決戦
辺りは暗く、芽吹いた草木の匂いが入り乱れ、バッタや鳥などの小動物が時折ガサガサと音をたてる。
草原の手前の雑木林の中に、久竹はいた。
「どうせお前は来ると思ったが、陽まで来たのか」
闇の中で鋭い目を光らせる。
Tシャツ越しでも分かる、そのたくましい背中には、何が入っているのか大きなリュックを背負っていた。
「素手でケンカをやるのは、馬鹿のやることだぜ」
久竹は雑木林の中を迂回し、ログハウスへ近づいていく。
ログハウスの様子を伺うと、どの窓も真っ暗だ。
「アイツはまだ店にいるようだな。お前らどうせ、待ってろ、って言ってもついてくるんだろ?行くぞ」
久竹が姿勢を低くして走りだし、私と陽ちゃんもその後に続く。
喫茶店からは死角にある窓の下にたどり着くと、久竹がリュックの中からトンカチとタオルを取り出した。
タオルを窓のガラスにあて、なるべく音が出ないようにトンカチで叩く。
カシャンと音がして、割れたガラスの破片が室内の床に落ちたようだった。
久竹が割れたガラスの間に手を入れ、カチリと鍵を開ける。
静寂の中、いちいちの音がやけに大きく響く。
窓を開け、久竹が窓枠を乗りこえ先に入り、私を、次に陽ちゃんを、手をとって室内に引き入れてくれる。
入り込んだ部屋はリビングらしく、ソファやアンティーク調のテーブルなどがあった。
テーブルについている引き出しを開けてみるが、何も入っていない。
「ここには、アイツが怪しいヤツだという証拠は何も無さそうだな」
久竹が部屋の扉を開けると、そこは廊下で、向かいにまた扉があった。
「開けるぞ」
久竹が開けると、木製の扉が、人の悲鳴と溜め息の入り交じったような、ヒィーという気味の悪い音をたてる。
その部屋には、まるで学校の理科実験室のように机がたくさん並び、その上には無数の瓶や箱が置かれていた。
「なんだ、この部屋」
久竹が中に入り、辺りを見渡す。
私が一番近くのテーブルの上にあった瓶を手に取ると、ラベルが貼ってあり、【悲しみ】と書かれてある。
窓から射し込む淡い月明かりを頼りに中を透かしてみるが、何か入っているようではない。
蓋を開けようと、少し回す。
すると、ヒィーという微かな人の悲鳴が聞こえてきて、私は驚いて蓋を閉める。
悲鳴がやむ。
久竹と陽ちゃんを見ると、二人ともゾッとした表情を闇の中に浮かび上がらせていた。
「何…?今の…」
陽ちゃんがささやく。
私がまた蓋を回し始めると、また聞こえてきて、完全に蓋を開けた時にはヒィーヤァアーと、人の悲鳴が部屋中に響き渡った。
私はまた慌てて蓋を閉める。
すると部屋には静寂が戻った。
私は思わず呟く。
「なんなの…?」
他の瓶のラベルを見ると、【叫び声】【A の断末魔】など、気持ちの悪い言葉が書かれてある。
「おい、なんだこれ」
辺りを歩き回っていた久竹が、机の上に置かれた木箱を覗きこんでいる。
近くに行くと、その箱は表面がガラスで出来ていて、昆虫をピンでとめておく標本箱のようだった。
綺麗な蝶々でも並んでいるのかもしれない。だんだんとこの状況に精神的に耐えられなくなってきて、明るい希望的観測を持ってしまう。
だが、その思いは軽く裏切られ、そこには人間の鼻がピンでとめられて無数に並んでいた。
「オエッ」
胃の逆流を抑えきれず、私は床に這いつくばる。
幸い胃は空っぽのようで、何も出てこなかった。
手の甲で口元を拭う。
「何?何?」
部屋の隅で怯えて立ち尽くしていた陽ちゃんが、こちらに来ようとする。
「お前は見ないほうがいい」
久竹が手を上げ陽ちゃんをとめた。
「陽は、そこにいろ」
久竹がゆっくりと歩きながら、部屋の中を奥まで行く。
私も胃の辺りをさすりながら、それに続く。
部屋の奥の隅には、学校の掃除道具入れのようなロッカーが、三つ並んでいた。
「おい、今までの流れからきて、ここには何が入っていると思う?」
「もしかしたら、マスターが隠れているかも」
私の言葉を聞いて、久竹が左手にトンカチを持ち、右手をロッカーの取手にかける。
「行くぞ」
ガバッと勢いよく開けた久竹に、中から倒れてきた何かが覆い被さる。
「ウワッ!」
それは、喫茶店にいつも居る主婦たちのうちの一人だった。
虚ろな目をして、その焦点は定まっていない。
久竹が押し戻し、バン!とロッカーを閉める。
「け、警察に連絡しなきゃ…」
「いや、本物の死体では無いと思う。やけに軽かった。まるで骨と皮だけで出来ているような…。作り物だろう。それに、警察に連絡するのは、全ての部屋を見てからだ」
三人で廊下に出ると他にドアが二つあり、それぞれトイレとバスルームだった。
「後は二階だな」
久竹が階段を一段踏むと、ヒィと音が鳴った。あの瓶のラベルを見た後では気持ち悪さしか感じない。
踏むたびにいちいち音の鳴る階段を、鳥肌をたてながら上がると、壁に沿って廊下が続き、その真ん中あたりに扉が一つだけあった。
「二階は部屋が一つだけのようだ。何があるか、楽しみだな」
久竹が扉をソッと開ける。そして、中を凝視したまま固まった。
私も隙間から部屋の中を覗く。
中には、暖炉のようなものがあり、その炎が明々と部屋の一角を照らしていた。
その赤い光の中に、長い棒を突っ込んでクルクルと回している人物がいた。
しばらくすると、棒を炉から出して布をあてて優しくこする。
それが終わると棒に口を当てて息を吹き込む。
すると、赤い玉が風船のように膨らんだ。
「父ちゃん!」
久竹が叫び、その男の人に駆け寄る。
「父ちゃん、オレだよ!助けに来たよ!」
だが、その人は久竹が目に入らないらしく、出来たばかりのガラス細工を見つめながら、ブツブツと呟いている。
「扉を開けたのは、ボクの意志じゃない。仲間内のバツゲームで…。許して…」
冷えて固まった手鞠のように美しいガラスを、コトリと静かに机の上に置いた。
その奥のテーブルについて、作業をしている人物に私は気が付いた。
机の上にキラキラ光る何かを並べ、その一枚を目の前に掲げウットリと眺めている。
まさか…。
私は信じられない気持ちで一歩一歩近づく。
徐々にハッキリと見えてくる、肩までのウェーブのかかった髪。
優雅に着こなしている、ベージュのワンピース。
「お…、母さん?」
近づく私に驚いて振り向いたその顔は、まぎれもなく母だった。
「おや、まあ。どこの子かしら?こんなところに来ちゃあ、ダメじゃない」
「お母さん、私だよ。お家に一緒に帰ろう」
だが、母は私のことが分からないらしく、首をかしげている。
「クソッ。おい、糸。喫茶店のジジイは、オレらの親に、薬かなんか飲ませているんじゃないのか?」
「嘘…」
その時、私のそばにくっついて来ていた陽ちゃんが、「シッ」と口に指を当て囁いた。
「誰かの、足音がする」
耳をすますと、階段を踏む時に出るヒィともギィともつかない悲鳴のような音が、規則正しく聞こえてくる。
「テーブルの下に隠れろ!」
久竹の声を合図に、私たちは三人固まって、母の作業しているテーブルの下に身を隠す。
カツカツカツと廊下を歩く音が響き、戸口に姿を現したのは、マスターだった。
「おや?扉が開いてますね?」
マスターが久竹の父親と私の母を交互に見る。
「もしかして、どちらかが開けましたか?逃げようとして?」
マスターが顎に手を当て思案する。
「意識が戻っては困ります。もう少し、薬を強くしなければいけませんかねえ?」
「おいッ!このクソ野郎!!」
久竹が叫んで立ち上がる。
「ああ、そこに居ましたか」
マスターが私たちを指さす。
「そちらから出て来てもらうには、怒らせるのが一番ですから。これで探す手間が省けました。薬うんぬんは、嘘ですよ。ワタクシは、この方たちに薬など投与はしておりません。そんな野蛮なことは、致しませんよ」
「畜生!オレらを馬鹿にして、おちょくりやがって!」
まんまと、おびきだされた形になった久竹が、地団駄を踏んで怒り出す。
「薬じゃなきゃ、何でこんなことになってんだ!」
「もう皆さん、ワタクシの正体がお分かりでしょうから」
そう言うと、マスターの体が煙のように薄くなり、ユラユラと揺れた。
「畜生、いつ見ても、気持ち悪いぜ」
久竹が吐き捨てるように言う。
マスターがその姿のまま、ユラユラと近づきながら喋り出す。
「ご覧の通り、ワタクシの体は瞬時に量子レベルにまで分解することが可能です」
「ハア?!」
頭はいいが、勉強の嫌いな久竹が頓狂な声を上げる。
「まあ、お分かり頂けないのも分かりますが、これは、ワタクシが昔勤めていた研究所の努力の賜物なのですよ。ワタクシの体は、宇宙から抽出した暗黒物質と人間の体の融合で出来てまして」
「えーと?」
久竹がさらに首を捻る。
煙のようだった人影が、集束し始め真っ黒い人型になり、やがていつものマスターの姿になった。
その右手を母の作業しているテーブルに付くと、肘から先がテーブルの材質と同じ木の腕になった。
「このように、ワタクシは量子とそこいらにある材料を混ぜ込んで、瞬時にいろいろなものを作り上げることが可能です。久竹君のお父さんと、糸さんのお母さんの脳ミソを少し作り変えて、昔の記憶を無くしてもらっただけですよ」
「何でそんなことすんだよ!」
久竹がトンカチを持った手を振り上げる。
「あー、久竹君、そんなものではワタクシは殺れませんよ」
マスターがあきれたように両手を上げる。
「分かってるよ。んなことは…」
久竹が呟きながら、トンカチを持った手をソッと下ろす。
「ワタクシは美しいものが大好きで…。ガラス細工や、ステンドグラスを、私の満足いくものを作って頂いた暁には、脳ミソを元に戻して家に帰ってもらおうと思っておりました」
「本当かよ?じゃあ、一階の気持ちの悪いもんは何なんだよ」
「私の美しいコレクションを、気持ちの悪いもんなどと言わないで頂きたい」
「ねぇ、もしかして、あの鼻は策出さんの…?」
マスターが私を見て頷く。
「街中で見かけて、美しかったのでちょっとだけ成分を頂きました。その分、策出さんの鼻の成分が減ってしまったので、土や、草を混ぜて新たに錬成して作り直してくっつけました。一度落っこちてしまったようですが、その後は何の問題も無いようですね」
「主婦の皮と骨もか?」
「そうです。成分だけ少し頂いて、自分で作ったものを部屋に置いています」
「赤い雨は何なのよ…」
「人間を量子レベルにまで分解して再構築するのに、水分は邪魔なんです…」
「瓶は何?」
「赤い雨に驚いた人の悲鳴を瓶詰めにしました。それを、階段を踏むたびに音が出るように細工したんです。素敵でしょ?」
あれは、階段の木の板が軋む音が人の悲鳴に似ていたのではなく、悲鳴そのものだったのだ。なんて悪趣味なのだろう。
その時、戸口にまた黒い人影が現れた。
陽ちゃんが口元に手を当て、ヒッと悲鳴を上げる。
「糸?どうして、こんなところに居るんだ?」
それは、よく聞き覚えのある声…。部屋に入ってきたのは、父だった。どうして、こんなところに…?聞きたいのは、こっちだった。
もしかしたら、携帯電話にGPS がつけられていて、私が家にいないので、心配して来てくれたのかも…。いつもは、ほったらかしにされていても、こういう場面で頼りになる人物に会えたことで、私は心底ホッとしていた。
「父さん、聞いて。この人がお母さんを…」
父に近づいて話し出した私の首筋に、鋭い痛みが走る。
「痛い!何を…」
驚いた私の目に飛び込んできたのは、大きめの針の付いた注射器を握った父の手だった。
「全く、いけないなあ。ここは今、父さんの一時的な研究所なんだ。子供が出入りしていい場所じゃない」
「ここが…父さんの…研究所…?何故、お母さんを…?」
「身近な人間は、いい観察対象になるんだよ」
突然、目の前をヒュンと音をたてて何かが通り過ぎ、父の手にあった注射器のようなものが吹き飛んだ。
ゴトンと音をたててトンカチが床に転がる。
「おい、お前。糸の父親だかなんだか知らねぇが、身内にそんな酷いことしていいのかよ?自分を信じてくれる人に対して、申し訳ねぇと思わねえのかよ!」
父が手をさすりながら顎を上げ、久竹を見下すような表情をする。
「ワタシの研究のバックには、資金を出してくれてる団体がいる。ワタシの一存だけで、こんな研究をしている訳じゃないよ。まだ世間を知らない君に教えておこう。世の中は、目に見えないところにこそ、真実があるんだよ」
父が、疲れたように溜め息をつく。
「それはそうと、君の首筋に出来た赤い発疹の調子はどうだい?宇宙で採集した未知のウィルスを君の体で試しているんだが…」
「何してくれてんだ、この人でなし野郎!」
久竹が父に飛びかかる。父の顔面にその拳がヒットしようとした時、マスターがサッと手を上げると父の体が壁まで吹き飛び、そのまま気を失った。
「全く、いくら資金を出してもらえるからといって、言いなりになってはいけませんねえ。それじゃ、ただのマッドサイエンティストですよ。かつてのワタクシの部下とはいえ、情けない」
マスターが上げた手を下ろし、あきれたように首を振る。
「引退したワタクシまで駆り出されて、もう疲れました。誰の手も届かない、宇宙にワタクシは行こうと思っています。美しいコレクションを手土産にね。ワタクシの体に配合された宇宙の成分が帰りたがっていて、年々その望郷の思いは強くなるばかりなんですよ。そうだ、陽さん」
突然話かけられた陽ちゃんがビクッとし、不安そうに体の前で両手を握る。
「あなたに、今どうこうしようとする気はありませんよ。あなたの肩に乗っているワタクシの子供、返してもらえませんか?」
「お前の、子供だと?」
久竹が驚いて目を丸くする。
陽ちゃんの長い髪に隠れていた黒い小さな物体が顔を出すと、ピョンピョンとテーブルの上を移動してマスターの肩に乗った。
「正確には、子供じゃないんですけどね。ワタクシの暗黒物質の成分と、陽さんの精神を混ぜ合わせて作りました。この子はきっと、宇宙で美しく育つでしょう」
「おい、糸」
いつの間にか私の側に来ていた久竹がそっと耳打ちしてくる。
「このまま、コイツをむざむざ宇宙に帰していいのかよ」
「それは…。でも、どうしたら…」
その時、突然目もくらむような光を窓の外から照射され、驚いて久竹にしがみつく。
窓の外から怒声が聞こえてくる。
「どこだ?!」
「喫茶店にはいないぞ!」
「皆さん!こっちです!!」
複数の大人たちの怒号が飛び交い、ドヤドヤと階段を登る足音がする。
戸口に姿を現した複数の男たちが、一斉に銃を構える。
「アイツです!」
この声は…策出さんだ。警察を連れてきてくれたんだ!
「撃て!」
「お前ら、伏せろ!」
久竹が私と陽ちゃんを床に押さえつけるのと同時に、一斉射撃が始まった。
頭が割れんばかりの轟音に、慌てて耳をふさぐ。
その音が止み静寂が訪れた時、顔を上げると辺りは銃による煙で何も見えなくなっていた。かろうじて、私たちと同じように床に伏せている久竹の父と私の母が見えた。二人は無事なようだ。
マスターは?辺りの煙が薄れてきた時、警察官たちに動揺が走るのを私は感じた。マスターは部屋の奥に移動し、まるで無傷だった。
「ワンワン!アオーン」
「なんだい、おまいさんは、化け物だったのかい?」
振り返ると、レタを連れた農家のジイサンが部屋に入ってきた。
「おまいさんの自作自演だったのかい?あのレタスは、たくさんの人に食べてもらいたかったのによお」
「ああ、お金は払ったし、迷惑をかけるつもりは無かったんだがね。悪かった」
そのやりとりの間、私は久竹が居なくなっていることに気が付いた。
一体どこに…。
銃による煙が完全に晴れたその時、久竹はマスターの背後にいて、リュックから何かを取りだし床に置いた。
「お前が、コンセントの側に来るのを待ってたぜ!」
久竹がカチとスイッチを入れると、強風が繰り出されマスターの体半分が煙になり吹き飛んだ。久竹が背負っていたのは、送風機だったのだ。
「おお、殺ったか」
一同にどよめきが走る。
だが、そこに響いてきたのは、マスターの高笑いだった。
「ハハハ。着眼点は良かったがね、久竹君。再構築なんか、ワタクシにはお茶の子さいさいだよ」
強風の中、マスターの体が再びじょじょに元に戻っていく。
くそっ。ダメ元だ。私は久竹の側に駆けより、家から持ってきたものを鞄から取り出してマスターに吹きかけた。
「くっ。何をする!そんなことをされたら、再構築が難しくなる!」
「殺虫剤か!お前もなかなかやるじゃないか」
久竹に誉められ、私は嬉しくなる。
「こんな目に合わされるとは…。もう少しここにいたかったが…。さらばだ!」
久竹の用意した送風機をさらに上回る、竜巻のような風が巻き起こり、私は頭を抱え床に伏せる。
「ウワッ」
「キャア」
あちこちから悲鳴が上がる。
やがて風が収まり、辺りに静寂が訪れ、私は顔を上げる。
ログハウスとマスターは消え去り、私たちは全員何も無い草原の上でただうずくまっていた。