『支那事変(しなじへん)【日中戦争】に至る経緯』
おはこんばんちは!
今回は支那事変【日中戦争】に至る経緯を解説するぞい!
まず日清戦争が終わり、【清】はいよいよ国力を失い、内乱が激しくなって行くのじゃよ!
そんな中、中国の新興宗教団体が義和団の乱を起こし、日本政府は北京在留日本人保護のために軍を派遣したのじゃよ
これが日本軍の中国進出の始まりじゃな
その後日露戦争が勃発し、小国だと思っておった日本がロシアに勝利した事に驚い清国は、日本に優秀な学生を留学させたのじゃよ
その中の一人が『孫文』で、後に中国国民党を作るのじゃよ
そして第一次世界大戦が勃発!
日本は勝利した訳じゃが、いまだ安定しない中国は中立の立場を取り、静観しておったのじゃよ
大戦後は再び中国の内乱が激化したのじゃよ
そんな中、満州事変が起こったのじゃな
簡単に満州事変の日本側の主徴を解説するとじゃな、【満州鉄道を襲う匪賊【ごうとう】やテロ組織が満州鉄道を常日頃から攻撃するので、その報復として反撃した】と言う事じゃ
関東軍【当時の日本の中国進駐軍】の策略などとも言われておるが、真相を解説するには、チト早いかの?
その後『盧溝橋事件』が発生!
そして中国軍人による、在留日本人惨殺事件の通州事件や済南事件が発生し、日本国民の怒りが中国に向けられて行くのじゃよ!
『盧溝橋事件』とは、日本軍が盧溝橋で演習をしておった所へ、中国軍(国民党軍)が砲弾を2発打ち込んだ事から始まったのじゃが、日本軍は中国軍の攻撃を何時間もガマンしたのじゃが、その後の日本軍と中国軍の話し合いを無視して、中国軍が盧溝橋から撤退せず、それどころか軍を追加したんじゃよ!
それに怒った日本軍が、日本政府に再三反撃の許可を要請したのじゃが、日本政府は「事を荒立てるな」の一点張りじゃったのじゃ
それにガマン出来なくなった日本軍が、とうとう反撃をしたのが支那事変【日中戦争】の直接のきっかけとされておるのじゃよ?
さて、大ざっぱでは有るがここまでの流れで、果たして日本側が一方的に中国を侵略したから『日中戦争』が起こった様に見えたかの?
先生にはそう思えんが?みんなはどう思うかの?
では、また次回をお楽しみにの?




