『古代史 結婚制度』平安時代〜室町時代まで
おはこんばんちは!
さて、今回は古代の結婚制度の話じゃな!
何せ古代史では庶民の暮らしぶりは分かりにくいので、貴族や武家の話から見て行こうかの?
平安時代〜室町時代時代に掛けては、女性が家督を継ぐのが日本の風習じゃった
だから貴族の間では男性が【通い婚】(女性の家に男性が通う)で結婚するのが普通じゃった
これは女性が家督を継ぐからで、男性は今で言う婿養子に入る形が普通じゃったのじゃよ
これは室町時代までの武家も変わらないんじゃよ?
有名な『北条家』の【北条政子】は鎌倉幕府開祖の【源頼朝】の正室(本妻)じゃが、源頼朝は貧乏侍で、北条家の財力によってあそこまで成り上がったのじゃよ?
じゃから嫁の北条政子に頼朝は頭が上がらず、嫁に借金していた事も有名なエピソードじゃ(笑)
嫁が財布の紐を握るのは、日本の伝統なんじゃよ!
それで昭和初期までは上手く行っておったからの?
戦国時代(室町時代後期〜江戸時代初期)においても、城の留守は正室が預かるのが通例で、主不在の間は嫁が城の全てを取り仕切っておったのじゃぞ?
日本での女性の地位は、古代の『卑弥呼』の時代から高かった事が分かるじゃろう?
ちなみに『天皇家』に限っては【男系男子】が家督を継ぐのが通例だったが、特例として【男系女子】(推古天皇など)が家督を継いだ事もあったのじゃ
男子が家督を継ぐように成ったのは、【儒教】の影響が出だした戦国時代初期の頃に成るの
これは戦乱の時代と言う事も有り、男子が優遇された影響も大きいと考えられるの?
ちなみに戦国時代に家督をついだ有名な女性として、【立花誾千代】がおる、後に高橋紹運(大友宗麟の宿老・吉弘鑑理の次子)の長男である宗茂と結婚し、家督を宗茂に譲っておる
さらに有名な女性として井伊 直虎がおるの
彼女は生涯未婚で、息子の【井伊直政】は養子なのじゃ
そのため、異様に男性オタ人気が有るのじゃ(笑)
この様に日本では『かかあ天下』と言われるくらいで女性の地位は他の国に比べても非常に高かった
妙なウーマンリブ(女性解放運動)に毒されたおばさんが変な事を言っておるが、騙されない様にせんとイカンぞ?
さて、今回の『古代の結婚制度』はこれまでじゃ!
次回もお楽しみにの?