見覚えのある場所
目を開けると、真っ暗な場所にいた。とても眠たかった。もっと目を閉じていたかった。
ミアは体を抱きしめるようにして、それからも目を閉じていた。暑くも寒くもない場所で静かだった。床はつるつるしている。まだ、目を開けたくない。目を閉じたままじっとその場から動かなかった。すると、突然、鳥のさえずる声がして、ハッと目を開けた。辺りを見渡すと、そこは見覚えのある場所だった。あの時代にはないフローリングの床。木材でできた背もたれのある椅子。頭上には頑丈な机が並んでいる。そして、整列した本棚。
ゆっくりと体を起こした。頭はすっきりしていた。いまだ信じられず、気がつけば息を止めていた。
苦しくなって息を吸い込み、肩にかかる金髪に近い茶色い髪の毛と、真っ白のドレス姿とヒールを履いているのに気付いた。
ミアのままだった。
驚いて自分の顏に触れる。何も変わっていない。
どうして? 何が起きているの?
立とうとして足をくじいたことに気づいた。痛みに顏をしかめ、無意識に足首をさすると、すぐに痛みが消えた。力もそのままだ。
ミアは愕然としながらも、そばにあった机に手をかけて体を立たせた。息を吐いて誰もいないことを確認する。
信じられないけれど、あの図書室だった。
戻って来た。
13年もたったのに、ミアは戻って来てしまった。
へなへなともう一度、床に崩れ落ちた。頭を押さえて、これは夢だ、と言い聞かせた。しかし、夢ではなく、姿形はミアのままだった。
いったいどういう事だろう。
お腹に手を当てると、硬い物がある。そっとめくると、虹色にきらめく宝石があった。
色が変わっている。しかも、赤、透明、黄色、ピンク、と様々な色に変わっている。ミアと同様に混乱しているみたいだった。
「何なの、これは…」
はは、と思わず笑みが出て泣きたくなった。
これからどうすればいい?
わたしはいったい誰なの?
ぼうっと床を見ていると、図書室のカギを開ける音がした。ハッとしてどこかへ隠れなくてはと焦ったが、隠れる間もなくドアが開いてスーツ姿の男性が入って来た。
机の下で隠れようともがくミアを見て、男性が足を止めた。
「誰だ! 何をしているっ」
鋭く叫び男性はゆっくりと慎重に近づいて来た。ミアは恐怖のあまり動けず体を小さくさせて、そっと相手を窺い衝撃を受けた。
この顔を見たことがある。
わたしだ。
少年だった春人が大人になっている。
「嘘だろ…?」
男性がぽかんと口を開けて立ち止った。
「まさか、ミア? 君か?」
「え?」
わたしは自分の耳を疑った。
男性は今、なんて言った?
「信じられない。どうしてここにいるんだ」
そう言ってから彼はハッとして身を翻し、図書室のドアに鍵をかけると、おびえているミアに近づいてきてゆっくりとしゃがんだ。
「怖がらなくていいよ、ミア。俺だよ…てのも変だな。えっと、俺は君だから。分かっているから」
大人のわたしがわけの分からないことを言っている。
ミアは目を開けているのがしんどくて、ふっと意識を失った。
※※※
「大丈夫かな、病院に行かなくていいんだろうか」
男性の心配そうな声。
「大丈夫よ。だって、彼女は治癒能力を持っているのよ」
若い女の人の声。
「それより、あなた授業はいいの?」
「今日はたまたま休みの日なんだ」
「……だったらどうしてスーツ着てるの? 休みだったら頼みたい事たくさんあったのに」
「図書室に用事があったからミアに会えたんじゃないか」
「それとこれとは別でしょ」
「あ、起きた」
ひそひそ声がやんで目を開けると、長い髪を後ろに一つにくくり、薄いピンクの口紅をした若い女性がにこにこと笑いながら、じいっとミアの顔を見つめていた。ミアは瞬きをして、体を竦めた。
「こら、茜、おどかしちゃダメだ」
「ごめんごめん」
大人の彼がふっと現れて、ミアの顔を覗き込む。
「ミア、起きられる? 大丈夫かな」
ミアは頷いてゆっくりと体を起こした。今度は場所が分からなかった。
「ここは…?」
「使われていない教室だ。いや、参った。急に意識を失うから焦ったよ。でも、生徒たちが来る前でよかった」
彼がほっと息をついて、頭を掻いた。
「気を失った君を運ぶのは無理だったから、彼女を呼んだんだ。ここは学校さ」
「2人で抱えたの。あなた軽いから彼だけでも平気だったんだけどね」
「よく言うよ」
彼が口を尖らせて女性を軽く睨んだ。
「あの……」
「ごめんごめん、彼女は俺の奥さんだ」
「奥さんっ?」
ミアはあんぐりと口を開けた。
結婚しているなんて…。想像もしなかった。
すると、大人のわたし、いや、ここからは春人と呼ぶことにする。春人が照れたように頭を掻いた。
「まさか、君が戻ってくるなんて思わなかったよ」
「茜よ。よろしくね、ミア」
春人の奥さん、茜が手を差し出した。ミアが手を出すと、彼女がしっかりと握りしめた。
「春人からあなたの話を聞いて、いつか、戻ってくると思っていたわ。ね、春人、ミアを助けてあげられるのは私たちだって言ったでしょ」
茜が確信を持って春人に言う。ミアには何が起きているのか全然わからなかった。
「ミア、君と俺が入れ替わって13年の時が過ぎた。俺は……そう、元はミアだったんだ」
入れ替わっていた?
ミアが目を丸くすると、二人がゆっくり説明をしてくれた。
「13年前……。私と春人が出会ったのは5年前だけど、彼から聞いたのよ、あなたたちの不思議な話を」
「3歳だった頃のミアだった俺が14歳の君と入れ替わった時の衝撃は想像できるよね?」
春人が自信なさげに私の顔を覗き込む。
ミアは頷いた。
当然だ。入れ替わっていたなんて知らなかったが、ミアも争いの真っただ中に放り込まれ、死ぬかと思ったのだ。春人はミアの様子を窺いながら説明してくれた。
「3歳児のミアだった俺が、別の世界の男の子、ましてや中学生になるなんてありえないよね。最初はわけが分からなかった。言葉が分からないからずっと泣き続けていて、両親は病院に連れて行ったが、それも原因が分からずでね。学校にも行けず、ずっと家で過ごした。そのうち俺はこの世界の事が理解できるようになり、中学を転校して新たな場所で生活を始めたんだ。それから、中学の教師になった。今は図書室の先生さ」
「この人、あらゆる本を読むのよ。私も同じなんだけど、まあ、本繋がりで出会ったんだけどね。あなたと春人の異世界ファンタジーを聞いてから、もう夢中になったわ。きっと、春人とミアはもう一度会えると思ったの」
「どうして……」
「え?」
茜さんが首を傾げた。
「どうしてわたしは……ミアのままなんですか?」
そう聞くと、二人が顔を見合わせた。そして、真剣な顔でミアに教えてくれた。
「それはあなたが本当にミアだからよ」
「俺は君と入れ替わっても、君と同じように男を好きになったりはしなかった。言っておくけど、俺は差別をしているつもりは全くない。男が男を好きになることがおかしい、って言ってるんじゃないんだ。そこだけは強調して言う」
茜が春人を突いた。
「ここは私たちすごく話しあった部分よ。とっても重要なの」
「つまり、本来、ミアとして生きるはずの君は、どういうわけか春人として生きてきた。君はずっと居場所がなかったんじゃないか? 俺はこの世界にすごくなじんでいる。ここが俺の世界だからだ。すべてが大事で、俺はここで生きるために生まれてきたと感じている。だが、君は違った。そうだろ?」
ミアは息ができなくなるほど苦しかった。苦しくて、気がつけば唇を噛みしめていた。すると、茜が優しく肩を撫でてくれた。
「ミア、あなたの今の姿が本当の姿なのよ。あなたはミアなの。あなたと春人は世界を間違って生まれてきた。それが何かのきっかけで本当の自分たちに戻れたの。だから、自信を持っていいの。あなたはミアなのだから」
「……いいの?」
鼻がツンとして泣きたくてたまらなくなった。
女の子に生まれたかった。男の人しか好きになれない自分を許し、そして、守ってあげたかった。
「ミア……」
茜がそっとミアを抱きしめてくれた。
「辛かったね。ミア、あなたはよく耐えたわ」
茜の言葉を聞いて、押しとめていた涙が崩壊した。
ミアは泣けるだけ泣いた。その間も二人はそばにいて、慰めてくれた。ようやく落ち着くと泣いたことが恥ずかしかった。茜が優しく頭を撫でてくれ、春人が寂しげに笑った。
「ミア、ここにいちゃいけない。君の居場所はあっちなんだよ」
「そうよ。寂しいけど、早く向こうへ帰るべきだわ」
「でも、どうやって帰るの?」
尋ねると、春人がカバンから何冊か本を取りだした。
「茜に家から持って来てもらったんだ。これは、君の世界について書かれた物語だ」
「あなたと春人が入れ替わった話を聞いてすぐに私が調べたの」
ミアは唖然として茜を見た。
「本当に?」
「春人は3歳だった。けれど、かすかに覚えている記憶を頼りに聞いてみたの。彼はどこかであなたと繋がっていたのね。これは『カクタス国物語』と言うタイトルのおとぎ話だけど、この中に、黒い空飛ぶ獣の話があって、春人の記憶に近いことに気づいたの」
「これらの本が何かの手がかりになるといいんだけど」
本は5冊あった。
一つは『カクタス国物語』。もうひとつは、怪しげな預言書。もう一冊は残酷な表紙で理解できないタイトル。もうひとつは『アナスタシア王妃』そして、もう一冊は、あの、アメリアの持っていた聖歌だった。
「これ……」
ミアは聖歌を手に取った。
「それにする?」
茜に尋ねられ、ミアは首を振った。
「これを持って行ってもいい?」
尋ねると、二人は一瞬黙り込んだ。そして、春人が苦しそうにぎゅっと目を閉じた。茜がその背中を叩く。
「ほら、男でしょ!」
「い、いいよっ」
よほど大切な本だったのだろうか。
「ごめんなさい…」
「いいのよ。大丈夫、心配しないで」
茜がにこっと笑った。
「ラテン語だし、読めないから」
中を開いて見ると、懐かしい文字が飛び込んできた。ミアは目を閉じて歌を口ずさんだ。二人がハッと息を止めた。歌い終えると、茜と春人がうっとりとした顔でミアを見ていた。
「はあー、なんて素敵な声なの」
「これは歌なんだね」
二人はほうっと息を吐いた。
「なんて言っているの?」
――英知の力よ
あなたは巡る
全てを包み込みながら
アメリアの魂と向き合っているような気がした。
「ありがとう」
聖歌を胸に抱きしめた。ミアを呼ぶ声が聞こえた。
――ミア…。
「呼んでる」
二人に声は聞こえていないようだった。
――戻って来て、ミア!
「行かなきゃ」
本の中から声が、ミアを呼んでいた。
「もう会えないのね、ミア」
茜が泣いていた。そして、ミアをぎゅっと抱きしめた。
「強く生きて、頑張ってね」
「ありがとう」
二人に心からお礼を言った。
春人がミアの肩をぎゅっとつかんだ。
「頑張れ!」
「うん」
ミアは頷いた。
「アナスタシアだわ、彼女が呼んでいるの」
ミアが言うと、春人が『アナスタシア王妃』と書かれている本を開いた。
手を差し出すと、開かれた本から強いパワーを感じた。
同じ感覚だった。
今度は安心していくことができる。
わたしの体が本の中に吸い込まれる。
ありがとう。春人、茜さん。
ミアは振り向いて手を振った。もう、二人の姿は見えなかった。
涙が少しこぼれた。
もう会えないんだね。
さようなら、わたし。
さようなら、わたしの中の君。
ありがとう。
でも、きっと、どこかでまた会える。
わたしたちはこの本を通じて、また、会える。
テオ!
ミアはテオにまた会える喜びを噛みしめた。
彼の顏が見たかった。テオの事を思い出すだけで体が熱くなり泣きそうになる。早く彼の元へ戻らなきゃ。ミアは引き寄せられるように、異世界へと飛び立った。
×××××
君は思いだしただろうか。
異世界へ召喚されるまでの、あの時の気持ちを――。
ある国の王女の物語はまだまだ先であるが、君がなぜ異世界へ飛ばされたのか理由は解明できただろうか。
君はミアだ。
わたしが証明する。
さて、これより先の話は別の人物が主人公となる。
君の気持ちはミアのままでもいいし、もう一人の重要人物でもいい。
探るべき謎はまだまだたくさんある。
君はこれからもわたしと共に謎解きに進んで欲しい。
ある国の王女の願いを届けたい。
わたしの気持ちと共に――。
第1部ミア編 了