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二の輪の詩

作者: 山本賢二

『Usagiランナバウト』の継続作、『N』(ニュートラル)の関連作品です。バイク(自転車)とバイク(モーターサイクル)の物語です。

(ふた)()の詩


                          山本賢二





 『この人に逢わなかったらお母さん、ここに居なかったかもしれないの………………』



 この母の言葉は私が小さい時からよく聞かされていた。 同時に ”この人“と一緒に写っている写真もよく見せられた。


 母はその写真を、まるでお守りの様に大切にしている。二十年以上前の写真―――――その写真は母が私くらいの時、お父さんにバイクを乗ることを禁止されたことで喧嘩をし、バイクで家を飛び出して実家のある愛媛県の愛南町に帰る途中で撮ってもらったそうだ。


 母の横には”その人“と所有する白いバイクが一緒に写っている。


 母の話では写真の人と会ったことで自分の悪い所、欠けている部分を知り反省したという。

 




 子供だった私には分からなかったし大学生になった今も余り興味の無い話、平たく言えばウザかった。





 


 「未伊沙(みいしゃ)、本当に自転車でお祖父ちゃん家に行くの、広島からじゃ、結構遠いのよ。大丈夫?」


 {お母さん、何回同じこと聞くの! 婆さんか、まったく……………愛媛の愛南までの距離も調べたし、泊まる先も予約しといたから大丈夫だってぇ―――――}


 「気を付けて行くのよ、お母さんの大切な写真は持ってくれてる?」

 {お母さん、私には持つ理由が無いよ……………私はあの人知らないから。

 でも、まあ…………写真はデータにして携帯に入れといたから一応感謝してね。

 じゃ、明日出るから、そっちも気を付けて来てね}


 「あっ、チョッと待ちなさ―――――切れた。明宏(あきひろ)さん………どうなの、あの子」

 

 テレビを見ていた明宏は洋子の方を向くと苦笑した。


 「昔の君にそっくりじゃないか。未伊沙は増々、尖がってるな、アハハハッ――――僕に似なくて良かった」

 「親を婆さんだなんて、酷すぎない」


 「その部分は要改善だね――――君のように旅で何かを見つけることが出来ればいいね」

 

 明宏はそう心配した風でも無く微笑んでいた。




  ◆




 私は山内未伊沙(みいしゃ)、三重県の実家から掛かってきた電話を切ると、さっきまでやっていた荷物のパッキング作業に戻った。

 

 私は広島県にある大学の二回生だ。竹原市でアパートを借り一人暮らしをしている。

 生活費は実家から仕送りをしてもらい、自分のこずかいの分だけアルバイトで稼いでいる――――――親のスネをかじっているのは承知している。


 

 今は八月で明日からお盆休みだ。

 

 私はこの夏休みを利用してサイクリングをする予定を立てていた。目的地は愛媛の愛南町の中泊にある『島栖(します)』の家、早い話が祖父ちゃん家だ。

 私は祖父の家に一回も行った事が無い、いや有るが、それは私が乳児の時、母が私の出産で里帰りした時で当然その時の記憶なんてない。


 祖父はこの二十年の間、盆正月も含めて足繁く三重の実家まで来てくれていた。

そういう事もあり、今度は私たち家族が久しぶりに行くことになったのだ。


 私が祖父の家に行くのには、もう一つ理由が有る。それは母の事だ。

 母は私を産む二年前までレーサーをやっていたことは本人からよく聞いている。

 

 私は携帯を手に取ると母の大事にしている写真の画像データを開いた。母のバイクは写ってなかったが、母はライディング用のレザーを履いていた。


「お母さんの乗っていたバイク……………たしか祖父ちゃん家の納屋に保管してるって言ってたっけ―――――」


 あのおっとりした母が昔どんな頑張りをしていたのか見てみたかったのだ。

 私は母を侮っているのかも知れない。あのおっとりとした母がレースで表彰台なんかに立てる訳がない、何かの勘違いだ、と。

 或いは私の若さと勢いがそう思わせているのか…………



 パッキングの終わったバックパックを自転車の横へ置く。

 少し離れて私は自転車の全体像を眺めた。


 私の自転車は大学に入った時、通学のために買ったクロスバイクだ。

 ギヤはドライブ側3段、ドリブン側8段の計24速、チェンジレバーはフレームにマウントされている旧式の奴だがブレーキシステムもロードスポーツと同様の物を装備している。

 ハンドルもドロップタイプでステムの両サイドに予備(補助)のブレーキレバーが付いているのがクロスバイクの特徴だ。


 このタイプはよくロードスポーツの入門機(初心者用)に付いているが私は気に入っている。

 飛ばさずに普通に走るには使い勝手が良いのだ。

 

 

 通学の足として竹原から三原市までずっと走り続けている。脚力も付いてきたし自転車のメンテもパンク修理くらいなら買った店でレクチャーを受けている。

 

 ここから祖父ちゃん家まで約三〇〇キロ、今の私ならきっと走り抜くことが出来るはずだ。




 2




 翌朝、四時半に目を覚ますと私はテレビの天気予報を確認した。

 二日間の全行程は晴れマークだが―――――私は気象予報士の言葉に注意した。


 {所によっては大気が不安定になるため傘やカッパが必要な………}


 私は窓を開けて空を見上げた。夏の盛りで空は薄明るくなり始めている。

 雲は無く快晴だ。



 私はだるい身体を起こすためにシャワーを浴び、シャワー室から出ると壁に掛けてあるサイクリング用のウェアを取った。


 今日のために新調しておいたウェア、シワも無く新しい匂いがする。



 六時前、私は日焼け止めを入念に顔と手の甲に塗るとサングラスとヘルメット、グローブを着け自転車と共に外へ出た。外は十分に明るくなっている。



 (さあ行くわよ‼ 私を愛南まで連れて行って!)


 下方に広がる瀬戸内海を見ながら緩い下り坂を一気に降りて行き海岸沿いの国道185号へ出ると忠海の方へ向けて走り出す。



 早朝の爽やかな大気と相まって磯の香りが清々しい。三重の実家も海から遠くはなかったが此処ほどじゃない。

 小さな島々が点在する、この箱庭にも似た景色を私は好きになっていた。


 国道185号は海に面していて高低差も無くきついカーブも殆どない。

 遅い原付なら横に並べるくらいのスピードで走り続ける。盆休みに入ってか、すれ違うサイクリストも多い。私は軽く手で合図を送った。




私は忠海の大三島行きのフェリー乗り場に到着すると腕時計を見た。


 (アパートから三〇分も掛かってない………フェリーは七時半発か―――――時間がある)


 私は待合所でベンチに腰を下ろすと、これから行く先々の事を想像していた。

 頭の中で描かれることは私にとって都合のいいことばかりで悪いことは一つも無かった。


 私は過度な自信家ではないが自分を認め、その力を信じている。だから自分の進む道には障害なんて無い、もし在るとすれば自分で作り出しているんだ――――――これが私の思いであり突き崩されることのない強固なものと信じている。



 七時三〇分、私を乗せてフェリーは港を後にした。沢山の車と人、バイクや自転車と共に。


 フェリーは二五分で大三島の盛港に到着した。


 ここ、しまなみ海道を楽しみながら通るのであれば尾道から向島、因島、生口島を経由してもよかったがそれでは時間が掛かり過ぎ、今日の宿泊地である大洲市に辿り着けない。

 フェリーを使うことでしまなみ海道の約半分をショートカットできる。


私は船を降りると井口の方へ向けて走り出した。

まだ朝食を食べていない、この辺りに本で調べた喫茶店がある。そこはよくサイクリストが寄る店だそうだ。


携帯のマップを確認しながら、しばらく走って行くとその店はあった。


 国道317号から五〇メートルほど外れた所にログハウス風な店があり店名は『クルーザー』。


 私は店の入り口のサイクルハンガーに自転車のサドルを掛けなかった。通学仕様なのでサイドスタンドを付けていた。ロード用は重量軽減のためスタンドを付けない事が多いが大した重量じゃない、私はそう考える。


 店に入るとコーヒーの良い香りが漂っている。まだ早い時間なのか客は私だけだ。取り合経ず空いている席に腰を下ろした。


 奥から背の高い――――スラッとした年輩の女性が出てきた。歳は母と同じくらいか…………。


 「いらっしゃい、ここは初めてですか?どこから」

 「竹原からです。しまなみは初めてです」

  「そうですか。じゃ、ゆっくり楽しんで行って下さい。御注文は?」


 「モーニングセットがあったらそれで…………アイスと」

 「モーニングとアイスね」


 女性は奥に下がり、しばらくしてアイスコーヒーとパン、卵とサラダを運んできた。

 その時、一冊のノートが私に手渡された。

 「何ですか―――――サイクリングノートって書いているけど」

 「ここに立ち寄った人がそれぞれの思いを書いていってくれるんです。あなたもよろしければ何か残して行ってください」



 私が? 何を―――


 私はノートを開けて先に書き残した人達のコメントを見た。

 「………」旅の思いなのか? 私にはよく分からなかった。


私はここを通り過ぎようとしているだけだ。何をどう残せば――――――


 「はい、じゃあどうぞ」

 ボールペンが私に手渡された。これで書かない訳にはいかなくなった。

 しばらく考えても纏まった文は思いつかない、のでこう書いた。


 〝私は帰って来る〟  サラサラとサインでもするかのように。


 (私はマッカーサーか?)


 「わあっ、良い言葉ね。前にも似たようなことを書いた人がいるの、ちょっとノートを――――――」

 そう言うと女性はノートを取ってパララとめくり私に見せた。そこにはこう書いてある。



 “サイクリストとは

   行って帰って来る人のことだ。


KENTA・MIYAMAE “



 (ハァ? よく分からんし何で名前ローマ字なん………キモォ)


 この時、ノートに書かれていることを掘り下げて考えようとも思わなかった。

 私はコーヒーとパンを食べると店を後にした。




 3




 一一時二〇分頃、私の足は棒になりかけていた。しまなみ海道は想像以上に高低差が激しく橋から国道に降りても尚、アップダウンが多かった。

 今、必死で来島海峡大橋を走っている。橋の路面は橋の中央部で盛り上がり長大で緩い高低差を生み出している。

 その緩い高低差でさえ私には相当な負担だった。頭の中には朝、家を出た時のような強気な考えは消えていた。


 何とか橋を渡り切った所で休憩を取った。ウェアは汗でベッタリ濡れている。

 自販機で買った飲み物を持つ手が震える。私の左側にいる私の陰はこう自問する。


 〈あらぁ~、あんたの力ってこんなものだったのぉ―――――障害は自分で作ってるんでしょう。違ったっけ?〉


 (うるさい‼ 黙れっ、私は―――行くんだ!)



 休憩場所のサンライズ糸山を下り大西町へ向けて走り出す。

 途中、コンビニで昼食を取った。いや、正確には食べなければ体が動かないのだ――――生まれて初めてそのことを実感した。


 県道15号を通り国道196号に出る。ここからは交通量も増える、特に大型車両の通過には注意が必要だ。


 私はママチャリくらいのスピードでゆっくり走りながら考えた。


 二年間、通学で脚力は付いていたかも知れない…………でもそれは一四~一六キロ、それも時間を挟んで往復で三〇キロ強の距離で今はもう連続で四〇キロ以上走っている。

 私は連続で走ることを考慮していなかった。だが今さら悔やんでもどうしようもないし、私はそういうのが嫌いだ。


 (やるんだ!)


 大西町から松山市北条道の駅まで更に一時間、足が攣りかけている。時刻は一三時半近くになっている。だが、この辺で休憩を入れなければこれ以上、進むことは難しい。



 私は道の駅のベンチに腰を下ろすと靴を脱いで太ももやふくらはぎ、足首をマッサージした。

 化粧室の洗面台で汗と埃で汚れた顔を洗い、鏡で自分の顔を見る。


 (何て……………余裕のない顔)


 私は何で自転車なんかで行こうと思ったのだろう…………そんな気持ちが抑えられずに出てくる。


 自転車通学で多少、脚に自信が出来たから、或いは母に対抗意識があった?

 全く無い訳では無いが主要な理由ではない。

 

 何が私を動かしたのか……………偶然? それとも私はこの旅で何かを知らなければならないのか――――――


 難しい事は分からない。ただ、自転車で行きたかった……………今言えることはそれだけだ。


 自転車に戻ると私は国道に出た。足が重い、もうスピードは出せない、しかし強気な私は思った。

 (ここまで来れば……………大洲だって)


 恐ろしい誤算をしていた。感覚が麻痺しているのか――――――大洲に行く前に松前町と伊予市を通らねばならない。大洲はまだ、ずっと先なのに…………。

 

 

 時間を気にしている余裕は無かったが、夏の中天の暑さはピークを過ぎていることは体が教えてくれていた。


 お盆の初日で車が多い。私は途中で街の中心部を避け、市の西部に在る松山空港方面を目指した。

 ショートカットを行うため松山の北環状線から大きな卸売市場のような所を右折直進し三津と言う場所を経由して空港に向かう。



 飛行機がランディングしてくる真下に公園がある。この東垣生という所で二度目の休憩。

 私は公園中央のベンチに仰向けに横になると上空を地面すれすれに降りてくる旅客機の腹を眺めながら呟いた。


 「飛んだら…………降りて来ないといけないんだ………」


 私の心に浮き上がって来る言葉があった。そう、大三島の喫茶店でサイクリングノートに書かれてあった言葉、そして自分が書いた言葉…………………


 〟サイクリストとは行って帰って来る人のことだ〝


 そして自分が書いた言葉。


 〟私は帰って来る〝


私は重い身体を起こし立ち上がった。

「行こう………」元気は無かったがそれでも前向きに。



 私は国道を避け海寄りの道で松前、伊予市を走り続けた。平地だが海が近いその場所は自分が住んでいる竹原と同じ匂いがする。


 私は伊予市の向原という所で一端、自転車を止めた。


 ここから先は国道56号か海沿いの378号――――――どちらかの選択になる。

 事前に調べて置いた情報では海回りの方がサイクリングロードとして整備も進んでいるし海側に出れば高低差も無い。


 私は海回り、国道378号を選んだ。

 ペダルを漕いでいく前には海側へ出るため、試練のような長い坂が続く。どこまで続いているのか先の見えない上り坂に自転車の速度はみるみる落ちていく。


 フロントギヤを一番軽い奴に切り替えても駄目だった。私は自転車を降り、押して坂道を登らなければならなかった。


 息を切らせながら、心臓も爆発するんじゃないかというくらい激しく鼓動している。

 流れる汗も普通の汗か油汗か冷汗なのかも分からない。

 ここを越えれば後は下るだけ――――――その思いが私を動かす。




 なだらかな平地に辿り着くとその先には更になだらかな上り坂があった。

 それを見て私は呟く。

「クソッたれが…………」私は汚い言葉を発しているのに気が付いた。


 意識する、しないに関わらず状況が潜在的な自分の一面を露わにする、私は今それを理解した。


 限界が近づいた時、やっと――――――やっと上り坂は途切れた。


 自転車を止め地べたに腰を落して私は思った。

 当初、考えていたより遙かに厳しい旅を私はしている。頭で計算された架空の旅じゃなく、現実というリアルな旅を――――――ここで私は何かを知ることになる…………先に自分の一面を理解したように。

(それは頭で都合の良い事を描く様なものじゃないんだ…………)







 坂を下ると、そこは余り高低差の無い海沿いの道――――順調に行けると思っていた。







 長浜町の入口にあるコンビニで私は自転車の後輪を外していた。


 途中、タイヤが路面から何かを拾ったらしい……………海に面している道なので恐らく釣り針のような物か――――――パンクだった。

 これが前輪なら余り苦労せずに外せるのだが後輪はチェーンを外しての作業になる。ウェアの袖を捲り上げバックパックから予備のチューブと工具を取り出し軍手を着ける。


 初めてだったが何とか後輪を外すことが出来た。慣れない作業で捲った腕は油で汚れた。

 自転車を買った店でレクチャーを受けた通り、私はタイヤをリムから外していく。

 チューブを取り換えタイヤに少しだけハンドポンプでエアーを送る。そうすることでチューブがタイヤとリムの間に噛み込まれるのを防ぐ、これもレクチャー通り。

 実際に私は一回もパンク修理をしたことが無い。二年間、パンクの経験が無かったのだ、その割には上手くいったと思った。

 

 外れたタイヤをリムに戻して行くとき〟グジュッ〝と潰れるような感触が工具を通して伝わってきた。

 瞬間、そくった〈失敗した〉と確信した。工具を差し込んだタイヤとリムの隙間から、まるで口でフーッと吹くようにエアーが漏れ手に当たった。工具でチューブをリムとの間に挟み、潰してしまったのだ。


 私は無表情になりその場に凍りついた。


夏の夕暮れは、なかなか陽が落ちないが、それでも夕闇が追ってくるだろう。私は携帯で宿泊するホテルに連絡を取り、遅れる旨を伝えた。


 バックパックに手を突っ込み中を(まさぐ)ると私は予備のチューブを取り出した。

 (チューブの予備は二本だけ…………………もう後が無い)


 私は慎重に作業をやり直していった。



     

その後、宿泊先のビジネスホテルに着いたのは完全に陽が没してさらに数時間後だった。


 女性のフロント係が再度わたしの名前と予約番号を聞いた。


 「恐れ入りますがもう一度、お名前の方をよろしいでしょうか」

 「山内未伊沙…………108745」

 「申し訳ございません、もう一度お願いします」

 「山内未伊沙………108745」


 もう声も出なかった。


 その日シャワーを浴びると夕食も摂らずに横になった。

 泥に沈むような感じで意識が遠のいて行った。




 ◆




 翌朝、一〇時にホテルをチェックアウト。脚や腰、膝、首、手首…………至るところが軋んでいた。


 ここから愛南町の中泊まで約九三キロ、その距離はフルマラソンで走る距離四二・一九五キロの二倍強―――――だが自転車なら消費カロリーは五分の一くらいに抑える事が出来る。


 人間の歩行移動限界は、一日七〇キロくらいと聞いたことがある。

 自転車は人力でありながらその活動半径を大幅に拡大してくれる……………私の前に置かれている距離は決して大きくないはずだ。


私は自転車を漕ぎ出した。



 愛南までの道程で上り坂は西予市の入口と宇和島市の吉田に入る手前の法華津峠、そして愛南から目的地の中泊へ向かう途中の3か所、地図で大まかに調べただけだが……………


 西予市に入る手前で長いトンネルがある、私はバックパックのライトマーカーを点けた。



  

トンネルを抜け西予市、宇和島市を経て津島町を通り過ぎようとしている。

 途中、スコールに見舞われたがカッパは着ない。自転車を止めることが面倒だったし、直に乾くだろうと思った。


 予想通り、走っている内にウェアは乾いて行き、その時の気化熱で発熱した体温が下げられ心地良かった。



 大洲を出て以降、コンビニで昼ご飯と、道中自販機で何回か水分補給をする以外は自転車を降りていない。


(遅くたっていい……………とにかく前へ――――――)


 私はもう、時計を見なかった。目的地〈祖父ちゃん家〉はどんなに遅くなっても私を迎え入れてくれるだろう……………気の抜けた安堵感が私を支配していたのかも知れない。




 5




 それは須ノ川に入ったところで起きた。


 トンネルを抜け下り坂を惰力で自転車を走らせながら私は海側に傾いた夕日を眺めていた。


 前を向いた時、道路は既に緩いカーブを描いていた。

自転車の進路は大きく歩道側へ外れようとしている。急ブレーキを掛けたがリヤタイヤがスキッド、フロントもスキッドする寸前までブレーキレバーを握り込んだが――――――間に合わなかった。



車道と歩道の分離帯にぶつかり私は飛ばされた。それは、ゆっくりとスローモーションでも見るかのように周りの景色が映った。


〟ガシャンッ〝 続いて 〟ドサッ〝という鈍い音がする。


私が地面に落ちた音だ。ここまでは認識できた。


幸い私が落ちた所は舗装のされていない地面で生い茂った雑草がクッションの代わりになってくれた。


私はゆっくり慎重に上半身を起こした。

(うぅ……大丈夫………ケガはない――――自転車!)


それは私の斜め後ろの歩道に転がっていた。リムが歪んでいる。多分、タイヤも駄目だ…………




そう思っていた時、対向してきたバイクが私に気が付いたのか、ユーターンして私の横に着けた。

「大丈夫か‼――――――ケガは無いかい?」


ライダーは降りて来て私の前に片膝を着くとヘルメットのシールドを開けて言った。


「ケガは………ありません、大丈夫………多分」

「向うから走りながら見ていた。結構、派手に転んだね」


ヘルメットを脱ぐとその人は―――――年齢が四十前後、母と同じくらいの歳に見えた、その男性は私の自転車を路肩に寄せた。

 「タイヤはパンクしている。リムは歪んでいるけど―――――接合部は折れていない」


 男性は近づくと手を差し伸べた。

「起きられる? 日が傾いているから………ここから少し先に須ノ川公園がある。あそこなら灯りも有る、移動しよう」


 男性は私をバイクのタンデムシートに乗るように言った。


 「自転車は? それに私のヘルメットは自転車用で――――」

 「君を先に運ぶ。ヘルメットの件は緊急避難的措置だ」


 男性はバイクに私を乗せ走った。


 直ぐのところに須ノ川公園はあった。男性は公園の管理棟に私を連れて行って中で休むように言った。

 「すみません。ここで少し休ませてあげて下さい―――――――僕は自転車を取りに行って来るから」


 「すみません…………」私はこれしか言えなかった。




 しばらくして男性は自転車を担いで帰って来た。

 「今日はどこまで行く予定だったの」

 「愛南の中泊、祖父の………家」


 それ以上、言葉が出ず代わりに涙が頬を伝う。

 (私は帰るどころか………目的地に着くことさえできなかった)


 悔しさと情けなさで心が折れた。


 「自転車用の工具とパンク修理のリペアキットは持ってる?」

 男性は自転車を触りながら私に聞いた。


 この人は何をするつもりなんだ? 取り敢えず聞かれたことに答えた。

 「工具はあるけど、リペアキットは持ってません。もう予備のチューブも無いし………」

 「もう………無い、か。一回パンクしたんだね、その時のチューブは持ってる?」

 「?…………あるけど、どうするんです」

 「修理するんだよ、リムは歪んでいるけど折れてはいない。スポークの調整で直す、応急処置だけどね――――――パンク修理のボンドは僕のバイク用のリペアキットの物を使おう」


 男性はフロントのリムの歪みを確認すると工具でスポークの張りを調整して行った。

 

 次はパンク修理。チューブの裂け具合から最初にパンクした時のチューブを直すことになった。

 使えない方のチューブをカッターで切り取りパッチ代わりにする。表面をサンドペーパーで磨きボンドが付きやすくしなければならないがそれが無い。

 男性は床のコンクリートを指でなぞった。

 「ここでいい、チューブの地肌を出すだけだから―――――」

 男性は床でチューブとパッチを擦り地肌を出すとボンドを塗り少し置いてからくっ付けた。男性は外に出て、丸い滑らかな石を探してくると接着した部分をトントンと叩いた。

 

 リムにチューブとタイヤを組み込んで一応作業は終った。


 「僕に出来るのはこの辺くらいまで……………もう陽は沈んじゃったしね。

 ボンドが乾く頃には真っ暗だろうし、さっき気が付いたんだけどライトが点かない。多分転倒の衝撃で逝ったんだと思う」


 男性は自販機で冷たいコーヒーを買うと一本を私にくれた。

 

 「君を迎えに来れる人はいる?」

 「多分両親が祖父の家に着いているはず……です」

 「じゃあ、連絡しよう」


 かなり抵抗があった。それは自分の負けを認めるという事だから――――この状況に及んで尚、私の心は母に対してこうも頑ななのか⁈


 バックパックから携帯を取り出すと液晶画面が割れていた。ボタンを押すが起動しない―――――壊れていた。



 「すみませんが管理棟の方は閉めますので―――――」

管理者の女性が申し訳なさそうに退出を促した。


 管理棟の建物は閉められ私達は屋外のベンチに腰を下ろした。

 「連絡は取れたのかい?」

 「……………」


 私は黙って壊れた携帯を見せた。男性は私があまり喋らないのを心配してか、昔のツーリングの話を持ち出した。


 「僕も最初にバイクで帰省していた時、同じバイク乗りの人に助けられた事があったんだ。


 僕は大阪の吹田から―――――助けてくれた人、女性のライダーだったけど彼女は三重県から同じ愛媛の……………そう、君が行こうとしている愛南に向けて走っていた。

 

 愛媛の西条小松までずっとエスコートしてくれた……………免許取り立ての僕はバイクツーリングの経験が全く無かったし、恐ろしく体力が無かったんだ。

 別れ際に色んなアドバイスもしてくれた。その人が居なかったら僕は――――――――」


 「居なかったら?」と私は男性の方を向いた。


 「多分、目的地―――松山だったけど…………辿り着けなかったし、今こうしてバイクに乗ることも無かったと思う。

 君はサイクリング…………自転車の旅は初めてなの?」

「初めてです、こんなに遠くに来たのは………」

 「じゃあ、その思い出を持って帰ろうよ、絶対に! バイクも自転車も乗る人をサイクリストって言うけど、それは行って帰って来る人のことなんだ」


 私は大三島の喫茶店『クルーザー』で薦められたサイクリングノートのことを思い出した。

 だが、世の中、同じような経験、似たようなことを言う人は多い、その程度にしか思わなかった。


「連絡を取ろう。僕の携帯を使っていいよ」


 男性から携帯を受け取り、待ち受け画像を見たとき私は声を出して驚いた。

 「エェッ、何でっ――――――この写真が⁉」それは母が大切にしている写真だった。

 「? ああ、これ…………さっき、話した人の写真だよ。隣は僕だ――――彼女は携帯を家に置いてきたらしくてね、僕の携帯で撮ったんだ。メモリーカードにデータをコピーして渡したんだけど………今も持ってるかなぁ………。

二十年くらい前の古い画像だけどバイクで遠出するときは待ち受け画面にして持っている。

あの時の思いを忘れないようにね……………」


 私は全てを理解した。この人が母の大切にしている写真の人であると同時に、サイクリングノートに書かれていた言葉を記した 〝KENTA・MIYAMAE〟本人なのだ、と。



 私は母の携帯に連絡を取ると既に祖父の家に着いて私の到着を待っていた様だ。

 須ノ川で転んだことを話した後、助けてくれた男性のことを話すと母は名前を確かめるよう私に伝えた。



 「すみません、お名前を聞いてなかったので……………」

 受話器のマイクに手を置き、男性に尋ねた。

 「いや、名乗るほどの事じゃないと思うんだけど―――――」

 「間違っていたらごめんなさい……………()()()()さん、ですね」

 

 男性は大きく動揺した様子だった。

 「何で―――――僕の名前を⁉」

 「私は竹原から大三島………しまなみを通って来たんです。喫茶店でサイクリングノートを見ました」


 「あっ‼ あのとき書いた……………そうだったのか」


 再び携帯と向き合うと私は受話器の向こうに居る母に言った。

 「私を助けてくれた人、お母さんが大切にしている―――――写真の人だよ、名前はみやまえさんっていう…………」


 {その人とそこに居なさい‼ 絶対、帰しちゃダメよ、そっちへ行くからっ!}


鼓膜が破けるんじゃないか、と思うくらい大きな声がスピーカーを通して返って来た。




 6




 洋子は急いで車の準備をした。話を聞いた明宏は台所へ行き冷蔵庫を開けた。

 「すみません、お義父さん。アルコールを少しもらっていきます、それと肴も―――――洋子さんの知り合いが近くに来ていて多分、今夜は戻れませんから!」


 洋子と明宏は車に乗り込むとダッシュで『島栖』の家を飛び出した。

 「明宏さん、しっかり摑まっていて‼」


 ハンドルを握りアクセルを踏み込む洋子に明宏は笑みを溢しながら答える。

「アハハハッ、今夜は良いものが観られそうだ」







携帯が切れてから二〇分も経たない内にハイビームで照らした車が凄まじいスピードで駐車場へ突入して来た―――――家の車だ‼

 スキッド音を発して車が停まったあと運転席から出てきたのは母だった。

(エェッ⁉ お母さんが運転してたの?)私は自分の目を疑った。


 内の家族であんな運転が出来る人間など居るはずがない、そう思っていたし、そんな走りも見たことが無い。

続けて助手席から父がよろけながら出てきた。


 母は私に駆け寄り怪我をしてないか聞いた後、直ぐに連絡をよこさなかったことを注意した。


 「携帯が壊れて…………みやまえさんに自転車を直してもらったの。その後、携帯を貸してもらってね―――――」


 母とみやまえさんはお互いに向き合った。しかし―――――お互いが誰なのか、まだ確証が掴めないようだ、特に母は――――。


 「すみません、携帯を貸して下さい」

 私はみやまえさんから携帯を貸してもらうと、その待ち受け画像を母に見せた。

 「お母さん、この人も大切にしていたんだよ。この写真を」


 「間違いない…………………間違いないのね………」


 両手で顔を覆い母は嗚咽を漏らした。そしてみやまえさんへ歩み寄り、胸に寄り添うとこう言った。


 「ありがとう…………賢太、ありがとう………」


 名前を聞くと、みやまえさんはハッとした表情になり母の両肩に手を添えた。

 「洋子ちゃん……………洋子ちゃん、君のこと、ずっと忘れなかったよ。

 君に逢わなければ今の僕は無かったんだ…………」


二十年ぶりの再会というだけでは片付かない、そこには母とみやまえさんの出会いにお互いの生き方を左右するほど確かなものが在った―――――そう私は感じた。


 しかし、それが単に頭の中の理解でしかない事を知った。母とみやまえさんが寄り添っている姿を見て私は父にこう言ったのだ。

 「お父さん、いいの? お母さんが別の人と…………」

 「未伊沙、お前にはまだ分からないかも知れないけど、これは男性、女性のそれじゃない。

 お父さんはね、これに立ち会うために来たんだ…………未伊沙、気が付いてないかも知れないけど、お前も立ち会っていたんだよ」

 「立ち会って………………いた?」


 父は進み出て、みやまえさんに挨拶をした。

 「宮前さん、家内と娘をありがとう。あなたと会えて本当に良かった。

 家内は―――洋子はあなたと会うことで大きく変わることが出来たんです」


 私を助けてくれた人の名は「宮前賢太」。その人は母と一緒に父に歩み寄ると頭を下げた。

 「初めまして、御主人――――宮前です。その節は奥さんに大変お世話になりました。今でも感謝し切れないくらいです―――――洋子さんに会わなければ今の僕はなかったし、こうして娘さんと出会うことも無かったのですから………」

 「私は賢太君に会わなかったら、多分家には戻ってなかったかもしれない………自分の悪いところが見えてなかったの。昔の私は自分が悪くても引き返すことを知らなかった………我が儘で強情。それを賢太君や奥村さんが教えてくれたの」と母は言った。


「奥村さん………懐かしいな。洋子ちゃんはその後、会ったの?」「うぅん、ただあの後ね、お盆の週の中頃だった。偶然、津島の方で会ったの。そのとき奥村さんが話してくれたことで家に帰ろうって思った………」

 

 母と宮前さんはベンチに腰を下ろした。父は車からアルコールの入った袋を下げてくると二人に言った。

「洋子―――宮前さん。もし時間に差支えがなければ、今夜ここでお祝いをしませんか。こうして二十年ぶりに三人が出逢えたことに」

 「用事も終わって後は帰るだけなので。明日も休みですし――――喜んで!」宮前さんは快く父の申し出を受けた。


「三人? お父さん、二人の間違いじゃないの」私は父に迫った。

 「三人目は未伊沙、お前なんだ。二十年前、宮前さんと出会った時、お母さんのお腹の中にいたんだよ」

 「! それでお父さん、私が立ち会っていた、って言ったのね」


 その日の夜、夏の星空の下、私と父を交え、母と宮前さんの懐かしい話は尽きることがなかった。




 7




 大きな思い出の時となったお盆休みは瞬く間に終ろうとしていた。


土曜日、母は私を連れて納屋の中に入った。そこにはカバーを掛け埃が入らないよう厳重に保管されたバイクがあった。

母が丁寧にカバーを外して行くと、中からバイクが現れた。

「‼」思わず息をのむ私。


鳥肌が立つくらい美しいバイクだ。濃いブルーと抜けるようなホワイトのツートンカラー。その境目をゴールドとレッドのストライプが走る。アンダーカウルには〝Rothmans〟の文字が入っている。

二十年のインターバルを感じさせないほどに輝くそれは、長い時を経て、なお色褪せることのない母と宮前さんの思いとダブった。


母は機体を入念にチェックするとフロントとリアのメンテナンススタンドを外した。バッテリーを積み、ガソリン携行缶に入れた燃料と2ストオイルを補充した。

母はバイクに跨るとキックスターターに足を掛け、目を閉じた。しばらくして目を開けると思いを込めて足を踏み込んだ。二回、三回…………



”ヴアァンッヴァラヴァラヴァラヴァラヴァラ………”




「エンジンは大丈夫なようね。未伊沙、お母さん、このバイクで三重まで帰るわ…………二十年前、このバイクをしまうときにお母さん、こう言ったの。

〈いつの日か子供も手を離れて再び自分の時間が取れるようになった時、その時が訪れるまで――――〉ってね。今がその時だと思うの」

「お母さん…………ごめんね、私、何も分かってなかった。レーサーの話も何かの間違いだと思ってた………」

「お母さん、今までリミッターを付けてたから――――今日からリミッターは外すわ。

未伊沙、お母さんの大切な写真持ってくれていてありがとう。もういいわ、あなたはこの旅で自分の大切な思い出を得たんだから」




真っ新な携帯に移されたその写真を私は消さなかった。

母と宮前さん………その中に私は映っていないけど、その思いは母と共にあり、今もその思いは続いている。



(この写真が私の出発点なんだ!)




 

 ◆




 

 日曜日、祖父ちゃん家を発つ時が来た。朝、私たち家族は三人三様、それぞれの乗物の前に立った。


 母はバイクを少し広い所に押して行くと、跨りエンジンを掛けた。

 「明宏さん、未伊沙。少し後ろに下がって!」そう言うと母はスロットルを大きく開いた。



〝ヴァンッヴァアアアアアアアアアアアアアァァ――――――〟



エンジンが凄まじい音を立てた――――続けてリヤタイヤからスキッド音と白煙が上がる。



〝ギャギュギュギュギュギュゥゥウーーー〟



フロントを軸にしてバイクはあっという間に円を描いた。バーンナウトというやつだ。

「凄い…………」私は母と違う人を見たように呟いた。

「長らく乗ってないとはいえ腕は確か、か。さすがは元レーサー…………昔のお母さん、復活だな」と父は言った。


「じゃ、明宏さん、私は一足先に出るからゆっくり帰って来て――――未伊沙、あなたも気を付けて帰るのよ。着いたら連絡しなさい」


そう言うと母はグーで親指を立てヘルメット越しに頷くとバイクを出した。


〟グッドラック〝 という意味なのか…………


母がバイクで出たあと父は竹原の近くまで自転車を車に乗せていこうか、と勧めてくれたが私は首を横に振った。


「ありがとう、お父さん…………でも一人で行く。ここで得た思い出を自転車で持って帰りたいの」

「そうか…………未伊沙。じゃあ、気を付けて行きなさい――――良い旅を!」


そう言って父は車で出て行った。

私一人が残り、傍らに祖父ちゃんが見送りに来てくれていた。


「未伊沙は昔のお母さんにそっくりじゃなぁ…………頑張りや! 休みになったら、また来いや」

「ありがとう、祖父ちゃん。また来るからね」


私は自転車で『島栖』の家を出た。



お盆休みにあった二十年ぶりの母と宮前さんとの再会、その出会いに立ち会ってくれた父……………そして私。


自転車とバイク――――同じ二輪が織り成す、この物語にも似た素晴らしい出会いと再会を私はこう呼ぼう――――



(ふた)()の詩』と。




雲が切れ夏の太陽の光が私を照らし出す。自転車を走らせると緩い風が私を優しく包み込んだ。



「行こう、竹原へ――――私は帰って来る!」



思い出を乗せて自転車と一緒に遙か彼方へ――――




私の新しい旅が今、始まった。


若さと勢いが老いを侮り、或いは嘲ることもあるかもしれません。若さには勢いと力がありますが老いには知恵と賢さがあります。後者は寡黙で謙虚な場合が多いのです。

どちらも同じ物です。時間と状態が変わることによって力が知恵になり勢いが賢さに変わるだけです。


”二の輪“ の自転車もバイクも動力の違いはあっても旅のツールであることには変わりがありません。

二輪の旅は勢いと力、知恵と賢さの両面を持っていると確信します。

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