『朝鮮通信使の真実』
おはこんばんちは!
今回は『朝鮮通信使』を解説して行こうかの
朝鮮通信使と言えば、『日本に文化を教えて日本人に大歓迎された』などと学校で教わった友達もおると思う
では、史実ではどうだったのじゃろうな?
いわゆる『朝鮮通信使』は、室町時代から明治初期まで行われておったのじゃよ
おそらくみんなは、江戸時代の話を教わったのではないじゃろうかの?
『豊臣秀吉』の朝鮮出兵の時期にとだえただけで、明治初期(日韓併合前)までは続いておったのじゃよ
では、朝鮮通信使は日本でどんな風に捉えられておったのじゃろうな?
確かに室町時代には、日本から大歓迎されたのは事実で、珍しい外国人使節団を見物にくる庶民が多かったのは確かじゃな
だか、ここからが問題なんじゃよ(笑)
実際に日本に来た朝鮮通信使の人達は、内心日本を文化の遅れた国だと思い込んでおったのじゃが、はるかに朝鮮より進んだ技術や文化を見て驚いたのじゃよ!
その赤裸々(せきらら)な気持ちを書いた旅行記が、江戸時代の第11回朝鮮通信使で来日した『金仁謙』の著書で『日東壮遊歌』(にっとうそうゆうか)なんじゃよ
内容は大まかに書くと、日本がうらやましい、にくい、日本を乗っ取りたいと言うものじゃな
朝鮮がこの時点で、日本よりはるかに遅れた国になっておる事が朝鮮人自身の手記で明らかになっておるのじゃよ
で、実際に朝鮮通信使が日本に来ると、鶏は盗むは、食器は盗むは、世話をしていた日本人女性を暴行するは、随行した対馬藩の藩士にツバを吐きかけてバカにするはで、それを見た日本の学者が、『朝鮮は礼儀作法にうるさいと聞いていたが、実際の朝鮮人は無礼千番だ!!』と書き残しておるのじゃよ
はてさて?日本に文化を伝えた人達のした事とは到底思えんがの?
朝鮮人が書いた手記にもれっきとした【証拠】が有るのだからの(笑)
の?朝鮮の事となると、『大人の事情』が盛りだくさんになるじゃろ?
なんでかの〜?どうしてかの〜?
それはアホ・ロートル先生の歴史解説を読んでいれば明らかになるじゃろう!




