幸せを自称して
「珍しいねぇたまちゃんが私を呼ぶなんてッ。光栄光栄感謝感激帰っていい?」
「その珍しい相談を秒で逃げようとしないでよやーちゃん。困ってるんだから」
「えーどうしよっかなぁ。たまちゃんからのお誘いなんて滅多にないしとっても嬉しいけど、たまちゃんからの相談なんて面倒臭くてバッドエンドがわかってそうで嫌だしなぁ」
「ちょ、人聞きの悪いこと言わないでよ。私なんかよりよっぽどバッドエンドに愛し愛されって雰囲気の人がいるじゃないここに」
「え、そこの優芽先輩擬きのこと? んまぁ優芽先輩は脅威のマイナス思考だからッ。そこが良いとこでもあるけどね。勿論悪いとこだけど」
時は放課後。
友莉との謎の邂逅を済ませた優芽と珠子はその場で話し合いとも言えない言葉を数回重ね、取り巻く事情の相談に乗ってくれそうな人に事情を聞いてみることにした。
客観的な今日、つまり二月十九日月曜日の時点ではさておき、優芽の主観的な今日までに相談した相手は対象外とした。
この事件は一人で終わらせる、と詩織に豪語したはずの優芽であったが、思い返せば既に多くの人に頼ってしまっている。
親友である友莉と奏音。後輩の詩織。
そして今現在、共に困っている珠子。
その珠子と対等な口調で楽しそうに談笑する、後輩。
綾文弥々。
生徒会役員、それも一年生の副会長を務める弥々はその役職に似つかわしくない着崩し方で制服を身に纏っている。
その攻めたスカート丈は常に教員から指導の対象となっており、髪も暗いままではあるものの染めているなど、学業優秀、品行方正をモットーとする幸魂高校においては少々悪目立ちしている。
幸魂高校は大人しい生徒が多く、校則を逸脱する者も非常に少ない。そもそも特別厳しい規則で縛るまでもなく生徒一人一人が自律しているため、逆にルール自体は緩いくらいである。弥々曰く、その隙をついているため自分は違反していない、らしい。
弥々は現在、彼女からすれば先輩となる櫛咲櫛夜と交際している。元々は綾文綾と付き合うはずだった櫛夜が弥々と親密になってしまったのは、勿論優芽が起こした事件が原因である。
櫛夜も弥々も互いに、本来の世界であれば自分たちが交際していないという事実を認識し、その上で想い合うこの今こそが本物だとして共にいる。
優芽からすれば二人の言う本物は偽物だが、本物か偽物かなど、主観でしか測れないものなのかもしれない、とも優芽は思う。そもそもこの偽物は優芽が望んだ本物でもあるので、余計に本物と偽物の境目が淡く歪んでいる。
その弥々が、やはり先輩である珠子に対して平気で対等に会話をしているのは、幾つかの理由が重なっているようであるものの、概ね幼少期の友誼からだそうである。
「それで? この場に呼ばれているのが私一人なのは、つまり他の皆様にはもう相談済みと?」
「済みなんだってさ。私がこうして話を聞いてるのはこの人と友莉だけなんだけど。そんでやーちゃんね」
「ね、ねぇ。急に擬き、とか。この人、とか。言い方が悪くない?」
「えぇーと、敬愛すべき尊敬すべき親愛なる私の優芽先輩のことは大好きで大好きで堪らないわけですが、現状の先輩様に対してどんな風な態度を取ればいいのやらわからなくて。照れ隠しなんですッ」
「ん…………」
「あれあれあれれッ。この先輩がむしろ照れてるですッ。超可愛いッ!」
「後輩に好きって言われただけでこの反応って……普通はそういうの中学の内に経験するんだけどぉ。こうやって経験値の差が精神的な成長の違いに直結したりするのかなぁ」
この放課後、優芽は真っ先に友莉の姿を探したが教室、生徒会室、陸上部の活動場所であるグラウンド、そのどこにも友莉はいなかった。家に押しかける程の気力が湧かなかった優芽は次善の策として珠子に連絡をした。
幸か不幸か、仲良くなどない珠子の連絡先を優芽は知っている。仲良くはないが、想いも志も異としていたが、それでも二人は協力、或いは共闘していた。
連絡先を交換したことのある相手が家族を除いて一クラス分にも至らない優芽にとっては異質の連絡先。いざという時には必ず繋がるという悪い方向への信頼感もあった。
その悪しき信頼に応える形で珠子は優芽の呼びかけに対して二つ返事で応え、珠子の友人で優芽の後輩でもある弥々のことも珠子が呼び出した。
「あのね相談するくらいだから、隠すような、ことでもないんだけど」
「私一人という点で、小指を立てて呼ぶところの人間がこの場にいないという点で、なんとなくわかります。先輩が話したくない彼の人には内緒にしておきます。先輩から話が行くまではって条件付きで」
弥々は今更自分の恋人である櫛夜を遠回りに表現した。気遣いのつもりらしい。
優芽は単純に櫛夜のことが嫌いであるし、珠子はその櫛夜に振られた身であるので、気を遣わない方がよほど弥々らしくはない。
気遣いの割には遠回りしたストレートである辺りが弥々の未だ至らぬ部分で、優芽はそこをこそ可愛らしいと思う。
「でも、実際のとこ、友莉先輩に奏音先輩、それでたまちゃんを加えた面子に尋ねて回って。脳がそのままなら優芽先輩の優秀な頭脳で。考えてわからなくて感じてもわからなくて」
今現在、三人が腰を下ろしている場所はカラオケ店だった。「落ち着けて落ち着かないから丁度いいですッ」という弥々の提案である。
弥々に誘われるがまま、誰の最寄り駅でもなく、栄えた中心街でもない適当な駅に降り立った優芽は手慣れた風に受付を済ませた弥々を横目に、えらく年季の入った内装に些か狼狽えていた。
歌うことは苦手ではないが、カラオケは得意ではない優芽のその心情は、兎にも角にも目の前で自分の歌を聴かれることに対する羞恥が主である。
密室空間内で知人に自分の歌を聴かれるだけでなく、顔も名前も知らない僅か二時間程度の隣人に聴かれているかもしれない事実が優芽には辛い。
汚れ以上に幾度の開閉により留め具が外れそうになった蝶番が目に入る。
受付にいる時点であらゆる方向から歌声らしき雑音が耳に入る。
どうやらこのカラオケ店では防音というシステムは機能していないらしい。
その値段の安さと飲食物の持ち込みが許されている緩さから、近所の学生には人気があるのかもしれない。
「そんなわからないこと尽くし盛り沢山な状況ならにっちもさっちもいかないじゃあないですか。人間誰しも諦めが肝心です。私たちこれでも人生七分の一くらいは消費しているわけですから。十四パーは取り返しがつかないわけです」
こっそり百五歳まで生きる予定を宣言する弥々。現代医療とこれからの発展性を見据えての数字だろうか。
弥々の発言のどうでも良い部分を優芽が訝しんでいると、
「どうせ櫛咲くんと偕老同穴でも誓ったんじゃないの。百歳まで一緒にいようねーって。うっけるー」
と、珠子が引きつった笑みで突っ込みを入れた。
「目が笑ってないよ玉川さん……」
「おっと藪蛇でしたねッ。言いたいことはつまり、蛇の道は蛇。現実に非ずがわかっているなら非現実の専門家にお願いするという選択肢を採用することは大切だと思います」
「それが、その、あの、弥々ちゃんの、小指な人って、こと?」
「え? いえ、櫛夜先輩の意見も勿論収集するだけした方がいいとは思いますが……何と言いますか、自分にとってクリティカルでない案件に対しての思考能力が途端に落ちるタイプなんですよね」
「……だろうね」
それが単なる自己中と言いたいわけではないことくらいは優芽にもわかった。自分にクリティカルな案件ではなく、自分にとってクリティカルな案件であれば櫛夜は動くことができる、と弥々は評した。
優芽は改めて自分と憎き男の関係性を考えた時に、自分から櫛夜に対する評価はこれまで散々してきたのに対し、櫛夜から自分に対しての評価がほとんど存在しないことに気付いた。
意図してか意図せずか。
櫛夜が助けた友莉ほどの関係性を今の自分が持っていないという当たり前の事実を弥々は告げ、その結論に辿り着いた優芽は事実を当たり前に肯定した。
「それに櫛夜先輩は事件に対して当事者ではあってもポジションは探偵役です。今の私たちとなんら変わりませんから。その意味で、犯人役に尋ねるのが現状の最適解だと思いますです」
「それって」
「優芽先輩と珠子先輩はもう今ここにいますし。話を聴きたいのは山々ですが受験勉強の山場を迎えようとしている光瀬先輩に何か変態的ご指導ご鞭撻頂くのは恐縮ですから、当然聴くべきは私の可愛いみもりと詩織ですッ。より今欲しいマインドを持ち合わせていそうなのは詩織かなと」
「あ、えっとね、実はもう詩織ちゃんには」
「――もう相談したんですか?」
「うん。私にとっての過去、今日から見た未来に」
「なんて言っていましたか。なにか言っていましたか。先輩の心に刺さるようなことを。先輩がすぐに口に出来てしまうほど印象に残っていることを」
「三つくらい、あるよ」
『先輩がそうしたいなら、私から否定材料を提供することはしません』
『未来人が未来を語らないのは、語らなくても未来がいいものになるって、知っているからかもしれませんね』
『どんな結末になったとしても、自分を責めることだけはしないでください』
「あとね、あとね。詩織ちゃんは、私のこと好きじゃなくて、大好きなんだって」
「は、きも」
「今は真面目に考えているところなので無駄な発言は控えてくださいね」
辛辣すぎる二人の言葉に優芽は黙る。同じ事を先ほどの弥々も言ってくれたわけだが、今の発言を信じるならばあれは弥々の自己評価としては無駄な発言だったのだろうか。
「未来人が未来を語らない、ですか」
「うん。詩織ちゃんには、詩織ちゃんにとっては、とても重い言葉だよね」
「そう思います。語らなくても未来がいいものになるんじゃなくて、語らないことで未来をいいものにしたかった、はずですから」
語らないことで自分の思い通りに未来を操作する行為は褒められるべきでも責められるべきでもないのかもしれない。
詩織が誰を指し示して未来人という例えを使ったのかは詩織にしか解らず、優芽にわかることは自分自身が解を持たない未来人であるということだけである。
自分の思い通りにしたいことは間違いがないが、正しい歴史を知らない時点でどう転ぶかが全くわからない。
コントロールしようがない。
「先輩。優芽先輩でも萌映先輩でも構いませんが、私は詩織ではなくて、やっぱり櫛夜先輩でもないから……だから、先輩の望む未来ってものを否定させてください」
弥々が改まった口調で、真っ直ぐに否定をした。
優芽自身でもわからない、優芽の望む未来が見えているかのように。
優芽が望み、一度たりとも見えたことがない人の感情が見えているかのように。
思わず真っ直ぐな弥々の目を逸らそうとした優芽であったが、「私を見てください」と懇願する弥々の声に逆らうことは出来なかった。
「私を、否定するの……?」
「しません。いつかのどこかの体育祭のときはしました。優芽先輩が間違っている、貴方の思想は思考は信念は全てノイズで私と櫛夜先輩の選んだ未来の邪魔で、ようやくと前を向いた友莉先輩の邪魔で、だから私は私のために、私が大好きな櫛夜先輩と自分が一緒にいられる未来のためだけに否定しました」
弥々が喋っている間、珠子は微動だにしない。弥々の主張をとうの昔に受け入れている。
珠子もまた立場は優芽と同じ筈であるが、彼女は変わり、優芽は変わっていない。その事実をこそ、弥々は暴く。
「今の私は、先輩を否定しません。できません。先輩の在りようには共感していますし、詩織がそう言ったように、先輩には自分を責めて欲しくないです。幸せであって欲しいです。幸せが何かなんてわからなかったとしても、それでもなおと幸せを自称していて欲しいです」
「それはでも、あまりにも酷いことだと、思う。結局表現が変わっただけで、私を否定していることと、何も変わらない。私は、私で在ることすら曖昧なのに」
生きているか死んでいるかすら曖昧で。
私であるかどうかも曖昧で。
私でないのだとしたら、何をしようとしているのだろう。
「先輩にとっての私らしさはだから、そのままでいいです。でも、先輩をそのまま認めることと、先輩が変えようとしている未来を否定することとは別の問題なんです」
「弥々、ちゃん」
「はい。なんでしょうか」
「詩織ちゃんは、もしかして、もしかしなくても、この今起きている問題の、根本の、原因。この事態を意図的に引き起こしている人が誰なのか、私の話からわかったんだと思う?」
「さぁ……私は詩織ではないので、よく、わかりません。でも、思わせぶりな表現ができるくらいには真実に近づいたんじゃないかなって」
「やっぱり、私が目を背けているだけ、なんだろうね」
「はい。先輩、二つだけ伺いますね。友莉先輩と奏音先輩のお二人には既に相談済み、なんですよね?」
「うん。友莉とは二回話をしたの。一度は、私がまた能力を使ったのって責められて、二回目は過去と未来の因果関係を滅茶苦茶にされた。今日の私と玉川さんの二人が朝同じ場所にいることが大事なんだって」
「ですか。奏音先輩は?」
「私から、友情を壊すようなことを言っちゃった。どうせ助けてくれないなら話しかけないでって。いっそずっと時間を巻き戻し続ければ皆でずっと高校生活を続けられるんだから、そうしてしまえばいいよねって、嘘、吐いちゃった」
実の所それ嘘と言い切れるものではなかった。
本音と呼べるほど明確な意思があるわけでもなかったが、優芽にとって居心地が良すぎたこれまでの高校生活がずっと続くのであれば自分の能力でずっと永遠に閉じた生活を送ることも悪くはないだろうと思う。
人は皆前を向いているし、現状で満足できない生物であるので、どうせいつかはそんな偽りの生活も暴かれてしまうのだろうが、それまでは安寧に満ちた日々を過ごすことができる。
偽っていようが、感じる充実感は本物で、本物であれば認められても良いではないかと本気で考える。
偽物だろうが本物だろうが、自分が好きな人に選ばれない事実が覆ることはない。
どうせ感じる不幸なら、それを軽減するための作戦を、他人の人生を巻き込んででも実施したっていいではないかと。人は人と関わって生きているのだから、不幸と幸福を分け合う形の一つではないかと。
信じる気持ちは揺らぎ、溶けてなくなってしまいそうになるが優芽の中に確実にその断片は残っている。
なおも前に一歩を踏み出したのは、友莉が、奏音が、今以上の未来を選んでくれたからである。
なにより、優芽が初めに守ろうとした友莉が進もうとしているのだ。彼女の未来を救うために遠回りをしてきた優芽に、まさにその未来を奪う権利はない。
「友莉先輩も奏音先輩も、先輩のことが大好きなんでしょうね。きっと今だって、どうして本当の言葉を語ってくれないんだろうって。どうして本当のことを伝えてくれないんだろうってお二人こそ自分の言葉を後悔しているでしょう」
「でも、二人が望んでるのは、あの日、あの場所で、確かな形で未来を望んで選んだあのときの夢叶優芽なんだよ。あれから時間が経って、結局変われていない腐った私じゃ、ない」
「かもしれません。なら信じているんです。きっと先輩ならもう一度立ち上がって変わる力を持っているんだって」
「そんなの……それこそ二人がいなきゃ何もできないのに、私一人に背負わせないで欲しいよ」
「それでも、先輩一人の問題です」
「だからこそ、私の問題を皆の問題に置き換えて、一人で進むことと皆で進むことを同義にして、そのために助けて欲しいって願ったんだよ。駄目と言われても我が儘でも甘えているでも何を言われたって、私一人じゃ何もできないから」
「今はもうその段階じゃあ、ないんですよ先輩。先輩が思っている以上に先輩は成長していて、それを知った上で見放しているんです。そのくらいの思惑、友莉先輩と奏音先輩ならあって当然です」
優芽から弥々へは僅かばかりの情報しか伝えていない。
短い時間ではあったが、友莉は友莉なりに、奏音は奏音なりに優芽に対して、そして萌映に対して言葉を重ねてきた。
弥々に話したのはほんの一部分でしかないというのに、話を受けた本人で在る優芽よりもよほど二人のことを理解しているかのような口ぶりである。
客観的に見たこの事件は、優芽が自分で考えるよりも単純なのかもしれない。そう思ってしまえるほどに弥々ははっきりと友莉と奏音の気持ちを代弁した。
「弥々ちゃん。相談があります」
もうここまで来たのだから、優芽に残された選択肢はそう多くない。
不思議が起きた。頼れる人に相談した。
目の前に、解決への道標が示されている。
それが果たして優芽の望む結末なのかどうかはわからなかった。
詩織が言ったように、最後に皆で笑うことは難しいのかもしれない。友莉が言ったように、皆でまた会うことは難しいのかもしれない。
弥々は黙って、続く優芽の言葉を待っていた。
今ならまだ、どちらでも選択ができる。
夢叶優芽に罪を着せて、唯一で無二の悪者が登場する。犯人が者の見事に暴かれて、優芽を除く全員が幸せにこれからの高校生活を送れる未来。
この事態の裏に隠れた本物の想いを、誰かに真相を暴かれることを承知でそうした心からの叫びを知りながら断罪する未来。
きっとどちらの未来になろうとも、全員で笑いあうことはない。
自分のことならば幾らでも責められるが、幸せを求めた他人の想いを否定できる気がしない優芽は、今ならば、まだ、どうとでも――
「あなたは……あなたなら、どうするのかな。萌映」
『ならば、知るしかないだろう。優芽』
返事がある。
周囲の雑音もこの瞬間だけは鳴りを潜め、優芽の口から発せられる音以外が全て失せる。
沈黙の中、無意識から意識的に口が動く。
『お前は真実の世界を知らなければならない』
全くその通りだった。
自分に二つの人格が宿っていることがただの精神疾患でないのなら。
この世界の時間が狂ってしまっていることがただの不思議でないのなら。
誰かが何かを守るために傷ついているというのなら。
そのままにはしておけない。
今よりも大人になる為に、真実を知り、世界を知り、人間を知らなければならない。
「逆に言えば、真実の世界は、知ろうとすれば、知ることが、できる……」
この世界には知ろうとしても知ることができないこともある。
この世界には知ったところで理解できないこともある。
この世界には知ることで不利益を被ることもある。
この世界には知ろうが知るまいが、役に立たないこともある。
この世界には、けれど確かに、知らなければならないことがある。
「わかった。わかったよ」
知った後のことは任せたよ、と優芽は心の中で呟いて、終わらせるための言葉を口にする。
知りたくなかった、知ろうとしてこなかった、今ある真実を。
「今起きている過去と未来とを行ったり来たりしているこの現象を引き起こしているのは、誰?」
『私が知るわけないだろう』
…………。
…………。
「え?」
『当然だろう。私はお前にない記憶と感情を持ち合わせているが、どこまで行ってもこの肉体と記憶を共有している。お前になってからの私に起きたことに関して私は何一つとして優位ではない』
「えぇ……なんかすごく解答を教えてくれて、萌映自身の成り立ちも教えてくれて、これから解決に向かおうって流れだったじゃん」
『私から言えることは、お前は殻に閉じ籠もって何一つ知ろうとしていない、ということ一つだ。だから自らの罪を忘れられる。幸せな記憶を幾ら改ざんしようと文句はないが、罪をなかったことにすることなど許されるわけがない』
「関係、あるなら、先に言ってよ。罪って確か、ユアでしょ。時間と、関係があるの?」
『柚亜と関係があるのは玖亜と綾文だろう。っち、綾文なんて名前、呼びたくもない』
「ま、待って、待って待ってよ。その玖亜って誰? その、くし、櫛咲……もう櫛咲なんて名前、呼びたくないんだけど……の、お姉さんのこと?」
『お前の認識ではそうなるな』
「私の認識……? 貴方の、萌映の認識では違うの? 玖亜って人は」
『当然だろう……認識を違う世界を創ったのだから』
「ん?」
「え?」
「は?」
ここまでの間、夢叶優芽が薄気味悪い一人芝居を演じる様を見せられていた弥々と珠子すら、思わず素っ頓狂な声を零した。
これまでの経験から、多少の不思議には動じなくなっていた幸魂高校生徒会の面々であったが、それはあくまで日常に起きるちょっとした異変や違和感に対してであり。
例えば恐怖の大王が降ってくるだとか、地底人が地上を取り戻すために這い上がってきただとか、未知なる異世界から聖剣を携えた勇者が迷い込むだとか、荒唐無稽な話に対して耐性があるわけではなかった。
如何に不思議に触れあったところで、映画の世界は映画、現実の世界は現実。
現実と虚構とが重なることは決してない。
幾ら時間遡行を経験しようとも、彼女らの常識が覆っているわけではないのだ。
よって、世界の創造なる現象の意味するところを理解することは誰にも出来ず。
自分の言葉に沈黙する優芽と。
何もかも訳がわからず沈黙する弥々に珠子。
一人呆れた風に「最初から話すか……」と語る萌映。
喧噪溢れるカラオケボックス内に、沈黙の個室が佇んでおり、誰もそのことを気に留めなかった。
そして萌映は、その重い口を開き、世界が隠す真実の一部を物語る。