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心象を操るのは  作者: 安藤真司
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その名前

 二月十六日、放課後。

 卒業式を目前に控えたこの二月中旬、その運営を行う生徒会はしかしそれほど多忙を極めてはいなかった。

 その大きな理由としては、体育祭や文化祭とは違い、卒業式や入学式といった式典は基本的に生徒が問題を起こしようがなく、加えて段取りだけ準備していれば生徒も保護者も教員も全員が体育館という同じ空間内に存在し、手の届かない場所に誰も行かないことが挙げられる。

 卒業式の準備が順調であり、かつ書記としての日々の業務も溜め込んでいない優芽が一日休んだところで誰にも迷惑はかからない。

 またタイミングがいいことに、年明けから優芽たち新三年生は来年の受験に向けての勉強が本格化してきたことで周りでも塾の体験授業を受講する同級生が増えてきている。

 これら環境が偶然にも重なってくれたおかげで、優芽が「少し用事、できた」と言って休んでも誰も不思議に思わなかった。

 嘘を吐く胸の痛みを若干感じつつも、優芽は放課後、珠子に呼ばれて喫茶店へとやってきていた。

 なお、幸魂高校では当然の如く生徒が下校中に食事処に立ち寄ることを禁じている。生徒の安全を考えれば下校時、どこともわからぬ場所に行かれてしまうのは大問題であろうが、実際のところはほとんど守られていない。

 生徒の模範となるべきである生徒会役員の面々が唯一破っている規則はこれだろう。なにせ、高校生には高校生なりに話し合いの場が必要なこともある。

「幻聴が明らかに自分の声で聞こえてくる、と。ふーん……いや、私からこういう場に呼んでおいてなんだけどさ、やっぱりそれ普通に病院に行った方がいいと思うよ」

「うん、そう、そうなんだけど」

 幅広い年齢層の客がわんさか集まる全国チェーン店には優芽と珠子のような高校生も多く来ており、変に目立つようなことはない。

 ただし、生徒たちが思っている以上に制服という存在の主張は強く、周囲の大人も、同世代の人も案外誰がどこの高校なのかということはわかってしまうことは多い。地域でそれなりに知名度のある高校であればなおさら、だ。

「ただの精神疾患じゃないって思ってるわけ。またおかしな事件に絡んでるんじゃないかって」

「う、うん、たぶん」

「あー待ってごめん、言い方が悪かった。私だってまぁ思うところがあってこうして一緒にカフェってるから、尋問みたいになるのは許して」

「カフェってる……?」

 意味はわかるが意味がわからない。

 新しい言葉というものはこうして生まれていくのだろうかと優芽は思いを馳せる。

 言葉なんか連ねても何も伝わらないくせに。

 次々に新しい言葉が生まれて古い言葉が死んでいく。

 人と同じだ。

「なに? あれ、意味わかんない? 普通にカフェに来てるって程度の意味だよ」

「わかるけど、さぁ」

 きょとんとした珠子の表情はまるで子どものようだった。

 先ほど話したときは体育の、それも走っている最中であったので今こうして話す珠子はまた雰囲気が違う。

 汗で濡れた額や張り付く髪の毛、肩で大きく息をする珠子の姿はどうにも艶めかしく感じられた。

 反対に今はワイシャツにネクタイ、その上からセーターを着ており、上着は脱いでいる状態。セーターは学校で指定されているクリーム色か紺色ものではなく焦げ茶色で、自分で持っていたものを着ているらしい。

 良い悪いはともかくとして、こと制服に関しても大人しい幸魂高校の生徒としては指定外のセーターを着ているだけでも珍しい部類におり、あくまで一高校生の私的な意見として珠子のそうした洒落っ気は彼女の闊達(かったつ)さに通じていて悪い印象はない。

 毎日手入れを入念にしているのだろうか、照明の光を負けじと照り返す髪も綺麗で自分とは大違いだ。

 選り好みしなければ、いや、選り好みをしたっていい彼氏がいて不思議ではない。

 どうして珠子はそれでもなお、櫛咲櫛夜のことが好きだったのだろう。今でも好きなのだろうか。友人でもない優芽にそれを尋ねるという選択肢はなかったので、思うだけにして心に秘めておく。

 嫌いだが可愛らしい珠子に対してこっそり恨みを抱いておいて、それでかつ男趣味が悪いなと蔑んでもおく。脳内自己保身は欠かさない。

「さてと。じゃあ最初に確認しておきたいんだけどさ。体育祭以降、生徒会の人で不思議でおかしな事件に巻き込まれた人っている?」

「え、な、なんで」

「もしそうなら、さすがの私も現実離れした力が私たちに働いてるって思う。その幻聴とやらがただストレスから来るものじゃないって考えるかもしれない」

「……」

 優芽はここで少しだけ悩んだ。

 体育祭が開催されたのは六月で、実のところ珠子の指摘通り、十月にも類似の事件は起きている。だがその事件に優芽は一切関わっていない。

 事件について話すということは、事件に関わった人の想いを話すことに等しい。

 完全なる部外者である自分が勝手にそんなことをしてしまっていいものだろうか。

 第一、説明するのは得意ではない。

「内緒」

「徹底してるわね」

「言うべきことじゃ、ない」

「そう。ならそっちはいいわ。幻聴と能力との関係を疑う理由について聞かせて?」

「うん」


 優芽に幻聴が聞こえ始めたのは、今年一月に入ってからのことだった。

 年末年始の高揚感も消え薄れつつある冬休み最終日、いよいよ明日から学校が始まるな準備をしっかりしておかねば、と考えながらカレンダーを眺めていたとき。

『いつもそうやって目を背ける。本当にそれでいいのか?』

 聞こえた声は、厳しく、優しく、冷たかった。

 それが自分の声であることに気づくまでに時間はそれほどかからなかった。部屋に一人しかいないからだとか、聞き慣れた声だからという理由以上に、漠然とした心当たりがあったからだ。

 いつも目を背けている自覚があって。

 本当にそれでいいのかと自問している。

 だから不思議とその声は優しいのだろう。

 だから確実にその声は冷たいのだろう。

 これまで聞いたこともなかったはずの言葉が、一度知った途端にたとえば広告の中や教科書の中によく登場するようになる気がする現象と同じように、一度聞こえてしまうと頻繁に幻聴は訪れた。

 いつもいつも、自分の声で自分自身に問いかける。指摘する。

 まるで、自分自身の罪を少しずつ暴き貶めるように。


「別に、それ自体は、病院に行けばいいんじゃないかなって、思う」

「そうね。私もそう思うわ。よほどのストレスを抱えてるのねだったら溜め込むより前に友人や家族に嫌でも打ち明けた方がそれだけで随分と気が楽になるわよ、ってありきたりで効果も意味もない助言をしたくなっちゃった」

「意味は、あるんじゃない」

「あるわけないでしょ。人に話すだけでもし本当に解決するならそれは悩みじゃないわね。悩んでる自分自身に酔ってるだけ」

「し、辛辣だね」

「わかってるくせに。私もあなたも、解決できない悩みを抱えて、自分の根っこの部分は誰にも話せなかった。話した時には櫛咲くんには可愛い恋人がいて、綾文会長は傷心中。誰かに相談して気が楽になるわけないじゃんね」

「そうかなぁ」

 言っていること自体は間違っていないと思うが。

 優芽が自分で時間を巻き戻している事実を告げ、そして、その理由が自分自身の欲のためであることを打ち明けたのは、現在生徒会長を務めている、同級生で親友の狩野奏音(かのうかのん)であった。むしろ奏音の方から言えと脅迫されたが、それは余談。

 確かにあのときの優芽はどんづまりで、何一つ答えを出せていなくて、前に進むことも後戻りすることもできなかった。

 真に時間の循環に捕らわれてしまっていた。

 そこから救い出してくれたのはやはり奏音であって、優芽が生まれて初めて助けを求めたのは奏音であって、結局は伝わらない言葉で伝えることが一番大切なことだったのではないかと思う。

 伝わらない言葉で伝えようとする姿勢自体が、優芽にとって宝だったはずだ。

「じゃあさっさと結論を言ってちょうだい。そんなに気の長い方でもないの。すぐにでも櫛咲くんに事情を話したいくらい」

「え、やめて欲しい」

「冗談」

「……」

 冗談を言うくらいには気が長い、と好意的に解釈するべきか。

 はたまた単純に純粋にうざいの一言で済ませてしまうか。

 悩みどころではある。

 効果があるかはわからないが、せめてもの抵抗の意思表示として大きくわざとらしい溜息をしておく。が、珠子の表情になんら変化はなく、アピールになっていたようには思えなかった。

「例えば、ね、単に自己否定だけなら、私もストレスなんじゃないかって、思う」

「ま、そうね」

「けど、私の声で、私の知らない情報が、出てきた」

「情報? また抽象度が高いわね。具体的には?」

「うん……」

 明らかにおかしい、と思うようになったのは、幻聴が聞こえるようになってから初めて優芽の知らない名前が出てきたこと。

 いつどのタイミングで声が聞こえてくるかは不明だが、それ自体が優芽にとってストレスになっていたかと言えばそうでもない。いつだって自分で考え、嫌いな自分を否定してきた優芽にとってはむしろ嬉しいくらいですらあった。

 が、問題が発生したのは、綾の妹で、優芽の一学年後輩でもある綾文弥々と二人きりで会話していた時のことだ。

「いやいやいや、幻聴が起きたんならその時点で問題は発生してる認定ださないと駄目でしょうが」

「え、そ、そうかな」

「うわぁ……自覚なしとか……嫌だもうちょっと無理なんだけど」

「ひ、ひどく、ない?」

「あー待って別の疑問が生まれたわ。幻聴すら異常なしって言っちゃうあなたが、ええと、やっぱり幻聴聞こえただけなはずのさっきはなんで倒れたのよ。ノリ?」

「だって、あまりにも、リアルで」

 幻聴だとは思えなかったから。

 それも珠子の口から言われたものかと思ったから。

「んん。私のせいで話が逸れたわね。あなたの異常性はどうでもいいわ。で、あなたが知らない情報ってのは具体的に何を言われたわけ?」

 結局珠子が何を言いたかったのかよくわからないが、暴言を言うだけ言って「先どうぞ」と身振りで促してきたので優芽も疑問符は浮かべつつも続ける。


『自分を罪だらけだと思うか?』

『だが、お前が感じるものなどたいしたことではない。それは罪ではない』

『お前の罪は一つ、ユア』

『ユアを認める世界だけは、どうしても許されない。許してはいけない』


 およそ自分から発せられたとは思えないほど凜とした声。

 自分を責め続けてきた声がはっきりと罪という言葉を口にしたのはこれが初めてであり、どんなに酷い言葉を並べても以降も罪であるとだけは言わなかった。

 唯一、『ユア』なる何かに対してだけで、だ。

「で、そのユアってのにまったく心当たりがない、と」

「うん……玉川さん、何か、知ってる?」

「知らない。ぱっと思いつくのは『You are』とか」

「そんな、ダジャレ言ってる、雰囲気じゃない」

「そ? じゃあ普通に考えてみて……人名か建物名か地名かあるいはそうねぇ、例えばあなたが過去に作った、あなただけが解を知っている暗号って線もあるわね。その場合私が考えても仕方がない」

「ふぅ、ん……なるほど」

「どう? 少しは役に立つ?」

「び、みょう」

「ウケる」

 ウケたらしい。珠子の感性はわからない。

 記憶にないことは証明しようもないが、暗号など作った憶えはない。

 読書は好きだが読み手であって、優芽自身が書き手となることはない。クリエーターにはなり得ない。

 これまでの人生で一度だって、自ら何かを生み出したことなどない。

「でもユア……ユアねぇ……」

「え、なに?」

 セーターからはみ出た指先をすっと口元に当てて思案顔になる珠子。優芽はその仕草を見て、可愛い女の子がセーター等から指先だけをはみ出してそれらしい仕草をする現象・状態を萌え袖と呼称するらしいことを思い出す。袖ではなく可愛い女の子に萌えているのではないだろうかと不思議に感じる。

 珠子はそれほど難しそうな顔ではなく、妙に引っかかりを憶えるという程度の表情だったので迷わず聞いてみる。

「ちょっとでも、関連する、なにかが、ある?」

「ちょっともちょっと、たいしたことじゃあないんだけど」

 言い篭もるとは珍しい。

 なんでもかんでも思ったことをそのまま全て発言するタイプであると優芽は思っていたのだが、そうでない場合もあるらしい。

 よくよく考えてみればかつて優芽が欲望のままに時間を繰り返して綾と櫛夜が別れる世界を望んでいた際、櫛夜が好きで優芽に加担していた珠子はしかし、一度たりとも告白していなかった。

 それは優芽も同じではあるのだが、同性という壁もある優芽に対して何一つハードルのないはずの異性に何も言わない、何も言えなかったことから、今こうして優芽に対して話している時と、より大事な人と話すときとで随分と話し方が変わるのかもしれない。

 つまり、言い淀んでいるのは大切な人の迷惑になってしまわないかと考えている最中なのだろう。

 優芽としては正直そこまでして意見を欲しているわけでもなく、第一この非日常的な問題について人に聞いて一発で解決できるような意見があるとも思えないのでその旨は伝えておく。

「あの別に、たぶん私の幻聴、答えとか出ないから、なんでもいいよ」

「むしろ答えにほんの少しでも繋がったら嫌だから渋ってるの。ほら、私たちって万が一とか億が一って言葉に弱いじゃない」

「初耳」

「でしょ、初めて言った」

 けれど、珠子は誤魔化さなかった。

 思ったことは思ったこと。

 事実は事実。

 真実は真実。

 合っているかどうかなんて検証してみなければわからないものであり、ただの発言が正かった、なんて確率は微々たるものだ。

「名前ってよりは語感ね。言葉の雰囲気とか音の響きとか、そういったものの類似性」

「うん、教えて」

「綾文会長と、やーちゃん……弥々ちゃん」

 これまたきちんとした説明は受けていないのだが、珠子は弥々のことを『やーちゃん』と呼ぶ。対して弥々も珠子のことを『たまちゃん』と呼ぶのを聞いたことがある。

 一学年下の後輩をあだ名で呼ぶのはわかるとしても、どうして弥々が一学年先輩にあたる珠子のことをあだ名で呼ぶのか、そして生徒会役員でもない珠子がどのようにして弥々のことを知っているのか、その辺りも微妙に優芽は知らない。

 体育祭で時間の巻き戻しを起こした張本人である優芽だが、その解決に走ったのは櫛夜であり弥々であり綾であり、奏音だった。

 優芽の主観では親友の一人である奏音に全てを暴露されて断罪されて、助けを求めろと、助けて欲しいなら助けを求めろと言われただけだ。

 その言葉に納得してしまったから、それ以上でも以下でもない。

 これまで『ちゃん』や『さん』を付けた人間関係が、ただ名前の呼び捨てになったというだけのエピソードにすぎない。

 だから他の人がどう関わりどう納得して、どう納得しないままで事件を終えたのか、何も知らない。

 目の前の、玉川珠子の想いの一つだって、知りやしない。

「綾と、弥々。姉妹の名前」

「うん。でも、ユア、には、ちょっと遠いね」

 無理矢理に考えるならば、ヤヤとユアなら似ているだろうか。

 ぼんやりしていれば聞き間違えるかもしれない。

「そうね。別に綾文姉妹が関係あるわけじゃなくって、二人みたいにちょっとだけ似てるなって思った人がいるだけ」

「ふぅん、誰?」

「櫛咲くんのお姉さん」

「あれ、お姉さん、いるんだっけ」

 そんなことを言っていたような、聞いていなかったような。

「そうそう二人暮らしをしているんだよ。仲の良いご両親が二人だけでどこぞやにお仕事行ってしまっていてね」

「そう、なんだ」

 なんとも珍しい状況に櫛夜は身を置いているらしい。

 普通、親が高校生の息子を残してどこかへ行ってしまうことなどありえるのだろうか。

 まるで作り話のようである。

「その、お姉さん」

 意地でも櫛夜の名前は呼ばずに。

 『ユア』と似ているらしい櫛夜の姉の名前を尋ねる。

「なんて、名前?」


「――櫛咲玖亜(くあ)


 取り立てて聞き覚えのない名前だった。

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