夢ではない
馬を飛ばし2日かけてケイン国へ入ったエディとジュリアンは、真っ先に国王から呼び出された。
自分の好みの服ではない衣装をエディから借りて、王の前に膝まずいた時、いつもなら挨拶だけですませるアーサー国王がやけに親しげに話しかけてきた。そして、ジュリアンは、エディの話が真実であったことを知らされた。
まず、アナスタシア王女の持参金の話があり(それだけあればたくさんの召使いを雇う事ができる金額だった)、アナスタシア王女を国中で一番幸せにしてやってくれ、と頼まれた。
夢ではなかったのだ。
ジュリアンは今年32歳になる。これまで、結婚したいと思った相手はいなかったが、まさか、向こうから話がくるとは思いもよらなかった。ましてや国王の愛娘、アナスタシア王女だ。
これは陛下の命令なのだ。断ることはできない。
ジュリアンは胸に手を当てて、心より誓った。これより自分はキャクタス国とケイン国を結ぶ大きな役割を担う事になる。
キャクタス国の国王陛下は恐ろしい人物だった。結婚する事を報告すればすぐに呼び出されるだろう。
「王女にすぐ会いに行ってくれ、伯爵」
アーサー国王の言葉に我に返った。
「仰せのままに、陛下」
「無理を言ってすまないが、できるだけ早く婚姻をすませ、アナスタシアをサッサスへ連れて行って欲しい」
「え?」
ジュリアンは驚いて顔を上げた。
「アナスタシアは苦しんでおる。わしと妻を憎んでいるだろう」
「おっしゃられる意味がよく分からないのですが」
「アナスタシアは救世主ではない」
ジュリアンはよく考えて頷いた。
「恐れながら、存じ上げております」
そう言うと、国王の額にしわが刻まれた。
「そうか、そなたも知っていたか。王女は20歳の誕生日まで自分は救世主だと信じていた」
ジュリアンは茫然とした
まさか、あの王女はついこの間まで、本当に自分が救世主だと思い込んでいたのだろうか。
「アナスタシアは最悪な形で真実を知り、この国を出て行こうとしている。わしは可愛い娘を追いこんでしまった。どうか、アナスタシアを守って欲しい」
新たな真実にジュリアンは狼狽した。
ますますアナスタシアと話をするのが困難になってくる。
「あの、なぜ、わたしなのでしょうか。陛下には忠実な部下がたくさんおられますのに」
アーサー国王は首を振った。
「そなたこそ、アナスタシアにとってよき理解者となる男だ」
王はそれだけしか言わなかった。
「金が足りなければもっと十分な額を用意しよう」
「めっそうもございません」
ジュリアンは首を振った。これ以上もらうわけにはいかない。
「では、できるだけ早急に結婚式を挙げ、アナスタシアを祖国へ連れて行ってくれ」
国王の目に小さく涙が光った。ジュリアンは胸を打たれ深く頭を下げた。
部屋を後にして、まだ彼は混乱していた。
なんと滑稽な話しだろう。彼女は自分が救世主だと信じていた。
宮廷ではアナスタシアを頭の悪いまがいものの救世主と呼んでいた。
美しさを鼻にかけ、いつも幸せそうな顔をして、顎を上げて歩く姿を陰で笑っていた。
ジュリアンはそう言った陰口が大嫌いだったが、その彼ですら貴族たちが言っていたのを聞いたことがある。
国王は苦しんでいるように見えた。
ジュリアンは足を止めて、ため息をついた。
厄介な花嫁は大きな問題を抱えているらしい。
おそらく貴族たちの陰口を聞いて、傷を負った状態なのだ。そんな彼女をどうやってなだめればよいのか。ただでさえ、わがままな女は苦手だと言うのに。
ジュリアンの足はどんどん重くなり、途中で止まってしまった。
このまま時を戻して、城に戻りたい気持ちになった。
アナスタシアのいる書斎まで案内され、初めて口をきく段階になって、ジュリアンは大きく息を吐いた。
まず、自分の服装を見る。割と派手な衣装だ。いつもなら、こんな服装はしていない。流行りの服だそうだが、できるなら彼女に誤解をさせたくなかった。毎日、こんな恰好でうろうろしているとは思われたくない。
ジュリアンはそう考えて、よほど理由をつけて逃げようと考えている自分に気づいた。ここまで来て怖気づいている。
相手は国中で一番のわがまま王女だ。心してかからねばならない。10歳以上も年下の女性に対して、こんなに緊張するなんて。
ジュリアンがもう一度息をつくと、従者が首を傾げた。
「閣下、ご気分がすぐれないのですか?」
「いや、大丈夫だ」
澄まして答えると、従者が部屋をノックした。
扉が開かれる。お辞儀をして中に入った。てっきりアナスタシア一人だと思っていたのに、ソファに若い男が二人とアナスタシアよりさらに若い少女が一人いた。
アナスタシアはにっこり笑って自分を見ている。ジュリアンは眉をひそめた。しかし、礼儀作法に則り、自己紹介をした。
「初めてお目にかかります。ジュリアン・リンジーです。アナスタシア王女」
「フォード卿、よく起こし下さいました」
アナスタシアがツンと澄まして答えた。そして、彼が何か言う前に三人を紹介した。
「彼らはわたしの友人です。きょうだいのテオとミア。そして、ケイン国ヘンリー皇太子です」
「え?」
ジュリアンは三人を見て顔をこわばらせた。
「皇太子がなぜここに?」
「あなたに頼みがあるのよ。フォード卿」
ジュリアンはムッとした。挨拶をして数秒なのに、いきなり頼みごとか。
「何でしょう、王女様」
そう言うと、アナスタシアの頬がぴくりと引きつった。
「あなたはキャクタス国にお住まいね」
「ええ、まあね」
「この三人はキャクタス国に用があるの」
だから何なのだ、と言いたいのを我慢する。
「結婚したら、わたしと共に三人も連れて行って欲しいの。あなたのお城ってとっても大きいのでしょう?」
何も知らない王女の口から勝手な言葉が次々と飛び出してくる。
どうして俺が見ず知らずの男女を城に連れて行かねばならないのか。
ジュリアンは大きく息をついた。
「まずは、詳しい話をお聞かせ下さいませんか」
アナスタシアがむっとしたのが分かった。美しい女は気持ちがすぐ顔に出るらしい。
彼女が何か言いかけた時、ヘンリー皇太子と紹介された男が優雅にお辞儀をした。
「フォード卿、きちんと自己紹介もせず、無礼を働き申し訳ありません。我々は救世主を探して旅をしているのです。アナスタシア王女がそのお手伝いをしてくださると申し出てくれたのです」
「救世主?」
王子のくせにずいぶんと腰の低い男だと思った。
本当に皇太子かどうか、怪しく見える。
「救世主と俺の城に何の関係があるんです?」
ジュリアンが不快そうに言うと、アナスタシアの顔がこわばった。
「あなたはキャクタス国の領土をお持ちだと聞いた」
正確には元ダイアン国の領地だがな、とジュリアンは言葉にしてはならない呪いの言葉を呟いた。
サッサスは、元はダイアン国の一部だった。
だから父は恐れたのだ。これ以上の襲撃には巻き込まれまいと。
しかし、サッサスが元ダイアン国であることを知っている者はほとんどいない。
「それが何なのです? 俺の領地に何か用が?」
「何て言い方なの?」
突然、アナスタシアが大きい声を上げた。
「ん?」
「こちらが腰を低くして頼んでいるのに、あなたは冷たい人ね」
「アナスタシア…」
少女が王女の手を取った。少女の方が分別があるようだ。
「ごめんなさい。あなたに迷惑をかけるつもりはないんです。ただ、そこに行けば何か分かるのじゃないかと思ったの」
「話の先が見えないのだが、君たちは何者なんだ」
皇太子と少女が顔を見合わせる。すると、もう一人の若者が間に入った。よく見ると、三人共薄汚い格好だ。
「お前たちは浮浪者じゃないのか」
「やめてっ」
アナスタシアがまた怒った。
大きい声を出せば、誰もが言う事を聞くとでも思っているのだろうか。
頭が痛くなってくる。
ジュリアンはついつい、いつもの癖で腕組みをした。
「アナスタシア王女、俺がここに来たのは、あなたと婚約をするためだ。国王のご命令で、あなたと結婚するように仰せつかった」
そう言ってから、しまった、少し言いすぎた、とジュリアンは後悔した。
アナスタシアの可愛い顔がたちまち歪み、白い肌が青ざめ、愛らしい唇がわなわなと震えた。
怒りで失神するかと思ったが、気丈にも彼女は倒れなかった。
握りこぶしをしてその場に踏ん張り、ラベンダー色の瞳でジュリアンを睨んだ。
「知ってるわよっ!」
やれやれ。
ジュリアンは肩をすくめた。
まるで子どもの相手をしているようだ。
その時、二人の男が顔を見合わせて息を吐いた。
「後で君と話がしたい」
皇太子が低い声で言った。
※※※※
「泣かないで、アナスタシア」
ミアが優しく声をかけてくれる。
それがうれしくもあったが、さっきの伯爵の言葉を思い出すと、悲しみが深まった。
あんな人だったなんて。
口が悪くて冷たい人。
目つきも悪いし、声も低くて威圧的。その上、あんなに体が大きかったなんて…。
アナスタシアは、フォード伯爵の事を思い出して身震いした。
テオやヘンリーも長身でたくましいが、フォード伯爵はさらに筋肉質の体格だった。
伯爵のくせにまるで兵士のように腕も太く筋肉も引き締まっていた。
こんなに近くで見たのは初めてで、見惚れてしまったことを知られたくなくて、つい、高飛車にしてしまったら、それが気に障ったのだろうか、ずっと怖い顔をしていた。
それからは最悪だった。
国王に命令されたから、結婚してやると言ったのだ。
分かっていたが、あの言葉は胸に突き刺さった。
あの顔だもの。きっと領地には愛人がいるに違いない。
自分は飾りのように扱われるのが目に見えた。
落ち込んだ後、ミアが心配そうにこちらを見ている。
アナスタシアは少しだけ笑った。
「ごめんなさい、泣いてばかりね」
「わたしたちのためにあなたの立場が悪くなったんじゃない?」
ミアが心配そうに言った。アナスタシアは首を振った。
「もう、いいのよ。話したのも初めてだけど」
「えっ、初対面?」
「いいえ、顔くらいは知っているわ。けれどあの人、わたしにはダンスも誘ってくれなかったの。きっと興味がないのよ」
「王女様だから、気おくれしたのよ」
ミアはそう言ったが、そうではないと分かっている。だって、他の男性は逆に王女とダンスをしたがるものだ。
「メソメソしてばかりじゃ駄目ね。彼の事はヘンリー皇太子たちに任せるしかないわ。ね、ミア、あなたにドレスをあげるわ。いつまでもそんな恰好ではおかしいもの」
彼女はいまだに身代わりのドレスを着ている。
アナスタシアはへとへとだった。夕べはあまり食事もしていない。
ミアも少し疲れて見えた。
「まずは体を洗うといいわ」
ミアにそう言うと、彼女の顔が曇った。
「また、あの人たちにゴシゴシと洗われるの?」
「まあ…っ。いいえ、ごめんなさい。嫌な思いをさせたのね。もう、二度とさせないわ。一人でゆっくりとお湯に浸かって」
たちまちミアの顔がほっとした。
ミアのために客室を用意させると、ミアは喜んで部屋に入って行った。
一人きりになってほっと息をついたものの、両手で顔を覆った。
フォード伯爵に完全に嫌われた。
本当は、自分も宮廷の女性たちと同じように、謎めいたフォード伯爵に憧れを抱いていた。
あんな素敵な人、城の中でもそうそういない。
野性的だけど魅力ある顔つき。滅多に笑わないけど、いとこのエドワード・バランにはよく笑いかける姿を見たことがある。
たくましい腕と誰もがうらやむ長い足。
どうして、あの方はわたしと目をあわせてくれないのだろう。
いつも思っていた。
ダンスが下手なわけじゃないのも知っている。だって、他の人と踊っているのを見たことがあるから。
マレインから、フォード伯爵が運命の相手だと言われた時は、誰にも絶対に知られたくなかったけど、本当はすごく嬉しかった。
結婚したら、優しくしてくれるかもしれない。けれど、彼はそうじゃなかった。
アナスタシアは何度もため息をつきながら、暗く考えるのもいい加減にして、バスタブでゆっくりと体の汗を流そうと考えた。
すぐに入浴の用意をしてもらってドレスを脱ぐのを手伝ってもらい、コルセットを外した。外した瞬間、締め付けていた体の血が巡り始めて呼吸が楽になる。
ほうっと息をついて、熱いお湯の中へ体を沈めた。
今日はとても疲れた。
明日また、彼に会えるのだろうか。
今度、会った時少しは穏やかな会話をしたい。
今日のわたしはまるで10代の子供みたいだった。きっと誤解されている。
アナスタシアは思い出して自分のふるまいを恥ずかしく思った。
ああ、もう、わたしったら本当にサイテー。
ぶくぶくとバスタブに頭まで浸かった。
それから体をきれいに洗い、髪を洗ってから、バスタブから上がると、用意してあったドレスに着替えた。夕食用のドレスは淡い薔薇色の花模様のドレスだ。
それを身につけながら、またもやフォード伯爵の事を思い出した。
夕食にはいらっしゃるだろうか。
どんなに嫌われていても、やっぱり顔が見たいと思った。