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本物の救世主



 アナスタシアの住む宮殿は、ジュリアンが暮らす城よりも遥かに大きく部屋の数も桁が違う。

 その中の一室を当てがわれ、ヘンリーとテオという青年から詳しい話を聞いたジュリアンは、表面では落ち着いた様子を見せていたが、内心、驚いていた。


 あの少女が救世主なのか。


 まるで信じられなかったが、本物の救世主を見たことはなかった。

 テオは妹の事が心配なのか、ずっと険しい顔をしているが、皇太子は落ち着いており、ジュリアンを納得させる説明をしてくれた。

 アナスタシアの話よりもよほど理解できる。


「君たちの言い分はよく分かった」


 ジュリアンはそう言わざるを得なかった。

 あのアナスタシアのために国王が救世主を誘拐していたとは。


 どうやら、グレイスという兵士は、国王に報告する前にアナスタシアへ伝えたらしい。そのことだけが、不幸中の幸いだった。

 もし、国王が救世主の存在を知ったらどうなっていただろう。自分たちは結婚する必要はなかっただろうか。

 考えても仕方がない。現実はこうして動いているのだから。


 アナスタシアの事を考えると少しかわいそうにも思えてくる。あんなに必死な彼女を見るのは初めてだ。

 ジュリアンは、彼女に辛く当たったことを申し訳なく思った。


「俺の城へ来てもらうのは構わない」


 ジュリアンがそう言うと、二人はほっとした顔をした。


「しかし、前もって伝えておくが、俺の城をここと同じだと思われては困る。前フォード伯爵、つまり、俺の父のおかげで農地は荒れ放題、まともな使用人はおらず、わずかな食糧で日々を喘いでいる状態だ」


 ジュリアンが馬鹿正直に教えると、テオが眉をひそめた。


「それは信じられないな。君の衣装はその…少々派手すぎるが、立派だ」


 洋服の事を言われてジュリアンは恥ずかしさに体が熱くなった。


「これは俺のいとこから借りた物だ。今の俺にはまともな衣装を買う金もない」


 二人はまるで信じていないようだったが、エリンギウムカースルに行けば身に沁みて分かるだろう。


「それで、向こうに着いたら君たちはどうするつもりだ」

「アナスタシア王女が、ミアの出生に関わることを言っていた」

「ミア?」

「俺の妹だ。救世主でもある」


 テオが静かに言った。


「ええと、君らは似ていないな」

「血が繋がっていないからな」


 テオがぶっきらぼうに答えた。


「キャクタス国に行けば何か分かるような気がする。とにかく行くしかない」


 皇太子が言ったが、声は沈んでいた。

 ジュリアンは彼に向き直った。


「殿下、あなたの意気込みに水を差したくありませんが、自国についてよくない噂を聞いています」


 皇太子が黙り込む。


「国王陛下のご容体は思わしくないと。それに領土はもう奪われた、と」


 テオがじっと彼を見ていた。皇太子は苦しそうだった。


「分かっている。しかし、僕はもう死んだ人間だ」

「いいや、ヘンリー、国に戻るべきだ」


 テオが言うと、皇太子はこぶしを握った。


「ジニアがなくなってもいいのか? きっと君を待っているはずだ。ミアの事は俺が守るから、君はジニアに戻ってくれ。ジニアを滅ぼして欲しくない」


 皇太子は思いつめた顔をしていた。彼が悩んでいるのがよく分かる。ジュリアンはおせっかいだと分かっていたが、つい口を出した。


「民にとって帰る故郷がなくなるほど苦しいことはないと思う。あなたが皇太子であるのなら、死ぬまで守り通すべきじゃないのですか?」


 ジュリアンは自分の国を思い浮かべた。


 大昔、愚かな王子のせいで、ダイアンという大国は滅んだ。

 今もなおその名残はある。ダイアンには歴史があった。しかし、全て闇に葬られ今では口にすることも禁止されている。


「旅費なら俺が出そう。何があったのか知りませんが、あなたは戻られた方がいいと思います」


 皇太子はただ小さく、すまないと言った。


 一刻も早く帰国するため、皇太子のために早馬を用意してもらった。

 馬だとジニアまでは三日でたどり着く。だが、世の中は物騒で、護衛を付けた方がいいとテオが説得した。皇太子はしぶしぶ承知して、三人の兵士を雇った。


 皇太子が帰国すると聞いて、身支度をすませて飛び出してきた救世主の少女は見違えるほど美しい姿になっていた。淡い黄色の上等のドレスに髪をきれいに結い上げてもらっている。

 彼女はほっそりとした腕を伸ばし、皇太子を抱きしめた。


「ヘンリー、気をつけて。無理をしないで」


 彼女の目は涙で濡れていた。


「ミア、君と離れるのは辛いが、僕はわがままを言える立場じゃない」

「お願いだから、自分の命を粗末にしないで。すぐに会いに行くわ」


 皇太子は救世主の涙を拭いながら、優しく笑いかけた。


「僕が君に会いに行く。約束するよ」

「ええ、約束よ」


 その時、いつの間に見送りに出てきたのか、アナスタシアが立っていた。

 彼女も着替えており、淡いピンクの花模様のドレス姿になっていた。長い髪を下ろしていて、隣に立つと甘い香りがした。

 彼女は何も言わず、じっと彼らを見つめている。

 救世主が皇太子の手を強く握りしめた。


「ヘンリーをどうか、お守りください」


 念じるように呟いた。


「行ってくるよ」


 皇太子が馬に飛び乗り走り出す。その後を三人の兵士が追いかけた。彼らの姿が見えなくなり、テオと救世主は不安そうだった。

 すると、アナスタシアが励ますように言った。


「ねえ、お食事にしない? もうすぐディナーの時間よ」


 しかし、テオと救世主は首を振った。


「ありがたいけど、今日だけはお部屋で頂いてもいい?」


 救世主がしょんぼりと言うと、テオがその肩を抱いた。


「王女、わがままを言って申し訳ありません。ぼくからもお願いします」

「もちろん、いいわよ。どうか、お気になさらないで」


 明らかにがっかりしていたが、アナスタシアは優しく頷いていた。

 ずいぶん、物分かりがいい、とジュリアンは内心驚いた。


「あの、アナスタシア王女」

「ナーシャって呼んでいいのよ」


 アナスタシアが救世主に微笑みかける。彼女がほっとした顔で言った。


「ナーシャ、わたしたちにはまだ仲間がいるの。彼らをここへ呼んでもいい?」

「当然よ、あなた方のお友達ならみんな歓迎するわ」


 皇太子の話に出てきた残りの三人についてだ、とジュリアンは思った。


「トマスとソフィー、そして、マシューと言うの。三人共ずっと一緒に旅をして来たの」

「分かったわ。安心して。お部屋を用意しておくわね」


 テオが彼らを探してくると言って、城の外へ出て行った。救世主は城の応接室で待っているから、と歩きだした。


 二人がいなくなり、さて、自分はどのように扱われるか、と見ているとアナスタシアはまっすぐにこちらを見た。


「あなたはどうなさるの? フォード卿」


 もちろん断るつもりだった。しかし、アナスタシアがあんまり寂しそうだったため、ディナーを一緒にすると承諾すると、彼女が笑顔になった。


「嬉しいわ、一人で食べるのは嫌だったの」

「え?」


 その発言に驚く。

 てっきり国王たちとのディナーだと思っていた。

 唖然としていると、彼女は照れたように言った。


「お友達と食べると言ったから、小さいお部屋を用意してもらったの」

「まさか、二人きり?」


 王女と二人きりで食事など有り得ない。

 しかし、アナスタシアは気にしていないようだった。


 二人で何をしゃべると言うのか。

 そうだ、エディも呼ぼう。それで気まずさが半減する。


「王女、ぼくのいとこも誘ってよいでしょうか。一度、ご挨拶がしたいと申しておりました」


 アナスタシアがつぶらな瞳をぱちぱち瞬かせた。


「あら、ええ……。もちろんよ、大歓迎だわ」


 一瞬、間があったが、エディの顔を思い出そうとしたのだろう。内心、ほっとしながらエディがいてくれてよかったと心から思った。

 アナスタシアは、召使いにミアとテオの事を頼むと、自分たちは別室に行きましょうと誘った。


 前を歩く彼女はとても小柄で背丈は自分の胸の位置くらいしかなかった。ウエストはとても細く、きゅっと引き締まったヒップは丸みを帯びてきれいな形だ。


 王女がこんなに近くにいるなんて。

 ジュリアンは、あえて避けてきた王女を目の前にして緊張していた。

 ダンスに誘う勇気もなく、相手にもされないだろうと思っていた女性が目の前にいる。

 彼女はツンケンした態度は消えて、とても機嫌がよさそうだった。



※※※※



 お客様が見えているから、と厨房に頼んだところ、大柄の男性二人でも食べきれぬほどたくさんのメニューが並んでいた。どれも、アナスタシアの好物ばかりだ。


 エドワードとフォード伯爵が美味しそうに食べているのを見て、アナスタシアは嬉しかった。

 ミアたちがいないのは残念で仕方がないが、ヘンリーが帰国してしまったのだから辛いだろう。

 無理に誘わなくてよかったと心から思った。


 エドワードは陽気な性格で、食事中、アナスタシアを何度も笑わせた。

 見かけは派手だが、とてもハンサムだ。


 いとこなのに二人はまるで違う。

 エドワードは場を和ませようと、フォード伯爵の子供の頃の話をしてくれた。

 どうやら、彼にはきょうだいが五人いて、みんな他へ嫁いだり養子に出たりして、長男の彼だけがまだ一人だと言う。

 しかし、それも今期限り。

 出来るだけ早くサッサスへ来て欲しい、とエドワードは熱心にしゃべった。


 アナスタシアは、ちらりとフォード伯爵を見た。彼は黙々と料理を食べて、時折、相槌を打っているだけだった。

 それを見て思わずため息が漏れた。

 やはり、彼はアナスタシアがお気に召さないらしい。

 エドワードはすぐに気づいてフォード伯爵に話を振った。


「それにしても、今夜のアナスタシア王女は美しい。ぼくたちはいつも羨望のまなざしで見ていたが、こんな近くで食事ができるなんてまるで夢のようです。だが、これからは毎日、一緒にいることができる。お前がうらやましいよ、ジュリアン」


 しかし、フォード伯爵は、ああ、うん、とぽつりと言っただけだった。

 アナスタシアは少しムッとした。


「お食事が口に合いませんの? フォード卿」

「とんでもない! こんな美味しい料理は初めてだ」


 フォード伯爵に聞いたのに、すかさず答えたのはエドワードだった。

 アナスタシアは話しかけるのも虚しくなってきた。

 ようやくデザートが出てきてホッとする。


「アナスタシア王女」


 タルト生地に乗った甘酸っぱいイチジクをゆっくりと味わっていると、突然、フォード伯爵が口を開いた。


「え?」


 アナスタシアはドキリと胸が高鳴った。


「なんですの?」

「我がエリンジウムカースルには、今、まともに料理ができる者がおりません。あなたの舌は肥えておられるだろうから、がっかりさせるかもしれない」


 アナスタシアはキョトンとした。

 意味がよく分からない。


「そうなのですか? でも、料理をする方がおられないとお困りでしょうね」

「ええ、だから。あなたがサッサスへ着いたらすぐやるべきことがたくさんありますので」

「やるべきこと…?」


 アナスタシアは作法についてはよくしつけられている。城主としての役割など一通り学んできた。

 賢い女性は嫌われ、勉強などするべきではないと言われているが、マレインから頭を使って生きることを学ばされていた。


 フォード伯爵の言うやるべきことが何なのか、いまいちよく分からないが、彼のむっつりした顔を見ていると何も聞けなかった。


「ご忠告ありがとうございます。閣下」

「忠告では……」


 フォード伯爵が何か言うのをエドワードが慌てて遮った。


「まあまあ、その話はエリンギウムに行ってのお楽しみです。ね、王女、楽しみは後に取っておくものでしょう」


 本当に楽しいことなのかしら。

 アナスタシアは眉をひそめた。


 デザートを食べ終わり、アナスタシアは疲れたので休むことにした。

 食事は美味しかったが、気を遣いすぎて疲れてしまった。

 部屋に戻ろうとすると、フォード伯爵がエスコートしてくれると言った。

 思いがけず、アナスタシアは胸がドキドキした。


 部屋に着くまでの廊下ではあまり口を利かなかったが、アナスタシアの部屋の前に来て、フォード伯爵が腕を下ろした。


「今日は数々の無礼をすみませんでした」

「え?」

「ただ、ひとこと謝りたくて」


 フォード伯爵はそれだけ言ってお辞儀をすると行ってしまった。

 アナスタシアはぽかんとその場に立ちつくした。


 数々の無礼がどれに当たるのか。全然、分からないのだけど…。


 夫となる人は思った以上に口数の少ない人なのだと、ようやく悟った。




 その後、着々と結婚の準備が進んでいった。

 マレインがかなり早くから結婚式のドレスを用意していたため、一年がかりの準備期間もわずか一カ月で出来てしまった。


 長袖の純白のウエディングドレス、サッサスへ持っていく荷物、使用人も振り分けられ、これなら明日にでも結婚できる。

 民にも祝福されるよう取り計らい。司祭様と結婚許可証の用意もされ、全てがあっという間に整った。


 フォード伯爵とはほとんど口をきいていない。

 もっぱら話をするのはエドワードで、彼からフォード伯爵についてはたくさん聞かされたが、とうの本人はしゃべらないので、本当に彼と結婚できるのだろうか、と不安にも思った。

 しかし、彼から送られた婚約指輪ほど嬉しいことはなかった。


 小粒のダイアモンドに囲まれた大粒のブルーサファイアの指輪は、彼の祖母から代々伝わっているものだと言う。


「なんて美しいの」

「気に入ったのか?」

「もちろんよ、素晴らしい指輪だわ」


 なぜか不安そうなフォード伯爵はこの時嬉しそうに笑顔になった。

 アナスタシアは彼の笑顔が何よりも好きだった。


 なぜなら、滅多に笑わないから。


 もっと、仲良くなりたいが、二人きりになることはほとんどなく、エドワードはもちろん、ミアやテオ、そして、彼らの仲間であるトマスやソフィー、マシューが常に一緒にいた。


 トマスとソフィーはすぐに好きになった。

 彼らは外の世界の話をしてくれる。

 ミアたちの旅の話も何度も教えてもらった。命の危険に何度もさらされながら、彼らはずっと旅をしてきた。


 外へ出ることがどれほど恐ろしいか、話を聞いてよく分かった。

 だからこそ、救世主の力で平和にしたいと彼らは願っている。

 自分もその手助けができるなら、力になりたい。

 そして、あっという間に、婚礼の日がやって来た。




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