『江戸時代 徳川宗春(吉宗と真逆を行った殿様)』
おはこんばんちは!
今回は前回の対比として、学校では大人の事情で教わらない、『徳川宗春』について解説して行こうかの!
『徳川宗春』は尾張藩、つまり今の愛知県の殿様じゃったから、もしかしたら名古屋の小学生は知っておるかも知れ無いの?
『徳川宗春』はちょうど『徳川吉宗』と同時代に尾張藩の藩主【殿様】じゃったんじゃよ!
彼は、徳川吉宗とは真逆の、町民文化を奨励して、城下町の経済を活性化させたのじゃよ!
つまり、政治に金が掛かるなら、経済を活性化させて税金や年貢の取れ高を増やそうとした訳じゃな!
まさに質素・倹約でお金を使わない様にした、『徳川吉宗』のやり方とは真逆のやり方じゃの
ただし、江戸幕府の政策に逆らう訳には行かないから、尾張藩自体はある程度質素・倹約をしていた様じゃの?
当時の天皇陛下は、『徳川宗春』が好景気を作り出せたため、『徳川吉宗』の『享保の改革』よりも支持しておったのじゃが、それが『徳川吉宗』の気に触ったらしく、尾張藩の内部から、「これはまずい」と思う家来が出て来て、宗春の失脚【殿様をやめさせられる】を画策されたりもしたようじゃの?
さて、歴史は繰り返すとよく言うがのぉ?
今の日本は『徳川吉宗』と同じで、政府がお金を使わず、税金を上げてしまいおって不景気にしてしもうたの?
こんな時は『徳川宗春』の様な政治家が必要なんじゃないかの?
景気が悪くて誰もお金を使わないなら、国がお金を使う以外、誰がお金を使って景気を良くするのかの?
みんなもこの二人の殿様のやった事を良く考えて見て欲しいぞい!
それでは今回の『徳川宗春』編はこれまで!
次回もお楽しみにの?




