Ⅰ 聖地ロアナ
しばらくして、オリンはほっと胸を撫で下ろした。
「あのおっさん、ついてくるって言わなくってよかった」
「どうして? いい人そうだったわ」
「いやっ、ほんといいやつだよ。空気読めないとこさえなきゃ。でも女王に鍛えられて、昔よりは空気読めるようになったみたい」
どういう意味かとルカが首をかしげる。
「ロアナを目前にして、驚きの仲間追加! 大陸一のデートスポットを前にして。オッサン追加って。マジ無理。悲惨でしょ。これは」
なるほど、とルカはうなずく。だが、よく考えるとデートじゃないし、ディールにも失礼な話だ。
「遠慮されたってわけ?」
「違うのかな」
「さぁ、わからないわよ」
ルカは少し考えた。
「でも仲間になってもらってたら、すごい戦力増強になるところだったのに、もったいないことしたわね」
「オレたちの旅に、戦力なんて、さほど必要ないだろ」
たしか、いまからすごい武器を取りに行くのではなかったっけ? と思うルカだったが、あえて口には出さない。
「男手なんて今のところオレ一人で十分だ」
胸をはるオリンにルカが冷笑を浴びせる。
「魔法が封じられたりしたらどうするの? そのか細い腕で剣でも奮うの?」
「オレ、意外と鍛えてるんだぜ。ルカの態度次第では、色々驚かせちゃうよ」
虚言もここまでくると妄言だ。オオカミ少年ね、オリンは。ルカはだんだんオリンの扱い方がわかってきたような気がした。
そうこうしているあいだに日は西に傾きつつあった。
ロアナまではまだ距離があった。日も暮れて野宿せざるをえなくなったルカは顔を曇らせた。
「わたし、野宿なんて初めてだわ」
「大丈夫。オレが寝ずに見張るから」
それでは野宿する意味がないと、交代で少しずつ眠ることになった。
オリンはメイススクリプタでたき火をおこす。
「松明代わりにもなるんだぜ。料理にも使える。便利だろ」
オリンは手慣れた様子で杖を振り回す。メイススクリプタは偉大な魔術師が残した、伝説の杖なのだという。
つまらないことばかりに使われて伝説の杖も散々である。
ルカは土の上では絶対に眠れないと思っていたが目をつむるとわりとすぐに眠りについた。
交代で起こされるはずだったルカは、朝まで目を覚ますことはなかった。
翌朝、朝靄がたれこめる中、二人はたき火を始末して、出発した。
驚いたことにメイススクリプタの炎は水をかけても消えなかった。
「ermetlus」
突然オリンが叫ぶと、炎は煙も立てずにポッと消えた。
「なに今の」
当然のごとく、ルカが指摘する。
「消す呪文」
そういうものなのか、ルカはわからず、頭をひねる。
「水で消せないのならば、昨日の人たち大丈夫なの?」
「ああ。あの炎は呪文がなきゃ、井戸に飛び込んだって、消えやしないよ」
オリンは真剣な顔をしている。冗談を言っているようにも思えなかった。
「ひどい。あの人たち、死んじゃったんじゃないかしら」
じぶんの命が狙われたことをルカはすっかり忘れている。
オリンが思いついたように、
「ディールがなんとかしてくれただろうよ。合言葉知ってるから。火の始末は得意なんだ」
はたしてルカを安心させるためのでまかせだったのか、ルカに真偽がわかる日はこなかった。
***
オリンは軽快に馬を飛ばす。相変わらず、細っちい体に手を回したまま、ルカが問う。
「大丈夫? あまり寝てないのじゃないの?」
見張り番を交代しなかったことをルカは気にしていた。オリンは、片目をつぶってみせた。
「ああ、オレも寝てたから」
「ちょっと!」
ルカが声を張り上げた。
「見張りも立てずに、わたしたち寝てたの?」
オリンはケロッとしている。
「メイススクリプタの炎に寄ってくる魔物や獣なんていないし」
悪びれる様子もなくオリンの態度は、堂々としたものだった。
「いいじゃないか。結果的に何もなかったんだし」
ルカは言いくるめられてしまった。盗賊もどきに襲われたことをオリンも忘れているようだった。
聖地ロアナは、森の中にあった。
森に入ると、ふたりは川沿いに馬を進めた。
水のせせらぎが濁音となって、耳に響いてくる。
川の流れがはやくなっている。
「滝があるんだ」
滝の下は大きな湖になっている。ルカがうなずく。
「なんてきれいなところ」
「来て、よかっただろ」
それはまだわからないが、ルカは黙ってうなずいた。
「ロアナに来るのは久しぶりだ」
表情を輝かせながら、感嘆するオリンをみて、ルカは目を細めた。
「ふぅん、なぁーんだ、来たことあるんだ」
「弟とだよ」
オリンはどぎまぎしながら、慌てて取り繕う。
「別に何も言ってないじゃない」
ルカはふてくされた。
オリンとルカは聖地への奥へと入っていく。
「歩いて行っても楽しいけどね。歩きたい?」
オリンが急にそわそわしだす。
ルカは首を横にふる。いまは散歩を楽しんでいる時間はない。
「焦る気持ちはわかるけど、こういう時は素直に楽しんだほうがいいよ」
「素直に、そろそろ馬じゃ辛いって言えばいいのに」
ルカは、馬から飛び降りると馬の手綱をひいた。
「ありがとうオリン。来てよかったわ」
「その言葉はもう少し後にとっておいて」
森の開けた場所があった。人影がある。
「おーい、シェイア。おじゃまするよ」
オリンが声を張り上げた。近づくより前に声をかけたのは、相手を警戒させないためか。
奥には、一人の少女が立っていた。ルカより少しだけ年上のようだ。
「彼女が、ロアナの巫女さま?」
オリンがうなずく。
「だれですか?」
凛した透き通った声が響いた。端正な顔立ちがこわばっていたが、オリンを見るや否や柔らかい笑みへと変わる。
「オリン様! お懐かしゅうこざいます。どうしてここへ」
「久しぶりにシェイアの顔を見たくて」
「……」
「シャランダールを取りに来た」
得心したようで、シェイアがうなずく。
再会を喜んで間もないのに、急かすようで申し訳ないとオリンは頭を下げた。
この巫女に対しては、ずいぶん紳士的である。ルカは少し、胸がもやもやした。
「シェイア!」
森の奥から、若者二人が駆けてきた。二人ともずいぶん背の高い男だった。
「いったい何事ですか」
「侵入者か!?」」
「心配ありません。オリンさまです」
若者たちとオリンの目が合う。オリンが身構えるのをルカは見逃さなかった。
「げぇ、イズン! と、フィリオも久しぶり」
「オリンさまでしたか。お元気そうでなによりです」
フィリオと呼ばれた青年は深々と頭を下げ、イズンは大げさにかがんでみせた。
「これはこれはオリンさま。ご無沙汰しております」
イズンと呼ばれた青年はあからさまに鼻で笑ってみせた。
へんな人、とルカは思った。
オリンの態度も悪かったが、イズンはずっと年上に見える。ひょっとしたら成人しているのではないだろうか。でも性格は、かなり大人げがない。
シェイアとの距離感もなんかぎこちなかった。
付き人として護衛しているというが、フィリオのほうがやや距離が近く、イズンは一歩引いているようにみえた。どことなくすべての言動にとげがある男だった。
「三角関係なんだ」
オリンがルカに耳打ちした。すぐに色恋話に目がいくのはオリンの悪い点かもしれないとルカは少し思った。
「聞こえてるぞ。オリン」
イズンが声を低くして睨みつけてきた。
「それは、数年前までのこと」
独り言のようにつぶやいたイズンの言葉は、ルカの耳にしか入らなかったようだ。