『江戸時代 吉原の真相』
おはこんばんちは!
今回も楽しく歴史のお勉強じゃ!
今回は『吉原遊郭』とは、実際の歴史上はどういった所だっのか?解説していこうかの
まず大事な事は、当時の遊郭の主人が徳川幕府に吉原遊郭の造成を陳情【許可を貰うための申し出】した際に、かなり厳しい規則を設けていた事じゃな!
1.客を一晩のみ泊めて、連泊を許さない。
2.偽られて【だまされて】売られてきた娘は、調査して親元に返す。
3.犯罪者などは届け出る。
と言う事じゃ!
良く時代劇などで、貧しい農家や町民の娘が売られて来たりする表現が有るがの、親が口減らし【子供の数が大すぎて、養え無い】などの、やむにやまれぬ事情はさておき、人さらいや親を騙して【普通の仕事の様に】連れて来た者は、親元に返すと言う事になっておる
時代劇ではヤクザ者が騙して連れて来た娘も遊女(売春婦)にしている様に表現しているけど、歴史上はそんな事は無く、キチンと取り締まられておった事がわかるよの?
実は学校で教わった友達も居ると思うが、『従軍慰安婦』と呼ばれる者達も、だまされて連れて来られた者や、誘拐された者はキチンと親元に日本政府は返しておったし、何より当時の『従軍慰安婦』は許可が必要で、『身分証明書』が必要じゃったのじゃぞ!
犯罪で連れて来られた者は、戦争当時も江戸時代と同じで取り締まられておったのじゃぞ?
許可制だから、犯罪で連れて来られた者は直ぐにバレると言う事じゃな
そして江戸時代の吉原も、従軍慰安婦も、売春婦が客を選ぶ権利を持っておったのじゃよ?
嫌な客は相手しなくても良かったのじゃな?
時代劇や学校で教えられた従軍慰安婦とはかなり違うじゃろ?
そして江戸時代の吉原は、かなりのお金持ち以外は遊べる場所では無かったのじゃよ
じゃから、吉原遊郭街の入り口には厳重に人の出入りを見張る門が有ったのじゃが、その門の外側に、一般庶民が行けるやすい遊郭が軒を並べでおったのじゃよ
さらに金の無い者達は、夜鷹【街角に立つ非公認の売春婦】を買ったりしておったのじゃな。で病気に成ったりしておった様じゃの(笑)
日本における公認売春は、この様に経営側も政府(江戸時代は幕府)側も厳しく規則を設けて商売をしておったのじゃ!
時代劇や学校が教える『大人の事情で捻じ曲げられた従軍慰安婦』は嘘なんじゃよ(笑)
証拠資料なら、一部の図書館や国会図書館アーカイブスにもあるぞい!
当時の新聞資料なども参考になるじゃろうな!
とにかく、江戸時代の吉原や従軍慰安婦などは、大人の事情で学校では、かなり嘘八百になっておるから気を付ける事じゃぞ?
自分で疑問に思い、調べる事から勉強は始まるのじゃよ
では、今回の『江戸時代 吉原の真相』はこれまでじゃ!
『従軍慰安婦』は、また改めて解説するぞい
次回もお楽しみにの?




