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アホ・ロートル先生の『大人の事情で先生が教えない歴史』  作者: 阿呆澤大学名誉教授 アホ・ロートル
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『日露戦争 その2』

 おはこんばんちは!


 今回は『日露戦争にちろせんそう』の続きじゃぞい!


 さて、その後どうなったのか?早速追って行こうかの?


 一方、高宗や両班やんばん【役人と貴族を表す、選民階級せんみんかいきゅうの事】などの旧李朝支配者層は日本の影響力えいきょうりょくをあくまでも排除はいじょしようとこころみ、日露戦争中においてもロシアに密書みっしょを送るなどの外交を展開てんかいしていった。戦争中に密使みっし極秘ごくひの使い】が日本軍艦にほんぐんかんにより海上にて発見され、大韓帝国は条約違反じょうやくいはんおかすという失敗しっぱいに終わっておるのじゃ


 大韓帝国は、日本との条約をやぶってロシアと密約みつやくを結ぼうとしておったが、失敗しておるのじゃよ


 さて、ここまでの流れで日本に何らかの落ち度があったかの?


 先生には学校の先生や現在の韓国が言う様な、『日本が朝鮮を侵略した』などと言う事実は微塵みじんも見受けられないがの?

 

 これを読んだ友達はどう思うかの?


 当時の『大日本帝国だいにほんていこく』は、戦争を回避するためにロシアとも穏便おんびんに事をませようとしておったのじゃが、ロシアがこの様な事をして、何が何でも朝鮮半島や日本を侵略しんりゃくしようとしておったのじゃよ!


 当時の日本には列強諸国れっきょうしょこくと戦えるだけの力はなく、政府内では伊藤博文いとうひろぶみ戦争回避かいひ派が主流を占めたのじゃ


 ところがロシアは露清密約ろしんみつやくを結び、日本が手放した遼東半島りょうとうはんとうの南端に位置する旅順りょじゅん大連だいれんを1898年(明治31年)に租借し、旅順に太平洋艦隊の基地を造るなど、満州への進出を押し進めていったのじゃよ


 日本側は『伊藤博文いとうひろぶみ』【初代総理大臣しょだいそうりだいじん】を始めとして戦争は無理だと反対しておったのじゃよ!


 これは『第二次世界大戦』【正式には大東亜戦争だいとうあせんそう】における、日米関係も同じなのじゃよ?


 これはまた改めて解説しようかの


 1900年(明治33年)にロシアは清で発生した義和団ぎわだんの乱(義和団事変、義和団事件)の混乱収拾こんらんしゅうしゅうのため満洲へ侵攻しんこうし、全土を占領下せんりょうかに置いたのじゃよ!


 ここにも、当時のロシアの侵略行為しんりゃくこういがあらわれておるよの?


 と言う訳で『日露戦争』は日本が何とか戦争を回避かいひしようとガンバっておったのじゃが、ロシアの執拗しつような侵略行為でやむにやまれず開戦かいせんに至ったと言うのが真相しんそうなのじゃよ?


 もし、ご先祖様がロシアから日本を守ら無ければ、今頃日本はロシアの一部地域だったかも知れんのじゃぞ?


 その後『日韓併合にっかんへいごう』や『満州事変まんしゅうじへん』へと日本は向かって行くのじゃが・・・


 それは次回以降をお楽しみにの?

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