唐の月下にて
―橘逸勢―
南空に上弦の七日月が浮かんでいる。入唐してから見る月は、薄雲がかかって日本よりやや陰っている。
その陰りを眺めていると、自然に溜息が漏れた。慣れぬ異郷の地で疲れているのかもしれぬ。確かに、ここのところ床についた時から記憶がなくなるほど寝付きがよい。疲労が酷くなると眠れなくなるかもしれぬな。まあ、よい。じき慣れるであろう。
疲労に気付くと、肩が重いような気もしてきた。首を回してみると、小気味よい音がなった。肩が凝っているのは、げに尤もなことである。河東先生(柳宗元)から書を学び、毎日幾つもの文字を書いているためだ。先生は詩人として名を馳せ、素晴らしい詩はもちろん散文もこの世に出しておられる。
唐の文人から「橘秀才」と讃えられるのは悪い気はしないが、諸手をあげて喜ぶことは出来ぬ。なにせ言葉がわからぬ。入唐前、日本の外交の中心である太宰府に立ち寄り、その地で漢語を学んだが、さっぱりわからぬ。そのような者が秀才であるはずがない。
まあ、それはよい。誰にも得手不得手はある。しかし、そのために唐で学べぬのが厄介だ。私は学ぶために命を賭けて荒波に立ち向かい、二度もこの地へ向かったのだ。そのために、遣唐使に選抜されて、資金をつぎ込んだのだ。それなのに、ここで言葉という壁にぶつかろうとは! 言葉がわからねば、何も学べぬではないか!
はて、どうしたものか。もちろん、言葉を学ぶしかないのだが、それだけに貴重な唐での時間を潰すわけにはいかぬ。何か、効率のよい学び方などはないのか……。
そうこう思案しているとき、どこからか、夜風にのって美しい調べが耳に届いた。ぽろん、ぽろん、という、夜空に瞬く星が発しているような音がわが心を穏やかにする。これは、琴か。私はしばらくその耳に優しい音に聞き惚れた。その音色は、いつしか月の陰りまでも拭い去ってしまったようだった。
そうだ。言葉など、一先ずまあよいではないか。音楽ならば、言葉がわからずともどうにかなるのではないか。意思疎通が必要である時は、身振り手振りで何とかしてやろう。私は、書と琴を極めよう。あれもこれもと欲張って全てを手に入れようとすると、どれも上手くいかぬ。言葉はほどほどにしておき、その分、書と琴に力を注ごう。
大行は細謹を顧みず。まあ、それでよいではないか。
―阿倍仲麻呂―
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
李白や王維たちの前だというのに、仲麻呂は漢詩ではなく和歌を詠んだ。望郷の念は郷の歌で詠じるべきだと思ったのだ。李白達は漢詩ではないことに虚をつかれたような顔をしたが、じきに納得してくれた。
十九歳で入唐してから、もう三十五年。ずいぶん年をとった。生涯の大半を唐で過ごし離れがたいが、やはり生まれの地も恋しい。
この前、王維が「秘書晁監の日本国へ還るを送る」という別離の詩を詠んでくれた。そして今日はこのようなすばらしい送別会を開いてくれた。実によい友をもったものだ、と仲麻呂は酒を一口含んだ。
生きて日本に帰れぬかもしれない。しかしそれでも、もう一たび、仲麻呂はあの春日の地に立ちたいと切望していた。
会いたい人がいた。親はとうに亡くなっているだろうが、墓前で手を合わせたい。友、初恋のあの人……覚えてくれているだろうか。覚えていたとしても、年をとった顔はわからないかもしれない。そもそもまだ生きているのかさえ、わからない。
三笠の山に出ていた月と同じ唐の月を眺めていると、「そうでしょう?」と笑った、忘れかけていた彼女の顔がぼんやりと頭に現れてきた。
幼き頃から、天才と誉めそやされていた仲麻呂は、己が誇らしくて鼻高々といっそう勉学に励んでいた。学びのおもしろさに気付くまでは、そのように誉められるために学んでいた。
今こそ有名な詩人ばかりを友人に持つ仲麻呂だが、幼少の仲麻呂の身の回りには勉学に全く興味を示さない者もいた。その者は仲麻呂を「馬鹿」だと呼んだ。
「私にとっては、勉学より、今日の命を繋ぐための生活のほうが大切ですよ」
そう言い放ったのはちえという少女だった。少年と違い、少女に勉学は求められていなかった日本では、家事を手伝っている少女がほとんどだった中、ちえも例外ではなかった。しかしちえは、少女だけでなく少年にも勉学を強要する必要ないと言った。
あれは、夜、騒がしい地域伝統の祭が終わった後だった。戻ってきた静けさの中、子供達が集まって談笑している時に、ちえは語った。
「本当に学びが楽しいと思う人や、目的のために学ばねばならぬ人だけなさればいいと思います。男女関係なく。誉められるために学ぶのは、馬鹿者がすることですよ」
「天才だ、神童だ」と言われてきた仲麻呂に、その言葉は衝撃的だった。自分を全否定された心持ちがし、学ぶことは間違いなのかと頭を悩ませた。仲麻呂はちえに問うた。すると、ちえは首を左右に振って、
「あなたは誉められることが嬉しいだけでしょう? それだけに貴重な生活のための時間を費やすのですか。たいした目的もなく好きでもない勉学をし、かつ、生活を疎かにする者は馬鹿だと言うのです。どうせ学ぶなら楽しく熱心に学ばなければならない。そうでなければ生活のために働いたほうがよいです。そうでしょう?」
仲麻呂は、はっ、とちえの目を見た。ちえはそんな仲麻呂を見て、にこりと微笑んだ。月明かりに照らされ、ぼんやりとみえた綺麗な笑顔だった。
「あなたは、学問が好きですか? 何か大切な目的があって勉学に励んでいますか?」
ちえの言わんとすることが理解できたその晩、仲麻呂は学びの楽しさを模索した。今までの仲麻呂は学びではなく誉められることに喜びを感じていた。だが、そうではないのだ……。
……仲麻呂の頭に、答えが出た。
自ら疑問をもつことだ。それが学びを楽しくさせる。
他人に尋ねられた問いに答えるのではない。自らが些細なことに疑問をもち、自らが答える。それが学びであり、それが楽しいのだ。
他人にも同じように、学びの楽しさを問えば、違う答えが出るのかもしれない。しかし仲麻呂にとっては、勉学を楽しくさせるものは疑問であった。疑問を見つけることができるようになり、仲麻呂は勉学のおもしろさを味わえるようになった。それからというもの、仲麻呂の知識の幅は広がり、いっそう学才がめきめきと伸びていった。
あの頃、結局ちえは勉強をしたいと言い出すこともなく、家事に励んでいた。そして、女友達で勉強をしたがっている者がいれば、周囲の大人の反対にも臆することなく懸命に支援していた。
今、彼女は元気でいるだろうか。年をとった今では、仲麻呂は、彼女の言い分全てが正しいとは思っていない。しかし全てが間違っていたとも思えない。彼女の言葉があったからこそ、今の仲麻呂があるのだから。
仲麻呂は酒を最後の一滴まで飲み干した。周りでは自分と同じく赤ら顔の著名な文人仲間達がくだを巻いている。中にはすっかり泥酔している者もいる。
この航海で生きるにせよ死ぬにせよ、この者達とはきっともう二度と会うことはないだろう。しかし、別れがあるからこそ出会いもあるのだ、と仲麻呂は覚悟をきめていた。
よもやまたもこの地に戻ってきて再会し、生涯の友になろうとは、このとき、誰も予想してはいなかった。
主な参考文献
入唐中の橘逸勢-放誕の人
http://d.hatena.ne.jp/hayamari842/20120203/1328235599
橘逸勢 書道の基礎知識 偉人編
http://www.shodo-journal.com/knowledge/jtachibananohayanari.html
阿部仲麻呂(安部仲麿)千人万首
http://www.asahi-net.or.jp/〜sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tyuman2.html
メコンプラザ
http://www.mekong.ne.jp/linkage/abenonakamaro.html
小倉百人一首 音声つき 天の原
http://ogura100.roudokus.com/uta07.html
もう一度言いますが、フィクションです。