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仮眠をしていたロウは目を覚まし、席から体を起こすのと同時に機内にアナウンスが響く。
「お二人共、着陸態勢を取ってください。そろそろ日本に付きます」
アナウンスの指示に従って席に取り付けられているベルトを腰に巻いて体を脱力させる。目尻が熱くなっていたことに気が付いて拭うと指が軽く湿り気を帯びた。
「………なんで?」
涙を流していた事に疑問が湧いたのか、それとも、もう見ることの出来なくなったあの輝く笑顔を思い出したからなのかは分からない。
目を閉じてももう夢を見ることは出来ない、もう一度見たくても見られなくなってしまい、再び目尻に涙が溢れてくる。日本に来ると聞いてから感傷的になっていることは自覚している。だからこそ、下手な行動を起こせば日本の地で死ぬかもしれないという死の予感を払いのけなければいけなかった。
日本、東京都大和田区羽田空港、機内から出た直後に妙な違和感が体を襲った。その違和感を感じ取ったのはロウだけでなく先に出ていたアレクも感じ取っていたようだった。
誰かに見られているような感覚。これはアメリカでワシントンに突入をした時に感じ取った違和感と同じものだった。つまり、ジークの言った通り、この日本の何処かにうたいびとが居るという事になる。
「見つかったか」
一人で呟くアレクにロウは特に反応は見せない。ここは既に敵地のど真ん中だ。この違和感を解くのならばその原因を断つ以外は他にないだろう。
二人はターミナルに出ると、一つもない車通りに黒いリムジンが図々しく注射されている。近くには一人の男が二人を出迎えるように車の傍で立っており、こちらに気が付くと会釈程度に挨拶を交わした。
「お久しぶりですアレク殿、ロウ殿。アメリカの奮闘はジーク殿からお聞きしました」
漢字一文字のような目はこちらを視覚しているのか疑いたくなるものの、これは彼の生まれつきたる所以だろう。腰には一振りの仕込み刀を帯刀している。中へと先導するように車のドアを開けて二人は入り、後に続くように男も入った。
「久しぶりだなタスク。その顔は元気そうだな」
「ええ、ロウ殿もお変わりなく。いや、どことなく消沈しておられるな。どうかいたしたのか?」
タスクの言葉にやれやれと言った風に息を吐き出して天井を見つめる。一、二カ月ぐらいしか顔を合わせていないのに分かるものなのだろうか? 隣に座っているアレクは訝しげにロウを見やり短く息を吐き出す。
「局長も元気なのか?」
局長、日本支部における最高指揮官と呼べる人物は、ロウと同じ日本人であり、この組織でのあの実験に四段階まで耐えきった男だ。
「あの老獪は簡単には死ぬような人ではないですな。まあその方が喜ばしいことですが」
局長であるのにこの言われようは酷い物だが、局長も若かりし頃は様々な経験を積んできているような人だ。俗にいう、裏の仕事をしていた人間だ。
三人は国会議事堂まで足を運ぶ道中にもおちびとになっている連中らを横目に見る。世界中に蔓延したウイルスによって生物災害が起きてしまうといった映画を見ているようだった。
想像の世界だったから笑えるような話だったが、いざ現実に降りかかるととても笑える話ではない。映画のように敵がいて、黒幕を倒せばこの世界は元通りになるのだろうか? また始めからやり直せられるほど人類は生存しているのだろうか?
女性の数が少ないと言われている現状では、子孫繁栄まで到達することが出来ないのかもしれない。
人類滅亡が目的としているうたいびと達の願望はすぐそこまで来ているのがと思うと、現状が許せなくなってきた。
一行は国会議事堂へと到着したと言っても、最早その面影は皆無に等しい物と化している。どこの国でもそうだが、おちびと化した人間たちが挙って建築物を破壊していくのだ。暴徒のように押し寄せる群衆に抗うことも出来ず、名のある建造物は消えてしまった。
使えるのは数部屋程度であり他は瓦礫によって埋まっているか、手入れをするのを止めた場所しかない。比較的無事だった部屋を日本支部は会議室用にしたぐらいだ。
「コウ殿、お二方をお連れいたしました」
「おお、遠路遥々よく来てくれたな二人共」
コウと呼ばれた日本人、ポマードで塗り固められた髪の毛は後ろへと追いやり、深々と彫り込まれた皺は長期にわたって生きてきた証と言えよう。
握手を交わした二人はコウに促される通りに席に座り、タスクはコウの背後で立っている。
「ジークから聞かせてもらった。アメリカでの君たちの功績をね」
「ありがとうございます。ですが、俺達の功績なんて、大それたことをした訳ではないでしょう」
ロウの言葉にコウは頭を振る。
「いやいや、この五年間、人類はうたいびとと接触することもままならなかったんだ。凄い事さ」
コウはタスクへと合図を促すと、一つの資料を机の上に広げられた。
写真に写っているのは一人の少女、着物に身を包ませた少女は優雅に笛を演奏している瞬間だ。楽器という概念が消えた世界では、持っている者は誰一人としていないだろう。
「これは?」
資料を手に取り、注意深く写真を見たアレクはこの少女の事について問いかける。帰ってくる答えは二人共予想が付くものだが、一応聞いておくといった建前だ。
写真に写っている少女こそがこの日本にやって来たうたいびとの一人だという。名前はアリアと言うらしい。遠くからの写真の為か、アリアの顔はぼやけているが解析の結果、訂正された彼女の正面顔が二枚目の資料に記されている。
海のような清廉さを持った頭髪と目、どことなく高慢さを持った顔をしているという印象を与えてくる。
「最近になってこの日本国内にいると判明された。場所も特定されている」
胸ポケットから葉巻を取り出して咥える。タスクが後ろから一言だけ失礼しますと言って葉巻に火を付け、コウは大きく紫煙を吸って吐き出す。
「君たちと同じようにうたいびとに交戦もしたのだが、多くの同志たちがおちびとにされてしまった。悩んでいる所にジークから君たちの一方が入ったのでね。少しだけ期待していたのだが、また降り出しか……」
「ちなみに、どれほどの損傷を与えたのですか?」
資料を置いたアレクは真っ直ぐにコウを見つめる。
「銃で蜂の巣さ。戦車も使ったんだが、噴煙のお蔭で当たったのかどうか分からなんだが、当たったとしてもアレは再生をしていただろう」
ロウがキリエに行った行為は殴打と切り傷ぐらいだ。戦車ライフルの砲弾が当たっているのかは分からないと言っている以上はこのうたいびと以前に、他のうたいびとに太刀打ちすらできない。
「生け捕りが出来れば確証が取れるかもしれんがな」
それが出来たとしても、失敗に終わるのが落ちだろうとロウは考える。傷を付けても再生するというのは人類側にとっては脅威でしかない。音で人の脳を操る、音の振動、空気の振動でアレは攻撃してくる。
目に見えない攻撃があれほど厄介極まりないものだとは思いもしなかった。銃弾は弾道を予測すればある程度防ぎようがある。しかし、音に限ってはそれができないのだ。
たとえ耳を塞いだとしても、故意に耳を潰したとしてもあの攻撃は防ぎようのないモノだ。楽器を媒介するだけではない、うたいびと自身も声を発することでそれが出来るのだ。
「たとえ原子分解まで出来たとしても、あれは再生するでしょう。あれはそうやって作られている」
「ほう? まるで試したかのような物言いだな、アレク?」
興味をそそられた様にコウはアレクを睨むが物怖じすること無くアレクは短く笑う。
「まさか、情報を統合すれば嫌でも辿り着く結論ですよ。我々人類側は彼女たちにしてやれることは、どうやって生け捕りにするのかではなく、どうやって殺すかです。それ以外に何もしようがない」
「……殺すことが出来ないのならば、やはり生け捕りしかない。そうは思わないかアレク?」
「現状はそれしかありませんね」
重苦しい雰囲気に包まれた会議室も、コウの一言で解れていく。
「まあ、君たちもこっちに来たばかりで疲れているだろう、一週間ほど休憩でも挟むがいい」
一週間も休憩なぞ取ってしまえば自分たちが何をしに来たのか忘れてしまいそうになる。そう考えていた矢先にコウは一言だけ付け加える。
「アリアがいるのは京都だ。そこに本拠地を構えている。一応住居は破壊したが後は分からん。それじゃあな、私も休憩してくる」
そういってコウは会議室から姿を消して、取り残された三人は大きく溜息を吐き出した。
「後は各自で活動しろと聞こえたが、お前たちはどうだ?」
ポケットから煙草を取り出したアレクは慣れた手付きで火をつける。同じように二人も煙草を取り出して吸い始めた。
「ああ、俺もそう聞こえた。そんで一週間後にもう一度会おうとも聞こえた」
紫煙を吐き出して短くアレクは頷く。
「ここからは自由行動という訳だが、タスク、もう一通りお前の情報が欲しい。それから京都に向かう」
「承知した」
「お前はどうする?」
ロウは立ち上がって煙草の火を灰皿に押し付けて消す。
「お言葉通りに甘えて休憩させてもらうよ。なに、俺も俺で行動させてもらう」
「そうか、なら一週間後にまた会おう」
「ああ」
手をひらつかせて会議室から出る。出口を出たところに日本支部の連中がたむろしていた。邪魔臭そうに舌打ちを鳴らして脇を素通りしようとした時だった。
「あれ? お前まさかロウじゃねぇの?」
呼び止められた声に反射的に足を止めて振り返る。たむろしている集団の中心、周りの取り巻き達よりも貧弱そうに見えるその男は、俗にいうキノコ頭であり、風貌は自宅でネットサーフィンをしているような上下ジャージ姿で、所々に毛玉が出来ている。
周りの屈強そうな連中たちはどうせ金で釣られたやつらに違いない。
学生の頃、特に仲が良かったという関係ではない、お互いに関心がなかった程度の繋がりで、中学校最後の年に同じクラスで同じ班になり、高校もどういう因果で一緒になり、三年間同じクラスになった。最後に会ったのは成人式の時ぐらいだろうか?
同じ学校という理由だけで繋がったが、彼の高校生活の一部始終を見てきたロウは昔から変わらないと嘲笑う。
「俺だよ、俺、マサヒロだよ。忘れてまったか?」
忘れるはずがないだろう、その変わらないキノコ頭は何かのポリシーなのか? 他の髪型が似つかわしくないぐらいにお前のキャラはぶれていない。キノコが本体にさえ思えてくる始末だが、このような世界でまだ生きていたことに驚きだった。
波を掻き分けて出てきたマサヒロはロウよりも少しだけ背が低い。取り巻き達がいて大分気分が大きくなっているのだろうか? こちらを見つめる視線は蛇のように絡みついてきて気持ちが良い物ではない。
「おいおい、お前大丈夫かよ? 顔色悪いぞ?」
「心配しなくて結構だ、じゃあな」
「おいおい、待てよ。お前今まで何してたんだよ? ちょっとそこで飯でも行かないか? 俺、奢るからさ?」
「悪いな、そういう気分じゃないんだ」
さっさと用事を済ませたかったロウは、この場から離れようとすると取り巻き達の数人がロウを取り囲んだ。
「おうおう、マサヒロさんがお前と話したいと言っているんだ、付き合った方が身のためだぜ?」
断れば掴みかかってきそうな剣幕だがロウはさほど気にも留めていない。寧ろ自分の前に立ちふさがった彼をどうやってどかしてやろうか考えている所だった。
このまま銃で殺しても良かったが、それだと後々面倒なことになる。この連中が今から日本支部に入ろうとしていたことを考えると、ここの組員という事だ。今騒ぎを立てて立場が悪くなると支援が途絶える可能性を踏まえると、殺すことはまず思考から除外した。
次に自分が負ける事を想定してみるが、目の前の男の他にマサヒロを踏まえ他の連中たちの目を見れば一目瞭然だ。誰も死線を潜ったことがない軟弱な奴らばかりだ。
大方、メンシュ・ハイントに拾われただけの人員であり、訓練もそれなりに受けた程度だろう。
「気分ではないと言ったんだ、強要させるな。邪魔だ木偶の坊」
その一言でロウの前にいた男は青筋を額に浮かび上がらせていきり立って襲い掛かった。
「あーあ、怒らせちまったよ。そいつ怒ると誰にも止められねえぞ?」
周りにいた男たちは野次馬の様に笑いながらその光景を楽しんでいた。リーダーの様に佇んでいたマサヒロも同じようにニヤニヤと笑っていた。
一人相手に多人数で襲い掛かるのは何処も同じような感じだなとロウは思った。虐めには慣れた、この組織に入ってからも、仕事で国を渡った時もだいたい付きまとってくるいじめは、一つのパターンとして成り立っている。
取り巻きがいて、その取り巻きのボスがいて、下っ端が対象を攻撃し、そこから後は他の者たちが楽しむだけの余興だ。
解決する方法はただ一つ、相手を黙らせることだ。それも長引かせず、短く事を終わらせるのがコツだと思う。
襲い掛かって来るチンピラはロウよりも目線が高いが、ただそれだけだ。脅威に感じはしない。自分よりも身長が高くて勝てなかった相手は、思い当たるのがジークしか顔が思い浮かばなかった。
ステップを踏みファインティングポーズを取りながらワンツージャブをロウに放つ。距離を測るために繰り出された牽制は次に繰り出す為の大砲を当てるための行為だ。短く息を吐き出して距離を詰めた男は真っ直ぐに渾身の右を放った。
見切ったロウは紙一重で躱し、裏拳を男の顔面に打ち込んだ。カウンターを食らった男は悶えながら後退しているのをロウは見逃さない。
顎を掌で打ち上げるのと同時に人差し指と小指を目に突き立て、怯んだところをすかさず蹴り飛ばす。
「邪魔だと言っただろうが馬鹿野郎」
そう吐き捨ててロウは転げまわっている男を踏みつけて横断し、駐車場にあった車に乗り込んで外に出た。
公道を走っている間も、おちびとになっている連中は視界に入ることが多くなっている。日本は島国だ。他の国の様に大陸続きではないため、おちびとが分散することは無い。そのため、通常よりも道を出歩いている数が多い。
襲ってきたおちびとは出来るだけ殺さないようにしているが、これは日本の車が外国産よりも装甲が薄いからだ。銃社会ではない日本には必要のない車体装甲の薄さで作られているため、数人も轢き殺してしまえば、下手をすると車が故障することになる。これだけは避けるためにロウは極力目的地までの間、おちびとを殺さないように車を走らせる。
道中、大きな出来事も無く、すんなりと実家に帰ってこられたことには驚いた。実家の鍵は持ってはいないが、その昔、鍵を無くしやすかったため家の敷地内、ポストポールの下に缶の中に鍵が入っているが、家主がいない以上は特に関係なかった。
ドアノブに手を掛けて回しながら引っ張るが鍵がかかって入れない。当たり前だろうと思いつつ、ドアを蹴り破って中に入った。
「ただいま」
返事はないままロウは居間まで土足で上がりこんでリビングを横目で見る。埃が被った炬燵に突っ伏すような形で干からびている死体が二つある。これはロウの両親だった。
干からびてミイラになっており、頭蓋骨には大きな風穴が空いていて風通しが良さそうだった。
おちびとが世間で騒がれたぐらいにロウは両親を殺した。どうせ死ぬのならば、おちびとになって殺されるよりかは今が良いだろうと、当時のロウはそう考えて行った行動だった。
自室に入り懐かしさを覚えながら、机の中から封筒を取り出してポケットに入れる。今の時代で営業しているお店があるのだろうかと少しだけ考えながらも日本のお金を持って家から出た。
道中でスーパーに寄って花と線香を買う。店は無人で勝手に持って行っても良かったが気分的に、やはり日本人生まれからなのかレジの所に値段以上の額を置いてスーパーを後にする。
車を走らせること数時間、思い出の場所に到着したロウは夕日が落ちていく海を見つめながら感傷に浸っていた。
「もう、ここに返ってくることは無いと思っていたが……」
結局、戻ってきてしまったのかと一人で呟いて海岸線沿いに建てられているお寺に入った。外装はやはりぼろぼろで、住職の存在もない無人寺だ。生きたまま屍のようになってしまった人たちは、帰る所を出たままで何処へ行ってしまったのだろうか。
寺の中には墓地があり、ロウの恋人だったノノカの墓は此処にある。
彼女は海が好きだった。広がる青空と広大な大海を見渡せるこの砂浜がお気に入りで、浜辺にベンチを設置したのも青春だった。
ノノカの墓の前に来て線香をあげて花を供える。周りの墓には枯れた後の草花が多く残っていて、もう誰も来ていない墓地なのだと痛感させられる。
誰にも弔ってもらえない、忘れ去られてしまった墓は酷く寂しい物に見えてきた。
もし、自分が死んでしまって彼女に手を合わせられない時が来れば、それは彼女が本当に死んでしまった事と同じだろう。
「生きるという事は永遠に苦しむこと、そして、死ぬという事は忘れ去られること」
「……えっ?」
無人だと思っていた分、唐突な来客にロウは一瞬だけ警戒心を高めた。
黒い喪服を思わせるような服装だったが、よく見れば黒いトレンチコートを着ているだけだった。ジャケットとワイシャツ、ネクタイまで一式着用していて、いかにもサラリーマンといった風貌だ。肩の所で切り揃えるように切られた髪は、どことなく少年っぽさを連想させたが、部分的背中まで伸ばされた髪は唯一彼女を女性と認識できるくらいだろう。
「よく、姉さんが話してくれました。持論のような物だとは思いましたけど、でも何処も否定できない言葉でした」
線香と花を置いて手を合わせたあと彼女はロウの方へと向き直った。男性のような凛々しい顔立ち、ロウは彼女の事を知っている。忘れる訳が無い人間だ。恋人だったノノカの妹であり、姉のことを大事にしていた女の子だった。正義感が強かった訳ではない。病弱で虐められていた姉の事を必死で守って来た女の子だ。
「お久しぶりですお義兄さん、いや、ロウさん」
「……カナン」
ニッコリと笑みを浮かべてカナンは頷く。
「少し、歩かないですか?」
浜辺を指さしてカナンは前を歩き、ロウは否定すること無くその後ろを追いかける。今の彼女が何をしているのかは知らない。日本を出る前、彼女からは酷く怒られた。凄く泣かれてしまった。いや、泣かしてしまったと言った方が合っているだろう。
朱に染まっていた空が徐々に夜の世界へと変わっていく。日本では逢魔が時という言葉があるように出会ってはいけないモノが存在している世界と一時だけ繋がる時間が、この黄昏時だ。顔を認識できるかできないかぐらいの暗さはのっぺらぼうの妖怪を連想させて気味が悪い。
「変わりましたねロウさんも」
「それを言うなら君も変わったよ」
「そうですか?」
「ああ、なんていうか男らしくなったな」
「あまり、嬉しくないですね」
失笑しつつも、カナンはまんざらでもない気分だった。
「今は何をやっているんだ? その恰好からするとサラリーマンか?」
「こんな時代でサラリーマンなんて出来る訳ないじゃないですか。一体どこに営業しようって言うんです?」
それもそうだなと思いながら、じゃあ、一体何をやっているんだという野暮なことを聞くのは止めた。何となくだが、予想がついてしまったからだ。彼女が今、何処で、何の仕事をしているのかを。
「まさか、組織に入ったのか?」
ロウの問いかけにカナンは頷く。軽く眩暈を起こしたが耐えて頭を振る。確かに、今となっては働くことが出来る組織はここぐらいしかないだろう。だが、恋人の妹が入っていることには反対したかった。
「もう、日本支部の副局長ですよ」
「あぁ、そうなのか。出世したな」
「それならロウさんだって本国の二番手なら凄い事ですよ?」
「凄くないよ、それにもう降板した」
「実力を認められたから他の国に飛べるんでしょう? ロウさんが自分の事を凄くないと言っても、私は凄いって言います。自分には出来ないことをやってのけるロウさんは凄いです」
どこか遠くへ行ってしまったように、カナンは震える声で言う。本当にすごい事なんてことは無い、ただ怒りと憎しみで追いかけてきた目的があったからここまで来ただけだ。
だが、追いかけて捕まえたと思った目標は果てまで離れてしまった。
「コウさんは良くしてくれるのか?」
「あはは、良くはしてくれますけど、ちょっとだけセクハラ発言が多いのが玉に瑕ですね。仕事している時は頼れる人なんですけど」
「そうか」
話している間にも辺りはすっかりと日が暮れてしまう。発電所がまだ生きているのか、電灯が付き始める。
「ロウさん、車でここに来ました?」
「そうだな、支部の車を借りてここに来た」
「あ、なら乗せていってください。家がここから近いので、良かったら泊っていってもいいですよ?」
車の中で寝泊まりをしようと決めていたロウにとってはこの誘いはありがたいものだ。家屋の方がおちびとに襲われる心配性が極端に下がるためだ。
夜の海は不気味だ。海の中へと攫われそうな不安感が体を襲い掛かって来たので、さっさと言われるがままロウは車を出してカナンの家へと向かった。
家というよりはそこは病院だった。廃墟寸前の病院の宿直室に案内される。病院に入る前にロウは再び眩暈に襲われながらも堪える。そう、ここはノノカが入院していた場所だったからだ。
久しぶりだと思いながら畳に座るとカナンは二人分の食事を作り出す。
「あ、別に俺は良いんだぞ?」
「よくありません、しっかりと食べないといざという時に戦えません」
カナンの主張にロウは従うことしか出来なかった。手が空いているロウは仕方がなく近くにあったテレビのリモコンへと手を伸ばして電源ボタンを押す。
どこのテレビ局も砂嵐ばかりだ。当たり前か、今更報道することなど特にないだろう。政治も事件も、この滅びゆく世界では報道したところで意味がない。
しばらくすると台所からカナンが夕ご飯を持ってきた。メニューは揚げ物と豆腐、焼き鮭と味噌汁が食卓に並ぶ。
「久しぶりに人と食卓を囲むのは嬉しいです。いつも一人だったので」
「なら、支部で食べれば良いじゃないか?」
「それも考えたのですけど、苦手な人がいるので」
苦虫を潰したように、心底その苦手な人の事を思い出したのだろう。
「誰だ?」
「あの、マサヒロっていう男性です。少し前にも求婚されました」
反射的にロウは口に含んでいた味噌汁をお椀に噴出した。
「は? あいつに求婚されたのか? なんで?」
「ロウさんも分かっているとは思いますけど、今の時代女性は数が少なくて激減していますよね? なので、子孫を残したいのか、それとも一目惚れをされたのかは分かりませんけど、この間というよりはここ最近ずっと求婚を求められます」
「ふ~ん? それで返事は?」
「生理的に無理ですって言いました」
笑った、久しぶりに笑い声をあげたのはいつだったのだろうかと考える程に笑った。顔見知りである人間であるが故の内容だったため、ロウは食べるのを中断して笑い転げた。
確かにあのキノコ頭では、たとえ自分が女であったとしても生理的に無理と断るだろう。
「でもあの人、断ったのにも関わらず、何度も求婚してきて気持ち悪いんです。ストーカーじみてきて気持ちが悪い」
「それは災難だったな。まあ、頑張れよ?」
「もう、他人事だからって酷いです」
「しょうがない、他人事だからな。それはそうとして、料理の腕上げたな」
「話を誑かさないで下さいよ。まぁ、でも、ありがとうございます」
照れた表情は姉を連想させて可愛かった。
姉妹とは仲が良かった。姉を守る騎士のようにカナンはいつでもノノカの後ろを付いてきていた。当時の彼女も初めから同じような髪型をしていた。今では後ろ髪を伸ばしてはいるがやはり、男の子たちに舐められないようにするためだったのかもしれない。
「なあ、副局長?」
ロウの口調が変わったことにカナンは意識的に仕事モードに切り替わる。
「日本支部は何処まで進んだんだ?」
ロウの問いかけはうたいびとのことを指しているのだと察する。局長からも連絡があり一通りの情報は与えているという事は聞いている。ならば、特に話すことは無い。彼が局長から聞いた情報が全てなのだから。情報共有はされている筈だと考える。局長が何かを隠して話を進めることはしないとカナンは考える。
意地悪な所が時々あるものの、明確な敵が分かっている以上は隠す人ではないからだ。
「局長から話は聞きましたよね?」
カナンの問いかけにロウは静かに頷く。
「なら、それが全てです。それ以上の情報はもう出てこないです」
「それは本当か?」
ギロリと睨み付けるロウに負けまいとカナンも今まで見せたことのない睨みを聞かせて視線が交差する。
「どうやら本当のようだな。分かった、ありがとう」
「ふう、ありがとうございます。あ、でも、情報はありませんが、私があのうたいびとに感じた考えを言いますね?」
そう話を切り出し、カナンはアリアについて述べる。
「キリエとアレルヤの事は資料で確認させて頂きましたが、人類に対しての考え方。まずキリエは人類に対して怒りの感情を抱いていますよね。どうして怒りの感情を持っているかは推測しかねますが、アレルヤは人類に対して悲哀の感情を持っていると推測します。それも何故かは分かりませんが、ここで日本支部もアリアと交戦した際に感じたのは、人類の事を楽しんでいると感じました」
「楽しんでいる?」
「はい、楽しんでいます。人が足掻く姿や、おちびと化した人を奴隷にして無理矢理働かせていた所を楽しんでいると思います」
楽しむということに軽く苛立ちを覚える。うたいびとの癖に、人を奴隷にして楽しんでいるという事実に消えかけていた怒りの炎が再び燃え上がる。
「でも、現状はうたいびと達を淘汰することが出来ない。それが一番の悩みどころだと思います」
「やはりそれか、参ったなぁ」
頭を掻きながらロウは腕を組む。このままでは一生かかってもうたいびとを殲滅することは出来ないと、行き止まりのままで人類は死ぬ事となるのだろう。
「明日、敵地に乗り込んでみますか?」
「いや、無駄な戦いで大量を消耗したくはないが、やはり、どうしようもないのだろうか? 分からない。もう何も分からないな」
悩んでいるロウの肩を叩きカナンは進まない議論を途中で打ち止めにした。
「一先ずシャワーでも浴びてください。明日また考えましょう?」
考えても無駄な気がするが、先のない議論を打ち止める口実には丁度いいだろう。ビジネスホテルのようなシャワーと浴槽。近くの棚には彼女が使っていると思われるシャンプーがあった。使うのを躊躇うもののこの際は仕方がないと思い快く使わせてもらうことにした。風呂から上がると二枚の布団が敷かれていて旅館を思い出す。
「あ、ロウさんの革ジャン、臭うので洗濯させてもらいました」
「あ、そう。まぁいいけど」
どうも調子が狂う。カナンはノノカの妹なだけに顔が似ているのでどうしても彼女と重なって見えてしまう。駄目だとは分かっていても、抱きしめたくなる衝動に駆られてしまって自分を抑えきれなくなりそうだった。
「じゃあ、私もシャワー浴びるので先に寝ていてください」
「ああ、分かった」
バスルームの扉が閉まるのを聞き終えたうえでロウは横になる。ふと、久しぶりにこうして布団で眠ることをしたような気がする。
まさかカナンがこの組織に加入しているとは思っていなかったが、時代の波に乗ったのか、流されたのかは彼女自身の問題だ。
やはり日本に来たのは間違いだと後悔した。日本の空気に触れるだけで感傷に浸ってしまう。しかも、この病院で寝泊まりをするのも予想外だったため、否が応でも思い出さざるを得ない。あぁ、でも、本当に久しぶりに深い眠りに落ちることが出来そうだと、そう考えている間にも気が付けば意識は底へと沈み込んでいた。




