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心象を操るのは  作者: 安藤真司
16/17

後の祭り

 泣き腫らした顔で外出する趣味はなかったが、優芽は日曜の昼下がり、一人で散歩をしていた。

 精神的に疲れたときには、適度な運動が気分転換に丁度いいと聞く。運動が苦手な優芽はここで一念発起、走ろう、とまではならないものの、散歩しながら支離滅裂になりそうな思考をまとめようと外へ出た。

 外出するときの服装は、シャツに落ち着いた色のスカートを合わせるだけ。まだまだ肌寒いためカシミヤのコートは忘れない。

 萌映だった頃も含めて優芽は衣服には無頓着なのだが、最近は生徒会の面々でショッピングに出かけることも多く、薦められたものを買うこともある。

 特に後輩のみもりはお洒落に大変興味を持っているようで、優芽の知らないカタカナ語を駆使してあれやこれやとコーディネートを考えてくれる。

 今羽織っているコートもそのうちの一品であるが、そもそも優芽はカシミヤというものが何の毛なのかも知らない。

 今はまだ優芽の希望を汲んで地味な色合いに留まってくれているが、みもり達としては鮮やかなものも優芽に着て欲しい様子である。

 かつて綾の理論に反するために生徒会へ加入した優芽だが、綾が完全に引退してから既に半年以上が経過しており、それだけ今の生徒会での思い出がある。

(いつの間にか、綾文さん関係なしに、皆との繋がりばかり増えてる)

 その繋がりこそが夢叶優芽を形作る。



 益体のないことを考えながら行く当てもなく歩いていると、どこからか活気ある声が聞こえてくる。

 その声のする方へ向かいながら、地元の小さなグラウンドで少年野球チームが活動していることを思い出す。

 見に行ってみると、どうやら二つのチームが練習試合をしている最中のようで、色の異なるユニフォームが目に入る。

 保護者達の熱い応援の中、さすがに優芽よりも背丈の小さな少年達が真剣に試合に取り組んでいる。

 フェンスの外側にはベンチが設けられており、特に関係者でなくとも観戦ができる状態だったので優芽は黙って腰掛けた。

 野球のルールはぼんやりとしか知らない。授業でソフトボールをやったことがあるが、セーフやアウトの細かな判定については理解できないままだった。

 しかしスポーツの良いところには観戦する分には細かなルールを知らなくとも楽しめる点もある。優芽も自分で動けと言われると困るものの、特に興味の無い競技であっても見ていれば楽しいと感じられる。

 球の行方を必死で追う少年達の姿を眺めつつ、優芽は自分の過去を顧みる。

 自分にも純粋な時期があったはずだ。

 人は皆それぞれ異なるから、同じ時間の過ごし方をしているはずもないが、しかし一体いつから人格形成は起きていくのだろうか。

 あるいは、まだこれから幾らでも変わることができるのだろうか。

 これまで過ごしてきた時間よりもこれから過ごす時間の方が、普通に考えれば長いことは知識としてわかっていても、感覚的には想像しづらい。

 これまで変われなかった自分が、今こうして変わろうとして、簡単に変わるものなのだろうか。

 苦手なものが得意になったり、その逆だったり。

 いつからこんなにも人を信じることを恐がり、人に信じられることを重責と感じるようになったのだろう。

「……いや、いやいや。いつからも何も、私っていつから私なんだっけ」

 不意に疑問が生じる。

 かつて夢叶萌映だった存在は大切な人の死、櫛咲玖亜の死を回避するために世界そのものを変容させてしまったらしい。

 その影響で、自分自身すら夢叶優芽として生まれ変わることになったわけだが。

 この、夢叶萌映から夢叶優芽へと変わった際、夢叶優芽は一体何歳の状態で生まれたのだろうか。

 普通に考えれば、優芽には優芽としての記憶があるので、生まれる前からこの今の世界は存在していそうなものだが。

 しかし優芽が生まれる為には優芽の両親の存在が必要で、さらにその両親が生まれるためには、と幾らでも遡ることができる。

 逆に元々の萌映と同い年、つまり夢叶優芽が幸魂(さきみたま)高校の二年生時点から生まれた場合は、優芽の中にある高校一年生の記憶は完全に萌映によってねつ造された記憶である。

 場合によっては、綾文綾との出会いすら、作られた記憶ということになる。

 それはあまり、気分がいい話ではない。

「とはいえ、綾文さんも私の想像。だからなぁ。この場合は創造かな。うーん、二年生として生まれた説、有力かな」

 さらにその場合、二年生の四月という時期はかつて優芽が起こした事件における、やり直し地点でもある。六月の体育祭から優芽が自身の不思議を使って時間を巻き戻した地点が、二年生の初めなのだ。

 都合よく、出来過ぎているという観点からすれば納得がいく。

「今の問題も解決して、綾文さんの受験も終わったら、一度、ちゃんとお話ししたいな」

 弥々のように、綾にも幸せになってもらいたい。もっともそれは、幸せを奪った優芽が願うなんて筋違いかもしれないが。

 まずは受験が上手くいくことを願っておきたいところである。

 幸いなことに、現時点で起きている問題は綾の受験に関係がなさそうではある。

 そして今日は二月二十五日。綾の第一志望である国立大学の受験日であり、今まさに綾は試験中だろう。

 過去を数日スキップしているため確かなことは何も言えないが、こうして今日を迎えていること、そして携帯に誰からも連絡がないことから、一応は綾に迷惑をかけずにいられたのだろうと推測がつく。

 ちなみに携帯のパスコードは変更後のものになっていた。今は間違いなく未来なので、それについては予想通りである。

 残念なのは、そもそも優芽があまり携帯を使用してコミュニケーションを取らないタイプの人間であること、生徒会の活動としても対して切羽詰まっていないこと、これらの事情により携帯のメッセージを見ても人間関係や、それこそ現在進行形に起きている問題の状況がよくわからない。

 こんなことになるなら今からでも毎日メッセージを日記か携帯のメモ機能かに残しておくべきだろうか。主観時間で未来の自分が、客観時間で過去に残した場合、これもまた矛盾を起こすため積極的に採用したいアイディアではないのだが、情報は多ければ多い方がありがたい。

「でも、書き残すこともあんまりない、かぁ」

 今のところは、萌映の独白を聞いただけ、その存在を受け止めただけ。自分の内面に変化があったことを、わざわざ書き残す意味は確かにないような気がする。


 と、自分を取り巻く環境に思考を巡らせようとしていた矢先、甲高く小気味よい打撃音が鳴り響き、優芽は思わず顔を上げた。

 非常に大きな当たり。歓声と落胆の声が入り交じり、場が盛り上がる。

「ほらほら! カイくん活躍してる!」

「だな。走れ海翔!」

 優芽の隣、少し間を空けた所に座っている男女のカップルの応援の言葉が聞こえる。今の打者の身内なのだろうか。

 男の方は大柄な体躯でやや年上に見える。自身も何かスポーツをやっているのだろうか、服の上からでも太い筋肉の鎧が窺える。

 対して女の方はすらりとした細身で、特徴的な赤い縁の眼鏡をかけている。体を露骨に男の方へと預けている姿が可愛らしいとも、公共の場で大丈夫かとも優芽を不安にさせる。

(…………?)

 妙な違和感を覚え、優芽はそのカップルを、特にその彼女の方を眺める。

 髪は下ろしており、ベージュ色のニットコートを着こなす姿は大学生のようにも見えるのだが、どうもその人物に見覚えがあるような気がした。

 優芽は記憶の中から、赤色の眼鏡に該当する人物を検索する。

「凄い、三塁打になったね!」

 その快活な声にも聞き覚えがある。

 元気が良く、髪もそれなりの長さ、そして赤い眼鏡。

「え、あれ、ま、祭林(まつりばやし)さん!?」

「うん? ゆっ、ゆめっちゃん!?」

 優芽の声に驚いた様子の彼女は男へと寄りかかっていた体をピンと伸ばし、目を丸くしている。

「え、ええと……」

「んん、んー、うん。こんにちは。ゆめちゃん。一昨日振りだね」

「……はい?」

「こんなところで奇遇。ゆめちゃんも知り合いが参加してるの? 弟さんとか?」

「ちょ、ちょっと待って。なに、その、気持ち悪い喋り方は」

「気持ち悪いだなんてひどいなぁ。まるでいつもは全然違うみたいじゃない」

「普段は挨拶に『けろりん』とか言ってるよね!?」

 珍しく突っ込み側に回った優芽は、目の前の人物を改めて見つめ直す。


 祭林茉莉(まつり)

 彼女は優芽達と同じ幸魂高校の二年生である。

 十月に開催された文化祭ではその実行委員長を務め、生徒会と共に企画及び運営に携わり、大いに盛り上げてくれていた。

 優芽の中で茉莉のイメージは、変人、その一語に尽きる。

 挨拶はいつも「けろりん」。

 人のことは「ゆめっちゃん」だの「ややっちゃん」だの「かのっちゃん」だのと呼ぶ。

 そもそもが会話する気があまりないのではないかと想うほどに強烈な口調。

 普段であれば「やっほーけろりん休日に会うなんて運命感じちゃうねデスティニーゆめっちゃんはどんなご予定で来てるんだい?」くらいの挨拶が返ってくるものなのだが。

 まさか普通の友人らしい口調で来るとは思わなかった。

「え、けろりん、とか茉莉それ小さい頃よくやってたよな。学校じゃまだやってんの?」

 彼氏と思しき男から至極当然の突っ込み。

 その指摘に「やばい」という表情をした茉莉。そして茉莉の「やばい」という表情を読み取り、やはり「やばい」という表情になる優芽。

 咄嗟に茉莉を庇ってしまう。

「あ、あのっ、祭林さん文化祭実行委員長だったので、私生徒会役員で、文化祭のときよく一緒にふざけてそんなキャラやってたんです!」

「って、友達に気を遣わせてるけど、釈明あるか茉莉?」

「うう、恥ずかしながら、学校はふわふわキャラでやってるんだよう」

「キャラでやってたんだ!?」

 知人の思わぬ一面に驚愕を隠せない優芽。

 茉莉も本当に恥ずかしいようで、頬を赤らめて体を小さくしている。普段の茉莉からは想像もつかない乙女らしい反応に、優芽も思わず心が惹かれてしまう。

 ひとまず、優芽のフォローも茉莉の取り繕いも一瞬で見抜かれてしまっていたので、事実のみで挨拶をしておくことにする。

「私、夢叶優芽っていいます。さっきの話は一応本当で、生徒会役員をしていて、祭林さんとは文化祭の時よくお話してたんです」

「そっか。俺は茅原(かやはら)賀也(かや)。茉莉とは付き合ってるんだ」

「その前に従兄妹って情報! 大事だよ!」

 なるほど、茉莉は従兄と付き合っているらしい。

 これもまた普段の様子からは想像がつかない。しかし茉莉の雰囲気や口調を目の当たりした今ならば違和感もない。

 もう一度茉莉の姿を見れば、確かに常とは違い、化粧や髪など、気合いが入っていることはよくわかる。

 雑な団子に丸め、端々が乱れている普段の茉莉の髪型も今日はどこへやら消え、綺麗に梳かされている。

「髪下ろしてるの、可愛いね」

「ゆめっちゃんのなんだかいつもよりも優しい視線が逆に辛い……けど、誉め言葉は素直に嬉しい。ありがとう」

「調子、狂う」

「それは私の台詞。祭りに愛されし茉莉ちゃんはしかし祭り関係ないと途端にポンコツなんだから」

「祭り関係あっても大概、だったと思うんだけど……」

 思わぬ同級生との遭遇に困っているのは本当らしく、茉莉の口調は安定していない。

 そういえば後輩のみもりも丁寧な口調はキャラと言えないまでも半ばわざとやっているらしい。生徒会役員はああいった性格であるべき、親友である詩織に心配をかけない自分でありたい、といった思いがあるのだとか。

 案外この茉莉に関しても普段の異常なテンションには理由があるのかもしれない。

「誰か、知り合いがいるの?」

「カイくんが出てるから、カイくんっていうのは」

「俺の弟。茉莉からすれば同じく従姉弟だな。一緒に応援してたんだ。終わったらまた出かけるつもりだけど」

「そうなんだ。出てるのって小学校、六年生かな。歳、結構離れてるんですね」

「次で六年生だな。九つ離れてるわけだが、まだまだ成長期で、見ていて飽きが来ない」

 次で小学六年生になる弟と九歳差ということは、賀也は現在大学二年生で、来年からは三年生になる頃合いだろう。つまり、優芽と茉莉からすると三歳年上ということになる。

 高校生の感覚的にだが、一つ年上の人と付き合うというのは割と見受けられる。逆も然りだが、部活動や委員会で一緒になることが多く、そこから恋愛関係に至るケースは十分にある。

 さらにもう一年、二歳差となると比率としては非常に減ってくる。上下の関わりの中心となる部活動や委員会という者は大半が夏前には終了するため、一年生と三年生の繋がりは通常あったとしても三ヶ月程度で終わってしまう。さらに三年生の多くはそこから本格的な受験勉強へと突入することもあり、優芽は自分の周囲で二歳差のカップルを見たことがない。

 それがさらに離れた三歳差ともなると、中々想像が出来ない。

 茉莉が言ったように従兄妹であるとか、幼馴染みであるとか、アルバイト先であるとか、何かしら高校生活から切り離された人間関係である可能性が高い。

 高校以外の交友を特に持たない優芽には、「なんだか大人びている」以上の感想が出てこなかった。

「ゆめっちゃん、あの、今日のことは」

「うん。わかってる。ちゃんと生徒会の重要案件として報告しておくね」

「ちっがーう! 逆、逆なの! 超重要案件として秘匿しておいて欲しいの!」

「なんで? 可愛いのに」

「私のアイデンティティの問題だよう。特にかのっちゃんとは浅からぬ仲で、最近よく一緒にお茶するし、ようやく私も少しずつこう、素の感じでも喋れるようになってきてるし……」

 茉莉は奏音と仲が良かったのか、と優芽は初めて聞く内容に僅かながら感心する。特に隠すようなことでもないが、全くそんな事を奏音は言っていなかった。

 奏音は意中の相手に関しては非常にわかりやすく顔に出ていたため、隠し事が下手なのだろうと思っていたが、恋愛が絡まなければ、平静を保てている間は問題なく隠し通すことができるらしい。

 しかしながら、文化祭の頃を思い返すと、茉莉と奏音は互いに文化祭実行委員長と生徒会長という立場で共に仕事をする機会が多かった。

 普段の茉莉であればどうやって仲良くしているのだろうかと疑問に思うが、今目の前にいる茉莉の様子から、奏音が仲良くしている姿は容易に想像が出来る。

「自分で素とか言うの恥ずかしくないか?」

「それ賀也が言う!? なにさ、俺の前では格好付けなくていいのに、そのままで十分茉莉は格好良いし可愛いって、あのときの言葉も大嘘か!?」

「へっ、へぇーえ!?」

 不意打ちで惚気られた優芽は呆けた声を出してしまう。

 当の茉莉は自分が惚気ているという自覚がなく、次々に不満という形でエピソードを披露していく。

 ついでに賀也はそんな慌てふためく茉莉の姿を面白そうに笑いながら見つめている。心底今の状況を楽しんでいるようだ。

 驚かされてばかりの優芽にも一つ意地悪を仕掛けてやろうという気持ちが湧き上がり、わざとらしく茉莉に向けて話しかける。

「祭りに愛し愛された女、とか、言ってたけど、良かったね。ちゃんと茉莉ちゃんのこと好きだって言ってくれる人がいて。茉莉ちゃんが好きだって言える人がいて」

「ぶっ!?」

 大ダメージを与える。

「格好良いと可愛いはどっちの方が言われて嬉しかったの?」

「おお、それは俺も気になるな。どっちにときめいたんだ」

「ぎゃぁぁぁっ!?」

 さらに大ダメージを与える。

 閑話休題。

「でも本当に知らなかった。祭林さんに大学生の彼氏、いるなんて」

「さすがにそんなこと言い回る趣味はないよう。それに割と最近のことだし。ゆめっちゃん達と一緒にお仕事してた時はまだ何も。文化祭終わった後くらいの時期からなんだ、付き合ったのは」

「そうなんだ」

「生徒会はどう? もう来週卒業式でしょ。かのっちゃん、なんだか大変そうだったよ。卒業式が大変なのか、それ以外でのっぴきならない状況なのか、話聞いても私にはよくわからなかったさ」

「うん?」

 生徒会としては、今現在、それほど切羽詰まっているわけではない。

 強いて言えば在校生代表の挨拶を任されている現生徒会長である奏音に負担がかかっている側面は否定ができないが、それでも、奏音が話してわからないレベルの問題になるとは思えない。

 前提条件として、狩野奏音は非常に優秀である。

 昨年の生徒会長である綾文綾の存在が大きく見えがちであるものの、純粋にイベントの運営やグループ内での作業分担を決断する能力に秀でている。

 その奏音が、大変な状況らしいならば、それは今の状況を指してのことだろうか。

「実は、ちょっとだけ、困ったことが起きていて。卒業式の準備とは関係、ないんだけど」

「へぇへぇそうなんだ。うーん、私がどこまで言っていいものやら、わっかんないけど」

 茉莉はそう前置きをして、しかしそれ以上言い淀むことなく言葉を繋げた。

「かのっちゃんから聞いたのはだね、端的に言えばゆめっちゃんと喧嘩しちゃってまだ仲直り出来てないってこと。それと、好きでもない人を助けたい気持ちって一体どんなものなんだろうねって、ふわりふわふわとした質問の二つだね」

「う……仲直りは……できてないね」

 奏音に対してあれだけの拒絶をしておいて、どんな顔で会えばいいのかが優芽はわからない。

 時間がスキップしているので、客観的な過去で仲直りしてやしないかと薄ら期待している自分がいないこともないのだが、茉莉と奏音が話した時点がいつにせよ、恐らくは二月二十五日現在もまだ話し合いの場は設けられていないのだろう。

「二人の喧嘩、私からはノーコメントね。踏み込めないし、踏み込む権利もないから。誰だって経験するありふれた喧嘩で、人生という長さからすれば大した時間でもないかもしれないけど、当人同士にとっては大きくてデリケートだから」

「うん、そうだね。私にとっては一番大きな問題、かな」

 問題と言いつつ原因が自分自身で解決への最善策も自分の行動なので、ただ単に気持ちの面で後回しにしているだけである。

「好きでもない人を助けたいとは、しっかしまたかのっちゃんは変なことを尋ねるものだよ」

「そう、だね。急にそんなこと、相談するなんて……」

「かのっちゃんこそ、いつだって好きじゃない人に手を差し伸べちゃう癖にね」

「え……」

 茉莉の声が途端に柔らかくなる。

 どうしようもないなと我が儘な子どもをあやすように。

「今はともかく、文化祭の時は私のこと好きじゃあなかったと思うよ。でもかのっちゃんは私を知りたいって、話を聞きたいって。凄いよね。怖いよね。

 今の私がかのっちゃんとゆめっちゃんの喧嘩に首を突っ込まないように、誰だって距離を持って生きてるのに。何でもかんでも距離を縮めようとしてたらキリがないのに。自分の手の届く範囲なんて所詮は数十センチなのに。

 かのっちゃんはそれで満足できないんだよ。目に見えちゃったとか、気付いちゃったとか、そんな程度でかのっちゃんはその人に踏み込んじゃうの。もうかのっちゃんの中では無視できる関係じゃないんだよ」

 その茉莉の評が狩野奏音を指す言葉として正しいのかどうか、優芽にはわからなかった。

 自惚れではなく、優芽は既に奏音の中で親友だったから、優芽の知る狩野奏音としては助けて当たり前の存在だった。

 親友ではない他の人に対して奏音がどんな態度を取るのかは、親友だからこそわからない。

「私はかのっちゃんと、それに賀也に救われたから、今こうして笑っていられるんだ。正直ね、どっちも意外だったかな。

 かのっちゃんはただの同級生だと思っていたからね。勿論賀也はただの従兄妹だと思ってたかな。

 二人とも私に踏み込んで私を助けてくれた。でも決定的な違いがあって、賀也は私を特別と思って助けてくれたけど、かのっちゃんは別に特別視することなく私を助けたんだってこと。

 嬉しいなって思う反面、怖いよね。

 助けたいと考える範囲が広いなんて、ただ優しい人だねで済まされないよ。助けたい人が多いなら、助けられない人が多いってことだよ。

 かのっちゃんが感じる罪の意識は、どれだけ膨れあがるんだろうね。

 私を助けてくれたかのっちゃんが壊れちゃわないかな、私みたいな誰かを助けようとしてでも助けられなくて自分を責めたりしちゃわないかなって。

 すごく……すごく、心配だよ」

 心配。

 その一言が、優芽の胸に突き刺さる。

 これまで奏音に対してそんなことを考えたことがなかった。

 確かに、自分が見ていた奏音という存在は、ごくごく一部だった。

 バレンタインに合わせて一度振られた相手、光に告白しているだなんて知らなかった。

 文化祭実行委員長である茉莉と友誼を深めていて、それも茉莉の悩みを聞き、かつ今は茉莉に相談するような間柄になっているだなんて知らなかった。

 きっと、優芽は奏音のことを知らない。

 ちゃんと彼女を見たことが、ない。

「…………訊いても、いいかな」

「なんだい、ゆめっちゃん」

「奏音、やっぱり泣いてた?」

「内緒。そんなずるい質問、私が答えるわけないにゃー」

「うん、そうだね。その通りだ」

 優芽の思考が全て奏音へと向かう。

 弥々の予想通り、奏音がこの不思議を引き起こしているのだろうか。

 それとも、この不思議を引き起こしている誰かを救うために秘密裏に苦しんでいるのだろうか。

 奏音が茉莉に相談した、好きでもない人を助ける精神は、奏音自身のことを指しているのか、犯人を指しているのか。

 少なくとも茉莉はそれを奏音自身の相談であると解釈したらしい。

「大事な話をしてるのはわかるが、そのくらいにしとこうぜ。今は休日で、俺の弟が大事な試合をしている真っ最中だ」

 会話が一段落した空気を察して、賀也が一瞬の沈黙を断ち切った。優芽と茉莉もその言葉を受けて一気に脱力する。

 特に茉莉は露骨に頬を緩ませ、賀也を「このこの」と言いながら肘で小突いている。

「さっすが気遣いの鬼! いんやぁ私の彼氏は素晴らしいね! これで気遣いが気遣いとばれないように気遣えたら最高だね! 彼氏から気遣いマスターにランクアップさせたげるよぴろりんって!」

「情緒不安定だね」

「ゆめっちゃん鋭いねずばりんっ!」

「きっつぅ」

「いやあのね違うんだってば。ねぇ賀也、私もゆめっちゃんに色々赤裸々に話したから恥ずかしいんだよう」

「あと一年の間に、もっと素でいられるといいな」

「そう、だね。でも、今もこうしてゆめっちゃんの前で普通にお話できたし、ちょっとずつだけど、前に進めてる気がする、かな」

「…………祭林さん、ほんとに可愛い」

「もー照れるから褒めるのやめやめっ!」

 ぎゃーぎゃーと言い合っている間も試合は進んでおり、とっくの昔に賀也の弟はホームへと帰り、攻守も交代している。

 チームはリードしているが、相手もうまく繋いだらしく現在一アウト一塁三塁の怪しい局面を迎えていた。

 双方の応援が鳴り止まない。

 優芽は改めて周囲を見渡す。ベンチに座り大きな声を出す者、黙って観戦する者、様々。ここにいる全ての人が、試合に参加している少年の関係者なのかはわからない。

 今の優芽のように、関係ないのに見に来て、好きでもないのに誰か一人を応援することはあるのだろうか。

 あるとしたらそれは何故だろうか。

 例えば今の自分が、賀也の弟を応援することは、どんなに遠い縁でも繋がったからだろうか、それとも。

「あのさ、奏音とそのお話をしたのって、いつのこと?」

「いつ? いつって?」

「何日前? 何曜日かなって」

「これが面白いことに、ちょうど、きっかりぽっきり一週間前だったよ」

「なる、ほど……え? 待って、ちょうど?」

「うん。先週の日曜日、急に相談があるってお呼ばれしてね。私も断腸の思いで恋人との約束をすっぽかしたものだよ」

「いいよそんくらい。その分の埋め合わせ(・・・・・)はちゃーんと貰ったしな」

「へっ、へぇーえ!?」

「ゆめっちゃん普段はちょっと空気読めない方なのに、こんなときだけどうして察しちゃうのさっ!?」

 賀也の発言には至極当然の反応をしつつ、しかし頭の中では茉莉の発言を冷静に反芻していた。

 茉莉が奏音から相談されたのは、今日から丁度一週間前の日曜日。

 それは、二月十八日。

 つまり。


(十八日はまだ、奏音と絶交、してない……)


 奏音に相談し、結果的に優芽から拒絶の言葉を浴びせたのが、二月二十日のことである。

 そもそも、二月十八日はまだ時間の跳躍も起きる前のはずであり、当然奏音が何かを相談できるとは、普通ならば考えられない。

 普通ならば。

 普通に考えるならば。

 常識に囚われるならば、だ。

(やっぱり、友莉が未来のこと、知っている風で、しかも私の知ってる過去と、食い違いを起こしたのは、そう)

 優芽と同じように。

 友莉も奏音も、この時間が行ったり来たりを繰り返す現象に間違いなく巻き込まれている。

 それもただ単に巻き込まれているだけでなく、時間の矛盾を認識している。

 優芽と同じ立場にある。

 優芽は十八日の次の日から認識しているが、二人がいつから認識し始めたのか、それはわからない。

 また、十八、二十、二十二、十九、二十五と進んで来ている優芽と同じ時間の跳躍かも不明である。

 それでも、それぞれが何かヒントを得て、それぞれの思惑で動いている。

 或いは、全員が「自分一人で解決する」と考えて動いている可能性すら高い。

「まったく、皆、訳わかんない、もんなぁ」

 溜息と共に吐き捨てた優芽の言葉を、茉莉は信じられないとばかりに拾った。

「ゆめっちゃんにだけ言われたくないよ! 一昨日だって準備大変だったんだから」

「え、準備?」

 一昨日といえば、金曜日である。

 金曜日はまだ経験していないので、茉莉の言った準備なるものが何か、優芽に心当たりはなかった。

「そうだよう。かのっちゃんも大概だけどさ、生徒会って皆無茶が好きなんだなって、マゾの気質がない私は生徒会役員になんてなれないなって。むしろなりたいと思ったことがなくてよかった」

「え、ええと、ごめん。話があれこれありすぎて、ど忘れが酷くって、なんだっけ、それ?」

「うええっ!? ど忘れで済まないよ!? ゆめっちゃんの脳の容量が心配になるよう」

 ついに茉莉に普通な突っ込みまでされてしまった。

 本人曰く素の茉莉に慣れてきたものの、そこはかとなく違和感を覚える優芽は、その正論に言い返すことはできなかった。

「ゆめっちゃん、明日緊急集会を開くんでしょ。それも体育館じゃなくて、校庭で」

「ええええ……いや、何やってんの、未来の私……いや、もう過去の私?」

「え、未来? なに、本当に大丈夫?」

「やっぱり、駄目、かも」


 緊急集会。

 校庭。

 未来で過去の優芽は。

 未来で未来の月曜日に、一体何を強行せんとしているのだろうか。

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