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サアディアの剣とイルヒドの杖1 ~リンディスの魔法使い  作者: 山辺沙紀
第一章 リンディスの魔法使い
1/9

Ⅰ 王都ツァイデルアードにて

 一昼夜、答弁を繰り返してきた議題は議論しつくされた。

 議長を務めていた大臣の冷たい声が、響いた。

「これは民意である」

 木槌が机をたたく音とともにユクトの希望も砕けた。一度出た評決はくつがえらない。

 ツァイデルアードは今日ついに、魔法使いオリンの処分を決定した。


 きっかけは民からの嘆願書であった。

「オリンの工房の閉鎖を希望。すみやかに実行されたし」

 これを皮切りにユクト宛てで届く、差出人不明の手紙が増加した。内容は、ユクトへの不満が二割、そして、残りのすべてが兄オリンを批判するものであった。


 魔法使いオリン。宮廷魔術師ユクト。王都ツァイデルアードでこの兄弟の名を知らないものはいない。

 二人は幼い頃から、魔法の才能を認められていた。

 今回問題となっているオリンの工房は三年前に兄弟が開いたものである。

『魔法で解決できるお悩み、相談受けます』といった、民に寄り添うような形ではじめた事業だった。

 手先が器用なオリンが作った魔法道具なども、店内に陳列され、当時の評判は上々であった。

 二年前、この店の評判を聞きつけた国王がオリンを宮廷に召喚した。

 宮廷魔術師となり国に貢献せよと任命されたが、オリンはその日のうちにその栄誉を蹴って、街に戻ってきた。

 そしてユクトが代わりに宮廷に入ることとなった。その後、宮廷で国のために奮闘するユクトの評判が高まる一方で、街で勝手気ままにくらすオリンへの不満はつのっていった。

 宮廷に睨まれた者を民が、支えるわけにもいかなかったのだ。オリンの工房からは人足が遠のいていった。

 工房の収入だけでは生計が立てられず、少ない案件をこなして入ってくる報酬はせいぜいオリンの小遣い稼ぎにしかならなかったが、ユクトが給金のほとんどを仕送りしたおかげで、工房の経営は、なんとか続けることができた。


 ユクトは執務室の壁にかけてあった、外套をつかむと、慌てて羽織った。

 

 たしかに兄は少しばかり自由奔放だったかもしれない。依頼を片付けるために、見境なく魔法を使って大騒ぎになったこともある。

 後始末はいつもユクトがやってきたが、やはり当然のごとく、「あいつは無責任だ」という非難の声があがっている。

 ユクトが宮廷魔術師になってからは、工房は兄に任せっきりとなってきた。

 監督不行き届きだったことは認めよう。

 魔法使いオリンの評判は、特に宮廷内で飛び交う噂は、どれも悪いものばかりとなっていた。いつか民衆の不満が爆発するのではないか、と懸念していた矢先に、この投書である。

「ギルドに属することもなく、どこかに許可を得るでもなく、勝手に開業して、個人営業などしているから、やっかまれたのではないか」

 というご意見が多数。ほかにも、

「ふつうに迷惑」

「えっ、許可出てないんですか!?」

「ユクトの七光り営業だろ」

「窓から変な煙が出ていて怖い」

「あいつのせいで離婚した」

「火事が怖い」

「火の不始末が心配」

「やることが派手」

「着手金をふっかけられた」

「ちょっと、がめつい」

「保険がきかない博打のようなもの」

「後悔してます」

「高くついた」

「あの家、なんだか獣臭いんです」など、切実な不満からただの悪口まで、その意見は幅広かった。

 特に近隣住民からの通報は日ごとに増えている。国民の怒りはすでに爆発していた。

 これほどの大騒ぎになる前に何度か兄に忠告したことがあるが、

「あいつらだって、オレの魔法で、いい思いをしたこともあったろうに、恩知らず」

 これが兄オリンの言い分だった。

「街の不満を解決してきた本人が、街の不満になってしまった以上、容認はできない」

 魔女狩りのようになって、取り返しのつかないことになる前に手を打たなければと上官にいわれて、ユクトは思案した。

「気まぐれに依頼を受けて、派手に魔法を使った後、家にこもり、何やらあやしげな研究をしている」

 これがいまのオリンの日常だった。少し誤解と偏見があるが、おおむね当たっている。

 高いリスクを承知で、オリンの魔法をアテにしてツァイデルアードにやってくる客も、たしかに存在する。

 いままで黙殺した周囲にも責任はある、という優しい意見が残っているうちにユクトは行動しなければならなかった。

 

 仕事は山積みになって残っていたが、ユクトは王宮を出て、自宅へ向かった。


 今年十五歳になるユクトには、少年らしいあどけなさが残るものの、実年齢より大人びてみえた。

 宮廷魔術師として、すでにその貫禄は定着し、周囲からの信頼も厚い。

 思慮深く、けっして傲慢にならない性格も人気のひとつであろう。

 最年少の宮廷魔術師という称号は、レメクという後輩に譲り渡してしまったが、いまだユクトの人気は衰えず、特に宮廷の乙女たちの心をとらえてやまない。

 思い返してみれば、若くして登用され、実際に大人以上の功績をあげてきたユクトに反感を抱く存在は少なくなかった。だが、宮廷内に渦巻く僻みや嫉妬といった暗黒面は、ユクトに直接的なダメージを与えることはなかった。

 それもこれもあの兄のおかげである。

「あんな兄貴じゃあな」、「おまえには同情する」、「またしりぬぐいか」

 破天荒な兄を持つユクトに対する皮肉と憐れみの声が、ユクトを宮廷の闇から守ったともいえよう。

 風当たりは強く、怒りの矛先はいつも兄に向けられていた。

 

 ユクトは、城下町をひた走る。  

 手にした書簡は、血判状のごとき重みがある。

 ユクトはため息をついた。そのまなざしは、今はただただ深い影を落としている。


 この、街をあげた茶番劇のようなやり方が、はたして本当に兄のためになるのか、はなはだ疑問であった。


***


「帰ったよ、兄さん」

 工房は静まりかえっていた。

 自宅の一階が工房である。二階は居住用であるが、ユクトはもう半年以上、踏み入れていない。

 工房の床は、本とがらくたで、埋め尽くされていた。もう客を迎え入れようという気がさらさらないのがうかがえた。

 いないはずはないので、積み上げられた本の隙間を覗きながら、ユクトは兄を探した。

「二階かな」

 それとも地下の様子でも見ておくか、ユクトが向きを変えたとき、本の山の影から、隣の家の猫が飛び出してきた。

 不用心にも窓は開けっぱなしである。心配しなくても、悪名高い魔法使いの家に泥棒に入る命知らずはこのツァイデルアードにはいない。近所の目も光っているので、その点は安心できる。

 ユクトは二階に上がって二人の部屋を交互に確認したが、やはり兄の姿は見当たらなかった。

 窓から下を覗き込むと庭先に、オリンが寝そべっている姿をみることができた。

 庭には小さな花壇と丸いテーブル、白い椅子が三脚あった。

 ずぼらなオリンが花の世話など毎日するはずもなく、まめなユクトは留守がちなため、水やりはできない。それでも花壇の花々は美しく、みずみずしく輝いて咲いていた。

「満開でなく八分咲きが、いいんだよ」

 花に枯れない魔法をかけながら、オリンはいつも得意げにいった。その好みは変わっていないらしく、今日もやはり八分咲きだった。

 花壇をデッサンしたスケッチブックが足元に放り投げられていた。それ以外にも設計書のようなものが数枚、散らばっている。

 ここしばらくは何をやっても集中できないと云っていた。

 白い椅子を横に並べてオリンはその上で昼寝をしていた。熟睡していないのは、なんとなくわかる。

「こんなところで寝ていると風邪ひきますよ」

 ユクトは羽織っていた外套を脱いで兄にかけようとしたが、オリンはそれを制した。

「どうだった?」

 オリンは身体を起こして、椅子の上で胡坐をかくと、眠たげな目をこすった。

「やはり追放か……」

 オリンは静かにつぶやくだけで、落胆した様子はなかった。

 椅子から立ち上がり、部屋へとゆっくり入っていく兄の背中をユクトはじっとみつめていた。

「わたしは無力です」

「それはオレもおなじだ」

 うつむいたユクトの肩をオリンが、軽く叩いた。

 ユクトと向き合うと、頭二つ分、オリンのほうが身長が低い。

 部屋は静寂に包まれた。二人とも押し黙ってしまったからだ。いつも明るく口数が多い兄がふさぎこんでいる様子をみて、ユクトはますます落ち込んだ。

「これからどうしますか?」

 ユクトにしては珍しい、愚問を口にする。

 動揺しているのは、どちらかといえばオリンよりもユクトの方だった。戸惑う弟をオリンは見上げた。

「オレも成長していれば、十七歳か。もう、子供だから、という甘えは通用しないな」

 オリンは自嘲の笑みをこぼした。

「呪いを解く方法は必ずあります」

 根拠のないことを口にする性格ではないユクトが、思わず口走った。だが、気休めでいったわけでもない。

 この国にある文献では読み解けなかった謎が、ダルティーマにいけば、きっと解ける。

「どうせなら、不老不死の魔法だったら良かったのにな」

 どうもこの世界の魔法は中途半端でいけないねとオリンは悪態をついた。自分の未熟さが招いたことだと謙虚な言い方をしないところがオリンらしかった。

「ついでにシャランダールを拾っていくよ。久しぶりの旅だ」

 すでに旅支度を済ませていたオリンは、きびきびと行動した。ユクトがもう一つ、カバンを持たす。兄が肩にそれをかける様を、黙って見守った。

 これ以上ユクトにできることは何一つない。

「せめて一緒に旅ができたならば」と言いかけて、ユクトは目を伏せた。

 兄の決意を鈍らせるようなことを言ってどうする、と叱咤する。

 オリンがツァイデルアードを出たがらなかった理由はいくつかあるが、最大の理由は家庭内にあった。自分の家族を捨てられるものなど、そうはいないであろう。

 だからこそ、家族以外の決断でオリンは国を追われ、旅立たなければならなかった。

 彼が家族を大切に思うのと同じくらい民衆もオリンの命を惜しんだのだ。

 周囲は悩み、そして決断した。今回の国外追放に含まれた本当の意味を、知らないものはこのツァイデルアードにはいないはずだ。

「後を頼む」とオリンは言わなかった。いや、言えなかった。オリンの代わりにユクトが負担しなければならないことは多すぎる。

「ユクト、ごめん」

 吐き出すように一言、オリンはつぶやいた。

 別れの挨拶をするならば、真っ先にしなければならない人がもう一人いるのに、オリンはどうしても会う決意ができなかった。

 そのことを責めているわけでもないのだろうが、街の人間もだれひとりオリンの見送りにはこなかった。

 死を悟った野良ネコのようにオリンはひとりで旅立つ。十七歳の春、オリンはツァイデルアードを去った。以後、彼の名前はリンディスの歴史から抹消された。



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