ことの起こり
ここで簡単だが、ミアが知り得た情報を説明したいと思う。
ミアの年齢は3歳。
テオは8つ年上の11歳だ。
この世界には電化製品はない。火をおこし土地を耕し、獣を狩る。自分たちで物を作る。全てが手作業だ。
そして、あらゆる場所で戦争が起きていた。
発端は、ある国同士の諍いからだった。
ある国――。
ある国ダイアン国の王子が、隣国のキャクタス国の姫をさらい、強姦したあげく殺してしまった――のである。
ダイアン国の若い王子は、キャクタス国の姫があまりに美しく、どうしても手に入れたかった。姫は最後まで抵抗したという。
キャクタス国は魔法の国とも呼ばれ、キャクタス国王は激怒し、ダイアン国を魔法の力で民も王族、国そのものを滅ぼした。
ところが、ダイアン国の殺された者たちは埋葬もされず、鋭い牙と黒い翼のゴーレと呼ばれる化け物になった。ゴーレは頭を砕かない限り、死ぬことができない。
そして、ゴーレには知能がなく、無差別に人を狙い、殺戮するようになった。奴らは突如現れて、町や村を襲い仲間を増やしていった。そして、ゴーレに殺された人々もゴーレとなった。
それ以後、ゴーレと人間との戦争は続く。
最初は、ゴーレと人間だけの戦いであったが、年月を重ねるうち、ゴーレから身を守るために国が人間を使うようになった。
土地のある国は城を守るために、村や集落を襲い奴隷を増やしていった。
そこへ、宝石を持つ者が現れる。彼らは魔法の力を使い、弱い人々を守った。まさに『救世主』と呼ばれる者たちであった。
それがアメリア姫である。
アメリア姫は、自身から放つ光でゴーレを消滅させることができた。次第に姫を頼りに集落ができ、人々は生きながらえていった。
この世に救世主が何人いるか知られていない。
ゴーレの数はいまだ未知数で分からない。
若者たちは一日でも長く生きるために、日々訓練をしている。
11歳のテオも戦い方を覚え、いつでも戦える準備はできていた。しかし、アメリア姫の集落では、戦場へ行くのは18歳からと決められていた。
アメリア姫は20歳だ。
未熟な体つきと幼さの残る顔。
けれど、目つきは鋭く獲物を確実にしとめる機敏さがあった。
彼女はいったい、いつから戦っているのだろう。
旅を続けていると、突然、アメリアに呼び出された。
彼女のテントに入ると、中には誰もいなかった。アメリアは鋭い目でミアに言った。
「あなたはミアではないわね」
「え?」
その一言にミアは凍りついた。
「あなたの本当の姿が見えるの。けれど、その姿は薄れてほとんど消えかけている」
ミアはあまりの恐ろしさに、足ががくがくと震えた。
追い出されるのだろうか。
ここを追い出されたら、もう生きてはいけない。
「助けて…下さい。追い出さないで」
小さい声で懇願すると、アメリアはハッと意表を突かれた顔をした。
「いいえ、違うの。そういう意味じゃないのよ」
首を振って、ミアに駆け寄ると涙をそっと拭ってくれた。
「あなたは大事な人よ。決して見放したりしない。信じて」
「は、はい…」
ミアは手をぎゅっと握り合わせたが、体は震えている。
「ミア。あなたは今日から私の付き人として生活をするのです」
「付き人?」
「ええ。出来る限り私の側にいるのよ」
「テ、テオと一緒じゃダメなのですか?」
「今は夜の間だけテオの元へ戻ってもいい。けれど、時期が来たらあなたは私の側で暮らすのです」
意味が分からなかった。
「どうしてですか?」
ミアの問いに、アメリアは大きく息を吐いた。
「そうする必要があるのよ」
アメリアは青空のような澄んだ瞳をしていた。その美しさに吸い込まれるように見とれていると、名前を呼ばれた。
「ミア」
「は、はい…」
「あなたはいなくてはならない存在なの」
異世界から来た自分を受け入れてくれるのだろうか。
アメリアの言葉がとてもありがたかった。
「アメリア姫さま、ありがとうございます」
「アメリアでいいわ」
「でも…」
「じゃあ、私と二人きりの時はそう呼んでね」
「はい」
アメリアは優しくミアの頭を撫でた。
「ボクはもう……元の世界に戻れないのですか?」
おずおず尋ねると、アメリアはじっと顔を見てから聞いた。
「あなたはどこから来たの?」
「ここじゃない世界です」
アメリアは少し考える顔をしてから首を振った。
「私に分かるのはあなたが本当は男の子で、その姿がほとんど薄れかかっているという事実よ」
薄れかかっているとは、どういうことだろう。
死にかけているのだろうか。
考えようとすると、頭が痛くなる。
ミアは頭を押さえた。
考えたくない。
アメリアは、ミアの様子を見ていたが、静かに言った。
「ミア、私にはあなたが必要なの」
「ボクを…ですか?」
「ええ」
アメリアはこくりと頷いた。
「きっと、時期が来たら、私の言う意味がよく分かると思うわ」
そう言ったアメリアの顔は苦痛そうにも見えたが、すごく真剣な顔だった。
アメリアはすっと目を伏せると、急に立ち上がりザックを手に取ると中から一冊の本を取りだした。
「ミア、これを読みなさい」
渡された本はずいぶんと薄汚れていた。受け取ってページを開くと、暗号のような文字がぎっしりと並んでいる。
読めるはずがなかった。
「読めません」
こわごわ答えると、アメリアはにこっと笑った。
「ラテン語よ。これから歌であなたに教える。いつか、このラテン語があなたの心に響く時が来るでしょう。その時、あなたの声は宇宙へ調和される日が来るわ」
宇宙…。
壮大な話が出てきてびっくりする。
けれど、アメリアは真剣そのものだった。
ミアは頷いた。
アメリアはにっこりと笑った。
その日から、夜眠る以外、アメリアの付き人に加わることになった。
集落の人数は100人弱いる。
みんなそれぞれ役割があって、女と子供は衣食住を任され、男たちは守りと戦いを任されていた。
日常は、人間の敵が現れるか、人を喰い殺すゴーレが現れるか、四六時中、神経を尖らせなくてはいけない。
八割が戦う男たちだったので、防御は固められていたが、これでも半分以上の戦い手は失ったという。
ケガ人が大勢いるため、アメリアの従兄の城、ジニア国まではまだ数年かかるとのことだった。
数年――。
気が遠くなる話だ。
後、数年もこの神経がおかしくなる生活が強いられる。
しかし、城に辿りついたとしても、ゴーレがいなくならない限り、永遠に世界は変わらないのだ。
夜、ミアはテオと一緒に眠りながら尋ねた。
「ねえ、テオ」
「ん?」
テオは、返事をしながらもウトウトしているようだった。
「この戦争はいつまで続くの?」
「ゴーレがいなくなるまでだ」
「そんな日は来るのかな……」
しょんぼりと言うと、テオは決まってミアを抱き寄せて言い聞かせた。
「アメリア姫がいるんだ。きっと、彼女が何とかしてくれる」
ミアがここに来てまだ幾日か過ぎたが、運よくゴーレの襲撃にはあっていない。
静かにゆっくりと移動を続けて、穏やかな日々が続いていた。
これがずっと続けばいいのに。
ミアは、アメリアの側にいる分、彼女の苦しい顔をよく見た。
そして、彼女を陰でそっと見守る男性を知った。
ジェイクについて。
ジェイクというのは、アメリアの恋人だ。
彼はいつもアメリアを見守っている。
気がつけば彼女の側にいる。
移動の時はしんがりを務め、アメリアが夜休む時、ミアがテオの元へ戻るのと入れ違いに、ジェイクはそっとテントの中に入る。そして、ほんの数分だけ二人で過ごしてからすぐに出ていく。
アメリアは幸せを願っている。
この世から戦争をなくし、ジェイクと共に幸せに暮らせる世界を願っている。
ミアが彼女から学んだことは、歌と防御の仕方、そして、宝玉の意味だった。
アメリアの持つ宝石の力の源は『愛』だ。
人を愛すること。
宝石は愛情によって色が変わるという。
アメリアは、ミアと初めて出会った時の事を覚えていた。
あなたは私の宝石を見たわね、と言われた時、どきりとした。
彼女の美しい宝石を思いだす。すると、アメリアは恥ずかしそうにほほ笑んだ。
宝石を見た者は、あなたともう一人だけよ、と教えてくれた。
彼女の宝石は真っ赤だった。
赤は、愛情の色。
その話を恥じらいながら話すアメリアを見て、すぐに分かった。
彼女とジェイクは愛し合っているのだ。
その証拠が、あの宝石の色なのだ。
アメリアはそれ以上何も言わなかった。
ジェイクと話をする姿は、戦略会議の時だけで、二人とも余計な話はしない。
二人はどこで心が通じ合ったのだろう。
ミアはテントで目を閉じて休みながら、テオの匂いを嗅いだ。
兄は優しい。
たった一人の家族だから、ものすごく大切にしてくれる。
ミアは、テオが大好きだった。
だから、アメリアがかわいそうだった。
今も彼女は一人でテントの中で眠っているのだろうか。
それとも、外でジェイクが見守っているのだろうか。
いつの間にか、ミアは寝入っていた。
それからミアは4歳になる前に、テオの元から離された。
テオは涙ぐみミアを離すまいと抵抗したが、アメリアに説得され、しぶしぶ承諾した。
ミアは、テオの側にいたかった。けれど、アメリアの命令は絶対だった。
テオの元を離れ、アメリアの隣にテントを張り、その後も旅は続いた。
何度も、ゴーレに襲われ、その都度、人の数は減った。しかし、別の集落からはぐれたり捕虜から逃げ出した人が仲間になったりした。