アナスタシア
ジュリアンが出て行ってからすぐにキャクタス国へ出発するためのドレスを侍女が持って来た。
そのドレスを見てアナスタシアは唖然とした。
「これを着て国王陛下と謁見しなければならないの?」
「はい、奥方様」
侍女が申し訳なさそうに言った。
どこからこんなドレスを見つけてきたのだろう。ごわごわした厚手の灰色のドレスはまるで喪服のようだ。
スカートにひだもなくレースも飾りもない。
しかし、アナスタシアはぐっと我慢して身につけた。寸法は合っているが、鏡を見ても自分が元女王とは思えないほどそっけない格好だ。
「よくお似合いでございます。奥方様」
「…ありがとう」
褒められてもあまり嬉しくない。
夫の前ではできるだけ美しく着飾りたいが、綺麗な格好をしてもこの城では無意味だろう。
何か理由があってこんなドレスを選んだに違いない。
アナスタシアは自分を納得させた。
朝食を取るためにダイニングルームへ行くと、エドワードとジュリアンが顔を突き合わせて何か話をしている。アナスタシアを見ると、エドワードが立ち上がった。
マロリーがイスを引いてくれる。
アナスタシアが挨拶をして座ると、ソフィーが朝食の目玉焼きとマッシュルームにソーセージ、トマトとパンの乗ったお皿を置いた。
それを見てアナスタシアはほっとした。
まともな物が食べられるようだ。
ナイフで切り分けながら食べ始めるとつい笑顔になった。
「美味しいわ、ソフィー」
「ありがとうございます。奥方様」
ソフィーが笑顔で答える。
「食べたらすぐに出かける。その前にアナスタシア、君に伝えなくてはいけないことがある」
「何かしら」
ジュリアンが難しい顔で言うので、アナスタシアは自分を見下ろした。
このドレスがひどすぎるのかもしれない。
「ドレスが似合わない? 国王陛下は怒らないかしら」
「ドレスはそれで十分だ。君によく似合っている」
褒められている気がしない。それどころかあまり嬉しくないのだけれど…。
「カール国王は気難しい方なんだよ。アナスタシア。口応えは絶対にしてはならないし。報告は簡潔に伝えて、聞かれた事だけを答える。だから、絶対に君は口を開いてはいけない」
エドワードの言葉を聞いて、アナスタシアは不安になった。
「もし、話かけられたらどうすればいいの?」
「質問に答えるだけでいい」
「分かったわ…」
できれば何事も起きないことを祈りたい。
アナスタシアは朝食を食べることに集中した。
コーヒーを飲むと、少ししてから馬車の用意ができたと馬丁が言いに来た。
用意された馬車に乗り、三人が城を出る時、温室がちらりと見えた。
「ジュリアン、ミアを見た?」
「ああ。彼女はすでに温室で魔女と一緒だったよ」
「マレインと言うのよ」
「そうだったな…」
ジュリアンは上の空だった。
エドワードが苦笑する。
「ジュリアンは国王陛下の事で頭がいっぱいなんだ」
「そんなに恐ろしい方なの?」
「お会いすれば分かるよ」
エドワードが言ったが、アナスタシアは胸騒ぎがおさまらなかった。彼に手を握って欲しかったが、エドワードがいる前でそんなはしたないことはできなかった。
馬車から眺める外の景色は森ばかりだったが、広大な土地に羊がいたり大勢の人が畑を耕したりしているのが見えた。
中にはぶどう畑もある。
「これらは全部ジュリアンが所有している土地だ」
「ずいぶん広いのね」
「君のおかげでようやく畑に人が戻ってきた。ありがとう。アナスタシア」
よく話をするエドワードなら、いろいろ教えてくれるかもしれない。
アナスタシアは国王との謁見が終わり、城に戻ったらいろいろ聞きたいことがあった。
「早く元のサッサスに戻るといいわね」
その前に、キャクタス国王がどんな人物なのか見届ける必要がある。
ミアの事を聞きたいけれど、絶対に話かけてはならないと言われている。
でも、何とかしてミアに関する情報を得ようとアナスタシアは考えていた。
馬車に揺られ、1時間程過ぎるとようやく町中に入った。店には物が溢れ人もたくさんいる。
「これがキャクタス…」
アナスタシアは人々がせわしなく働いているのを見て驚いた。
ケインの倍はありそうな大きな美しい城が見えて来た。
城は広大な森に囲まれ、てっぺんだけが見えている。中に入るまでまだまだ走らなければならなさそうだった。
山道に入り道が少し揺れる。揺れるとジュリアンが肩を抱いてくれた。
だが、彼は相変わらず難しい顔のままだ。
ようやく城の中に入り、門番から執事とたくさんの召使いに出迎えられた。
アナスタシアはとにかく自分の地味なドレスが恥ずかしかった。
謁見の間の前で待たされ、呼ばれるのを待つ。
アナスタシアは緊張した。
自分も王族の一人であるが、今はジュリアンの妻なのだ。堂々としていようと深呼吸をする。
夫と共に名前を呼ばれて中へ入ると、イスにどっしりと座った男性の姿が見えた。
これが、カール国王2世。
あの、おとぎ話に出てくるキャクタス国王の末裔なのだ。
国王は目が鋭く、自分の父とは違って肉づきのよい体つきで貫録があった。
国王は、アナスタシアを獲物を狙うかのように睨んでいた。
そして、すぐに興味を失ったかのように目を細めると、ジュリアンの名を呼んだ。
「それがお前の妻か」
「はい、アナスタシアと申します」
「ケイン国王第2皇女。噂通り美しいな。そのみっともないドレスを着せても無駄だ。次に会う時はもっと見栄えのするドレスを着せろ」
「承知致しました」
ジュリアンの声は硬い。
アナスタシアは顔を上げることができなかった。
「それで、王女と結婚する見返りに金はたくさん入ったのだろう。もう手配しただろうが小作人を増やし、貸し付けた金はすぐに納めるようにしろ」
「はい」
「ゴーレの森はまだ手つかずか」
「まだです」
「そうだろうな。話は以上だ」
「ありがとうございました」
「フォード」
「はい」
ジュリアンの声がさらに緊張を帯びる。
アナスタシアは体が震えた。
隣にいるジュリアンも唇を噛んで何かを我慢している。
カール国王が自分をじっと見ているような気がしてならなかった。
呼吸するのも恐ろしく息をひそめていると、国王がふっと鼻で笑った。
「お前は運のいい男だ。アナスタシア程の美女はそうはいない」
それだけ言うと、イスががたんと音を立てた。
見ると、国王は出て行ったようだった。
緊張がほどける。
ジュリアンも肩で息をついた。
「行こう、アナスタシア」
促されて部屋を出ると、急に息ができるようになった気がした。
ジュリアンがアナスタシアの顔を覗き込んで心配そうに言った。
「ナターシャ、大丈夫か?」
「ええ。大丈夫よ」
あの部屋では息をするのもやっとだった。
ジュリアンが歩きだす。アナスタシアは彼を追いかけた。
「どこへ行くの?」
「会いたい人物がいるのだ」
「わたしも一緒にいていいの?」
「ああ」
断られなかったことが嬉しい。
ジュリアンは、エドワードが待つ部屋へ行くと、そこには高齢の紳士がいた。
銀髪の男性はかなりの高齢だったが、背筋は伸びて立派な身なりをしていた。
彼はジュリアンを見ると、会釈してからアナスタシアに挨拶をした。
「お初にお目にかかります。アナスタシア王女」
「初めまして」
紳士はアナスタシアの手の甲にキスをすると、目を伏せた。
「話はエドワード様から詳しく聞きました。わたくしの孫、テオを助けて下さいましてありがとうございます」
アナスタシアは目を丸くして、老齢の男性を見つめた。
テオのおじい様?
ジュリアンを見上げると、彼は頷いた。
「そうだ。テオから頼まれていた。レノックス卿だ」
「まあ…! 驚いたわ」
「王女、ここキャクタスは魔法の国です」
レノックス卿の言葉にハッと口をつぐむ。
「よければ皆さまわたくしの屋敷へ移動しませんか?」
「ぜひ」
ジュリアンが頷く。
すぐにエドワードが立ち上がり、レノックス卿の後に従った。
アナスタシアはすぐには頭が追いつかなかったが、この城では迂闊な事は言ってはならないのだと気づいた。
「ジュリアン」
「おいで、アナスタシア」
夫が手を差し出す。
アナスタシアはその手を握った。




