ジュリアン
けがをしたアナスタシアを見た時、ジュリアンは心臓が止まるほど驚いた。
なぜだ。この城ほど安全な場所はないはずなのに、どうして彼女がけがをしているのだ。
カーッと頭に血が上ったがすぐに冷静になれと自分に言い聞かせた。
開け放たれた調理場の中はめちゃくちゃだったので、すぐに中で何者かが魔法を使ったのが分かった。
ジュリアンは一人先にダイニングルームで座っていると、次々と人が現れた。
マシューとテオ、グレイスに数名の兵士、馬丁のジャック、魔女、そして最後にアナスタシアとミアだ。
アナスタシアが現れるとみんながいっせいに立ち、マロリーが彼女のためにイスを引いて席へ座った。すると、トマスとソフィーがサンドイッチやレモネードと果物をテーブルに運んだ。
グレイスと兵士たちはドアの付近で見守りをし、ジュリアンは軽く挨拶をした。
「挨拶が遅くなったが、みんな、ようこそ! エリンギウムカースルへ。食事の前に今日から料理長となったトマスとソフィーを紹介しよう」
二人がお辞儀をし、飲み物で乾杯をしてから食事を始めた。各々が食べ始めたのを見て、ジュリアンが言った。
「まず、旅の疲れを取って欲しい。城の掃除についてはエディと俺が町から使用人を探してくる。食事がすんだらすぐに取りかかろう」
「分かった」
エディが頷いた。
「閣下、教えて欲しいのはそのことではありません。どうして、この城に魔法がかかっているのかです」
真ん中に座っているマレインが言うと、エディが驚いた顔でマレインを見た。
「昔、俺の父が敵の襲撃を恐れて、城全体に魔法をかけたんだ」
「あなたのお父上のはずはない。魔法が使えるのは女性のはずだ」
マレインが指摘する。ジュリアンは唇を噛んだ。
鋭い魔女だ。
「そうだ」
エディが隣から息を吐いて言った。
「ぼくの母だ。母がこの城に魔法をかけた。そして、亡くなってしまった。だから、この城にかけた魔法を解くことはできない」
マレインは目を丸くして、それから顔をしかめた。
「やっかいな事をしてくれる」
ぶつぶつ呟く。
「魔法は本人にしか解くことはできない。失礼だが、どうしてお亡くなりに?」
「病気だ。心臓が弱かったのだ」
「まあ、お気の毒に」
アナスタシアが、エディに言葉をかける。
「ありがとう、アナスタシア」
「という事で、この城では魔法は禁ずる」
「ふむ…」
マレインは考え込む仕草をして、ミアを見た。
「閣下、わしがここにいるのは救世主の手伝いをするためでもある。救世主に力の使い方を学ばせるのがわしの役目。ミアと約束をしたのだ」
ジュリアンはじっとマレインを見た。
「城の中でなければ魔法を使ってもいい」
「それはありがたい!」
マレインが嬉しそうに言った。
「それと、城の外に温室があったようだが」
「もう見たのか。以前は使っていたが、今は使っていない。構わないですよ」
「感謝します。フォード卿」
アナスタシアの隣にはマシューが座っていて、軽く頭を下げて言った。
「フォード伯爵、この城に書斎はあるのでしょうか」
「ああ、わたしが使っている」
そう答えると、マシューは少し考える顔をした。
「では、図書室などは?」
「図書室があるの?」
アナスタシアが顔を輝かせた。
「書斎にはあまり本を置いていないから、自由に図書室を使ってくれていい」
「素敵ね!」
アナスタシアは喜んだ。
「どこにあるの?」
「マロリーに聞いてくれ」
「まあ、ありがとう」
アナスタシアは感謝の言葉を述べると、隣のマシューに笑いかけた。マシューが頭を下げる。
「ありがとう。レディ・アナスタシア」
「どういたしまして」
アナスタシアとマシューが二人で体を寄せ合って話をしている。
どうして、自分だけこんなに遠い場所で、正面に座るアナスタシアをただ、見ているしかできないのか。
ジュリアンは歯がゆかった。
二人はとても仲がよさそうに見えた。おそらく気があるのだろう。
嫉妬している男に思われたくなくて見まいと思ったが、アナスタシアが男に笑いかけるたびに苦しい気持ちになった。
この結婚はお互いが望んだものじゃない。
アナスタシアは仕方なくここへ嫁いで来て、夫の命令に従うと言っていた。
自分もそうだ。
あんな、わがままに育てられた王女と結婚をしたのは金のためだ。
自分に言い聞かせるが、どうも心が反発しているようだ。
「ジュリアン、顔色が悪い」
エディに言われてハッとする。
「平気だ」
「アナスタシアとは仲良くやっているのだろう?」
ふと、エディが窺うように聞いてきた。
ジュリアンは答えられなかった。
無言でワインを飲んで急に立つと、皆がハッとした。慌てて立とうとするのを制して、少し用事ができた、と一人部屋に戻った。
部屋に戻り、自分がとても疲れていることに気づいた。
アナスタシアに振り回されてばかりいる。
彼女が悪いわけじゃない。自分が勝手に気になっているのだ。
ジュリアンは汗でも流そうと風呂場へ行くと、バスタブのそばにアナスタシアのクリーム色のドレスが無造作にかけてあるのが見えた。
右肩から胸、腰のあたりまで血で黒くなっている。
彼女の肌に傷が残ったらと思うと、怒りすら湧いてくる。しかし、ミアのおかげで救われた。
これで二度目だ。
救世主に助けられのは。
ドレスを持っていると、ドアが閉まる音がして振り向くとアナスタシアが立っていた。目が合うと、一瞬、ひるんだように見えたが近寄って来て、ちらっとドレスを見た。
彼女はそれには触れず、ジュリアンの容体を尋ねた。
「どこか悪いの?」
「え?」
「急に部屋に戻るから心配したの」
「少し疲れたようだ。風呂に入ろうと思ったんだ」
「そうだったの…」
アナスタシアはほっとして少し笑ったが、出て行かなかった。
さっきここで二人は大ゲンカをした。ジュリアンはすぐに思いだし、自分の言ったことをすぐに訂正しようと思った。
「アナ……」
「手伝いましょうか?」
おずおずと言う。
結構だと言いそうになり、ぐっと我慢する。
「ああ、頼むよ」
舌が緊張で絡んでうまく言えなかったが、アナスタシアは微笑み返した。
ジュリアンはお湯の出し方を教え、アナスタシアは真剣に見ている。
バスタブに十分お湯が入り、ジュリアンは裸になった。
アナスタシアがあっと言って、くるりと背中を向けた。
その間にバスタブに体をうずめ、自分で体を洗った。背中だけ洗ってもらおうと声をかけると、アナスタシアはびくっとして振り向いた。
「大丈夫かい? 無理なら…」
「平気よ」
アナスタシアはタオルを受け取り、バスタブの横に座りジュリアンの背中を洗った。
ゆっくりと少し力を込めてこする。
「もういいよ。手が疲れただろう。ありがとう」
「あなたにひどいことばかり言ってごめんなさい」
背中越しにアナスタシアが謝った。
「謝るのは俺の方だ。君が謝る必要はない」
優しく言ったつもりだったが、後ろにいるので様子が分からない。すると、アナスタシアが立ってバスルームを出て行くのが見えた。
「アナスタシア?」
呼びかけたが、彼女は隣の部屋へ行ってしまった。
ジュリアンは息をついて、この気まずい雰囲気を何とかするにはどうしたらいいか、自分には分からなかった。
着替えて居間に戻ると、驚いたことにアナスタシアが待っていた。
てっきりみんなの所へ戻ったと思っていたのに、意外に思った。
「ずっと待っていたのか?」
「少し、考えていたの」
アナスタシアの言葉にドキッとする。
まさか、ケインに帰ると言いだすのだろうか。
この城からアナスタシアがいなくなるなんて。
それだけは許せなかった。
ジュリアンは、アナスタシアが何か言いだす前に彼女に近寄ると、ソファに座る彼女を立たせた。
アナスタシアがおびえたように身を竦めたが、止められなかった。そして、ジュリアンはアナスタシアを抱き寄せてキスをしていた。
結婚式の時の触れるだけのキスではなく、強いキスでアナスタシアは体を硬直させていたが、次第に力が抜けて、ゆっくりと自分の背中に腕をまわして抱きしめてきた。
ジュリアンは、自分はずっと彼女にキスをしたかったのだ、と気づいた。
角度を変えてキスをくり返すと、アナスタシアがうっとりしたように唇を開いた。
二人だけの時間が過ぎていく。
ジュリアンはそれが永遠に続けばいいと思った。
ようやくキスをやめると、アナスタシアがぐったりと力を抜いて胸に顔を預けてきた。
それを抱きとめる。
彼女は腕の中で涙ぐんでいたが、離れようとしなかった。
「ごめん、何を言おうとしていたんだっけ」
アナスタシアは、ジュリアンの胸に頬をこすりつけたまま、さらに抱きしめてきた。
潤んだ瞳で見上げられ、再びキスをくり返すと、アナスタシアが嬉しそうに頬を寄せて、唇が離れると囁いた。
「心臓が破裂しそう」
自分の胸を押さえてジュリアンの鼻の頭にキスをした。
「あなたはキスが好きなの?」
「君は?」
「好きよ。でも、わたしはあなたとしかしない。これから先もずっと」
ジュリアンはその言葉に感動した。
「言いたかったのはそれなのか?」
「いいえ、違うわ」
アナスタシアはくすくす笑った。
「忘れてしまうところだったわ。できるなら、ここに慣れるまであなたのそばにいてもいい? 仕事の邪魔をしないから。迷惑じゃないか、それを聞こうとしたの」
「大歓迎だ」
「口出ししないと約束するわ」
ジュリアンは少し考えた。
「君がおかしなことを口走りそうになったら、キスで止めるよ」
「あら」
アナスタシアが目をパチクリさせる。
「じゃあ、このキスもわたしが何か言うのを寸前でやめさせようとしたのね?」
「愛想尽かして出て行かれると思ったんだ。俺はひどい男だから」
アナスタシアは首を振って、ジュリアンの顔を覗き込んだ。
「わたしはこのお城がどんな風に変わっていくか、とても楽しみなの。それにやることはたくさんあるわ。ミアの事や図書室もまだ見ていないし、それに…」
アナスタシアは情熱をこめてジュリアンを見た。
「あなたの事、まだ何も知らない」
「つまらない男だ」
「わたしも同じよ。つまらない人間なの」
ジュリアンは、アナスタシアの右肩をさすった。
「傷は痛まないのか?」
「すっかりきれいよ。ミアはすごい力を持っているのね」
ジュリアンは服越しに右肩にキスをして、アナスタシアを誘った。
「よかったら、向こうで傷を見せてくれ」
「なんともないのよ」
もう一度キスしようとすると邪魔が入った。コンコンとノックの音がする。
「閣下、エドワード様がお呼びです」
マロリーの声にがくりとする。
「すぐに行く」
アナスタシアの手を取って促した。
「君も一緒だ」
アナスタシアは頬を押さえてから髪を整えるしぐさをした。
「キスしたってバレない?」
バレてもいいと思ったが、口に出さず分からないよと教えた。
アナスタシアはほっとしてジュリアンの手を取った。
「行きましょう。あなた」
アナスタシアの瞳がきらきら輝いている。
自分の妻はこんなにも美しい。
ジュリアンは、アナスタシアに見とれそうになった。




