私が2人の間に割り込もうとしても付け入る隙はないですよ。5年間の2人の絆には誰も入ることは無理」
「ここに私が採用されたのも演技とモールスの仕事関係上のもの。あとはウェイトレス要員のオマケみたいなものです」
「・・・・・」
無言で微動だにしない。私の拙い言葉なんて届かないか・・。
「それと、仕事以外ボスとこんなに長く居る人初めてみましたよ。誰が来ても一言二言で会話を終わらせ、私に至っては話しをしようとしても断るんですよ。キーボードを打つのが面倒だって。野球ばかり見てて。プライベートな事や音楽や映画とかの話しをしたいのに」
「特別な存在で大切な人なんですよ、アヤさんは。そして言ってください。別に特別じゃなくてもいいから少しは私とも話せと。コミニュケーションしろと」
無言。
あれ?何か方向性が。変な本心を聞かせて、どうする・・。
「・・相川さん、アヤこうなったらしばらく動かないの。何を言っても・・」
ボスを見る。
アヤを見る。
「もうプロポーズしちゃえ。ボスだって独身だし、こんな若い可愛い娘さん何の問題がありますか?私だったらウェルカムですよ!こんな国民的大女優、ラッキーじゃないですか?ねえ、ボス?」
真顔で私を見返してるボス。タカベは大きくした目で私を見つめている。
いやいやいや、何か凄い事言っちゃったよ。
経験値の低い私なんかの出る幕じゃなかったです・・。
部屋の空気も皆、膠着状態に陥っている。
これはもう事態の収拾は本人に任せよう。
マネージャーに振り返り、
「これは当人同士じゃないと埒があきませんね。タカベさん、コーヒーを煎れ直しますので飲みましょう」
不安そうなタカベ。
「ボス、アヤさんとお話しを」
読唇で<がんばれ>と。
アヤの肩に手を触れ、
「アヤさん、ボスと話し合える?」
かすかに頷くアヤ。
喫茶店内。
「天下の女優さんに物凄い失言を口走ってしまいました。申し訳ありませんでした!」
お辞儀!
「それともう少しうまく言葉で表現できればいいんですけど、そんなに学も語彙もなくて・・」
押し黙るタカベ。
怒ってる?
「・・アヤは、計算した言葉では心が動きません。本心をぶつけないと」
「事前に打ち合わせとか、嘘に嘘を塗り固めた言葉では察し、取り返しのつかない事になっていたかもしれません」
「困惑した所長さん、相川さんに振ったでしょう?信頼されてないと託しませんよ。アヤの事を理解してくれて、想ってくれて有難う。本音を織り交ぜた温かい言葉でした」
「私なんて、全然・・」
「さすが所長さんが託すだけの現相棒です」
「・・それは、過大評価です」
恥ずかしい。あんな言葉。もう一度やり直したい。いや、上手く言えないけど・・。
「所長さん、もしかしたらこうなる事を予測していたんじゃないかと。それと私の勘ですが、アヤからの告白を覚悟していたとか。
もしくは所長さんの方から何らかのアプローチがあったのかもしれませんね。
それなら私たちに何も言わなかったのも頷けます。相談するような人ではないし」
「・・・・・」
「自然な流れで事を運びたかったんでしょうが、まさか抱きつき迫られるまで予測はできなかったでしょう」
覚悟を決めてた?ボスの方から?私に丸投げしたようにしか思えないんだけど・・。
「私はアヤの感情を否定する事ばかり考えてました。所長さんに迷惑を、これ以上の負担は掛けられないその一心でした。けどどちらを選択しろと言われたら、最優先はアヤなんですよね。
マネージャーとして、アヤの友人として失格でした。気付かされました。さすが相川さんです」
いやいや、深く考えずその場の勢いで言っただけで・・。赤の他人の私が、なんかもう、ほんとにごめんなさいです・・。
「収まるところに収まる。これしか選択肢がなさそうです。いい流れを作ってくれました」
「・・・・・」
「相川さんは舞台出身とのことですが、どこかのプロダクションに所属してます?」
「・・いえ、どこにも」
「私の所にどうですか?」
「私?私なんて・・」
「今すぐじゃなくてもいいんです」
「・・約束したところが」
「どこ!?」
「劇団ですが」
「それなら活動しながらでも問題ありません。考えておいてください」
「・・はい」
「ちなみにどこの劇団ですか?」
「劇団鳥海山です」
「鳥海山!・・あれ?・・まさかこの前の代役の人って?」
「・・・なんか、私っぽいかな?」
「驚いた。一番後方だったから顔まで気付けなかった」
「・・成り行きで・・酷い演技を・・」
「何言ってるんですか、誰この人って?後で雅夫に教えて貰おうかと思ってたんですよ!」
「・・雅夫?・・シガさん?」
「あれ?じゃあ2年くらい前に一緒に雅夫と舞台に立った幸薄女性って」
「・・・なんか、私っぽいです」
「驚いた・・」
「シガさんとはどういう関係ですか?」
「弟よ。本名はタカベね」
「・・・・・」
「相川さんとは長い付き合いになりそうね。これは飲み決定。電話番号教えて」
コーヒータイム。
「ー個性派俳優として頭角を現してきたわね。我が弟ながらここ最近の評価かなり高いわね」
「アヤさんと舞台で共演してからと」
「それね、アヤは雅夫が私の身内とは知らないの。今も知らせてない。あの時アヤが共演にと勝手に発掘してきたのよ。あれには驚いた」
「・・元々シガさん、実力ありますもの」
「まさか、ちょん髷にするとは思わなかったけど」
「ここにそれで来たんですよ。ここに座って「お主、拙者を存じぬか」って」
「バカだねー」
「シガさんには2年前のネガティブだった時に勇気づけられました。上京して孤独な独りぼっちのなか、唯一優しい言葉を掛けてくれたのがシガさんでした」
「雅夫がね・・」
「私の心の師です。あ、言わないでくださいね、恥ずかしいですから」
「弱った相川さんに手を出さないだけ上出来だったね」
「シガさんは紳士です。それに劇団の人とお付き合いしてますし」
「いるの!?」
「・・知らなかったんですか?」
「詳しく!」
「・・言ってもいいのかな?」
「姉だから!」
「・・・・・」
事務所のドアが開く。
神妙な顔つきのアヤ。
お辞儀。
「相川さん、ご迷惑をおかけしました。あの時は本気でしたが、今は微塵も欠片もありません。本当にすみませんでした」
「・・・はい」
「タカっちも本当にご免なさい」
頷く。
「私たち婚約しました」
2人 「・・・・・」
「人間に戻ったらという条件ですが。でも気分は最高です」
「・・所長さんは納得を?」
「タイゾーからのプロポーズです」
マジか・・。私がスイッチを押させた?いや、タカベさんの言う通り覚悟を決めての?
「それと引退は撤回します」
「え?」
「タイゾーが私の演技を長く観たいと」
「そ、そう。良かった」
眩しいくらいの笑顔。私に睨みつけた恐ろしい仮面がどこにも見当たらない。
アヤはこちらを振り向く。
「・・・・・」
少し気恥ずかしそうに、
「チヨっちって呼んでもいいですか?」
「・・・・・」
「ダメですか?」
「・・いいですよ」
「私の事はアヤと。アヤっちでもいいです」
「・・アヤで」
「チヨっち、タイゾーに悪い虫がつかないよう人間でも犬でも、見張っておいてください」
笑顔で語るが目が笑っていない。
「お願いできますか?」
「任せなさい・・・」
4 結
夜。
「ボス、夕ご飯です」
食器を置く。
顎を床にしょぼんとしているボスの姿。
「煽っちゃいましてご免なさい。けどボスも私に振るから」
<・・・・・>
「動揺した姿初めて見ましたよ」
<・・・・・>
「けど、アヤとのこと覚悟を決めていたんですよね?」
キーボードを打ち込む。
<チヨっちよ>
「・・はい」
<オレはどうすればよかったのか分かるか?>
「タカベさんから話しを聞いた限り最善手かと。あとはボスの気持ちの問題ですが」
<お前が独身の50過ぎのおっさんで、アヤに迫られたらどうする?>
「やります」
<可愛いよな。戻れんことにはどうにもならんが>
「犬じゃ無理ですもんね」
<オレはこの5年、父親のような存在として、娘同様接してきたつもりだったんだがな>
「・・気持ちは分からないでもないですが、後悔してるんですか?」
<3年前、犬になったオレにアヤは父親を求めるようにベッタリだった。片時も離れず、トイレに行くのでさえも怖がり、まるで赤ん坊のようだった>
<時間を重ね少しずつ元気になり、なんでか分からんが、いつしかオレに恋愛感情を持つようになった>
<だいぶ落ち着き、少しずつ笑顔を取り戻し外出も増え、オレ(犬)には内緒でオレ(昏睡状態)の病室に通い始めた。ここでオレ(犬)と話した会話や内容を、オレ(昏睡状態)に語りかけていた。いつか目覚めた時に記憶に留めるよう、呼びかけるように>
<衰えてる筋肉を揉み、関節を交互に動かしリハビリをしてくれる。いつか目覚めた時の為にと>
<今でもそれは続いている。オレはその行動は知らないことになってるが、病室の事はカメラで筒抜けなんだがな。カメラの設置はアヤの監視の為。たまに過呼吸になってたしな>
「カメラは沙希ちゃんを観るためじゃなかったんですね」
<それは後付けだ。そこまで親バカじゃない>
「・・学校潜入でのカメラ撮りは?」
<ここで3年も毎週来てくれる娘を観れば欲もでるだろう>
笑う。
<娘はさて置き、アヤの方も3年も甲斐甲斐しく尽くす姿を見せられてはな>
ボスの前にジッポ。見つめている。
タカベさんの話しでジッポの件があった。20になったら返して、代わりに欲しいものをと。アヤの欲すものはボス以外存在しない。ボスももちろんその事は察しての・・。
「プロポーズはボスからですか?」
<結果そうなったが、身構えてはいた。30分しがみつき、泣き通しで、急に服を脱ぎだしたかと思うと、目つきが変わり、ブラを外し、脚を絡ませ、メスの顔で迫られてみろ?>
「その表現、生々しいですから・・」
「パニックよ」
「意外と女性に耐性ないとか?」
<まだ銃を向けられる方が平静を保てる>
「それ怖いです・・」
<人間ならともかく犬にだぞ。頭が真っ白になったわ。とりあえず急遽お前に任せた>
「私に任せられても・・」
<あの状態になったら何を言ってもテコでも動かん。しばらくはな。あの短時間で頷かせたお前には正直驚いた>
「最後のプロポーズという言葉が効いたんでは?」
<その前に敵から味方へと変わっていた。オレには分かる>
「あの行き当たりばったりの浅い言葉で?」
<計算した言葉よりいい>
「・・・・・」
「後悔とか犠牲になったとか思ってませんよね?」
<言っておくが、まだ父性としての気持ちの方が強い。だが後悔はない>
「その言葉を聞けて安心しました」
「それにしてもアヤは大人っぽくなりましたね。ちょっと前まで可愛いというか美少女だったのに」
<ここ最近成長が著しい。もう追い抜いたか>
胸を見られる。
「うわっ、最低だ、この犬」
<冗談くらい言わせろ。お前ぐらいだこんな軽口言えるのは>
「・・・・・」
「せっかくなんで質問していいですか?」
<言ってみろ>
「犬になって発情期とか年中あるんですか?期間限定ですか?」
<バカかお前は>
「セクハラ返しの軽口です。欲情するのは人間か、犬か?」
<この3年、人間にも犬にも性欲は涌かん。何故か分からんが>
「欲情も興奮もしないと?大好きな巨乳でもダメですか?」
<アホかお前は>
<それとこの犬、メスだぞ>
「ウソ!」
<ウソだ>
「・・・・・」
<お前は楽だ。ツッコミ、ボケ、性格も軽い>
「ディスってます?」
「貞操観念も意外に軽いしな」
「ケンカ売ってます?」
<軽妙なやり取りができる貴重な存在だ。一応いい女に認定してるしな>
「・・口説いてます?」
<アホ>
「私もボスと普通の会話がしたいです。今の間のある会話、時間差ありすぎです」
<同感だ。一応なお前とのプライベートや映画の話しは口頭と決めている。いつになるかわからんが>
「嬉しいです!私も早く戻れますようにと祈ります。近くの神社に毎日は、・・行かないと思いますけど・・」
<それでいい。それぐらいでちょうどいい>
<いい相棒だ。>
食器の肉を見て、
<これでもう少し肉の量が多ければな。惚れてやってもいいんだが>
「いや、そういうのは結構ですから、ってアヤに殺されるよ!」
<じゃあ惚れんから、肉を>
「ダメです。カロリーは絶対です」
<ケチくさい相棒だ>
キッチンへ行き、自分の分の皿を持ってくる。
「食事のメニュー表ってアヤが考えたんですね。カロリー計算して身体のために健康を気遣って、バランスを考えた愛情のこもった食事。これで太らせたら何を言われるか」
肉を1枚よそう。
「でも今日は特別。婚約祝いに私の分を1枚差し上げます」
<せめてもう1枚は?>
「ダメです。この取り寄せの秋田八幡平ポークは私も楽しみにしてます!」
<とりあえず有難うな>
「どういたしまして」
「今日は一緒に食べましょう。ちょっとお酒を飲みたい気分です。付き合ってくれますか?」
ボス、頷く。
13終わり
14
エピ
食事を終え、ボスに寄りかかりビール片手に酔っぱのチヨ。
「うまい!!!」
3本目。
<お前性格変わったよな。ここに来た時は暗かったんだがな>
「それは私も自覚しています。原因はボスです」
<言ってる意味が分からん>
「セクハラやイタズラに揉まれた結果でしょう?性格も変わりますよ!」
ぺチぺチと頭を叩く。
「胸がなくてわるいかー、彼氏はできたー」
<酔い過ぎだ。チヨキチ>
「チヨキチ!!!私キクチヨ!私の二つ名いくつあるんですか?もう!チヨスケ、チヨの介、チヨ蔵、極めつけはチヨ乃助左衛門って何ですか?チヨでいいんじゃないんですか?よけいなキーボード操作で労力が増えるだけでしょ。乃助左衛門、長いよ!」
笑う。
「けどね、なんか言われるとうれしい。ここも楽しい。今日のような悲しい過去の出来事とかもあるけど、色々な人の人生を垣間見て、接して、感じて、受け止めて、経験や体験、人生経験ってやつですか?私にはまだまだですけど。出会いがあって、みんなとお話しして、悲しんだり、時には笑って、・・彼氏も出来た!これで暗くなりようがない、屈折するような人はいませんって。
ここの喫茶店、凄く居心地いいです。ボス、感謝です。私を拾ってくれて」
ボスを見る。
zzzzzz
スースーと眠ってる。
ムカッ!
「起きろ!権蔵ー!」
ボスの上に跨り圧し掛かる。
「せっかくわたしが感謝の言葉をー
バタン!カツカツカツカツ、
音の方向を見ると、机の前にアヤの姿。
「え?・・どうして」
「プレゼント忘れた。何してやがるんですか?」
鬼の形相。
バッと離れる。
「いや・・この行動には、訳が・・」
「浮気ですか?略奪ですか?それとも手の平返しで私を虚仮にでもするつもり?悪い虫はあなた?」
「違う違う。ボス!」
ボスを見ると、アヤの元へと寄り添い、
<クーン>
「ひどっ!」
今日の出来事がみんな無しになちゃう!
この後、監視カメラで一部始終を観てもらい、この時ばかりは常時撮影してるカメラに感謝した。
「ここです!私が感謝の意を述べたところで、寝てるんですよ!誰でもムカつきますよ!もう少しボスは女性への対応、気遣い、女心を掴まないと。こういう事ありませんでしたか?疎いとか、鈍いとか、鈍感とか、好意に気付かないとか?」
「・・あり過ぎました」
「ねーーー!」
必死です。
「それとセクハラって何ですか?」
「・・胸がない胸がないと。もちろん身体等接触はありません。まな板には興味はなく、からかいの対象です」
「抱きつくのはいつものことですか?何度も?」
こわいこわいこわいこわい。ほんとに目がこわい!これ誤魔化しはダメなやつだ!刺されてもおかしくない!
ポケットに入れてる手、危ないの握ってないよね?
「・・1度ありました」
「どういう状況で?」
「私の借金を取り戻し助けてくれた時、自分の弱さと、悔しさと、嬉しさの感情が相まって・・胸を借りさせてもらいました」
「・・・・・」
「ボス、寄り添うと優しい感じで、何か安心できますよね・・毛並みもいいし」
「うん」
険しい顔が元に戻り、ボスに寄り添った日々を思い出したかのように優しい顔になる。仲間意識を持ってくれたのか?認めてくれたのか?言い訳を聞き入れ納得した様子。
その後アヤから今後二度とこのよう事が無いよう、
ボスの前ではお酒は飲まない、
触れない、触らない、抱きつかない。
仕事と食事の持ち運び以外半径1メートル以内に近づかない。
等を誓約書を書かされました。
血判付きで・・。
ナイフはポケットに入ってました・・・。
終わり




