Ⅱ 魔剣シャランダール
魔剣シャランダールは森の空洞となった中央に、地面に突き刺さった状態で安置されていた。
太古の昔、邪神イルヒド討伐のために、女神が生み出したといわれる聖剣。
邪神との闘いのさなか、
数多の魔物の血を吸い、魔剣へと変化した――聖剣のなれの果て。
魔剣というが、シャランダールにまがまがしい気配は感じられなかった。
物語で読んだことがあるような光景にルカは胸を躍らせた。
「ルカはちょっと待ってて」
オリンはまっすぐに剣の前へ進んだ。
「なんじゃ。誰かと思ったらオリンじゃないか。いやじゃ。都合のいい時だけ、連れ出して。またわしを置き去りにするのじゃろう。水の中やら炎の中。今度は、話し相手もいない森の中で、ずぅっと放置。どれだけ寂しい思いをしたことか。わしはいやじゃ。もう戦いたくないんじゃ……!」
老人のような声がした。どうも魔剣が声を発しているようにしかみえない。ルカは目をこすった。
剣は駄々をこねているようだったが、オリンによってあっさり地面から引き抜かれ、シェイアが黙って差し出した鞘に納められた。
声はピタっとやんだ。
「ありがとうシェイア」
オリンは剣を腰に帯びた。剣は沈黙している。
「なんだったの」
先ほどの声の主についてルカが訊ねるとオリンは軽く肩をすくめた。
「これが魔剣シャランダールだよ。稀代のおしゃべりなんだ」
「そ、そう」
ルカはオリンの手におさまった剣を覗き込んだ。これが邪神を倒した伝説の剣のひとつなのか。
「なんかすごく簡単に済んだわね」
「ああ。元々オレの剣だし」
偉大な剣らしいが、どうもそんな感じがしない。
鞘から抜くとしゃべりだすわけでもないらしい。では今の沈黙はなんなのだろうか。
しかも唐突にあんな風にしゃべられるのでは、戦いには使えないのではないか。
ルカは色々思ったが、なんとなく今質問する雰囲気ではないので、深く追求するのはやめておくことにした。
***
夕暮れが迫っていたので、ルカはシェイアの家で一泊させてもらうことになった。
オリンはフィリオの家に泊まることになったが、食事は全員でシェイアの家でいただくことになった。
巫女であるシェイアが手料理をふるまってくれた。とても美味しく、ルカはロアナの味付けが気に入った。
「花嫁修業にでもくればいい」
フィリオが真剣な顔つきでいう。
本気か冗談かわかりにくいのは悪気ではなく性格だろう。
イズンの手前、言い出しにくいが横に並ぶとシェイアとフィリオは若い夫婦にみえた。
実際、ロアナの巫女は結婚を禁じられているわけでもないという。そろそろそんな話が浮上してもいい頃合いであろうに、邪魔者にされてしまうイズンも気の毒だとは思ったが、あの態度はない。
ルカはイズンに対し、はやくも苦手意識を抱いていた。
「しかしずっと守ってきたシャランダールがこうあっさり持っていかれると少々癇に障るな」
イズンが話題を変えた。
良くも悪くも本音をいう男なのだろう。なぜかルカに向かって大きな声を出す。ルカは聞き流すことにした。
「ちょっと!」
突然、オリンが声を荒げた。
「ルカにばっかり絡んでいるようだけど、もう少し離れろよ。まさかシェイアがダメだからって、ルカに乗り換えようってんじゃないだろうな」
「表に出ろ」
イズンが座っていた腰を浮かせた。
ずいぶん好戦的な男がいたものである。オリンも子供だから、本当に喧嘩になってしまう。どちらかが大人になって譲らなければならないのに。
「イズン」
シェイアの一言が、イズンと、オリンを同時に黙らせた。
「怒らせると怖いんだ」
オリンが小声でルカに囁く。
イズンを中心にして空気が悪くなってきたので、食事会は早々にお開きになってしまった。
烏の行水で風呂を済ますと、オリンはすぐに寝てしまった。
ルカは、呆れたが、昨日は野宿だったのだ。ルカも疲れがたまっていた。今日は早く休んだほうが得策だと感じた。
一緒に風呂に入り、隣のベッドを貸してもらったが、シェイアの美しさにただただ見惚れるだけで、フィリオとイズンとの関係を追及することはなかった。ほっそりしているのに豊かな胸など、あと二年くらいで彼女のようになれる自信がない。ルカは小さく肩を落とした。
***
翌朝、少し早く目覚めたルカはシェイアの部屋から出て、井戸の水を汲みに歩いていた。
「この娘か」
ふと、聞き覚えのない声がしたので、振り返ると、イズンともう一人、見慣れぬ男の姿があった。
イズンの隣にいたのは金属の仮面をした、不気味な男だった。
直観で、怖いと感じ、すくみあがったが、助けを呼ぼうにも震えて、声が出ない。
仮面の男は足音も立てずにルカに近づいてきた。
肩をつかまれて、ようやくルカは叫ぶことができた。
「助けて、――!」
***
その頃、オリンはフィリオの部屋で熟睡していた。
「イズン!」
悲鳴に近いシェイアの声がした。
先に飛び起きたのはフィリオのほうだった。
「ふわぁ、なんだイズンの奴。夜這いでもしたのか」
オリンは寝ぼけている。フィリオは枕元においてあった剣をつかむと、家を飛び出した。
「ロアナ以外の者を招き入れるなど、許されませんよ」
シェイアの声が震えている。
シェイアとイズン、そして知らない男が一人、ルカを抱えて立っていた。
「やめなさい。イズン。ルカをどうするつもりです!?」
駆けつけたフィリオとシェイアの顔を交互にみながら、イズンは唇をゆがめた。
「シェイア。おまえの願いを叶えてやろう。邪魔な俺が消えれば、おまえたちは念願のハッピーエンドを迎えるわけだ。だが俺もそこまでお人よしではない、戦利品の一つでももらっていこうと思ってな」
「いったいなにを――?」
「ルカ!」
フィリオが仮面の男に飛びかかった。しかし、軽々とかわされてしまう。フィリオは剣を抜かない。斬りかかれば、この男はルカを盾にするだろう。傷つけるわけにはいかなかった。
「朝から騒がしいなぁ。朝ごはん食べてからにしてくれる」
騒ぎを聞きつけたオリンが、寝ぼけ眼で、歩いてきた。どうも状況がまったく把握できていないようだった。
「オリンのバカ! 早く助けて!」
ルカの金切声を聞いて、ようやくオリンは目が覚めたようだった。
「リンディスの魔法使いオリン。ようやくおでましか」
仮面の男に睨まれて、オリンは身震いした。
こいつ、強い。と本能的に察する。
仮面の男は、腰に剣を帯びていた。それが、魔剣であると、シャランダールがオリンにだけ聞こえる声で囁く。
「おまえは――誰だ」
仮面の男は外套をひるがえして低く声を響かせた。
「わたしはダルティーマのファド。レーシャ様の忠実なるしもべ」
ファドはオリンの片手にある剣を凝視した。
「シャランダールと引き換えだ。エルタドへ来い」
「こんな剣、あげるよ。今すぐルカを返せ!」
咄嗟にオリンは叫んだ。相手は冷静だった。
「ふふふ。それでは話が盛り上がらない。エルタドで待っている」
有無を言わさぬファドの声を耳にして、オリンは、青ざめたまま、
「エルタドだな。わかった。首を洗って待っていろ」
「長くは待たぬぞ」
それだけ言い残すとイズンとファドはルカとともに青白い光の中に消えていった。
「このロアナで転移魔法など」
シェイアが慄く。三人の姿が完全に消えた後、
「お許しください。オリンさま。すべてわたくしの不徳の致すところ」
シェイアは跪いて許しを乞うた。
「いいよ。シェイア。それよりルカだ。助けに行かないと」
「しかし、エルタドは危険な地。今のオリン様では……」
シェイアは口ごもる。
「無礼をお許しくださいませ。ですが――!」
「ごめん、シェイア。騒がせるつもりはなかった」
オリンはシャランダールをつかんで、走りだすと馬に飛び乗った。
「オリン様!」
シェイアがオリンを呼び止めるが、その声は届かない。
「俺が一緒に行ってくる」
フィリオがシェイアの前で跪いた。
「魔剣ディスティナの持ち出し許可を」
「フィリオ」
シェイアとフィリオはみつめあった。シェイアが先に目をそらす。
「わかりました。頼みましたよ」
ロアナはシャランダールのほかに、ディスティナという魔剣を保持していた。
ディスティナはイリュリース王家に借りた、大切な宝刀のひとつである。
それはあくまでこのロアナを守るためのもの、外部への持ち出しは禁じられている。
ダルティーマのファドと名乗った男が、魔剣の使い手であることをフィリオも見抜いていた。
シャランダールは他の魔剣と違い、戦闘向きではない。その代わり他の魔剣とは違い優れた治癒能力を持つのだが……。
オリンのシャランダールだけでは、魔剣を持つファドとイズンに太刀打ちできるはずがない。
フィリオは馬の腹を蹴った。オリンの姿は、遠く小さくなっていた。
イリュリースの民に比べて、リンディスの民は馬を扱うのが下手だというが、とんでもない。
本気を出せば、オリンはイズンやフィリオより強いかもしれない。魔法使いといっているが、剣術の腕も相当のものなのだ。
だが、二対一では、オリンの勝算は低いだろう。ましてや人質を取られている。フィリオは急いだ。