荷造り
テオが行ってしまう。
あれだけ傷つけられたにも関わらず、テオの側にいたいと思った。
でも、拒まれている上に、トマスやソフィーを置いてここを出て行きたくなかった。
今日が最後の日なのだろうか。
そう思うと胸が締め付けられるようで苦しかった。
階下に降りると、パブの方でテオと兵士の一人が言い争いをしていた。
トマスも側にいて目を吊り上げている。
特に、トマスの怒りはすごかった。
「冗談じゃないっ。ミアは絶対に渡さないっ」
え?
自分の事を話しているのだと分かり、もう、これ以上は何も起こらないで欲しいと願った。
ゆっくりと近づくと、皆が一斉にミアを見た。
「今度は何があったの?」
力なく聞くと、ヘンリーと呼ばれていた兵士がミアに寄って来て手を取った。
あまりに素早く優雅な動きで、皆呆気に取られていた。
「君があまりに美しいので、国王に会わせようと思う」
「ヘンリー、君は気が狂ったのか」
テオが横で言った。
「早くここを出よう。一度、ジニアに戻るんだ」
ヘンリーはちらっとテオを見て首を振った。
「いや、悪いが俺はこの子を気に入ったのだ。国王に会わせて、俺の妻か、それがダメなら愛人にでもしてもらおう」
「バカな……!」
テオは鼻で笑った。本気にしていない様子だったが、手は震えていた。
「いいか! さっきから何度も言っているが、ミアは売り物じゃない。ここでは重要な仕事を任されていて彼女がいなければ俺たちは食いはぐれるんだよ。俺の命に変えてもミアは渡さねえ」
トマスが怒っている。
「そうだよっ」
ソフィーが加勢して、ヘンリーの手からミアを奪った。
ミアは彼女に抱き付いた。
「お願い、ここにいたいの」
「当り前だよ」
ソフィーも震えていた。
ミアはもう疲れ果てていた。
「あっ!」
その時、エイミーが指差しして悲鳴を上げた。皆がその先を見つめる。
そこには信じられない光景があった。
ミアとソフィーは同時に後ずさり、皆も後ろへと下がった。
ドアの入り口におびただしい数のゴーレがいた。
何年振りかに見たゴーレは鋭い牙と赤い目をしていて、あっという間にドアがメキメキと壊され、黒い塊が風と共にどうっと押し寄せてきた。
パブにいた皆は一斉にバラバラになり、テオとヘンリーともう一人の男は剣を抜いて構えた。
「助けてっ」
エイミーがゴーレの爪にスカートを引っ掻けられて宙に浮いている。そして、もう一匹がエイミー目がけて歯を剥き出して飛びかかった。エイミーは逃れようとしてもがき、足を爪で引っ掻かれて血が噴き出した。どさっと倒れる。
「エイミーっ」
ソフィーが叫んだ。
パブの中が血で染まっていく。
ミアは何もできず膝をついた。
アメリアのように光を出せたらと思うが、どうすればいいか分からない。
アメリアは、ミアに攻撃の仕方を教えなかった。
つんざくような悲鳴と叫び声が耳に届く。
自分に出来ること。それは聖歌を歌うこと。ミアが聖歌を歌いだすと、テオが叫んだ。
「何をしている! 逃げろっ」
テオがミアの背後に立って剣を振りかざした。剣がゴーレの頭部を狙い、動かなくなった黒い塊がどさりと床に落ちた。
ミアは祈るように歌い続けた。すると、ソフィー、イモージェン、他にも聖歌を共に歌った仲間たちが共鳴するように歌い出した。すると、信じられないことにゴーレが攻撃をやめてふわりと浮かび、パブの天井を旋回し始めた。
ゴーレはさまようようにうろうろしていたが、やがて一匹ずつ外へ出て行った。
気がつけばゴーレはいなくなっていた。
「何が起きたんだ?」
ヘンリーが茫然と言った。
彼は顔に擦り傷を負っていたが大きなケガはなさそうだった。
ミアは熱心に歌っていたが、静かになるとハッとして辺りを見渡した。
「トマスっ」
トマスがうつ伏せで倒れている。
ソフィーと力を合わせて体を起こすと、トマスは腕と足を切られていたが、命に別条はないようだった。
ソフィーが泣きだした。
「よかった。あんた、よかったよっ」
夫婦は共に抱き合い、イモージェンが寄り添った。
「エイミーは大丈夫?」
エイミーも無事だった。彼女は青ざめてぶるぶる震えていると、名前の知らない兵士が片膝をついてエイミーを慰めていた。
パブの中はめちゃくちゃだった。ゴーレの死体がいくつかあったが、幸いな事に誰ひとり死者はない。
おそらく、テオたちの攻防が激しかったのだろう。
ヘンリーがミアに近づいて言った。
「君は何をしたんだ」
「わたし……」
口を開こうとすると、テオが遮った。
「ヘンリー、この娘がこれを持っていた」
ザックからアメリアの本を出す。
ヘンリーの顔色が変わった。
「これはアメリアの本だ。なぜ、ここにある」
「おそらく…」
「盗まれたと思っていたが、まさか、君が?」
ヘンリーがミアをじっと見つめた。
テオがかばってくれるはずはない。彼もミアが盗んだと思っているからだ。
もう、ここにはいられない。
ミアは何も言わずにいた。
目を逸らすと、二人は息を吐いた。
「連行しよう」
ヘンリーが言った。テオが目を剥く。
「何のために! ここに置いておけばいいじゃないか」
ヘンリーは首を振った。
「お前こそ、おかしくなったようだなテオ。ここの宿の者たちが何をしたかその目で見ただろう。彼らはゴーレを追い払ったんだぞ。この本の力を使って」
アメリアの聖歌に力が存在していたのだろうか。
本当にあの歌が、ゴーレを追い払ったのだろうか。
全員が困惑した。
トマスもソフィーも傷ついた顔をしている。
エイミーもシクシク泣きながら言った。
「もう、ここにはいたくない!」
皆、その通りだと思っていた。
荷造りをして、みんなは長年生きてきた宿を振り返った。
洞窟の入り口をふさぎ出口を出てから、誰も入れないようにそこも塞いだ。
出口を塞いでしまうと、今までそこにあった場所はもうすっかり分からなくなってしまった。
ソフィーが悲しそうに肩を落とした。
「ソフィー、大丈夫。俺はずっとお前のそばにいるから」
トマスが励ますように言って、夫婦は手を取り合った。
ジニアまでは徒歩で十日ほどの距離があるそうだ。
ジニアがこんなに近くにあったなんて、今日まで知らなかった。
トマスは教えてくれなかった。
あえて言わなかったのか、それとも、彼も知らなかったのかもしれない。
ミアは、アメリアたちと何年も旅してきた日々を思い出した。
アメリアはジニアにいる従兄を目指して歩いていた。傷ついた人々を守り、かばいながら、何かを求めて歩いていた先が目の前にあった。
なのに、そこへたどり着く前に襲撃にあってバラバラになってしまった。
そして、ミアがたどり着いたのはこの売春宿であった。宿の人たちは優しかった。
トマスとソフィーにはとてもよくしてもらったのに、こういう形で宿を去るなんて想像もしなかった。
トマスはケガをしていたが、テオたちは休むことなく進んだ。
旅の人数は、テオ、ヘンリーともう一人。エイミーに優しくしてくれた兵士、名前をローガンというこの3人と。
ミアとトマス、ソフィー。
そして、イモージェンとエイミー。もう一人、男性のように背が高く金髪で美人のグレイスの6人だ。
グレイスは穏やかで優しい人だ。口数が少ないが人の話をよく聞いてくれる心が温かい人である。
合計9名の旅だったが、ゴーレとの戦いの後でもあり、皆ほとんど口をきかず、エイミーも弱音も吐かずに、テオたちに必死でついて行った。
ミアの隣にはヘンリーがいて、彼はアメリアの本についていろいろ聞いてきた。
ミアは、テオに説明したことと同じ話をした。
「なぜ、アメリアは君に本を託したんだ。それだけの価値が君にはあるのか?」
失礼な事を言う人だと思ったが無理もない。
「わたしには分かりません。襲撃にあった時そばにいたのです」
ヘンリーは考えているようだった。
「歌の内容は覚えているか? この歌について正確に解釈をしている者はいるか?」
ミアはエブリンの顔を思い浮かべた。
「エブリンは完ぺきに覚えていました。わたしは当時、10歳だったので、暗記するのが精いっぱいでした」
ヘンリーは、エブリン…と呟いた。
もう、質問をしないで欲しい。
とミアは思った。
疲れた顔をすると、ヘンリーは黙ってミアから離れた。
宿を出てからずっと歩き続け、森の中で野宿することになった。小さい火を熾してそれをぐるりと囲み、テオたちが見張りについた。
ミアとエイミーは寄り添って一夜を過ごした。
守られている物がないと心細くてたまらない。ずっと、地下にいたので久しぶりの屋外は緊張した。
他の女性たちも同じだったのだろう、ウトウトしてはすぐに目を覚ました。
空が白み始めると旅の一行はすぐに出発した。
一日目は、干したブドウやジャガイモだけを少し食べた。
そんな風にして何日も歩き、ようやく森を抜けた。民家や宿などどこにもなく、相変わらず焼け野原や森ばかりで、世界は何ひとつ変わっていないのだと知った。
トマスも落胆しているようだった。
自分が集めてきた資料はすべてが噂だけだったのだろうか、と嘆いていた。
ジニアには何があるのだろう。
要塞というものを見たことがなかったし、ローガンが言うには、ジニアにはたくさんの人が集まっているそうだった。
たくさんの人がどれくらいを差すのか知らないが、エイミーやイモージェンは楽しみにしているように見えた。
エイミーとローガンはとても仲が良いように思えた。
エイミーはもう24歳だ。
体つきも女性らしく愛らしい笑顔で、気がつけば目はローガンばかり追っている。すっかり惚れてしまったようだ。
テオは徹底して話かけてこなかった。それがとても辛かった。
ヘンリーは、ミアとテオの様子がおかしいことを知っていたが、あえて質問してこない。それが逆に不気味にも感じた。
「あれがジニアだ」
宿を出て6日ほどが過ぎた頃、ヘンリーが指差した先には想像以上に大きな城がそびえ建っていた。
あんな高いところまでどうやって行くのだろう。
道もなく断崖に建てられた城だった。
足を進めるうちに、テオたちも急ぎ足になったことに気づいた。
彼らの顔つきは険しく何かを警戒しているようだ。
トマスたちもそれを感じているのだろう。みんな、黙り込んで進んでいく。
少しでも物音を立てると、静かにしろと注意された。
少し進んで危険がないかを確かめてから、前進した。
一日かけて要塞の入り口らしき場所へ出た。逃げ場所も隠れる場所もないひらけた入り口にテオが立つと、門が開いた。
中へ入るように促され、みんな無事にたどり着いたと分かるとミアは心から安堵した。
そして、とうとう目的地であるジニアに到着したのだ、と実感した。
着くなり、テオが言った。
「お前たちは俺と一緒に来るんだ」
ミア以外の人々が連れて行かれる。
「待って、みんなをどこへ連れて行くのっ?」
「お前は王との謁見をするために準備をするんだ」
テオが言い捨てると、ミアに背を向けた。
「待ってっ」
ミアの手をローガンがそっとつかんだ。離して欲しいと頼んだところで、もう誰も言う事など聞いてもらえないだろう。
ミアはうなだれた。
「心配しないで、悪いようにはならないから」
ローガンは優しく言ったが、これ以上、何が悪くなると言うのだ。
ミアは小さく頷いた。
一人だけ別室に連れられ白いシャツとスカートを渡された。
「これに着替えなさい。少しはそのみっともない姿からまともに見えるでしょう」
メイド姿の女性が現れて、まるで奴隷にでも言うように冷たく言った。
アメリアの本を持っていれば着替えることを拒んだかもしれない。けれど、もう、本はないのだ。
ミアは言うとおりに白い服に着替えた。
痩せている体が分かりやすいほど、その細めの服はぴったりだった。
よほどみっともない姿をしているに違いない。
ぼさぼさの髪の毛は梳いて簡単に結いあげられた。長旅で汚れた顔も洗わされ、そのまま王の謁見の間に連れて行かれた。
謁見の間にしては、簡素で小さい部屋だった。
膝をついて待っているように命令される。
ミアは言われた通りにした。
静かだった。
誰もいないのだろうか。顔を上げることも出来ず、待っている時間が永遠に思われた頃、コツコツと足音がした。
「顔を上げよ」
老齢の男の声がして、ゆっくりと顔を上げる。そこには磨かれた革靴の先が見えた。
ドキリとする。
ずいぶん、近くに王がいるのが分かった。
「この少女と二人だけにしてくれ」
穏やかな若い男の声がして、それからすぐにドアがバタンとしまった。
「顔を上げて、ミア」
名前を呼ばれて顔を上げると、目の前にいたのは一緒に旅をしてきたヘンリーだった。
ミアは目を見開いて、彼をじっと見つめた。
「なぜ…?」
「黙っていてすまない。正式には、私はまだジニア国の王ではない。長男だから皇太子かな。皇太子の私がなぜ、危険を冒してまで旅に出たか不思議だろう。私はどうしてもテオと共に救世主探しをしたかったのだ。どうしても、救世主が必要だったのだ」
手を取って立たされる。ミアはヘンリーから離れた。
「わたしは…救世主ではありません」
「分かっている。だが、君はアメリアの本を持っていた。それだけでも大した収穫だ」
ヘンリーはにこっと笑った。
「ついて来なさい。君に見せたい物がある」
ヘンリーはそう言ってミアについて来るように言った。
胸騒ぎが収まらない。
なぜか、今まで反応のなかったお腹の宝石が熱かった。
痛みを感じるほどに。
どこへ向かうのか。
地下へどんどん下りて行き、そのたびに息苦しくなった。
「どこまで行くのですか?」
ヘンリーは答えなかった。迷路のようにあちこち連れまわされ、ようやく下まで降りた時、気温は冷たくなっていた。そして、扉の向こうでブーンブーンと不吉な羽音がしていた。
ヘンリーはガラス窓がはめ込まれている扉を指差した。
扉の向こうに何があるのか。
ガラス窓には布が張ってあって、それをめくるように言われた。
おそるおそる布をめくると、部屋の中にはたくさんのゴーレが天井にぶら下がったり床で寝そべったりしているのが見えた。
ミアは悲鳴を上げそうになって、ヘンリーに口を押さえられた。
「脅かせてごめんごめん」
ヘンリーは笑いながら言った。
「いや、君の驚き方は傑作だった。みんなに見せたいくらいだ」
ミアは膝ががくがくしていた。ヘンリーの優しい顔が表面だけであることが分かった。
「あれは、あれは何なのですか?」
「ゴーレだよ。我々はゴーレを支配できるのだ」
ヘンリーが平然と言った。
ゴーレを支配できる?
理解できないでいると、地下の部屋のどこからか足音が聞こえ、誰かが歩いて来た。
今度は何を見せられるのかと恐怖で身を引くと、ミアよりもずっと若い少女が現れた。腕から血を流して、どこかケガをしているようだった。ヘンリーは血が滴るのを見て顔をしかめたが、何も言わなかった。
暗闇から現れた少女は普通の人とは違っていた。
黒い髪の毛、肌の色は白く目はグリーン。そして、彼女の額に緑色のとても小さい宝石があるのを見た。
ミアは悲鳴を上げそうになって口を押さえた。
「かよわき救世主だ。彼女ができることはゴーレを支配することだけだ。他は何の役にも立たない」
少女の顔は赤く腫れていた。誰かに殴られたのか。
少女はミアを見ても、何の反応も見せなかった。
かなりやせ細り、生気がない。
「この子にはたくさんの事を学ばせたが、できることはゴーレに話しかけるだけ」
「ゴ…ゴーレと話ができるのですか?」
「そうみたいだね」
ヘンリーは鼻で笑った。
「名前はクロエ。テオが見つけてきたんだ」
テオが?
どうやって見つけたのだろう。
だが、彼女の場合は額に宝石がある。色は緑色だ。
緑は何を意味するの? それに、輝きは失われているように思えた。
「ミア」
ヘンリーに名前を呼ばれてハッとする。
「は、はい」
「君はアメリアの付き人であり、彼女からこの本を授かった。他にも何か教わったことがあるのではないか?」
ミアは救世主に関することを教わっていた。
今なら理由は分かるが、当時はなぜこんなことを教えてくれるのだろう、と不思議に思っていた。
ヘンリーは信用できるのだろうか。
「ミア、俺は世界を守りたいと願っている。このジニアには何万人という人が生活をしている。ここではクロエのおかげで争いもなく平和が続いている。救世主はそのために存在しているんだ」
クロエは返事もせずじっとしていた。
ミアはできるならクロエと話がしたいと思った。
「わたしはアメリア姫からたくさんの事を学びました」
「そうか!」
ヘンリーが嬉しそうに笑顔になった。
「この子に教えてやってくれ。救世主であることの大切さと高貴さを。彼女は口もきかないんだ」
口をきかない救世主。しかし、彼女はゴーレと会話ができるのだ。
ミアはクロエに近寄って見た。
「初めまして、クロエ。わたしはミア。16歳よ。あなたは?」
ヘンリーが代わりに答えた。
「推定だが、クロエの年齢は18歳だ。驚いたね、君より年上だよ」
内心、ミアはとても驚き、彼女がどれほど苦しんでいるのかが分かった。
18歳とは思えないほど、彼女は幼く見えた。
「仲良くしてね」
そう言うと、ヘンリーはこれで決まった! と大きい声を出して喜んだ。
「助かるよ、ミア。君は賢くて勇気がある。後はこの本の解読だ。なぜ、君たちが歌った時、ゴーレが空中をさまよい、去っていったのか。アメリアは素晴らしい救世主だった。亡くなったのが本当に惜しい」
ヘンリーはそう言うと、牢屋のような部屋を出て行った。
ミアとクロエはそこに残されたまま、お互いの顔を見つめあっていた。
クロエの目は綺麗なグリーンアイだった。
ミアの瞳はアンバー色だったので、グリーンとかブルーの目の人がうらやましかった。
「綺麗な目をしているのね、クロエ」
話しかけると、彼女は目をぱちりと動かした。
「大丈夫よ、誰もいないから」
そう言ったが、クロエは微かに首を振り、ちらりと横を見た。
「え?」
クロエの示した方を見ると、壁に鏡がかかっている。
「鏡がどうかしたの?」
クロエは息を吐いた。
そして、床に座ると横たわった。
何をするのかしら、と見ていると、彼女が隣を差すのでミアも一緒に横になった。
鏡から姿が見えなくなると、突然、ドアが開いて誰かが入って来た。
ミアはびっくりして飛び起きた。
「いなくなったかと思ったじゃないかっ」
入って来た兵士は、クロエを叩くマネをした。
ミアは唖然として、監視されているのだと気づいた。
これでは何も話しができない。
「いいか、隠れても無駄だ。ここから出ることは絶対に出来ないのだから。逃げたら覚悟しろよっ」
足をドンっと踏み鳴らし、兵士はミアをじろりと睨みつけて出て行った。
四六時中監視されていたら、食事ものどを通らないのは当たり前だ。
ミアはヘンリーに監視するのをやめてほしいと頼みに行こうとした。
「こんなの許せないわ。皇太子に言って、監視をやめてもらうわ」
クロエは無表情に首を振った。
無駄、という事だろう。
そして、目を伏せた。
彼女は生きる気力を失っている。
「ねえ、わたしたちの声も聞こえているの? 全て見られているの?」
クロエは頷いた。
返事はしてくれるらしい。
ミアはくすっと笑った。
「あなたはとても優しいのね」
クロエが目を瞬かせた。
「握手をしましょう」
ミアが手を握ると、クロエの目が丸くなった。そして、自分の腕を見た。ポタポタと落ちていた血が止まる。
自分のケガをした腕を見て、もう一度、ミアの顔を見た。
思った通りだ。宝石は力を与えることができるのだ。
クロエが凝視している。
「ミアよ」
クロエの目つきが代わり、目が潤んだ。
「泣かないで」
クロエが唇を噛む。そして、背を向けると暗闇の方へ行ってしまった。それから嗚咽する声がしていた。
ミアは彼女をそっとしておいてあげた。
彼女の苦しみは誰にも理解できない。でも、これからは一人じゃないって、教えてあげたかった。
それから、クロエと一緒に夕食を食べた。
彼女はミアが食べてから、同じ物を後から食べた。
以前、毒でも入れられたのだろうか。
いろいろ言いたいことがあったのに、監視の目が怖くて話ができない。
ミアは夜が更けるのを待った。
きっと、夜中は誰も見ていないだろう。
監視の者たちだって、いつか眠るはずだ。
その時間を待つことにした。
夜までの時間がとても長く感じた。
ミアは声を発するのも怖く、クロエは何も言わないので、部屋はシーンと静まり返っていた。
ようやく、夜も更けて閉じ込められているゴーレですら眠るような時間帯に、ミアは囁くような声でクロエに話しかけた。
「今なら話せる?」
クロエは頷いた。
彼女も寝ないで待っていたらしい。
「同じよ」
これが何を意味するか分かってもらえたか心配だった。
クロエは頷いた。
ミアは毛布の中で服をめくり、おへその上の宝石を見せた。クロエは少しだけ驚いたが、じっと目を凝らして宝石に触れた。
そして、頷いた。
「アメリアから教わったことをあなたに教えるわ」
宝石の色と愛について、目標を達成すると自分たちは死ぬ運命にあることを伝えた。
「死ぬことができるの?」
クロエが話をした。
彼女は口が聞けるのだ。
「わたしはアメリアが目の前で死にかけていくのを見たの」
あの時の事を思い出すだけで、涙が出そうになる。
すると、クロエはミアの頭をそっと撫でた。
「ありがとう」
クロエの手は小さくて薄かった。
「わたしたちはたぶん、毒を盛られても死なないわ」
クロエは警戒しているようだったが、救世主は目的を達成しないと死ぬことはできないのだ。
「毒で死ねるのなら、それが目的を終えたと言う意味だと思う。それくらい救世主の死は簡単なものじゃない」
「どうやってあなたの御主人は亡くなったの?」
言いたくなかった。
言えば、クロエはすぐに実行に移す気がした。
「言いたくないわ」
「分かった…」
クロエはがっかりして見えたが、目に希望の光が差したのが分かった。
「死んじゃダメよ」
「どうして?」
不思議そうな顔をするクロエにどう言えばいいのだろう。
ミアは彼女を抱きしめた。
「ゆっくりでいいから話を聞かせて」
クロエは答えなかった。ただ小さく、
「あなたはとても美しいわ」
と言った。
「わたしはちっとも美しくない」
「そんなことない」
クロエの方が綺麗だった。今はただ、自分に自信が持てないから、違う自分になっているだけだ。
「もう、寝ましょう」
クロエが言った。
ミアたちは寄り添って眠った。
深く眠りながら、同じ場所にゴーレがいることをすっかり忘れていた。
扉の向こう側でゴーレがうようよしているのに、クロエがいると安心できた。