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消えた花嫁





 アナスタシアを一人きりにするのは気が進まなかったが、エディたちと話をしないわけにいかなかった。

 まだ続いているだろうと思われる宴会の場へ戻ると、案の定、男たちが酒を呑んで陽気に笑っている。ジュリアンを見ると、盛大に拍手で迎えた。


 みんな完全に酔っている。

 エディも嬉しそうに笑い、ジュリアンをがっしりと抱きしめた。


「よくやった。これでもう心配することはない。君は本当によくやった」


 どうやら誰も疑っている者はいないようだ。

 ジュリアンはそのことだけ確認し、アナスタシアの元へ戻ろうと思った。しかし、すぐに誰かにつかまる。


 花嫁はどうだった? など、いろいろ聞かれたが、酔っ払いの相手をしている余裕はなかった。適当に答えて、アナスタシアが寂しがっているからというと、みんな納得してくれた。


「その通りだ。なら、なぜここにいる」

「自慢をしたいのさ、あんな美しい王女を妻にしたのだから」

「早く戻ってやれ、きっとベッドで泣いているぞ」


 軽口を聞きながら、アナスタシアが涙を流しておびえていた事を思いだした。


 くそ、泣かすつもりなどなかったのに、なぜ、彼女は泣いたのか。

 本当に何もかもが初めてなのか?

 キスしたこともないと?


 ジュリアンはらしくない程、気が焦った。

 きっとアナスタシアはカンカンに怒っているに違いない。

 だが、みんなが聞き耳を立てている前で、愛し合うなど自分にはできなかった。

 それを彼女が理解してくれたらいいが。


 ジュリアンは気がつけば早足で部屋に戻っていた。ドアを開けてベッドに駆け寄る。てっきり寝ていると思っていたアナスタシアはいなくなっていた。


 どこだ!


 ジュリアンは一瞬、茫然とした。


 いない。彼女はどこに行った? 

 すぐに、誰かにアナスタシアの居場所を聞かねばと思い付く。


 侍女の名前は何だったろう。たくさん居すぎて思い出せない。


 ジュリアンは深呼吸をして思い出そうとした。

 あの、女兵士…。確か、グレイスと言ったな。

 アナスタシアのために、救世主を見つけてきた彼女なら、アナスタシアが普段どこにいるか知っているかもしれない。


 ジュリアンは兵士の休む部屋へ行き、グレイスがいるか確かめた。彼女は厨房に行ったと教えられ、そこへ行ってみると、何人かの男の兵士が酒を呑んでしゃべっていた。

 その中に一人女がいる。


 グレイスだった。

 彼女はジュリアンの顔を見た途端、一瞬、顔をこわばらせた。

 サッと目を逸らされる。

 ジュリアンは中に入って彼女の前に立った。すると、グレイスは椅子から立ち上がって顎を引いた。

 背が高く目線も近い。190センチ近くあるジュリアンより少し低い女性など、滅多に見たことはなかった。


「閣下、王女とご一緒のはずでは?」


 祝福の言葉より先に皮肉を言われる。


「君に頼みたいことがあって来た」

「わたしに?」


 怪訝な顔でじっと見つめてくる。周りの男たちも興味を持って眺めている。ジュリアンは外へ出ようと彼女を促した。彼女は素直に従い厨房の外へ出た。


 グレイスと向き直る。

 とても美人だ。日焼けした健康そうな素肌。目の色も淡いブルーだ。


「何かしら?」

「アナスタシアがいなくなった」

「何ですって?」


 グレイスの目が吊り上がる。そして、ジュリアンを鋭く睨みつけた。


「何をしたの?」


 腰に帯びた剣で今すぐ突かれそうだ。ジュリアンは手を上げて押しとめた。


「何もしていない。少し部屋を出てすぐに戻ったらいなくなっていた」

「何もしていないのに、部屋を出て行くわけないと思うわ」


 確かにその通りだ。

 ジュリアンは息をついた。


「彼女は泣いていた。彼女にとって初めての初夜だ」


 意味を含めると、グレイスから表情が消えて冷たい目に変わった。


「ああ、そう言うことね。ええ。王女の行く場所は分かったわ」

「本当か?」

「ええ」


 グレイスはそう言うと、速足に歩きだした。そして、元来た廊下を戻り、アナスタシアの部屋を通り過ぎ、書斎に向かった。

 ドアの前に立つ。


「きっとここにいるわ」

「書斎?」


 なぜ、こんな夜更けにこんなカビ臭く本に囲まれた場所に行くのか。

 理解できなかった。

 ドアを開けると部屋の中は明るく、ソファに二人の人間が座っているのが見えた。

 ドキッとして中へ入ると、アナスタシアの手を握る男の姿が見えてカッとなった。

 大股に歩いて、二人の前に立つと、アナスタシアが驚いた顔で見上げた。

 彼女は泣いた頬をこすったように、赤くなっていた。

 ジュリアンは思わず、アナスタシアの手をつかんでいた。


「ジュリアン…」


 か細い声に、ますます体が熱くなった。


 これは何だ?

 まさか、密通していたのか?


 頭が混乱している。

 グレイスが後から入ってくると、アナスタシアが自分の手を振りほどいてグレイスに抱き付いた。

 グレイスはほっと胸を撫で下ろして、アナスタシアの背中を撫でてやった。


「ここで何をしている」


 自分でも驚くほど低い声が出ていた。

 ソファに座っていた男がゆっくりと立ち上がる。

 濃い茶色の髪、銀縁の眼鏡をかけて、物腰も柔らかな印象。テオやヘンリーと一緒に見かけるマシューだ。

 落ち着き払ったその姿になおさらイライラした。


「何も。僕たちは少し話をしていたのですよ。お互いの話を、ね」


 ジュリアンは目の前のマシューを睨んだ。

 彼は立ち上がり、相変わらず表情を変えずこちらを見た。


「閣下、心配なさる事は何もありませんよ。僕がここで本を読んでいると、彼女が入ってきた。レディ・アナスタシアは泣いていましたが、理由は言わなかった。でも、僕らがここで不自由なく暮らしているか聞いて心配してくれたのです。僕は感謝していますと伝えているところへあなたが入って来た」

「どうしてこんな夜更けに書斎にいるんだ」

「僕は本を読むのを生業にしているようなものなんですよ。ここはいろんな書物がある。式が終わってからずっとここにいた」


 マシューの仕事などどうでもいい。

 では、なぜ、アナスタシアの手を握っていたのだ。問い詰めたかったが、きっと慰めようとしただけだ、とでも言われそうだったので、口をつぐんだ。

 グレイスの方へ向き直ると、アナスタシアが青ざめて立っている。


「部屋へ戻ろう」


 アナスタシアはためらっていたが、すぐにグレイスから体を離しジュリアンの方へ近寄って来た。彼女の手を取ると、その手は冷たくガウン一枚しか羽織っていないことに気づいた。


「ごめんなさい…」


 アナスタシアが謝った。ジュリアンはハッとして首を振った。


「いや、謝るのは俺の方だ」


 低く言って、彼女の手を引いて部屋を出た。グレイスもマシューも何も言わなかった。


 寝室へ戻りほっとしたが、ベッドはまだ汚れたままだった。

 それを出来るだけ見ないようにしてアナスタシアをソファへ座らせた。自分も隣へ座ると、アナスタシアは項垂れたままこちらを見ようとしなかった。


「どうして書斎へ?」

「え?」


 アナスタシアが弾かれたように顔を上げた。そして、ジュリアンを睨んでから横を向いた。


「あなたはどこへ行っていたの?」

「俺は確かめに行っていた」

「何を?」


 ジュリアンはどう説明しようか悩んだ。しかし、アナスタシアは息を吸って、ああ、と呟いた。


「言わなくていいわ。分かったから」

「分かったとは?」


 アナスタシアは目を逸らしたまま答えない。ジュリアンは息をついた。


「一人にしてすまなかった」

「彼とは何もないわ」

「何だって?」

「マシューよ。一人になりたくて書斎へ行ったら、彼がいたの」

「奴と話を?」

「ええ。わたしも彼と同じだから」

「同じとは?」

「読書が趣味なの」


 ジュリアンは眉をひそめた。


「君は確か、パーティーが好きだったのでは?」

「嘘をついたの。つまらない女だと思われたくなくて…」

「嘘…」


 ジュリアンは愕然とした。

 だが、自分だってそうだ。アナスタシアに何ひとつ真実を明かしていない。


「今夜の事は俺が悪かった」


 アナスタシアがびくっと肩を揺らす。

 ジュリアンはそっと彼女の肩に触れた。ほっそりした体は緊張していたが、拒まれなかった。


「嘘をついて、ごめんなさい」

「え?」

「わたしはもう嘘をつかないわ。あなたの妻になったのだもの。誠心誠意、夫に尽くすわ。だから、わたしに気を遣わなくていいのよ」


 21歳の彼女からこんな事を言われるとは思ってもいなかった。だからと言って、ここを出るまでは真実を告げることはできない。

 では、どうして彼女の純潔を奪う事ができなかったのだろう。

 サッサスには過酷な運命が待っている。もう、引き返すことはもうできない。


「お互いの事を知るのは、これから少しずつでいい」


 ジュリアンが言うと、アナスタシアがこくんと頷いた。


「そうよね……」


 何となく顔が寂しそうなのはなぜだろう。

 彼女は自分を恐れていないように見えたが、なぜか、表情は明るくない。


「もう遅い、眠ろう」


 ジュリアンがそう言うと、アナスタシアがハッと身を竦めた。


「今夜はいろいろあって君も疲れただろう。シーツを取り替えるから、このベッドでゆっくりと休むといい」

「あなたはどうするの?」

「俺はこのソファで寝るよ」

「一緒に寝ないの?」


 アナスタシアがか細い声で言った。

 洋服を着ていない彼女と横になって、何もしないよう自分を抑える自信はなかった。

 アナスタシアは頬を染めて恥ずかしそうにしている。


 ダメだ。これ以上、彼女をおびえさせたくない。


 ジュリアンが首を振ると、彼女の顔が凍りついた。


「無理を言ってごめんなさい」


 そう言うなり、血の付いたベッドへ行き、マットレスに横になった。

 大きなベッドに小柄な彼女はとてもかよわく見えた。


 怒らせただろうか。

 自分はいつも彼女を怒らせてばかりだ。

 不器用で気のきかない男だと思う。


「おやすみなさい」


 アナスタシアが言った。


「おやすみ」


 ジュリアンはそう言って部屋の明かりを消した。横になったが、なかなか眠れなかった。

 アナスタシアは眠っただろうか。少し体を起こして見ると、上掛けが上下に規則正しく動いている。

 寝たようだ。

 ほっとして自分も眠ろうと目を閉じた。





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