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心象を操るのは  作者: 安藤真司
11/17

明日の私が今日の貴方を

 二月十九日。

 月曜日。


 目を覚ます。

 勉強机に置かれた時計と一体化されたカレンダーの日付をまず確認する。

 昨日は二月二十二日だった。だから、きっと今日は二月二十四日にでもなってくれているはず。

 その甘えた優芽の考えは、見事打ち砕かれ、今日という日は紛うことなき過去。優芽の主観における三日前で優芽は目覚めたらしかった。

 二日後の未来、二日後の未来ときて、過去。

 どうやら今回は単純に未来へ進む、過去へ戻るだけの現象ではないらしい。

 優芽は暫くの間カレンダーから目を逸らすことができなかった。

 運命が嘲笑っている。

 何が真実かわからない。

 どこまでも低い確率に振り回されている。

「例えば……未来に進む能力が私とは別にいて、昨日と一昨日はその誰かの能力の影響下にあった。それで、この今の状況だけが私の振るった力だって考え方は……逃げ、かな」

 優芽の朝一番の発言は、状況からの推論一つ。根拠も論拠も筋道の欠片もないただの虚ろな言葉。

「今日は、私の記憶通りであれば、私が、友莉に対して、明日の朝体操着を借りたいってお願いをする日」

 正しい文言は、『何も知らない私が体操着を借りに行くけれど、適当に追い返していいよ』だった。

 これを発言した優芽は、この今の自分自身なのか。

 これを発言した優芽の持つ記憶は一体どのようなものなのか。

 友莉を明日裏切ると知りながら、何も伝えなかったのか。

「今日裏切るか明日裏切るかの違い、だけなのかな」

 だが、それではまるで未来に縛られてしまっているようではないか。

 未来がそうだったからと言って、過去そうしなければならない理由などないはずだ。

 そもそも、優芽にしてみれば過去の今こそが未来なのだから。選択権は今の自分にあるように見えた。

 しかし、自分が知る過去と異なる過去が発生してしまうという状況は妙な居心地の悪さもある。

「タイムパラドックス、ともちょっと、違うのかな」

 時間に関して逆説があると表現するよりも、時間に対して反逆の意思表示をしてやりたい気持ちがあるだけの優芽は、自らの行為を大層な言葉で片付ける気が起きなかった。柔らかな表現に置き換えればなんのことはない、意地を張りたいだけである。

「さて……でも、ありがたい」

 状況を整理するのに、過去ほど情報に富んだ場所もない。

 自分から欠落した時間に何が起きていたのか、自分以外に暗躍する誰かがいるのかいないのか、自分の行動の結果は既に未来に現れているのかいないのか、それら全てが検証できる。

「まずは、変化が私だけで完結できるものから、かな」

 呟いて、優芽は充電ケーブルに繋がったままの携帯電話を手に取る。今時珍しくもないスマートフォンがロック画面を映し出し、解除のためのパスコードを要求してくる。

 優芽はこれを『113211』としていたが、並び替えて『111132』に設定し直す。

 何のことはない、綾文綾という名前の母音に対し、『あ』から『お』を1から5に割り当てただけのパスコードで、今も名字と名前を入れ替えただけである。

 優芽の認識下における過去、客観的事実としての未来において、優芽は自分の携帯を使用するのに、これまで通りのパスワードを使ってきている。

 この行為自体が既に過去と未来とが交差して生まれた矛盾。

 そもそも、過去とは、未来とは、絶対的な概念ではあるが、あくまで客観的な流れに限って、である。

 一日がスキップしたからだとか、それがまた急に過去に戻ってきたからだとか、そんな難しいことを考えるまでもなく、時間遡行に成功している時点で主観における矛盾を起こしている。

 その時間に知るはずのない知識を有しているのだから。

「いや、まぁ、でも、この場合はどうなのかな」

 数日後の未来を知っている優芽はこうして今、主観で言うところの過去に来ているが、今日という日の記憶は持ち合わせていない。

 その意味では今日を最新の未来だと感じる他の人々と同じなのかもしれない。

 単なる時間遡行とは少々状況が異なっているものの、少なくとも事前情報を仕入れてはいるのでどちらにせよ未来人としての矛盾は秘めている。

 とはいえ、その辺りの時間に関する考察を諦めている優芽は純粋にタイムパラドックスという現象が起きやしないかと若干の不安と、意外と時間とやら柔軟で、図太いものだなという感想だけに留めておく。

「……学校行こ」

 どうか、パスコードを変更したという些事が大きく影響を及ぼして、世界が優しくなりますように。

 優芽は願い呪い、灰色の世界に繰り出した。



 高等学校という機関の長所の一つは、基本的に狙いの人物が狙った場所に存在していることである。

 時間割、部活動、委員会と、時間も場所もおよそ決められた範囲で生徒は活動している。ごく稀に遠征や修学旅行も挟まるだろうが、それにしたって誰がどこにいるのかが明確になっていることに変わりはない。

 生徒の中には窮屈に感じる者もいるかもしれないが、教育機関としては正しい姿だろう。

 優芽がカレンダーを見て今日という日に対してまず考えたことは、仮に自分が未来の過去に従って、友莉にそのまま「明日の自分に云々」と話すとして、そのタイミングはいつがいいのか、という点であった。

 友莉がいる場所はわかる。時間割を把握はしていないが、友莉のクラスは当然知っている。移動教室でもなければいつだって教室にはいるだろう。

 放課後でも、部活か生徒会かのどちらかに参加しているであろう友莉を探すことが難しいとは思えない。

 だが、友莉とはどこかで話はする必要があり。かつ、追加の条件として話していない相手もいることも忘れてはならない。

「奏音には、今日は、何も話していないんだよね」

 奏音に遭遇する可能性を考えるならば、放課後まで待って生徒会室へ向かうことは避けたほうが良さそうである。あくまで、自分の知る未来へと繋げるならば、であるが。

 家を少しだけ早めに出た優芽は、何かしら友莉と二人きりで話すならば、タイミングは大きく分けて四回あると想定した。

 一つは友莉が部活動の朝練に来る時間。一つは昼休み。一つは放課後、部活動や生徒会活動が始まる前。一つはそれら全てが終わり、下校する最中。

 念のため、と思い朝早くに出てきた優芽だが、登校中の他の生徒の姿を見て、ぼんやりと自分の取るべき行動を見つめ直す。

 過去を知っているとはいえ、知っていることは親友の一人と話をしたことと、親友のもう一人には何も事情を伝えなかった、ということだけである。

 逆に言えば、それ以外のことは何もわからない。

 未知に満ちていることに変わりはない。

「未来でも困っちゃうけど、過去じゃあ、詩織ちゃんに助力をお願いすることも難しい、かな」

 結局昨日――優芽視点にとっての、である――はあの後もずっと詩織の真面目なのか不真面目なのかよくわからないテンションに助けられながら現状の考察を重ねた。

 事実を追い求めながら、しかし犯人は優芽であるという結末は前提に。

 詩織は納得したと言葉にした通り、優芽に不利になる情報を一切吐き出さなかった。詩織はよく頭が回るので、二人で議論を深める内に様々な可能性に気が付いた筈だが、優しい彼女は口には出さなかった。

 詩織が冗談混じりに話をしながら逡巡する一瞬の隙を優芽は逃さなかった。逃すわけにはいかなかった。

 その一瞬は詩織が全力で隠そうとした一瞬で、優芽にとっての不都合な真実そのもので。

 今のところ何も考えてはいないのだが、もしも仮に本当に優芽ではない誰かが犯人だったとして。その真実はどうやって隠せばいいのだろう。

 どうやって真実はねじ曲げればいいのだろう。

 その時ばかりは……。

「うん。何も、考えてないのに、わかってもないのに、勝手にネガティブになるのは、私の、よくないところ」

 詩織もポジティブにと言っていたはずである。

 全てが解決してから、困った優芽が詩織に助けを求めるという構図は確かに悪くない。

 最終的に自分が助かったことを夢叶優芽が許容できるのか、自分自身を許せるのかという最大の難点を除けば完璧な展開であると言えよう。

 簡単なことを難しく考えながら登校した優芽は物静かな昇降口でローファを脱いだ。

 未来も過去も変わり映えのない上履きはまだ丈夫にその形を保っており、身体の成長も著しくない優芽であれば高校三年生の卒業まで同じもので事足りるだろう。

 そのまま階段を陰鬱な気持ちで昇ると、見慣れない姿が教室の前で立ち尽くしていた。

 最近になってお互いにようやく会話の余裕が出来た、玉川珠子が入るか否かを迷うような難しい顔をしながらそこにいた。

 何でも果断即決を軸にしているきらいがある珠子が、しかし教室の中に入るのを躊躇っているようだった。しかも珠子が立っているのは彼女のクラスではなく、優芽のクラスである。

「あ、お、おはよう……」

「……なに?」

「え? なにって、ただの挨拶だけど」

「ただの挨拶ぅ? 私たちって挨拶なんかするような仲だったっけ? 挨拶って普通仲良しがするものでしょ」

「いや、知り合いにあったら普通は挨拶くらい、するよ」

「そ。普通返しとは中々に趣味の悪い意趣返しね」

「別に、上手いこと言ってないよね、それ?」

「本当にただの挨拶だけ? 他にはもない?」

 繰り返した珠子の質問に真剣な色が混じったことに気付き、優芽は佇まいを正す。

 風が吹く。

 窓の開いた廊下に冷気が立ちこめる。優芽の背筋に冷たさが伝う。

「どうして、私のクラスの、前に、いるの?」

 今でなければ、ただの質問。

 相手が珠子でなければ、友人にかけたただの日常会話。

 発言したのが優芽でなければ、問題はなかった。

「呼ばれたから。あなたの親友に」

「…………え?」

「あぁ、親友は二人だっけ。侑李友莉に、よ」

 困惑する優芽を他所に、珠子は意を決したようで扉を勢いよく開けた。

 このくらいの時間であれば誰かしら既に教師にはいそうなものだが、そこには一人しかいなかった。

 明かりの一つも点さずに佇む彼女は、優芽の席に座っている。

 侑李友莉。

 優芽がこの今日、明日会う約束を交わすはずの少女。

「で、説明はあるんでしょうね。丁度いいタイミングでこっちも揃ったんだけど、全部計算済みかしら」

 珠子が友莉に話しかける。

 口調ほど声色はきつくはなかった。怒っているわけではなく、単に状況に対する説明が欲しいらしい。

 優芽としても、今何が起きているのか、何が起きようとしているのかが全くわからず、未だ教室の中にすら入れずにいる。

 友莉は教室に入ってきた優芽と珠子の方を見ようともせず、じっと何も描かれていない黒板を見たまま応える。

「計算はしてないよ。二人とも私が呼んだんだもん」

「…………は?」

「あ、そ。んで? この面子を揃えたからには何か意味があるんでしょうね。それも、あんまり良くない方向で」

「ちょっ、ちょ、ちょっと待って」

 先に進もうとする珠子の言葉を遮り、優芽は慌てて疑問を口にする。放ってはおけない言葉が友莉から出てきたのを無視するわけにはいかない。

 幸い珠子は優芽のその言動を咎めようとはしなかった。無反応を貫いた友莉とは違い「どうぞ」と手で示してくる。

 優芽はあえて友莉の視界に入らないよう、友莉の真後ろの席に座った。

 友莉に顔を見られたくなかったのか、友莉の顔を見たくなかったのかは、わからない。続いて珠子は鋭い眼光で友莉を睨みながら、立ったまま教卓へと背中を預けた。

「わ、私は、呼ばれてないよ。友莉」

「呼んだよ。今日の私が明日の貴方を呼んで、明日の私が今日の貴方を呼んだの」

 貴方。

 友莉は普段、優芽のことをそのまま下の名前で呼ぶ。

 まるでこの場にいるのが夢叶優芽ではないことを知っているかのように。

「どういう、こと?」

「優芽はたまに残酷だよね。無知であることが罪だと思ったことは私、あまりないけれど……でも、結局は知ろうとしない姿勢自体が良くはないのかもしれない。貴方はどうなのかな?」

「友莉、さっきから、貴方って」

まだ(・・)名前を知らないからそう呼んでるんだよ。むしろ早く自己紹介して欲しいくらい。優芽の……背面。裏側。当たり前みたいな顔して私の親友ぶるのやめて欲しいな。私の親友は貴方じゃなくて優芽なんだ」

 友莉の言葉から怒りの感情を汲み取り、優芽はどう話すかを悩んだ。後輩である詩織には、優芽の主観における昨日、全てを話した。

 詩織が味方である姿勢を初めからしてくれていたという事実が後押ししたこともあるが、何より、詩織に対しては最悪の場合においても誤魔化しが効くからと考えてもいたからである。

 しかし親友で過去に全てを曝け出し合った奏音と友莉に対してはその誤魔化しが一切通用しない。

 だからこそ遠ざけ、事実そのものを伏せておきたかったのだが、詩織にわかることが友莉にわからないはずがなかったらしい。

 優芽は珠子の表情を伺う。今の会話の内容についてきているのだろうかと目だけで問うと、珠子はすぐにそれを察し、第三者の言葉を返してきた。

「わかるわよ。この間だって急に倒れたじゃないあなた。急に深刻な顔して怖いこと言うし。で、相談にも乗ったけどあなた、自分自身の口から発した言葉のこと、幻聴とか言い出すし。冷静に超怖かったし超気を遣ったんだから」

「え、あ、それは超ごめんね」

「まさかとは思うけど、この子の幻聴相談会で呼び出されたわけじゃないでしょうね」

 珠子が友莉に話を戻すと、友莉は首を横に振った。

 優芽としても確かに、それは既に問題ではない。

「本当は優芽にも用事があるんだけど……やっぱり今話しておきたいのは貴方の方かな。優芽をどうするつもりなのか、教えて欲しい」

「そ、んなこと言われても、困るよ」

 手を伸ばす。

 友莉に触れようとして、優芽ならぬ優芽は逡巡し、やはり触れずに手を下ろす。

 困っているのが優芽なのか萌映なのか、自分でもよくわからないまま友莉に、親友に触れることを躊躇った。

「……私、完全に優芽じゃないわけじゃ、ない。でも、たぶんね、萌映って名前なんだと思う」

 まずは事実を先に語る。そうしなければ友莉との会話は前に進まない、

 そもそも、今回のこの事件に関して、優芽は一切の情報を得られていないのだ。誰の何の思惑が絡み、現在のこの状況が発生しているのか皆目検討がついていない。

 自分の身に起きている萌映という存在の顕在化と時間の巻き戻し等々との関係性も現時点では何も見えてこない。

 現時点で相談をしている詩織も、優芽が優芽でないことには気付いていたようだが、今回のこの事件について知り得ている情報はないとのことだった。あくまで、表面上の言葉を信じるならば、ではあるが。

(まぁ、詩織ちゃんの場合、少なくとも私に対しての言葉に嘘はなさそう、かな)

 一番疑わしい自分自身よりは後輩のことを信じる方が確率的には良い方向に転がるはず。優芽の単純な思考回路はある意味、何もできない自分への苛立ちや嫌悪の裏返しでもある。

 そして、友莉がまさに言ってのけたのは、萌映が優芽の裏側であるということ。

 裏側。

 通常見えないはずの面。

 表に隠れた意思。

 表と裏は混ざることはなく、表は表、裏は裏のままである。表と裏には明確な境目があり、しかしどちらを表と呼びどちらを裏と呼ぶかは人の意思によって決定される。

 友莉にとっては無論、これまでの時間を共に過ごしてきた優芽という存在が表になり。突如として現れ、誰に何を言うでもなく自分自身を、優芽を断罪し続ける存在であるところの萌映は裏側になる。

 しかし、裏側は決して、表の内側(・・)ではない。

 内包される関係ではなく、並列で、対で、逆さ。

「メイさんね。漢字はどう書くのかな」

「え? あ、萌え映えるで萌映」

 そういえば、と優芽は記憶を辿る。詩織は漢字を尋ねてこなかった。あまり関心がないのか、或いは既に知っていたのか。

 今日の詩織に尋ねて答えが返ってくるのかはわからないので、再び友莉へと思考を戻す。

「おはよう萌映さん。いや、同級生なんだっけ。ちょっと他人行儀だけどいいよね。私と貴方は他人同士なわけだし」

「ねぇその無意味な禅問答はそろそろやめてくんない? 私だけ蚊帳の外だし」

 困り果てた優芽を、否、萌映を見て呆れた珠子がようやくと助け船を出した。

 珠子自身は完全に自分のために会話を前進させようとしただけだが、優芽にはそれすら彼女の優しさに感じられる。面倒くさそうに髪をかき分けた珠子は背中を預けている教卓を指でリズム良く叩く。

 小気味良い木の音が場の重く暗い空気を唯一その音だけが、和らげている。

「私ですら気付いてるんだから仲いい人は皆知ってるでしょ。あなたが謎に二重人格ってことは。皆がそれを前提に話してるんだからある意味常識よ常識。その先の話を早くしなさいってば。親友同士の確執に私まで巻き込まないで」

「ふぅ、ん。面白い意見だね。まるで珠子が当事者じゃないみたい。私はどちらでもいいんだけど……まあ本題に入ろうか」

 思わせぶりな言葉を友莉は残しながら、友莉は続ける。

 凍り付いた声のまま。

 つまり、怒りか哀しみを内に秘めたまま。

「本題ねぇ……まぁ、私らしくもなく遠回しでごめんね。でも、回り道しないとわからないこともあるからね。二人には回り道して欲しいんだ」

「は、二人? 私と、この子?」

「さっきも言ったとおり、珠子はどっちでもいいよ。好きな方を選んだらいい。でも、優芽は私が辿った道を知って貰わないと駄目」

「ほ、ほんとに回りくどいね。友莉、らしくも……」

 言いかけて、優芽は言葉を切る。

 かつて友莉は、自分らしさを見失ってしまったことがある。

 友莉にとって自分が自分らしくあることは、彼女が生きている証拠そのもので、生きる意味そのものでもあった。

 その友莉は人が好き勝手に語る友莉らしさを嫌悪し、何より自分で自分を嫌悪した。

 闊達で分け隔てなく愛想の良い真面目な生徒会役員という自分らしさに縛られ、迷い、苦しんだ彼女を知っている優芽は、仮に友莉が自称したとしても、友莉が既に乗り越えているのだとしても。結局は赤の他人である夢叶優芽に、友莉から真に友莉らしさを奪おうとしてしまった過去を持つ夢叶優芽に、友莉らしさを語る資格はないだろう。

「私らしさは、これだよ。ううん、これでもないし、何でもない。私らしい、だなんて、そんなものどこにもないもの。在るのは、ただの私だけ。本物も偽物もない、ただの私」

「そう、だね。友莉は友莉だから、友莉らしいなんて表現自体が、間違っているのかもしれないね」

「ありがと萌映。でも優芽の言葉じゃなきゃ私には届かないんだ、ごめんね。

「そんな、こと。私こそ、その、ちゃんと私じゃなくて、ごめん」

「うん。それじゃあ優芽。優芽に今日の私から一つだけお願い」

「う、ん」

「明日の朝早く、私に体操着を借りに来て欲しいんだ」

「うん…………は?」

 反芻。

 反復。

 事実を確認。

「ちょっと、ここに来てまだふざける気? 本題に入るってのは嘘? 朝早くに呼んでおいて、多重人格者にご挨拶と、そんでついでに明日の約束って」

「本気も本気だよ。明日の朝早くに優芽を呼ぶことが、私の本題。そうしとかないと、今日も来ないし」

「あぁもうわかったわかった。大体わかったわ。友莉、あんたが私と会話する気がないってことも、意味はわかんないけど、どうやら私とこの子が今日のこの時間にこの場所にいること、友莉の話を聞いているって事実、その辺が重要なのね。それでオーケイ?」

「ふふ、さすがに察しがいいね珠子は。あぁ、違うか。優芽と萌映の察しが悪いんだよね」

 友莉が、どんな顔をしているのか。

 優芽には見えないし、見ようともしなかった。

 ただ、微動だにしない友莉の背中を優芽は小さく感じた。

 冷え込んだ空気は、質量を増して優芽の肩にのしかかる。

「お……おかしいよ! 友莉!」

「酷いことを言うね。おかしい? 何? ようやくの自己紹介なの?」

「違うってば! 明日の朝、体操着を借りに来て欲しい? 順番が全然違うじゃん! だって、友莉は言ってたよ、昨日の私に言われて持ってきたんだって! 第一、元々は私が体操着を忘れてっ……!?」

「気付いた? だから今日の私がここにいるの。明日のためにね」

「友莉、は……違う、友莉も、時間を飛び越え、て?」

「私から出せるヒントはここまで。これ以上はフェアじゃない、と思うし。萌映がどうしたいのかも、優芽がどうしたいかも、私はまだ聞いていないし。答え次第では協力したくないし」

 唯一今の会話の意味がわからなかった珠子が、もはや会話する気が本当になくなってしまっている友莉は諦めて、優芽へと視線を送る。

 なるほど珠子は時間に纏わる事件については何も知らないらしい。

 しかし、友莉は珠子を当事者だと評した。否、正確には当事者でもどちらでもいいとのことだが。

「今、私は、私たちは、大きな事件の、渦中にある。また時間の、進み戻りが起きてて。原因、犯人は今のところ不明。私で言うと、明後日に進んで、明後日に進んで、今度は過去に戻って困ってる」

「あぁ、いや、それはあんたらの会話的になんとなくそんな雰囲気したけど。原因と犯人が不明って、またあなたが意図してやったんじゃないの?」

「うん。たぶん。確証はまだないけど、そうかなって」

「それで今のあなたは、既に明日を経験済みってわけ」

「そう。そのときは一昨日から明日にとんだの。気付かなくて体操着を忘れたから友莉に連絡して、貸して欲しいって。でも何故か明日の友莉はそのことを知っていて、挙げ句『優芽にお願いされたから持ってきたんだ』って」

「その昨日とやらが、今日、と」

「だから私は、記憶に従って、明日が明日になるように友莉にコンタクト取ろうかなって、そう、思ってたんだけど」

「……友莉に先手を取られたって感じ? ちょっと昨日とか今日とか明日とかがゲシュタル気味なんだけど」

 恐らくはゲシュタルト崩壊と言いたいのだろう。何故最後の一文字まで口に出来ないのか、と内心で思いつつ、それでも確かに状況を把握するのが早い珠子を優芽は感心していた。

 頭の回転が非常に早い。

 不気味な程に。

 より不気味な友莉は、優芽と珠子の会話には決して参加しない。自分の役割だけに徹しているかのように。

 自分の役割なんてものがあるかのように。

「ねぇ友莉。どこまで知っているの? 今何が起きてるのか、これから何が起こるのか、全部知ってるの?」

 親友に縋るような想いで告げた優芽の言葉はしかし。

「知ってるわけないじゃん。私が知っているのは今の今までのことだけで。これから何が起こるかなんて、わからないのが人生だよ」

 多くの言葉で否定され。

「過去に戻れる優芽と一緒にしないで」

 短い言葉で蹂躙され。

「間違った未来を望んだ萌映と一緒になんて……しないで」

 偽りなど、一切が認められなかった。

 続いた優芽の甘えの言葉も友莉には届かず。

「ねぇ、お願い、教えて、欲しい。今の友莉が知ってることを」

「私が知ってるのは、私の気持ちだけなんだ。ごめんね。それでもやっぱり偽物が欲しいなって。思っちゃったよ。だから、もう一度だけ……ごめんね」


 決死の思いも誤魔化された優芽が更なる追求をする前に、友莉は立ち上がって、漸く振り返った。

 友莉の目には光る滴が浮かんでおり、後悔と葛藤をその可愛く格好良い顔の全てで表現していた。


「また、皆で会えるといいね!」


 最後はいつもの友莉らしい元気な声色。だが、表情と声が合っていない。

 この重い雰囲気は、友莉が努めて明るく言い切った言葉と同時に教室へ入ってきた同級生によって断ち切られ。

 そのまま優芽がこの日友莉と話すことはなかった。

 優芽と珠子の胸に残ったものは、意味がわからない抽象的な言葉の上辺だけ。

「またいつか、なんて」


 まるで。

 今はもう既に、皆と会えていないみたいではないか。

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