『明治維新〜日清戦争まで』
おはこんばんちは!
今回から近代史編に突入じゃ!!
まずは明治維新〜日清戦争までの歴史を見て行こうかの?
西南戦争【日本最後の内乱、西郷隆盛と士族の者達が起こした】後、『清』【当時の中国】と日本は、朝鮮半島を巡って激しく争っておったのじゃよ
明治27年に朝鮮半島で起こった『甲午農民戦争(別名、東学党の乱)』で日清両国が朝鮮半島でにらみ合いをする羽目になったのじゃ
理由は『東学党』と呼ばれる農民の組織が、当時の朝鮮王に不満を訴えて蜂起し、朝鮮政府軍をあっと言う間にやっつけてしまい、慌てた朝鮮王の后の閔妃が清に救援を要請し、『天津条約』に基づいて、日本も朝鮮半島へ出兵した結果、日清がソウル(朝鮮の首都)で睨み合う結果になった訳じゃな!
その後反乱が収束し、朝鮮は日清両軍の撤兵を申し入れるたんじゃが、両国は受け入れずに対峙を続けよった
日本は清に対し朝鮮の独立援助と内政改革を共同でおこなうことを提案し、イギリスも調停案を清へ出すが、清は「日本の撤兵が条件」として拒否しよったのじゃよ!
そもそも長年【1000年以上】中国の属国だった朝鮮半島を、日本はロシアや清から自国を防衛するためにも、独立させたかったのじゃな
どうしても撤退しない
清軍に困り果てた朝鮮は、日本に清軍の撤退の協力を要請し、それが原因で『日清戦争』が始まったのじゃよ
当時の世界各国は、日本が清に当然負けると思い込んでおったのじゃよ
何せ清の方が、日本より国力が上だったからの
しかし、日本は最新兵器や明治維新以来の『富国強兵』【国を富まし、軍備を強化する事】のおかげで、終始日本側有利で戦争が終結したんじゃよ!
これには世界も驚いたのじゃ!!
そして勝った日本は台湾を清より割譲【譲り受ける事】されて併合【植民地では無く、日本国内と同じ扱い】し、遼東半島を割譲される戦果を得たのじゃ
所がロシア・フランス・ドイツが日本に対して清への遼東半島返還を要求し、その後、日本は三国の要求を受け入れたのじゃよ
これを『三国干渉』(さんごくかんしょう)と言う
そしてこれが後に、『日露戦争』へのキッカケの一部となるのじゃ!
と言う事で、今回大事な事は、日本は朝鮮半島を独立させたかったのであって、侵略するつもりは無かったと言う事じゃな!
では、今回の『明治維新〜日清戦争』はこれまで!
次回もお楽しみにの?




