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二人の結婚式




 アナスタシアとの結婚式がもうすぐ始まる。


 ジュリアンの中で不安と期待が混ざりあい、緊張していた。

 何だか、彼女を騙している気がしてならなかった。

 エリンギウムカースルへ戻れば現実が待っている。持参金のおかげで飢え死にする心配は免れたが、彼女にとって新天地は天国ではないことは確かだった。

 召使いを探し荒れた土地を耕し、やることが山積みとなって押し寄せるだろう。


 ジュリアンはタキシードの襟元を少しだけ緩めた。寸法はぴったりのはずなのに、これも自分の服ではない。

 何もかもがいかさまのようで心苦しい。

 しかし、あの指輪だけは違う。

 彼が国から持ってきた本物のサファイアだ。たくさんの宝石を盗人に奪われたが、あれだけは守ることができた。


 ジュリアンが物思いにふけっていると、エディが控室へ入って来た。


「時間だぞ」


 エディは満面の笑みで本当にうれしそうだった。


「やけに嬉しそうだな、エディ」


 ジュリアンが息をつくと、ポンと背中を叩かれ、強く抱きしめられた。


「今日はなんて素晴らしい一日だろう。おめでとうジュリアン。お前は国一番の幸せ者だ」

「ありがとう、エディ。お前がいてくれなかったら、俺はここにはいないだろう」


 エディが惜しみなく金を使ってくれたおかげだ。服に資金と彼の援助があったからやってこられた。


「これからは倍にして返してもらう。楽しみにしているよ」


 エディがにやっと笑った。


「ああ、もちろんだ」


 ジュリアンも強くその背中を抱き返した。


 二人が教会へ行くと参列者がすでにそろって待っていた。テオとミアたちも目立たない場所で静かに待っている。

 アナスタシアは、彼らに惜しみない友情を注いでいた。不自由なく過ごしている彼らも自分を祝福してくれている。


 アナスタシアの事で驚いたのは、彼女はちっとも王女らしくないところだった。

 彼女のまわりにいつも人がいたので、あまり会話ができなかったが、横柄な態度もヒステリックな様子もないし、いつもニコニコと穏やかな表情をしていた。


 ジュリアンが祭壇の近くに立って待っていると、拍手が沸き起こった。国王にエスコートされて、白いベールをまとって花嫁が歩いて来る。


 アナスタシアだ。


 ほっそりした体をシルクのドレスに身を包み、ベールで顔がよく見えないが、ブロンドの髪は下ろしている。


 彼女が近づいて来る。

 目の前で止まり、国王の手から彼女の手を取った。

 二人で祭壇に向き直ると、司祭が話し始めた。しかし、ジュリアンはぼんやりとしてろくに聞いていなかった。


 隣にいるのはあのアナスタシア王女だ。


「誓いの言葉を」


 司祭の声にハッとして我に返る。


「愛することを誓います」


 アナスタシアも誓いの言葉を述べるのが聞こえた。向かい合って彼女のベールをめくると今まで以上に美しいアナスタシアがいた。

 彼女の目は感動で潤み、赤い唇はしっとりと濡れてなまめかしい。

 ぼーっと見とれていると、司祭の咳にハッとする。頭と体が別のものになったかのように手順を踏んで動いていたが、頭の中はアナスタシアの事で一杯だった。


 結婚指輪を彼女の薬指にはめた時、今すぐアナスタシアを抱きしめたかった。

 しかし、ぐっとこらえて初めてキスを交わした。

 アナスタシアは震えていた。

 彼女も緊張しているのだと思った。




 ようやく長い式が終わり、バルコニーで民衆に手を振り、結婚したことを報告してから、夕食会のために一度部屋に戻った。

 この間だけ、少し休むことができる。

 ジュリアンが緊張から解放され、一呼吸ついた時、エディが入って来て、がっしりとジュリアンを抱きしめた。まるで彼が結婚式を挙げたかのように感動しているのが分かった。


「おめでとうジュリアン!」

「ありがとう」

「アナスタシアは本当に美しい。ぼくは誇りに思うよ。運が向いて来たんだ。これからが正念場だ。いいか、今夜、成し遂げるんだぞ。失敗は許されない」


 真剣な口調でエディが痛いほど肩をつかんだ。

 ジュリアンは顔をしかめながら、そっとその手を解いた。


「何の話だ?」

「サッサスへ着いたら、アナスタシアは必ず逃げ出すだろう」

「え?」

「あの城の惨状を知ったら、どんな勇敢な兵士でも逃げ出すだろう」

「何を言っているんだ、エディ」


 ジュリアンはいとこの顔をじっと見た。


 そんなにひどいのか? 俺の城は。


「お前はどんな手を使ってでも、今夜、彼女と既成事実を結ばなくてはならない」


 エディのむごい言葉に、ジュリアンは気分が悪くなった。


「俺はそんなひどい男じゃない」

「分かっている。だから、こうして言っているのだ」

「もうやめろ」

「いや、やめない。お前は純潔を奪ったことがあるのか」


 エディが追い打ちをかけるように容赦なく言った。

 ジュリアンは首を振った。


「あるわけないだろう」

「そうだろうと思った」


 ジュリアンがこれまで相手にして来たのは、ほとんどが未亡人だ。宮廷に来れば向こうから寄ってくる。気に入った相手とたまに寝るが、ほとんど一回きりだ。


「もう、こんな話はやめよう」

「ダメだ。ジュリアン、現実から目をそらしてはいけない。ぼくたちはアナスタシアに真実を告げていないんだ」

「俺は告げようとしたが、お前に何度か阻まれた」

「当然だろう。どこの誰が、ほとんど無一文の城主の元へ嫁いでくる」

「無一文じゃないぞ」


 ジュリアンはムッとしたが、その声は覇気がなかった。

 もう、ここまで来てしまった。後戻りできない。


 そうだ。エディの言うとおりなのだ。

 自分はどんなことがあっても、アナスタシアを自分の国へ連れて行かねばならないのだ。


「……分かった。やるよ」


 肩を落として言うと、エディがほっと安堵の表情を見せた。


「すまない、ジュリアン。ぼくだってこんなひどい事を言うのは辛いんだ」

「ああ、分かってる」

「まかせたぞ」


 エディはそう言って部屋を出て行った。

 ジュリアンはため息をついた。

 アナスタシアの無垢な顔を思い出す。

 あの細い体を今夜、自分だけのものにする。

 彼女が望もうが望まなくても、道は一つしかないのだ。




※※※※




 夕食会の間、フォード伯爵はどこか上の空だった。

 アナスタシアは一番お気に入りのイブニングドレスで、フォード伯爵に挨拶をした。彼はとてもきれいだ、と褒めてくれたが、それきりしゃべっていない。


 居間では自分たちを祝福してくれる人でごった返していたが、夜が更けるにつれて、エディが花嫁と花婿を解放してあげなければと言いだした。

 その時、初めてアナスタシアは気づいた。


 これから、例の決まりごとが始まるのだ。

 母からは簡単に説明を受け、嫁いだ姉からはさらに詳しい話を聞いていた。

 結婚初夜というやつだ。


 どうしたらいいのだろう。

 このドレスはいつ着替えるの?

 どの部屋で寝るの?

 彼が連れて行ってくれるのだろうか。


 分からない事だらけで、突然、この後どうしていいのか分からなくなった。

 その時、侍女がアナスタシアの手を取った。静かに部屋に連れて行かれる。バスタブをご用意していますと言われ、息ができないほど緊張した。

 一人ですると言ったが、急いだ方がいいと言われ、数人に手伝ってもらった。

 白のネグリジェを着て、ベッドで休むようにと言われた。

 部屋は自分の寝室ではなく、フォード伯爵の寝室へ連れて行かれた。

 大きいサイズのベッドがあるが、ここに寝るわけにはいかない。アナスタシアはシルクのガウンを羽織って、クルミ材でできた二人掛けのソファに座った。

 フォード伯爵の部屋は物が少なく、調度品しか置いていなかった。

 まだ季節は暖かい時期だったので、アナスタシアは本でも持ってくればよかったと思いつつも集中して読めないことは分かっていた。

 一人でいると不安が押し寄せてくる。すると、ドアが開いてフォード伯爵が入って来た。アナスタシアがいるとは思っていなかったようで、ソファに座っている自分を見てギョッとした。


「王女……」

「アナスタシアよ…」


 アナスタシアは心細く答えた。

 こんな裸みたいな姿を人に見せるなんて、恥ずかしくてたまらない。

 フォード伯爵はほんの一瞬、ドアのそばで固まっていたが、彼も着替えたらしくガウンを着ていた。


「寒いのか?」

「え?」

「顔色が悪い」


 フォード伯爵がそう言ってそばに寄って来た。

 アナスタシアはごくりと唾を呑んだ。

 彼が自分の手をそっと握った。


「冷たくなっている」


 フォード伯爵が触れた部分だけ熱くなる。

 アナスタシアは胸が激しく打っていた。しかし、フォード伯爵はそれ以上何もせず、自分から離れて行った。そして、テーブルにあるワインをグラスに注ぐと、再びアナスタシアの元へ戻って来た。


「少し飲むといい」

「あんまり欲しくないわ」


 アナスタシアは自分の声がかすれていると思った。


 いつもの元気はどこへ行ったの?

 自分でも驚いた。


「いいから、飲むんだ」


 フォード伯爵に勧められ、一口飲んだ。

 甘めのワインで飲みやすい。しかし、ろくに味わう事はできなかったが、体のこわばりがほぐれた気がした。

 自分の顔を見て、フォード伯爵がほっとしたのが分かった。

 彼もワインを一口飲むと、少し話をしようと言った。


「話?」


 アナスタシアはキョトンとした。


「たとえば、君は趣味はあるのか?」

「趣味?」


 アナスタシアの趣味は読書だ。しかし、つまらない女だと思われたくなくて、パーティーとあたりさわりのない答えを言った。


「あなたは?」

「俺はいいんだ」

「おかしいわ」


 アナスタシアはムッとした。すると、彼の顔も同じようにムッとする。それを見て、あっと思った。


 自分はもしかしたらすぐに怒る気性なのかもしれない。目の前の怖い顔はわたしのせいかもしれない。

 初めてそんな気持ちを抱いた。

 ほんの少しのワインのおかげで頭が逆にすっきりしている。


「ごめんなさい」

「どうして謝るんだ」

「わたしはあなたの妻だから、言う事は聞くわ」


 静かにうなだれると、彼が喉から呻くような声を出した。


「まだ、君は俺の妻じゃない。これからなんだ」

「どういう事?」

「少し寒くなってきた。ベッドへ移ろう」


 大きな手に包まれてベッドへ誘われる。アナスタシアはようやく気付いた。

 彼は目的を果たさなくては国へ戻れない。


「どういう意味か分かったわ」

「…助かるよ」


 フォード伯爵の声は硬いままだ。

 まるで、彼の方が緊張しているみたい。


 アナスタシアは息を吐いた。

 ベッドに座ったが、彼は何もしない。

 ドギマギし過ぎて口が勝手に動いた。


「生まれて初めてだけど、姉に聞いて知っているわ。遠慮しなくていいのよ」

「何だって?」


 フォード伯爵がギョッとする。


「その…ただ、ちくっと針が刺す程度って聞いたわ」

「君は縫い物ができるのか」

「当り前でしょ。何でもできるわ」


 フォード伯爵は首を振った。


「針どころの痛さじゃないと思うが」

「そうなの?」


 全く何の話をしているのだろう。

 アナスタシアは、ぷいと顔をそむけた。

 フォード伯爵はガウンを脱ぐと、その下はズボンしか身につけておらず、彼の上半身は裸だった。筋肉に覆われた肉体は、まるでブロンズ像のようだ。


 ワインが利いてきたのか、体が熱い。

 アナスタシアは、そわそわと体を動かした。


「寒いだろう。中へ入れ」


 フォード伯爵が手を伸ばしアナスタシアをベッドに寝かせた。されるままになりながらも自分はいつ服を脱ぐのか気になった。


 ああ、どうしよう。

 アナスタシアは涙目になった。どうしたらいいか、全然分からない。


「アナスタシア?」


 彼が初めて名前を呼んでくれた。

 それだけで嬉しい。それなのに、自分は何もしてあげられない。


「どこか痛めたのか? 大丈夫か?」


 どうして彼は何もしないの?

 話ばかりで、心が張り裂けそうだった。

 しかし、フォード伯爵は何もせず、アナスタシアの髪を少し撫でた。


「痛い目に合わせなくないんだ」

「ええ、そうみたいね」


 とうとう、涙が出てきた。

 フォード伯爵は涙を拭いてくれると、さらに小さい声で囁いた。


「アナスタシア、俺の目を見て」


 言われた通り、目を見つめる。

 ああ、なんて、ハンサムなの。


 ぼーっとしていると、フォード伯爵が突然、どこに隠していたのか、とても小さい果物ナイフを取り出した。

 アナスタシアはギョッとした。


「あなた、それで何をするつもり?」

「何もしない。君は見ているんだ」


 フォード伯爵は何もしないと言いながら、自分の人差し指にナイフの切っ先を当てた。


「ダメよ! 痛いわっ。そんなことしたら」


 とっさに悲鳴を上げてしまった。


「大丈夫、痛くないよ」


 そう言っても、ぷくりと小さい血が盛り上がりシーツに落ちた。さらに、彼はその血をシーツにこすりつけた。


「ああ、ジュリアン! そんなこと、どうして!?」


 わけが分からない。

 すると、フォード伯爵…ジュリアンが初めて情熱的にアナスタシアを抱きしめた。

 息が止まりそうになる。耳たぶに彼の息がかかり、身震いした時、突然、ドアの外をノックの音がして、アナスタシアは飛び上がった。


 何が起きているの?


 突然、ドアが開いて、まるで夜襲のように男たちが入ってきた。父の側近とエドワードだ。

 彼らはジュリアンと目配せした。

 ジュリアンは、アナスタシアをさらに抱き寄せて、自分の体で隠したままシーツを示した。


「証拠ならそこにある」


 怒ったような声だった。

 アナスタシアは身震いしてしがみついた。


 それが何の証しか、よく分かった。

 男たちは自分たちが本当に夫婦になったのか、見届けに来たのだ。

 恐怖で体が震えだす。

 

 ずっと、外に誰かいたの?

 今までの話を聞かれていた? だったら、ジュリアンがしたことは罪にならないのだろうか。

 彼はわたしを痛めつけなかった。それどころか、自分だけが傷ついた。


 男たちが出て行くと、二人きりになりジュリアンがゆっくりと力を抜いた。

 アナスタシアはどうしようもないほど、惨めで悲しかった。


「すまない…アナスタシア…」


 その謝罪はどういう意味? 確かに人前でさらされる屈辱は守られた。けれど、わたしの純潔も守られたままだ。


 アナスタシアは口を利きたくなかった。

 唇を噛んで俯くと、ジュリアンが離れて放り投げたガウンを羽織り、それからドアの方へ向かった。


「待って! どこへ行くの?」


 とっさに叫んだ。ジュリアンは振り向かずに言った。


「まだ、俺の仕事は終わっていないんだ」

「仕事?」

「彼らと少し話をしなくてはならない」

「どういう事? わたしには話せないの?」


 ジュリアンは静かに出て行った。


 仕事…。

 彼にとって結婚は仕事の一つなのだ。

 わたしもそう言えたらいいのに…。


 アナスタシアは自分の心の中で空洞がどんどん広がっていくような気がしていた。


 何かにすがりたい。

 甘えられる手が欲しいと思ったのは初めてだ。

 王女として生まれ、何不自由なく欲しいものは手に入った。

 でも、彼の心は手に入らない。

 彼は自分を求めていないのだから。


 分かっていたのに。

 彼は婚約が決まる以前から、わたしを見ていないのに。

 結局何も変わっていない。

 心はひとりぼっちだ。


 いつものように元気を取り戻そうとしたが、何もする気が起きなかった。

 ここにいると、嫌な事を思い出してしまう。


 アナスタシアはたまらなくなり、自分もガウンを羽織った。扉を開けて辺りをうかがう。廊下には誰もいない。

 アナスタシアは決心して部屋を抜け出した。


 この時間なら書斎には誰もいないだろう。


 アナスタシアは本を読むのが大好きだった。一人きりになりたい時、落ち着いて過ごせる場所は本がたくさんある書斎だった。

 

 廊下を駆け抜け、書斎に入った。

 いつもなら真っ暗なはずの部屋に灯りがともっている。

 アナスタシアはぎくりとして立ち止った。


「誰だい?」


 男性の優しい声にドキッとする。

 マシューが肘掛椅子に座って本を読んでいた。


「王女様」


 マシューは慌てて立ち、お辞儀をした。


「いや、失礼致しました、フォード伯爵夫人。こんな夜更けになぜ? 今日は結婚式のはずでは…」


 マシューがびっくりしている。そして、メガネのブリッジを押し上げ、心配そうな顔をした。


「泣いていたのですか?」


 近寄って来て、涙をぬぐってくれる。


「お一人だと危険ですよ」

「いえ、いいの」

「フォード伯爵はどうしたのですか? 今頃、あなたを探しているはずだ」

「彼の事はいいの」


 ジュリアンの事を思い出すと、涙が出そうになる。

 マシューは小さく首を振った。


「僕でよかったら、お話を聞きますよ」


 穏やかな彼の言葉にすがりそうになる。

 今のこの気持ちを誰かに聞いて欲しかった。

 アナスタシアは、マシューの側に寄ると静かに打ち明けた。





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