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アホ・ロートル先生の『大人の事情で先生が教えない歴史』  作者: 阿呆澤大学名誉教授 アホ・ロートル
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『インドネシア独立と日本軍』

 おはこんばんちは!


 今回はインドネシアがオランダから独立する際に、日本軍人がどんな役割やくわりを果たしたか、解説して行こうかの


 『インドネシア』は長い間『オランダ』の植民地だったのじゃよ 


 それを第二次世界大戦当時、日本がゴムなどの資源しげん獲得かくとくのために、インドネシアのオランダ軍やオランダ人を追い払ったんじゃな


 当時はアメリカの主導で、日本への資源輸出が制限せいげんされておったから、こうでもしなければ、日本は完全にお終いの状況だったのじゃ


 そして日本軍が太平洋戦争(正しくは大東亜戦争)に敗戦してから、オランダがインドネシアを再び植民地化しようと攻めて来た時、日本軍人がインドネシアの完全な独立の為に、現地に残って戦ったんじゃよ


 ちなみにオランダの植民地時代は、

強制栽培制度=19世紀、耕地こうち面積の5分の1はコーヒー茶などオランダ向けの生産物を強制的に栽培さいばいさせたのじゃ


 このため、多くの村が崩壊ほうかいし、食料自給体制は解体かいたい餓死者がししゃが続出し平均寿命じゅみょうは35歳にまで低下したんじゃよ


 が、オランダが得た利益りえきは実に国家予算の3分の1を占めたのじゃ!!

 

 例えば、ジャワ・マドゥラ地方の人口の半分に当たる400万人が強制栽培に従事じゅうじさせられた


 稲作の減少による米価の高騰こうとうまねき、1850年には強制栽培に凶作きょうさくが重なり飢饉ききんが起こり、ドゥマックの村は人口が33万6000人から12万にゴロボガン村では人口8万9500人が9000人に減少とヒドい有様じゃよな?


 そんな所に日本がオランダ人を追い払った上に、農業、漁業、造船、工業、医学などの専門、訓練学校を設置し、わずか3年半で当時600人しかいなかった知識人(国家エリート)を最終的に10万人育成したんじゃ!!


 そりゃあ感謝されるわなぁ?


 そんな訳でインドネシアには旧日本軍の銅像が建っており、お祭りで日本の軍歌を歌う風習も残っておる


 しかも終戦後、日本軍をやめた日本人がインドネシアに残ってインドネシア人を軍事ぐんじ教練きょうれんし、再び侵略に来たオランダ軍を、旧日本軍人が指揮を取って戦い、見事に撃退げきたいしたんじゃよ!


 その時に亡くなられた日本人や生き残ってインドネシアで余生よせいを過ごした日本人のお墓が、現地で大切にされておるんじゃよ


 さて、旧大日本帝国軍は、本当に極悪ごくあく非道ひどうの人達だったのかの?


 良〜く考えて見て欲しいぞい!


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