第2話
葉君はよくうちに来るようになった。
「それでね、プリティーマジョルカブルーが敵役の一人のサーシアンと恋に落ちちゃって…」
私は日曜の朝に放送している『プリティーマジョルカ5』の見どころを葉君に語る。ロミジュリ展開が切ないのよー。葉君は楽しそうにそれを聞いている。楽しそうではあるがどこか薄幸の少年風の雰囲気を持つ子だ。
「僕は最近『金色夜叉』を読みました。この物語が続いていたらどんなエンディングを迎えたんだろう…って色々想像するのが楽しくて。」
葉君は私と違って結構渋い趣味をしている。私は葉君に勧められるまで夏目漱石の『こころ』も読んだことがなかったし。「――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」その一文は何となく印象的だった。名作なのかもしれないが、私は『こころ』を酷く陰鬱だと思った。名作文学はそう言った印象を受ける作品が多い。私が好むラノベとは随分と印象が違う。好きになれぬ…そうは思うが、葉君は『こころ』を好きだと言った。恋という罪悪に煩悶する様を感じ入るという。私は好きになれぬ作品ではあるが、葉君は、あの少し幼く薄幸そうな少年が「黒い長い髪で縛られた時の心持」を知っているのかもしれないと思うと、何となく、言葉にできない気持ちにさせられる。切ないような、粘着質に絡むような、甘酸っぱくもあり、ほの暗い…何とも言えない気持ちにさせられる。
私が「『こころ』は好きになれぬ」と言うと、葉君は少し困った素振りで「恋という罪悪に煩悶し、Kを死に追いやった、そして自分を殺してやりたいほど責めている先生が、手紙の最後に望むのが『妻が己の過去に対して持つ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたい』だというのは何とも切なくて。恋は罪悪でありながら神聖なものだという言葉を思い出すのです。肉から離れられず心澱んだ身でも、恋の粋は神聖であったと思うのですよ。」と言う。葉君のそういう思想が私にとっては難解ではあり、何となくいいなあ…と思うところでもある。
私の作った豆腐ハンバーグに歓声を上げる様や、日曜朝の女児向けアニメの話を楽しそうに聞いている姿とは乖離しているが、そんなところも含めてすべてが『葉君』という人間なのだろう。
「葉君、御飯のお替わり要る?」
「欲しいです。」
無邪気に喜ぶ一面に、この姿も良いと思うのだ。
「ねえ、天音さん。天音さんは好まぬというけれど、純文学のテーマには恋愛というのは結構多いものなのですよ。人間は遠き昔から『恋』という一つのテーマに注目して、言葉を連ねて、様々な形をとって、思い思いの心理を描写してきたのはすごいことではない?どんなに生活様式が変わっても、たった一つの共通のテーマは決して色褪せることがないのですよ。古いものであって、新しいものであって、永遠に人の胸に宿り続ける。何だかそれがすごいことだと思うのですよ。綴られた恋がそれを読む後世の人の胸に宿るなら、その恋は死なない、永遠に命を紡ぎ続けるのではないかと思うのですよ。」
ああ、この姿も良い。
私は葉君にご飯をよそってあげた。
「そんなことを考えながら過ごすのは疲れない?」
葉君を茶化した。
「どうでしょうね。別に毎日そんなことばかりを考えて生きているわけではないのですよ。」
「知ってるよ。」
葉君は微笑んだ。
「プリマジョも面白そうだと思いました。自宅では恥ずかしくって見られないですけどね。」
相変わらずクールな感じの家族間であるらしい。私は突っ込んでは聞かないが。
冷房の温度を下げる。
「いよいよ夏も本番ですね。」
葉君が紫蘇の葉のついた豆腐ハンバーグにゆずぽんをかけながら言った。
もうすぐ学生は夏休みに入る。
「そうだね。葉君はプールに行く予定なんかはあるの?」
「特にないです。天音さんは?」
「友達と。」
「いいですね。天音さんの水着姿には興味があります。」
「葉君も女の子の水着姿になんて興味あるんだ?」
葉君は微妙な顔をした。
「それは心外なセリフですね。僕だって若い男なのだから天音さんの水着姿に興味はありますよ。というか、今熱心に『恋』について語ったところだというのに、なんという冷淡な言い草。僕は傷付きました。」
葉君がよよよ…と嘆くので笑った。
「その恋の言葉が、全然受肉してないんだよ。」
「下心が足りないということでしょうか?下心の豊富さについては幾分自信があるのですが。」
「全然想像つかない。」
葉君は綺麗で、肉欲などとは縁のなさそうな顔をしている。
「本当に受肉してなければ、僕もこれほど切なく劣情を燃やすことなどないでしょうに…」
聞き違いかと思った。
「いいですか、天音さん。僕を美しい人形のように思うのはやめてください。人に対する思いやりのような綺麗な心がないとは言いませんが、下らぬ劣情も催す…普通の、人間なのですよ。」
葉君の顔が切なくゆがむ。
「うん…」
「自分を受肉した一人の男と思え」と言う葉君は、なんだか私にほのかな異性を感じさせる。こんなに親しくした男の子はあまりいないからかもしれないけれど。