なかったことに
二月二十日。
火曜日。
一時間目は数学だった。
鞄の中には数学の教科書とノートが入っていた。
ノートには昨日の授業の内容がきちんと書かれていて、宿題も問題なく解いてあった。
昨日の記憶はなくとも、十分に予習をしてから授業に臨むことが当たり前になっている優芽は今日の授業内容に苦しむことはなかった。
なかったが、頭の中はそれどころではなかった。
一言で表せば、後悔。
なるほど、友莉の指摘はもっともである。
未来のことを知っている夢叶優芽が昨日、いたのだとすればそれは間違いなく未来から過去へと戻ってきた優芽なのだろう。
それはつまり、未来の自分が、『過去に戻る』能力を使用したことに他ならない。
(どうして……どうして?)
どうして自分は、この能力を使ってしまったのだろう。
もう二度と使ってはいけないと、もう二度と使わないと、あの人に、綾文綾に誓ったはずなのに。
優芽の頭の中は、それだけでいっぱいだった。
綾との約束を破った未来の自分への後悔。
もう散々失敗してきたはずなのに。
もう散々世界をねじ曲げてしまったはずなのに。
今掴んだこれが本物だって親友と共に前を向いたはずなのに。
(どうしてっ……! また! 後ろをっ! 向いてるの!?)
その事実が、悔しくて悔しくて堪らない。
何より、自分が本当は前など向いていないことを優芽自身は知っているからこそ悔しい。知っていた。
綾に誓って使わないと決めた能力であったとしても、自分のためなら使うだろうということを知っている。どこまで行っても、自分はそういう風にしか生きられない。
だから今ここで泣くことはできない。
泣いていいのは、それこそ友莉と奏音、二人の親友だけだ。
友莉が怒ったのは、また優芽に隠し事をされたから。それも、能力を使って未来から戻ってきたはずの優芽が相談をしなかったからだ。
能力を使ったこと自体にも怒ってはいるはずだが、それより何より、過去に戻った時点で、どうして未来のことを相談してくれないのか。友莉はまさにその部分に関して、優芽を叱り飛ばしたわけである。
(第一、どうして今の私には、わからない、わけ?)
優芽は親友の憤りを痛いほどその身に感じて、それをそのまま自己嫌悪へと繋げる。
嫌いで嫌いな自分という何某は、親友に対してどんな仕打ちをしているというのか。
(……あなたなら、何か、知っているの? 萌映?)
あたかも、幻聴の主が夢叶萌映であるかのように優芽は問い。
しかし答えは、ない。
昼休みになってすぐ、優芽は奏音の元へ向かった。
本来ならば事前にメールの一つでも入れておきたいところだったが、真面目な奏音は校内では携帯電話の電源を切っている。そのため会おうと思うと直接赴くしかない。
勉強する場所である高等学校という場におけるルールを遵守しているという意味では正しく模範的だが、そもそも携帯電話を学校に持ってくる理由が緊急時の連絡用であることを考えれば電源を切ってしまっていていいものなのかは微妙なところである。
そして優芽は今まさに緊急の用事がある。
「奏音っ、あの、あのね」
「あら優芽。珍しいわね。どうかしたの?」
まずは生徒会室に移動したい、と、言いかけて。
優芽は友莉の言葉を思い出す。
友莉は、昨日の優芽を信じ、そして今日の優芽に裏切られたのだ。
もしかすると奏音も同じかもしれない、そう思い、優芽は告げる言葉を変える。
「ごめん……ごめんね。ごめんね……本当に、ごめん」
「優芽?」
「ごめんなさい。私、私、また、ううん、まず、もう、私、奏音と友莉のこと、裏切ってたかもしれない。裏切っているかもしれない」
「ちょ、ねぇ」
「ごめんね。私、ね。もしかしたら、時間、巻き戻した、かも」
「優芽ってば! 聞く! 聞くから! 落ち着いて!」
「え……?」
言われてから、ここが教室の入口で、教室どころか廊下にいた同級生も含めてこの場にいる全員の視線を集めていることに気付く。
「あ、ごめ」
「謝らなくてもいいです。今のことも……そのことも」
そのこと、と表現した奏音は、優芽には推し量れない表情だった。
少なくとも、怒ってはいないようだった。
昨日の優芽は、奏音に対しては何もしなかったのか。或いは、気を遣っているのか。
どちらにせよ場所を移すことにした二人は生徒会室に向かった。奇異の視線は止まなかったが、時既に遅しと諦める。
生徒会室の扉を開けると、見慣れた手狭な空間がそこにあった。元々空き教室ですらない物置を改造して作られた生徒会室は、中央に楕円形のテーブルを配置している所為で一層狭くなっている。それでいて会長の席はきちんと一席設けられており、ついでにホワイトボードと電子ケトルの置かれた長机が中央のテーブルを囲んでいる。
十人もいればいっぱいになってしまいそうなこの空間で二人、優芽と奏音は向かい合う。
「誰もいないわね。珍しい。もしかしたら、櫛咲くんとか弥々ちゃんがいるかもって思ったけど」
「ん……でも、相談しづらい、かも。ちょっとだけ」
「そう。私にはできる?」
「うん、うん。その……」
一瞬だけ、間。
「助けて……助けて、欲しいの」
「うん。助けさせて欲しいわ。優芽を」
言い淀む優芽とは対照的に、奏音は間髪入れずに肯定する。
そう答えることが、それこそずっと前から決まっていたかのように。
「話して。優芽」
「うん……」
昼休みはそう長くはない。
それを言い訳にしたわけではないが、優芽はひとまず自分の内に起きているらしい幻聴についての説明は省いて、今この瞬間起きている現象についてだけ概要をまとめた。
優芽の主観では一日未来に飛んでいるということ。
しかし友莉曰く、昨日の優芽は友莉に対して「明日の何も知らない私を適当にあしらって欲しい」とお願いをしたという。
友莉はそれについて、未来のことを知っている夢叶優芽と判断、つまり優芽が自身の不思議な能力を使って未来から過去へと舞い戻ってきたと考えている。
優芽自身も、どうして昨日の記憶がないのかは不明だがその線が強いんじゃないかと疑っている。
端的にまとめるとそんな程度の話で。
わからないのは現状、昨日の優芽が一体何者なのか、という一点に絞られる。
「けど、昨日の記憶がない、と。いいえ、曖昧とか靄がかかったようって具合じゃなくて、優芽にとっての現実では一昨日の次が今日だった」
「う、うん」
「うーん……そうね……」
奏音は考えるように目を瞑った。背筋がぴんと伸びたその姿勢は美しく、瞑想しているのだと言われても信じるかもしれない。
奏音の思考を邪魔しないよう優芽は息を潜め、自分でも奏音の言葉を反芻する。
友莉の言葉も間違いではないだろう、と優芽は考える。
明日のことを知らない自分は、まず間違いなく明日の自分のことを友莉に話したりはしない。何かしらの目的か思惑があってそのような行動をしていた、はずである。
しかし、優芽の主観のみを軸に据えると、これはむしろ未来に到達していると言う方が正しい。
「あ、と、その前に。友莉はどうやら昨日の優芽のおかしな言動を知っているみたいだけど、私にはないの。だから優芽が昨日どうだったのか、私は知らない」
「そう、なんだ」
「どの道もう一度ちゃんと友莉に話はするんでしょう?」
「う、うん。それは、そのつもり……」
奏音は昨日の優芽とは話していないらしい。
もしも未来の記憶を持つ夢叶優芽が昨日いたのだとすれば、彼女はあえて選択し、奏音に会わなかったことになる。
そのことにどれだけの意味があるのかはわからないが、昨日の奏音に話せず、昨日の友莉には話せる理由があったのかもしれない。
どちらにせよ、未来のことを知りながら、友莉を意図的に怒らせた優芽の存在は否定できない。
「それにしても、なんだか悪い予感が当たっちゃったわね」
「悪い、予感?」
「ほら、最初は体育祭でこんなことが起きたじゃない。優芽からすれば、起きたというより、起こした、が正解なのかもしれないけれど」
「正解も何も、最初の一回以外はずっと私の意思で起こしてた、から」
「そうね。けど私たちにとっては全部が謎で不思議な大事件だった」
「うん……」
六月の体育祭。
少年少女の願いは時間という概念をねじ曲げることで成就されようとした。
結論だけを論じるならば、願いは叶わず。
人為的などうしようもないほどの偽物も、本来在るべき筈の本物でさえ否定した。
双方を否定して、痛み分けしただけの事件。ただ現状維持を、全ての思いに保留をかけただけの事件だった。
「次は、文化祭。残念ながら、関わることすらできなかったわね私たち」
「事件自体を、認識できなかったから、仕方なかった……んだと、思う」
「仕方なかった……そうね。仕方なかった。知らなかったからね」
奏音は無知であったことを強調した。まるで、無知は言い訳にならない、とでも言いたげである。
事実、優芽も奏音も文化祭に際して起きた事件については、否、正確には文化祭前に起きた事件については知らなかった。
知ることができなかった。
問題が発生したことは、知らされた。けれど、その本質も本題も、事件の中心にあった後輩のみもりと詩織の二人、そして今やみもりの想い人となった千晶の三人以外にはわからなかった。
文化祭は十月。
ある少女の願いは、世界に唯一の矛盾を引き起こした。
矛盾は認められず、それで世界は矛盾を隠した。事実を隠した。
隠された優芽らには矛盾を認識できず、認識できた者が矛盾を破壊して今に至る。
誰も何もこの件について触れないが、矛盾を破壊する代償は十分すぎるほど痛すぎるほど致命的なまでに支払っているのだと思われる。
世界は残酷に公平だった。
「私たちも板に付いてきたわね。ただの平々凡々な高校生であるはずが、気付けば誰もが夢見る時間遡行を実現している。素晴らしい経験ね。就職活動で話せるかしら」
「やめておいた方が、いいと思う」
「冗談よ。大人しく生徒会の経験でも……いえ、大学生にもなっていないのにそんな先の話はやめておきましょう。まずは卒業式」
「卒業式……? なんで?」
「いえ、体育祭、文化祭と来て、今この時期じゃない。バレンタインデーもいい線行っているけれど、これからを思えば一番のイベントは卒業式でしょう。……特に三年生にとっては」
「……三年生に、とっては?」
今更何を、と言いそうになった優芽は口を慎んだ。当たり前のことを当たり前に語ることに違和感を覚えたのは間違いないのだが、奏音がそんなことにも気付かず言葉を選んだはずがない。
卒業式は誰がどう考えても卒業生が主役で、その両親や担任、後輩の順に優先度が高くなるものである。
そのことをわざわざ言葉にした。
つまり。
「……奏音。これが、今この私に起きた現象が誰かの意図的なものであるとして、その原因、三年生にあると思ってる?」
「そうね。まだ何の情報も状況も把握してはいないから可能性でしかない、とは言わせて貰うわよ?」
「うん。考えを聞かせて」
「ひとまず事実、この世の理ならざる問題は確実に発生しているとして」
前置きは忘れない。
そもそもが、この前提条件からして狂ってしまっているのだから。
「更に大胆に、過去二回の事件のことを踏まえて。この事件の主犯は生徒会役員の誰か、複数犯の場合においてのみ役員の友人まで含めてしまっていい、と考えてみる」
「大胆、だね」
問題が起きているならそれは自分たちの誰かが引き起こしているのだろう、とはまた随分と楽観的、または悲観的な見解である。
奏音にとってはしかしこの部分は仮定ですらなく、ほぼ確定事項に近いようであった。
「他の人が勝手に起こして勝手に解決するならそれでもいいけれども、大体、今だって私にはそんなこと起きているような実感がないのよ。優芽、あなたと友莉の二人しか異変に気付いていない。
これってだから文化祭の時と一緒で、限られた人にしか認識出来ない類いの事件なんでしょう。体育祭の時だって、実の所背後で何が起きていたのかまでは気付いていなかったんだから。
何が言いたいかって、限られた人にしか観測できない事件をあなたは正しく観測できる……これが問題に関わっていないなんて道理、通るわけがない」
奏音の結論が、優芽にはわかった。
「じゃあ、綾文かいちょ……先輩と、光瀬先輩に話を聞きに行くんだね。二人も異変を覚えていたら、犯人候補筆頭で……二人とも何も感じていないって言うなら、その時は」
「優芽。あなたしかいないでしょうね」
「ってことだね。友莉の言う通り」
誰も観測していないというのなら、唯一観測できている優芽が引き起こした事件である。当然の結論に優芽は驚きはしなかった。
ただ哀しみと苛立ちとだけが残る。
「私は、なんで、時間を戻しちゃったのかな。それで、どうして、そのことすら忘れてるのかな」
「残念ながら、私に未来は見えないわ。だから一体何が起きたのか、起きているのかはわからない」
「そっか。私が自分で、見つけなきゃいけないんだね」
自分で犯した罪を自分で探しに行く。実に自然なことなようにも思えたが、優芽にはそれが不自然極まりなかった。まるで自分が二人いるかのような状態で、自分がただ一人である保証もないままに自分と向き合うことが不気味で仕方がない。
奏音の提案は至ってシンプルで、卒業式が近づいて発生した事件なのであればそれに関わる人間の引き起こした事件である可能性は高いのではないか、というもの。
そのため奏音はまず高校三年生で生徒会役員に籍だけは置いている綾と光と話してみてはいかがなものかと話した。
卒業式と、事件、事故。
関連性は見えてこないが、関連していないはずはないという奏音の意見には優芽も賛成する。
自分が一番の容疑者である自覚もある。
ただ、手がかりが少ない。
「卒業式、かぁ。なんだろうね。やっぱり私、綾文会長が卒業しちゃうのが嫌で時間、戻してたり……」
「確かにその辺の背景も気にはなるけど……」
「え、他に気になること、ある?」
気になることなら幾らでもあるが、ありすぎてまとまらない。優芽には全てがおかしく見えているのだから無理もない。
無言で先を促す優芽を横目に、弁当箱を開けた奏音は上品に手を合わせて昼食を楽しみ始める。
優芽はその不自然さを指摘せず、自分も奏音に合わせて弁当の包みを開けることにした。
自慢の母の自慢の手料理は冷めてもなお温かい。生命活動をしているが故に体温を持つがその実は冷えている優芽の心とは真逆に。
「……なに?」
だから、奏音が言いづらそうにしていることも、平気で聞けてしまう。
少しでも人間味のある存在だったならば、訊かないのかもしれない。
少しでも機微を察する能力に長けていれば、訊かないのかも知れない。
しかし、今この場にいる優芽に、そんなものは、ない。
「優芽、あなた目の前のことばかりに気を取られて、大事なことを忘れている」
「大事な、こと?」
「ええ。あんまり焦らす趣味もないから言うけど、優芽あなた、自分の能力の発動条件を忘れているでしょ」
「発動?……あ」
優芽の持つ異常な力。
時間を自分が望む好きな地点にまで戻してしまう力。
しかしそれは好き放題に時間を操る能力などではなく、むしろその逆。望まぬ未来が訪れて初めて発動し、なおかつ自分自身の力ではその運命を変えることを出来もしない半端な偽りの力。
優芽の持つ時間の巻き戻しには、確かに発動のための条件があった。
「私にとって、大切な人の、傷」
言い換えれば、この事件は。
「優芽であるにせよないにせよ、まずはこの現象をひきおこしているのが誰なのかを知る必要はあるわ。けど、結局、何故引き起こしているのかがわからないと……」
かつての体育祭の事件では、親友を救うために時間を巻き戻した。
だから、幾ら誰かの尊厳を踏みにじることになろうとも、幸せな誰かを不幸にしようとも、繰り返すしかなかった。
繰り返す中で目的が変わってしまっても、根本にある想いまでは変わらなかった。
櫛咲櫛夜が、綾文弥々が、狩野奏音が。全てを終わらせようとしなければ、きっと優芽は無限に同じ時を歩んできただろう。
心が死ぬまで。きっと、ずっと。
時間を操る想いとは、それほどまでに重く、辛く、切ない。
一高校生の気の迷いなどでは片付けられない。一人の人間の全力を賭してでも成し遂げたい意志の強さがそこにはあるから。
だから、その原因を、想いそのものを断ち切らなければ、また、時間は繰り返される。
「私たちはまた、閉じた時間に囚われちゃうわね」
奏音はそれだけ零して、優芽の胸に人差し指を当てた。
「私も訊くわよ優芽。あなた――本当にまた罪を犯したわけじゃないわよね?」
信じる気持ちすらやがて薄れ。
親友という型に納めたはずの友情はもう、この世界にはなくなってしまっていた。
『ほらやっぱり、どうしようもなく、罪は連鎖する』
久しぶりに聞こえた幻聴は、その口調すら自分そっくりに、しかし優芽が発したことのない声色で嘲笑した。
優芽は奏音の手を払い、首を横に振る。
親友でなくなった人間に、この先を頼むことはできないから。
「後は私に任せて。全部解決したら、全部話す。私がそうなら、私だったって。私でないなら、そうだったって。全部」
「それを、今の優芽が言うの?」
「今だから、言うの。まだ私じゃない可能性を少しでも残した、罪の意識のない今の私だからする、宣言」
「でも、助けてって、言った」
「言ったよ。数分前はね。でももう状況が変わった。今の私じゃ奏音と友莉の親友を名乗れない。今はただの知り合い」
「でも私は、優芽を疑いながら助けるわよ。そうじゃなきゃおかしいでしょう。言うだけ言って、責めるだけ責めて、あなたを追い詰めて、自分だけ事件から逃げるなんてことはできない」
間。
「……る、さいなぁ! 何ができるの!? 何をしてくれるの!? 助けて欲しかったのに、私は助けて欲しかったのに! 私が元凶の可能性が高いって言うだけ言って、それがどんな救いになるの!? 私は、私が一番私を疑ってるけど、だからこそ、上辺の言葉が欲しかったよ! 偽りで偽物で不自然な慰めの言葉が聞きたかった! どうしてまた私なの!? なんでまたおかしくなっちゃったの!? どうして、どうして私はまた親友を裏切ってるの!? わかんないわかんないわかんないよ!!」
「ゆ、め……」
優芽がずっと抑えてきたはずの感情が爆発する。
わかった振りをしてきた化けの皮が剥がれる。
剥がれた後には何も残らない。
「綾文会長が、綾文綾さんが卒業しちゃう、寂しいよ! 辛いよ! ずっとこのままでいればいいのにって思うよ!」
「好きな人と同じ場所で同じ空間でいられるためなら時間くらいまた巻き戻したっていいよ!」
「他の人への迷惑なんてどうでもいいよ! たった一度きりの人生なんだから、私にとって一番の幸せが綾文会長と一緒にいることなんだから、他の誰かの不幸を差し置いてでも一緒にいたいよ!」
「卒業なんて、離ればなれなんて嫌だよ!」
「奏音と友莉にも傍にいて欲しいよ! 親友としてふざけあったり勉強を教えあったりしたいよ!」
「弥々ちゃんやみもりちゃん、詩織ちゃん達も一緒にいたいよ! 可愛くて逞しい後輩の恋路だって応援したいし、必要なら私の足りない経験でアドバイスもしたいよ!」
「お母さんとお父さんだってそう!」
「いいじゃん! だって、このまま私が成長したらいつかは先に死んじゃうんだよ!? そんなの嫌!」
「皆もそう、いつかは誰かが死んじゃうのを見なきゃいけない!」
「嫌……嫌だよ、怖いよ、怖いよ! 怖くて仕方ないの! 私が一番に死ねばいい、でも、その前に絶対誰かは死んじゃうの!」
「なら私が戻せばいい! 私の周りで誰かが死ぬなら、生きてる時間まで戻せばいい! そうやって永遠を永遠に生きればいい!」
「皆にとってはたった一度の大切な時間で、私にとっては大切な人が死ぬまでの限りある貴重な時間!」
「いいじゃん、この世の法則に縛られないこんな力があるんだから、それを使って本来在るべき姿なんて捻じ曲げればいい!」
「在るべき姿なんてない、在るべきなのはただ今ここに存在するって事実だけだよ!」
「それだけでいいじゃん! 前になんて進まなくていいじゃん!」
「どうして私は責められたの!? どうして私は諦めさせられたの!? おかしいよこんなの!」
「こんな事件、どうせまた私が犯人に決まってる! どうせこんな私のエゴで生まれたに決まってる!」
「犯人が決まっていて動機もわかっているんだから、後は証拠と方法を探すだけ!」
「もういいよ! いいんだよ! これ以上私を惨めにさせないでよ!」
「間違ってるなんて私は少しも考えてないけど、私以外の誰もが私を間違っているって言うし、結局私はこの事件を解決して前に進まなきゃいけない! 綾文会長の卒業を迎えなきゃいけない! 綾文会長のいない世界に生きなきゃいけない! それで、また来年には今度は奏音も友莉もいない世界に進まなきゃいけない!」
「わかってるの! そんなのわかっていて、けど私の頭は納得してくれないの! 自分が間違っているようには絶対に思えないの!」
「でも無理矢理、奏音が友莉が、そう言っているんだからって私は私を騙してる! けどそれも限界で! もう私は二人の親友じゃいられない!」
「だからせめて、二人が本当の本当に幻滅しないように、この事件は自分で全部解決させて欲しいの! 私が何を考えてどんな決断を下してこんな世界を創ったのか、もう私の嘘は散々なの!」
「二人には、思い出の中くらいまだマシな私を残していて欲しいんだよ……」
「だからもう関わらないで。私を見ないで。そっと記憶の中に留めて忘れてよ」
「この事件だって全部を明らかにしたら皆の時間を戻してなかったことにしてあげるから」
「大丈夫、待っていればいつかは私の大切な人に不幸の一つも訪れる」
「その時にまとめて時間を巻き戻しちゃえばいいの」
「十年でも、二十年でも。そうすれば私たちはまたやり直せる」
「巻き戻した後で、体育祭が終わってから今日までのたった数ヶ月かもしれないけれど、確かに本物の関係が築けたんだって言える時間だけを私たちは繰り返せる」
「それでいい、そうしよう? やっぱり私たちは後ろを向いて、過去に縋って生きていこう?」
「ううん、奏音はそんなことしなくていいの。私だけ、私だけが知っていればいい」
「奏音は黙って普通に普通の未来を見据えていればいい。奏音が望む未来も実現するし、私が望む過去も実現する」
「それで全部解決じゃない」
「私たちに不要なのは"今"だってこと」
「なら、その今の価値なんて消してしまえばいい」
「それだけ、それだけだったんだね。うんうん、わかった、私はそうしよう。それでいい」
罪以上に、狂気は連鎖する。
「優芽!! あなた!!」
「未来が見える能力を持つ奏音に、どうしてこの未来が見えないんだろうね……綾文会長にはどうしてこの未来が見えないんだろうね……簡単だよ。未来がないから。ありもしない未来は予知もしようがない。それってつまり、私のこの言葉が、実現できているって何よりの証拠になると思わない?」
繰り返すたび深みに嵌まる。
「操れない確率を操った。抗えない運命に抗った。隠しきれない真実を隠した。だから最後に選ぶのは、変われない私自身を変えることなの」
自分を変える、という言葉が最悪の意味を有して形成される。
「自分を否定するのはもうやめ。私は私を肯定する。間違った世界だなんて誰にも言わせない。ここが正しい世界だよ」
言葉は虚ろに、優芽の心象を何一つ映し出すことなく紡がれる。
「優芽、どうして……!? おかしいよ、間違ってる!」
「なら、奏音が間違ってるって思うその心象も、時間と一緒になかったことにするね」
見開いた目はもはや親友の泣き顔を捉えない。飾りだけの耳は嗚咽の混じる親友の声を捉えない。
「時間を繰り返して気持ちに変化があるのはあの男で実証済み……あいつは綾文会長から弥々ちゃんに乗り換えた……なら長い時間をかければなんでもできる……なんでも、なんだって! 私には、無限の時間があるんだから!」
けれど、自分の自分では見ることができない。
――だから優芽は、奏音の瞳に映る自分自身が、奏音以上に泣きじゃくっていることに気付かない。
気付かぬまま、結びの言葉を口にする。
「時間さえあれば、心象を操るくらいできるよね」
今ここに、夢叶優芽と親友との絆は、完全に絶たれてしまった。
弱い自分を必死に守る優芽の選択は修復不可能な傷を互いの心に刻みつけ。
優芽は生徒会から姿を消した。